ジョフロワの帰還
アレンの去った後の玄関ホールでは、夢男とメルクリオが互いに対峙しあっていた。
「さて……私達はどうしましょうかね。続きでもやりますか?」
「お前たちにやる気がないなら、俺は御免被りたいがねぇ」
夢男の問いかけにメルクリオが飄々とした様子で返す。ポンパドールにした前髪を人差し指の背でサッと撫でた。なんともキザな仕草だ。
「あなたに戦う意思が無いというなら、私達のことも見逃してもらえませんかねぇ?」
「冗談。お前さん達の足止めっていう役目まで手放したつもりはねぇぜ」
メルクリオが長棒をひらりと一回転させて肩に担いだ。
「ところでお前さん達は一体何者なんだ? さっきの黒目黒髪の青年はお姫様の護衛のアレン・ゴードンとかいう奴だろ? お前は夢男。何度もうちの邪魔をしてくれたようじゃないの。んで、そっちのシニョリーナはエマって呼ばれてたな。三人はどういう集まりなんだっけ?」
「シャロン嬢の救出を願う同志の集まりですよ」
「それだけじゃないだろう、夢男さんよ」
メルクリオが鼻白むように小首をかしげる。
「あんた、『本』の事情に随分と明るいようじゃないの。シャロンの姫様も含めて、アンタがた一体何企んでるんだ?」
「何も企んでなどいません。私達はシャロン嬢をお守りしたいだけですよ」
「シャルル王がなにか危害を加えるみたいな言い方するが、別に王はそんなこと思っちゃいないさ。王の下に『本』とともに手厚く保護されるっていう、ただそれだけのことだ」
「ならば、なぜこんな強行手段を? シャロン嬢の保護勧告を議会に提出して承認を受ければ、公的に彼女を保護することができたはずです。あなた方を動かして秘密裏にシャロン嬢を確保しようということは、なにか後ろ暗い事情でもあるのでは?」
「さぁね、末端の俺にはそんな事情まではわからねぇよ」
担いだ長棒で肩をとんとんと叩くメルクリオ。
「ところで、後ろ暗い事情があるのはお前もだろ、夢男?」
「……突然、何のことですかねぇ?」
メルクリオの言葉に夢男が訝しむような表情を浮かべる。
「だってそうだろ?」
メルクリオが長棒の先端を夢男に突きつけた。
「夢男、お前が『世界樹の本』を確保していること、他の奴らには秘密にしているな?」
「えっ……」
エマが不意をつかれたような顔で夢男を見た。
「少なくとも、シャロンのお姫様はお前が『本』を持っていることは知らなかったようだぜ?」
「夢男さん、それはどういう……」
不審げに眉根を寄せるエマを尻目に見て、メルクリオが確信めいた表情を浮かべる。
「このシニョリーナの態度を見る限り、どうやら図星らしいな? どうなんだ、夢男さんよ?」
そう問いかけるメルクリオに、夢男は沈黙を返す。メルクリオは気が削がれたように鼻で笑う。
「だんまりってわけかい。しかし、お前が『本』を持ってるのは、ノルベルトとギヨルパの嬢ちゃんの報告から言って確実だ。それをシャロンのお姫様に、仲間に黙っている理由はなんだ?」
「……」
エマはメルクリオの言葉を聞いて、アンガス村での夢男との会話を思い出していた。
夢男の目的、それは「自分の記憶の中から、『あるもの』を手に入れること」と言っていた。そしてその目的を果たすために、カロル達の手伝いをしているとも。だが、メルクリオの言葉を聞いた今となっては、疑念の方が勝る。
彼は本当にカロル達の「手伝い」のつもりでいるのだろうか? 実はカロル達を自分の都合に合うように操っているのではないだろうか? 彼は何もかも白日の下に晒していないという不信感はいつでもエマの中にあった。
夢男……彼は一体何を考えて行動しているのか?
そしてエマにはもう一つ、重大な疑念を夢男に抱いた。
もし彼が『本』を手にしている、ということが事実だとしたら。
それは――。
「シャロン氏を殺害したのは夢男、お前じゃないのか?」
メルクリオの核心をつく言葉に、エマは思わず息を呑んだ。
シャロン氏は『本』を奪われて殺された。『本』を奪った犯人がシャロン氏を殺害したと考えるのが自然だ。
その犯人は特務機関だとエマは聞かされていたが、メルクリオの話からするとそれは彼らではなく――。
「どうなんだ? 夢男さんよ」
無表情で棒立ちになる夢男に、メルクリオがダメ押しに問いかける。それに対する夢男の答えは――。
「違いますよ。私ではありません」
そうはっきりと明言した。
「へっ! お前じゃあ無いってんなら誰が殺したってんだ? 状況的にお前しか犯人はいねぇじゃねぇか! それとも誰か別の奴がいたってんのか? そいつは何者でどこへ消えたってんだ?」
「……それは――」
メルクリオの野次るような物言いに、夢男が口を開きかけたときだった。
「……誰だ、お前たちは?」
だしぬけに玄関扉が開いた。
その扉の向こうから、特務機関長ジョフロワ・マイヨールが姿を現した。
「機関長」
メルクリオがジョフロワへと声をかける。彼のその一言で、エマに緊張が走る。
この男が特務機関を束ねる長。
夢男が帽子のつばをわずかに傾けた。
「メルクリオ。これは一体何の騒ぎだ」
ジョフロワは厳しい顔つきで玄関ホールを見回すと、メルクリオへと問いかける。メルクリオは肩をひょいとすくめながら答えた。
「シャロンのお姫様を奪いにきたっていう襲撃者が現れた。そしてこいつがその内の一人、夢男」
そういうと目線で夢男を示す。夢男は優美な仕草で一礼した。
「お初にお目にかかります。私は夢男と申します。以後お見知りおきを」
ジョフロワは険しい表情を少しも緩めないまま、メルクリオへと問いかけた。
「シャロンはどうした?」
「タチヤーナに任せたよ。俺はこいつらの足止め」
「襲撃者はそこの二人だけか?」
「あー、悪りぃ、一人逃した。例の黒髪の青年だ。あと、上の階の音沙汰が無ぇ。今どうなってるかもわからねぇ」
「……状況は分かった」
ジョフロワは目頭を揉みしだくと、ついで夢男へと目線を向けた。
「お前が夢男か。随分と我々の邪魔をしてくれたようだ」
「お互い様だと思いますけどねぇ」
「お前は何を目的に動いている? シャロンの娘と『本』を確保して、一体何をしようとしている?」
「それを話す義理はありませんねぇ。あなた方こそ、一体何のために『世界樹』を確保しようとしているのです?」
「我らも答える義理はない」
「水掛け論にすらなりませんねぇ、これじゃ」
夢男がやれやれといった風に首をふる。
「余計な御託はいい……夢男よ」
ジョフロワが夢男に向かって片手を差し伸べた。
「お前の持つ『世界樹の本』を寄越せ」
「そんな言葉で私がおとなしくホイホイ渡すとでも?」
「思わんな……メルクリオ」
ジョフロワがそう言った瞬間。
メルクリオが夢男に向かって長棒を振りかざした。
「おらぁ!」
「……っ!」
電光ほとばしる長棒を辛くも避けた夢男。
その攻撃へ逃れたところに、ジョフロワが歩み寄ってきた。
夢男はそれを見て、ひとまず距離を置こうと動こうとした。
しかし。
(……! 身体が……)
動かない。
いや、正確に言えば。
(動きが遅くなってる!?)
夢男が手足を動かそうとしても、水中でもがいてるがごとく、緩慢な動作になってしまう。思考は普段どおりにできているが、体中の動作がスローモーションになって、思うように動けない。眼球の動きすらもどかしいほどに遅い。
その引き伸ばされたような時間の中で、夢男はあることに気づいた。
(……なにか、灰色の空間に包まれている?)
ジョフロワを中心にして、灰色をした半球状の『フィールド』のようなものが広がっていた。夢男はそのフィールドの中に捕らわれていた。
(これが……彼の『ギフト』!)
「ふぅん!」
ジョフロワが丸太のように鍛え上げられた脚で夢男を蹴り飛ばした。
「ぐはっ……!」
その蹴りをくらった夢男は後方へと吹き飛ばされ、エマの作った障壁へとぶち当たった。
「夢男さん!?」
エマが思わず障壁を解除して、夢男の下へ向かおうとするも、その目前に長棒が振り下ろされた。
「おっと。シニョリーナはそこでおとなしくしてな」
メルクリオが幾分真剣な声音で告げるので、エマはそれ以上動くことが出来なくなった。
夢男は盛大に咳き込みながらも、ジョフロワの能力を分析していた。
(彼の能力は……『結界の中の自分以外の物の動きを鈍くさせる』能力……!)
彼の半球状のフィールドの中にとらわれると、全ての動作が緩慢になり思ったように身動きが取れなくなる。そのフィールドの中を彼だけは通常のスピードで動くことができるようだ。
しかし攻撃手段は徒手空拳。ならば対処の方法はある。
「これならどうですっ」
夢男が『ギフト』を発動させて、マティアスの姿へと変貌した。
マティアスの鋼鉄の身体なら彼の攻撃は効かないはず。
そう思い、ジョフロワへと突っ込んでいく。
「……」
ジョフロワは無言の内に『ギフト』を発動させる。夢男は再び彼のフィールドに捕らわれた。
(っ! やはり、動きが鈍くなる!)
振りかぶった拳が、ナメクジのようなのろのろとした速度になる。ジョフロワはその拳を造作もなく掻い潜ると、夢男の腕を取り、脚をかけて投げ飛ばした。殴りかかった勢いそのまま、床を激しく転がっていく。
「くっ!」
夢男が体勢を立て直して顔を上げると、そこにはメルクリオが居た。
「そらよっ!」
電撃が夢男を貫く。
「ぐああああああっ!」
「夢男さんっ!」
エマが口元を抑えながら叫ぶ。メルクリオの電撃は、マティアスの『ギフト』では防げない。
夢男が糸の切れた人形のように床へと沈んだ。