舞原詩織①
Side 舞原詩織
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
自分の部屋に閉じこもり、私――舞原詩織はベッドの上で泣き崩れて謝罪の言葉を繰り返した。
「ごめんなさい、ホムラ……ごめんなさい……」
両手には恋人を刺し貫いた感触が残っている。
私は殺した。
恋人を。鬼島ホムラを。
好きだったのに、愛していたのに殺してしまった。
そうしなければいけないから。
ホムラが人間ではない怪物に……『堕神』と呼ばれる存在に憑依されてしまったから。
私の生家である舞原家は、八雲市を古くから守っている十家の『退神師』の一族である。
日本には八百万の神々がいる。その中には人に害をもたらす存在もいて、退神師は悪しき神々から人を守ることを生業にしていた。
八雲市は他の町と比べて、はるかに堕神の発生率が高い。
それというのも、この町にはあの世に通じる黄泉の入口があるとされており、そこから堕神が湧き出てくるのだ。
舞原家に生まれた私は、幼い頃から退神師になるべく訓練を受けていた。
辛い修行に耐え、やりたいことを我慢して、舞原家に生まれた使命を果たすためにあらゆるものを犠牲にしてきた。
そんな努力が実ったのが十五歳になった誕生日。
私の身体に一族の秘宝である『黄泉霊斬剣』が宿ることになった。
これはかつて十家の祖先が黄泉の番人である『道返しの大神』と契約を交わし、授かった神殺しの宝の一つ。
人ならざる神を斬り、黄泉の国に送り返すことができる剣だった。
一族の至宝を授かり、私は心から誇らしかった。嬉しかった。
これまでの努力が報われたようで、「女だから」と私のことを馬鹿にしていた兄弟や他家の術者が悔しがっているのが心の底から痛快に感じた。
もう、誰も私を馬鹿になんてできない。
私は一族の宝と一緒に、次期当主という地位まで手に入れたのだから。
だけど……私の栄光はここまでのこと。
そこから先に待っていたのは、ひたすらに不快で苦汁を舐めるような日々だったのである。
黄泉の国の秘宝である神剣には大きな欠点があった。
剣を振れば振るほどに、身体の裡に『冥界の霊力』が溜まってしまうのだ。
人間が過ぎたる力を行使した代償。
冥界の霊力が身体に堆積すると、使用者に様々な弊害を生じる。
例えば……先々代の神剣の使用者である大伯父は剣を振るうたび、『人を斬りたい』という殺人衝動に憑りつかれてしまった。最終的には剣を持って町中で暴れまわり、同胞の退神師によって誅殺されている。
先代である父もまた冥界の霊力の影響によって早逝しており、他の十家の退神師も似たり寄ったりの業を背負っていた。
私に発現した副作用は父や大伯父ほど酷いものではなかったが……女としては酷く屈辱的であり、女の尊厳を踏みにじるようなものだった。
即ち……発情である。
神剣で悪しき神を斬るほどに、男に抱かれたくて仕方が無くなってしまうのだ。
最初のうちは自分で自分を慰めていたが、やがて身体を焼く官能の熱に耐えられなくなってしまった。
そして、さらに屈辱的なことに……私を責めたてる情欲の解消役として選ばれたのは、親が決めた婚約者である獅子王龍斗。かつて私を「女のくせに」と侮っていた男の筆頭格だったのである。
『ハハッ! 女のくせに退神師になろうとするから、そんな目に遭うんだよ! ガキを産むしか能のない牝の分際で俺達に並べるとでも思ったのか? 罰が当たったなあ!』
私の身体を抱きながら、龍斗はひたすらに私の尊厳を踏みにじった。
元からプライドが異常に高く、男尊女卑の思想が強かった龍斗であったが……それは獅子王家に伝わる神器『朱玉』に選ばれてから、さらに強くなっている。
私は神器によって与えられた性欲を解消するため、自分を心底馬鹿にしている男に嬲られることを強いられたのだ。
『もうダメ……耐えられない……』
神器に選ばれてから一年。
男に馬鹿にされないために必死に努力して神剣を手にしたのに、それを振るうために嫌いな男に抱かれる。
そんな矛盾した状況に、私の心は限界を迎えていた。
鬼島ホムラという同級生と初めて言葉を交わしたのは、ちょうどそんな時期のことである。
私は自分が退神師であることを忘れることができる場所である高校の教室で、たった一人で泣き崩れていた。
放課後の教室には誰もいない。慰めてくれる誰かがいない代わりに、弱みを見せることもなかった。
『いや……もう嫌よ……誰か、助けて……』
机に突っ伏した私はひたすらに嗚咽を漏らし、制服の袖を涙で濡らしていた。
そんな時、タイミングが良かったのか悪かったのか……ガラリと教室の扉が開けられた。
『あ……』
教室の入口で一人の少年が唖然とした顔をしていた。
クラスメイトの一人。入学してからほとんど会話をしたこともなく、名前も思い出せない男子生徒である。
『ご、ごめん! 失礼しました!』
少年はバツが悪そうに叫んで、慌てて教室の扉を閉じていった。
彼の気遣いに感謝すると同時に、私は取り残されてしまったような孤独感を覚えた。
やはり自分に味方などいない……そんなふうに突き付けられた気分である。
しかし、私の悲哀は長くは続かなかった。バタバタと廊下から足音が響いてきて、再び扉が開かれたのだ。
『ごめっ、あの……これ、良かったら使って!?』
『へ……?』
ゼエゼエと息を切らして教室に戻ってきた彼が、私に何かを手渡してくる。それはビニールの袋に入ったタオルだった。
『それと……涙を流すと水分が減っちゃうからスポーツドリンクと、あと心を落ち着けるための紅茶と甘い物を食べたら元気が出るし……なんか良くわからないけど、面白いって聞くマンガを持ってきたから!』
『え、へ……あの……何を……』
『その……何があったか知らないけど、頑張って! 絶対に不幸なだけの人生なんてないから、負けないでっ!』
少年は両手で抱えてきた食べ物や飲み物を机に置いて、再びバタバタと足音を鳴らして逃げ出した。
私は呆然として去っていく背中を見送り……机に置かれた贈り物に視線を落とす。
少年が持ってきたのは様々な種類のドリンクと菓子類、タオル、そして明らかに読み癖のついたマンガ本である。
食料品とタオルは購買で買ったにせよ、マンガは学校の外まで買いに行く時間はなかった。おそらく、誰かから借りた物だろう。
『『新世紀リーダー伝さとし』……?』
私は何気なくマンガのタイトルを読み上げる。
少年の奇行に意識を取られて、悲しみや絶望の感情が吹き飛んでしまった。
涙が目の奥に引っ込んでしまい、代わりにこみ上げてきたのは抑えきれない笑いの衝動である。
『フッ……フフ、アハハハハッ! 馬鹿じゃないの!』
そう……馬鹿である。
少年は明らかにテンパっていて、アレコレと物を持ってきたのもそんな混乱の結果なのだろう。
彼なりに私のことを慰めたかったと思われるが……他にやり方がなかったのかと問い詰めたくなる。
『せめてハンカチを貸すとか、他になかったの? 購買のタオルって、学校の校章とか入ってるじゃない! フフ、アハハハ……絶対に彼女とかいないわね。あの人!』
腹を抱えて笑いながら、私は思った。
ああ……こんなに笑うのはいつぶりだろう。
笑い方なんて、すっかり忘れてしまっていた。
『あの人は……そう、鬼島くんね。鬼島ホムラくん……!』
少年の名をつぶやき……私は胸に満ちていく温かな感情に、心を躍らせる。
『明日になったら、お礼を言わないとね……フフフ、教室で急に話しかけたら、どんなリアクションをするかしら?』
その日から、私は彼……鬼島ホムラから、目を離せなくなった。
次の日から積極的に話しかけるようになり、明らかに女子慣れしていなくて狼狽している彼との交流を深め。
十分に距離が縮まったと思ったタイミングで……告白をした。
絶対にOKしてくれるはずだと思っていたが……案の定、ホムラ君は私の思いを受け入れて、彼氏になってくれた。
私には親が決めた許婚がいる。身体には剣だって宿っている。
いつまでも一緒にいられない……そんなことはわかっていたが、それでも心から嬉しかった。幸せだった。
それでも……龍斗の代わりにホムラに抱かれることはしない。
ホムラ君を退神師としての事情に巻き込むことだけは嫌だった。
彼がいてくれる日常を守るためならば、どんなに辛い戦いにも、嫌いな男に抱かれる屈辱にも耐えられるはずだったのに。
だけど……そんな私の思いの結果が、最悪の結果を生んでしまう。
私が龍斗と一緒にホテルに入るところを見られてしまい、それがきっかけでホムラが堕神に憑りつかれてしまったのだ。
私はホムラ君を苦しみから解放するため、彼を殺すことを選んだ。
選んだ……はずだった。
「あ……」
食堂で生きている彼と顔を合わせ、私は心臓が凍りつくような衝撃を受けた。
全てが夢だったのか。そうだったら良いのに。
だけど、そんな都合の良いことは有り得ない。普通に考えるのであれば、彼の骸に堕神が憑依して操っているに違いない。
「ホムラ君……」
それでも、私は彼に手を伸ばさずにはいられなかった。
必死に……縋りつくような気持ちで手を伸ばし、そしてその手を振り払われた。
「サヨウナラ」
「ッ……!」
その言葉は悪夢のように告げられた。
私は冷たい氷の刃で切り裂かれたようにその場に崩れ落ちて、そのまま意識を失ってしまった。
目を覚ました時、私は保健室で寝かされていた。
時間はすでに昼休みが終わっている頃合い。5限目の最中だった。
養護教諭の先生の話では、食堂で倒れたところを居合わせた生徒達が運んでくれたとのこと。
「多分、貧血だろうけど体調が優れないようなら病院に行きなさい。早退しても構わないからね」
養護教諭の先生は忙しそうにしており、パタパタと保健室から出ていってしまった。
詳しくは知らないが……昼休みに校内で暴行事件が起こり、怪我人が多発したと後になってクラスメイトに聞かされた。
「ホムラ君……」
保健室から出て廊下を歩きながら、心に思う。
アレは本当に私が知る鬼島ホムラだったのだろうか。
それとも……彼の皮を被った人外の魔物だったのだろうか?
本来であればキチンと家に報告して、相応の対処をするべきなのだろうが……私はそうしなかった。
「確かめないと……」
確かめなければ。
アレが本当のホムラ君なのか、この目と耳で。
もしも彼が本物のホムラ君だとしたら、その時は……。
「ウップ……」
私は喉の奥からこみ上げてくる吐き気を堪えきれず、慌てて水道に駆け寄ったのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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