謎の令嬢
「隊長、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
部屋に入るなり元気な声が飛んできて、アルベルトは反射的に言葉を返していた。
1か月の魔物討伐の遠征を終えて帰ってきた彼が所属する黒騎士隊は、昨日から10日間の休暇を与えられていた。だが、隊長であるアルベルトは部下と一緒に同じだけ休むことはできない。昨日は王家主催の夜会だったため、公爵家の次男として出席しなければいけなかった。
今日は遠征部隊から外れていたほかの隊員からの報告を受けるために黒騎士隊に来ている。
黒騎士隊は第3騎士団にしかない唯一の部隊だ。戦闘が始まれば最前線で戦う総勢12人の少数精鋭隊になる。
「こちら、隊長が遠征中の報告書になります。この1か月特に城内で変わったことはありません」
隊長の席に座ると、さっそく副隊長を務めるリックス=オルフェニアが書類を持ってきて報告を始めた。
特に変わったことがなかったため、薄くてすっきりしている報告書にざっと目を通す。それ以外にも机の上には他からの書類が山積みになっているが、これはいつものことだ。
「次の遠征はしばらくなさそうだな」
「今のところ各地で大きな問題は起こっていないようですが、噂程度で東の方で魔物の動きが怪しくなってきているそうです。現在調査報告待ちです」
「わかった」
報告を終えるとリックスは一礼して自席に戻った。急ぎの案件がなければ午前中で仕事を切り上げるつもりでいたアルベルトは、机の上に積まれた書類を片付けることにした。
「あの、隊長・・・」
書類にサインをしていると、おずおずと声が聞こえてきた。
「なんだ」
顔を上げることなく反応すると、近くに座っていたミライヤが窺うような声で口を開く。彼女は黒騎士隊で唯一の女性騎士だ。女性といえども黒騎士隊にいるのだから剣の腕は間違いない。
「昨日夜会に参加されましたよね」
「そうだな」
「隊長はいつもあいさつ回りだけしてお帰りになりますよね」
「それ以外に用がないからな」
アルベルトは公爵家の次男という立場で参加しているが、いつも知った顔ぶれに挨拶をする程度で切り上げている。内政の話は兄である現公爵が請け負ってくれるし、25歳になったこともあっていろいろと令嬢を紹介されることもあるが、面倒なのですべて断っていた。
「それじゃ、昨日のご令嬢とのお庭散策は私の見間違いですよね」
「・・・は?」
サインしていた手を止めて顔を上げると、副隊長以外の部屋にいる全員がこちらを見ていた。特にミライヤの目は興味ありだと物語っている。ここにいる黒騎士は遠征に行ってないので、昨日の夜会には参加していただろう。
「私驚きました。隊長が女性をエスコートして、中庭に出ていくから」
最初何を言っているのかわからなかったが、どうやら彼女は昨日男に絡まれて困っていた令嬢を助けたことを言っているのだと気がついた。
「それ、俺も見ました」
「俺も、隊長を見つけたので声をかけようとしたら女性が一緒でした」
「しかも腕を組んでいたじゃないですか」
令嬢を助けた場面ではなく、庭に案内しているところを見られていたようだ。
最初から説明するべきか迷っていると、近くに座っていたリックスが顔を上げて目が合った。
「私も見ましたよ。見たことのないご令嬢でしたね。どちらのご令嬢ですか?」
興味がないのかと思いきや、皆の話を聞きながら、彼も昨日のアルベルトが気になっていたようだ。
「どこの令嬢と言われても、知らないとしか言えない」
「え・・・」
そこで全員が動きを止めた。
「知らないご令嬢と一緒だったんですか?」
最初に動いたのはリックスだった。彼は複雑な顔をしている。公爵家次男であり結婚適齢期のアルベルトに言い寄って来る令嬢は多い。いろいろな手段を使って彼と親しくなろうとしてくる。それらをすべてあしらってきた彼が身元の知れない令嬢と一緒にいたことに納得できないのだろう。
「こっちは名乗ったが、相手の名前を聞く前に、兄らしい男が来てそのまま帰っていった」
「うわぁ、そのお兄さん邪魔ですねぇ」
ミライヤの言葉に他の隊員が頷く。
「随分と妹のことを心配しているようだったな」
「・・・・・シスコン」
ぼそっと聞こえてきた声は敢えて無視した。
「誰か見覚えがあったか?」
庭に出るところを見ていたのなら、隊員の中に知っている者がいるかもしれないと問うてみたが、全員首をひねるか、横に振ってしまった。
ハニーブロンドに碧の瞳、白い肌に全体的に整った顔立ちをした美人と言っていい女性だった。年齢は20歳に届いたかどうかといった感じではあったが、落ち着いた雰囲気からもう少し上かもしれない。腕を組んでほしいと言われた時は一瞬躊躇ったが、頼りなさげに差し出してきた手に結局腕を貸してしまった。今まであった令嬢は押しが強くて自分を主張してくる者たちばかりだったためか、不安そうにしている彼女を見ていると自然と手を差し伸べてあげたくなってしまったのだ。だから最初に見かけたときにも声をかけてしまったのだろう。
「もしかして地方からたまたま来たご令嬢とかじゃないですか?」
アルベルトが1人で考えていると、周りは謎の令嬢の正体で盛り上がっていた。
「ありうる。遠い領地で滅多に王都に来ない娘を思い出作りに連れてきたとか」
「俺からは遠目だったけど、美人に見えましたよ。いい男捕まえて領地に引き入れるつもりだったのかもしれません」
「でも、そうなるともう一度会うのは厳しいわよね。すぐに地方に帰っちゃう可能性があるもの」
「そもそも、あんな美人の令嬢なら相手くらいいるんじゃないですか?」
「・・・・・」
全員が一斉にこちらを見てきた。
「隊長も美形ですし、昨日の二人は美男美女に見えましたけど・・・残念でしたね」
ミライヤの言葉に全員が残念そうな顔をする。なぜか謎の令嬢に振られた結論になったようだ。
「お前たち、仕事をしろ。仕事」
半眼になって睨み返すと、全員が一斉に目をそらして仕事に戻っていく。
彼女が何者であったのか調べることはできるだろうが、アルベルトはそんなことに時間を割くつもりはなかった。次に会うことができるかどうかもわからない令嬢のことを気にしても仕方がない。そう思いながら昨日の令嬢のことを思い出す。昨日の夜会では困った顔と不安そうにしている顔を見ただけだった。できれば笑顔を見てみたかったと思いながら仕事に戻った。