兄の無事
その日の仕事を終わらせたアルベルトは逸る気持ちを押し殺して、いつも通りの動きで馬車に乗ると公爵邸へと向かった。
クリステッドが倒れたという噂はすでに城内に広がっていた。何者かが意図的に噂を流したのだろうが、アルベルトは特に動揺を見せることなくいつも通りの仕事をこなすことにした。
噂のおかげで、今回のクリステッドが襲われた件は計画的なものであると確証が持てた。まだ犯人まではわからないが、公爵家を陥れることが目的なのだろう。
城の中を歩いていると数人の知り合いに声をかけられたが、領地から戻ってくる時に賊に襲われ、少し怪我をして体調を崩してしまっただけだと説明しておいた。
襲われたことは事実だが、怪我はしていないし、体調を崩しているのは魔気が原因だ。
嘘と本当を混ぜることで相手側に怪しまれないようにしておいた。ここで余計な詮索をしてくる人間がいれば、犯人となにかしらの繋がりを持っている可能性が出てくる。こちらの罠に引っ掛かってくれれば助かるが、今のところそれらしい人物との接触はなかった。
「兄さんの仕事関係の可能性が高いだろうな」
馬車の中1人呟くが、返事をしてくれる人間はいない。
5大公爵家の1つであるウォルスター公爵は、現在国王に最も信頼されているといってもよかった。王家から姫を降嫁させたり、王子を養子にすることが何代も行われていないため、血筋としては王家から遠くなっているが、会議で国王への助言や意見を述べる内容の正確性に信用が高く、的確な指示が定評を呼んでいた。
あまり仲の良くない公爵家からすれば面白くない話だろう。それに権力に目がくらんでいる侯爵家や伯爵家からも煙たがられる存在になっているという噂も耳にしたことがあった。
恨みの1つや2つ持たれていてもおかしくない。それを上手く捌いていけなければ公爵など務まらない。
「実力行使をしてくるなら、こちらもそれなりの行動で示さないと」
まずはクリステッドが回復して元気な姿を見せることから始める必要がある。
襲われても無事であったことを犯人に示すのだ。
そのための浄化が行われているはずだ。リリアを信じて屋敷を出てきたが、ずっと気になっていた。
馬車が速度を落としたことに気が付くと、公爵邸が見えてきた。
玄関前に止まった馬車から降りると、出迎えに出てきた執事長が強張った顔でこちらを見てきた。
「お帰りなさいませ」
「兄さんの様子は?」
「ご案内します」
言葉ではなく自分の目で確認しろということらしい。魔気に侵食されたことはごく一部の使用人しか知らない。ここで余計なことを言って他の使用人に聞かれるのを避けたかったのだろう。
どうなったのか早く知りたい気持ちはあるが、耐えるしかない。
案内されたのはクリステッドを閉じ込めておいた部屋だった。
執事長は静かに視線だけで扉を示す。一礼するとそのまま静かに廊下を歩いて行ってしまった。
1人残されたアルベルトは扉を見つめて1つ息を吐きだした。
昨日まで施されていた結界が消えている。
ノックをすると中から女性の声が聞こえてきた。
緊張しながらも扉を開けて中をのぞくと、ベッドの上で半身を起こしたクリステッドと、彼を優しいまなざしで見つめているメリーナが視界に入った。
「兄さん」
「お帰りアルベルト。急に倒れて申し訳なかったな」
魔気に侵食されたことなど本当にあったのかと思うほど、何事もなかったようにクリステッドが笑顔を見せている。
アルベルトは何と言っていいのかわからず、ベッドまで大股で歩くと、兄の顔を覗き込むようにまじまじと見つめてしまった。
「弟にそんなに見つめられると困ってしまうな」
「冗談が言えるくらいには元気になったようね」
苦笑する兄の横で、メリーナが呆れたように破顔した。本当にもう大丈夫なようだ。
「これもリリアちゃんのおかげね」
「フラクトル嬢には後でお礼の品を送ることにしよう」
2人が見つめ合うように微笑む。アルベルトは詳しいことを聞いていないので、何が起こったのかわからなかった。
「説明をお願いします」
リリアが浄化をしてくれたのだろうが、彼女からも詳しい話を聞いていない。どうやって兄を浄化してくれたのか聞きたかった。
「リリアちゃんが、知り合いの浄化師を紹介して連れてきてくれたのよ」
彼女に知り合いの浄化師がいたことは初めて聞いた。浄化師らしき人ではなく、本物の浄化師を連れてきたようだ。
「ケイン=ラリット殿だ。聞いたことがあるだろう。神官の中でも少し有名な人物だ」
「ケイン=ラリットですか」
神殿に所属する神官は回復魔法を使える回復士と、魔気の浄化ができる浄化師が存在する。回復士はそれなりの人数がいるが、浄化師は限定されてくる。遠征で浄化師を貸してほしいと申請することはあるが、ケインという名前の浄化師と会ったことがなかった。
「なんだ、知らないのか。いろいろな意味で有名なのだが」
クリステッドが瞬きをして驚いていた。
「彼は浄化師として優秀だが、女性の話し方をするし、男好きらしい」
「・・・・・」
どう反応するべきなのだろう。彼と言うことは男なのだろう。その人が女言葉を使う上に同性を好むという。初めて聞く人物に返す言葉が見つからない。しかも、ケインはリリアの知り合いなのだ。複雑な気持ちが胸の中を渦巻いてしまった。
「私が会った感じだと普通の男の人に見えたわよ。クリスは意識がなかったからわからなかったと思うけど」
メリーナが思い出すように話していく。
「話し方は女性らしさがあったのは本当ね。でも、物腰が柔らかい普通の男性と変わらない気がしたわ」
「・・・そうですか」
「浄化が終わるとすぐに帰ってしまったから、おもてなしもできなかったのが残念だわ」
ケインはリリアが公爵を見舞うついでに来たということになっている。あくまでもついでと言うのが重要になる。わざわざ浄化師を頼んで派遣したのではなく、ついでに来てくれてたまたま公爵の体調を診ていったという流れにしたのだ。
「リリアは?」
「彼女は、ケイン様を神殿に送り届けるために一緒に帰ってしまったのよ」
お見舞いと言う口実で来たリリアは、浄化が終わるとすぐに帰ってしまった。2人をもてなせなかったことがメリーナには心残りのようだ。
今の話を聞く限り、リリアが浄化を行ったわけではなさそうだ。力を使うことなく公爵家の危機を救ってくれたことになる。アルベルトの願いを別の形で叶えてくれた。
「メリーナ、少しアルベルトと2人で話をさせてくれ」
クリステッドが言うと、メリーナは心得たと言わんばかりに無言で部屋を出ていった。
「さて、いくつか聞きたいことがあるんだが」
部屋に2人きりになると、兄の表情が一気に引き締まった。空気まで緊張したような気がして、アルベルトは背筋を伸ばして気を引き締めた。
視線で先を促すと、クリステッドは確信をついてきた。
「お前はフラクトル嬢が浄化師と知り合いであったことを知っていたのか」
正直知らなかった。アルベルトがリリアに会いに行ったのは、彼女自身の浄化で兄を助けてもらうためだ。だが、ここで知らないと答えてしまうと、どうしてフラクトル家に行くことになったのか、その経緯を話さなくてはいけなくなる。
昨日の夜公爵邸に戻ったアルベルトは、浄化師の手配をしていなかった。浄化師を連れてくると思っていたメリーナはひどく動揺していたが、聖物を渡して少し時間が必要だと説明するだけにしておいたのだ。聖物があれば1日は持たせられる。その間に浄化師が来るはずだと。
知っていたと答えるべきなのだろうが、さらに詳しい追及をされてしまうと途端に嘘を見抜かれそうだ。
どう答えるべきか迷っている間に、アルベルトの顔をじっと見ていたクリステッドが息を漏らした。
「答えづらい質問だったようだな」
「・・・すみません」
リリアが浄化師であることを知られない選択肢は、詳しいことまでは知らないが知り合いの浄化師がいるということを知っていたという回答がよかったのだろう。今になって結論が出たが遅い。
「フラクトル嬢の知り合いにたまたま浄化師がいて、倒れた私の体を心配した彼女がたまたま一緒にいた浄化師をお見舞いついでに連れてきてくれた。ということにしておこう」
たまたまとついでを強調していたが、とりあえずは結論を出してくれたようだ。今の内容を上手く利用して周囲に知らせることで、公爵が魔気に侵食されて倒れてしまい、浄化師の力を借りて浄化したという事実を隠すことができる。
「後日浄化師ケイン殿には見舞いのお礼をしておかないといけないな。フラクトル嬢にはお前から礼をしてくれ」
お礼という名の口止め料を意味していることは言うまでもない。公爵家としても真実を知っている2人をこのまま放置するわけにはいかない。
ケインにはクリステッドが直接会うことになるだろうが、リリアに関してはアルベルトに任せたいと兄からの指示が出た。だがここで1つ問題があることをアルベルトは気が付いた。
「兄さん」
「なんだ」
「リリアのことですが」
彼女に浄化を頼んだ際、兄のレイルに突っぱねられ、婚約破棄すると宣言をされていたのだ。リリアは手を貸してくれたが、婚約破棄に関しては何も話がされていなかった。
「もしかすると、フラクトル伯爵から婚約の破棄を願う手紙が届いているかもしれません」
どう説明するべきか迷いながらも口にすると、婚約破棄という言葉が心に重くのしかかるのを感じた。
血の繋がった兄を助けるため、大切な女性の手を離した。どれだけ手を伸ばしてももう届くことはないのかもしれない。
「なぜそうなったのかよくわからないが、原因が私にあるのではないか?」
言葉にすることができず、目を伏せて小さく頷くだけにした。
「喧嘩でもしたか」
「いいえ、家族の怒りを買ってしまったというのが正しいです」
「フラクトル伯爵を怒らせたのか」
目を開けるとクリステッドの引きつった顔が見えた。
「元第2騎士団長で、社交界に出ると気絶する淑女が絶えないという顔の持ち主のフラクトル伯爵を怒らせた」
強面で有名なフラクトル伯爵は、夜会に参加すると怖すぎる顔のせいで女性たちが逃げていくと言われている。反対に妻であるサラ=フラクトルは美人で有名なため、2人が並ぶと魔物と妖精だと揶揄されるほどだ。
その伯爵が怒りを露わにした場面に遭遇してしまえば、誰もがこの世の終わりを想像するのだろう。
噂だけは兄の耳にも届いている。直接本人に会ったこともあるので、怒った伯爵の想像はついたようだ。
「お前に明日があるといいな」
同情するような目が向けられる。
「そこは自分の責任なので、何とかするしかないとは思っているけど」
怒りを鎮める方法は考えていなかった。そのうちアルベルトにもなにかしらの対応が迫られると思っている。
「フラクトル嬢とはちゃんと話をしたのか」
「それはまだ」
1日待ってほしいという伝言をもらって以降、リリアとの接触もないし、メリーナも伝言を受け取ってはいなかった。
「それなら、フラクトル嬢の気持ちをしっかり聞いてきなさい。婚約破棄をするかどうかはその後でも間に合うのだから」
書類にサインをすれば終わりだ。その前に2人でよく話し合うべきだと兄は言ってくれている。
「そう、だな。ちゃんと彼女と話をした方がいいよな。手紙が来ても少し待っていてほしい」
家同士で交わされた書類にサインをするのは公爵の役目だ。だが、リリアと話をするべきはアルベルトになる。お互いの気持ちを確かめたうえで、婚約破棄をするべきなのだろう。
「ちゃんと自分の気持ちを伝えてきなさい。あとになって後悔しても遅いのだから」
「はい」
もう一度自分の気持ちを伝えるべきなのだろう。
後悔がないようにアルベルトはすぐに公爵邸を出かけることにした。




