差し入れ
オーブンから甘くて香ばしい匂いが漂い始めるとリリアはミトンをはめてオーブンの前に立った。何度もお菓子作りはしているのでぼやけた視界でもオーブンの扉の位置は把握している。
「もう良さそうね」
扉を開けると途端に香ばしい匂いが強く鼻に届いた。中からトレイを取り出しテーブルに移す。乗っているのはカップケーキが10個。チョコチップを混ぜ込んでいるのでチョコの甘い香りが漂う。その隣にはプレーンのカップケーキが焼きあがっている。さらに隣にもカップケーキがあるが、これはほかのよりオレンジがかった色のケーキだ。生地にニンジンを混ぜ込んでいるためこの色になった。
リリアは甘いのも好きだが、野菜を混ぜ込んだ甘さ控えめのケーキも好きなので、ケーキ作りの時はたいてい野菜入りのものを1種類作っている。前回はホウレンソウで緑色のケーキだったが、今回はニンジンにしてみた。テーブルの上に全部で30個のカップケーキが並ぶ。
「随分多めに作りましたね」
料理長のニックが並べられたケーキを見て首を傾げているようだ。家族で食べるには多すぎる量なのだ。
「渡す人がいるから多めに作ったの」
「なるほど」
「出来栄えはどう?」
「問題ありません」
リリアにはカップケーキがはっきり見えない。形はニックに見てもらうしかない。
「味は?」
そう尋ねると料理長はプレーンのケーキを手に取りひと口かじる。
「大丈夫です」
そう言われてリリアもミトンを外してオレンジ色のケーキを手に取り口に運んだ。
「ん、おいしい」
ほのかなニンジンの香りと甘さが口の中に広がり頬が緩む。
「家族の分を取ったら、あとは袋に詰めて明日お父様に頼むことにするわ」
渡す相手は城勤めの人間だ。父に頼めば渡してくれるはずなのでその準備をする。ケーキなど持っていったら一体どんな顔をするだろう。ぼんやりとしか見えないリリアには、想像しても相手の顔がわからないので結局想像できなかったが。
「楽しそうですね」
ケーキを取り分けていると厨房の入り口から声がかかった。侍女のエルが様子を見に来たようだ。
「今焼きあがったところよ」
「おいしそうですね。とてもいい匂いがします」
「ニックからもおいしいって言ってもらえたから明日お城に持っていくわ」
そのための取り分けをしているところなのだ。
「お嬢様、ここはニックに任せましょう、旦那様と奥様がお帰りになられました」
「あら、もうそんな時間なの」
エルはケーキの匂いにつられてやってきたわけではなく、両親が帰宅したことを知らせるために来てくれたようだ。残りの仕事を料理長に任せて厨房を出ると、そのまま玄関に向かう。
「おかえりなさい」
玄関まで行くと二人の影を見つけて声をかける。紺色が父で、淡いクリーム色が母だ。出かけて行った時の服の色で判断するが、それ以外にも母がつけていった香水の匂いでも判断はできる。
「ただいま」
「あら、リリアから甘い匂いがするわ」
「今ケーキが焼きあがったところなの。一緒に食べましょう」
家族の分もちゃんと用意しておいた。
「まだレイルが帰ってきてないわ。あの子より先に食べたら拗ねてしまうから、帰ってきてから一緒に食べましょう」
兄のレイルは仕事でまだ城にいるだろう。リリアがケーキを焼くと、毎回楽しみにして帰宅する。前に1度、兄の帰宅前に3人でケーキを食べたことがあったが、先に食べていたことに拗ねたことがあったので、母は気を利かせたようだ。
「それじゃ、お兄様が戻ってきてからにします。それと、お父様にお願いがあったの」
紺色の影を振り返ってリリアは言った。
「明日は騎士団に行くのでしょう」
「ケーキを持っていってほしいということか?」
多めにケーキを焼いたことは伝えていないが、何度かケーキを焼いた日の次の日に父が騎士団に行く時に持って行ってもらったことがある。それを予想しての返事だった。
「リリアのお菓子は好評だぞ」
前第2騎士団の騎士団長を務めていたオルファは、引退したあとも時々騎士団に顔を出しては、鈍っている体を動かすという名目で騎士たちの練習相手をしている。体力を使う騎士には甘いお菓子は気に入られているようだ。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
第2騎士団の騎士とは何度かしか会ったことはないが、喜んでもらえることはうれしい。
「それと、もう一か所お願いしたいところがあるの」
今回ケーキを焼いたのは騎士団に持って行ってもらうためではない。リリアは名乗る余裕がなかったが、相手は名乗ってくれたので届け先はわかっている。初めて持っていくので受け取ってもらえるかどうかわからないが、リリアの感謝の気持ちだけは伝えておきたかった。彼がどんな反応をするのか不安はあるけれど、せっかく焼いたケーキを食べてもらえればいいなと思うのだった。