特務機関・廃工場
更新遅くなってしまい本当に申し訳ありませんでした……。
今後も更新が遅くなる雰囲気をひしひしと感じていますが、とりあえず最新話書き上がりました。
どうぞごゆっくりお楽しみください。
夢男にメルクリオを任せたアレンは、カロルの姿を求めて廊下を走り回った。
「……ここじゃない」
「……ここも違うっ」
「ここもっ!」
目についた扉を片端から開けて確認していく。僅かな希望とともにドアノブを回しては、無人であることを認めて大いに失望する。
そんなことを繰り返している内に、廊下の一番端の部屋までたどり着いた。一息吸ってから、扉をガバリと開く。
「……くそっ、ここにもいない!!」
苛立ち紛れに扉を乱暴に閉め、盛大な舌打ちをする。
さては、反対側の廊下側だったかと考えていると、ふいに、一番端の部屋のさらに奥に曲がり角があることに気付いた。
そちらへ歩みを進め、角の向こうを覗き込む。
「……地下への階段か」
そこには人ひとりが通るのにやっとという幅の階段が下へと続いていた。明かりは点いておらず、途中の踊り場で直角に折れ曲がっており、その先はここからでは見通せない。
考えてみれば、アレンの今いるここは一階であり、窓を開ければ簡単に脱出できてしまうことを考えると、カロルの幽閉には適さないのではないかと今更ながらに気付いた。地下階があるなら、そちらのほうが閉じ込めるには都合がいいはずだ。
「……よし!」
アレンは確信めいたものを感じながら、地下への階段を降り始めた。
背後の窓から外の光が差し込んでいるが、足元は薄暗い。ほどなく踊り場まで降りると、その先は暗く冷ややかな空気に沈んでいた。踊り場の壁の照り返しでかろうじて足元が判別できる程度であり、アレンは足を踏み外さないように慎重に歩みを進めた。
階段を降りきった所で暗闇に目を凝らすと、薄暗い陰の中により一層黒くて四角い穴がぽっかりと空いているように見えた。さらに近づいてよく見てみると、それは鉄製の黒い扉であった。おそるおそる手を伸ばし、ひんやりとした取っ手に手をかける。ごくりと喉を鳴らしながら慎重に引っ張ると、蝶番からきいきいと耳障りな音を鳴り響かせながら、扉が開いた。
「……明かりが付いてるな」
扉の先は両側に扉のある長い廊下になっていた。壁のところどころに備え付けられたランプには火が灯されており、地下の様子がまんべんなく照らし出されていた。廊下の向こう側にはこちら側と同じような扉が見える。おそらくだが、向こうの扉もこちらと同じように一階へと続く階段になっているのでは、とアレンは推測した。
さらに目を凝らすと、奥の方の部屋の扉がうっすらと開き、中から明かりが漏れていることに気付いた。それを見てアレンは警戒感を強めた。あの部屋に誰かが居たのか、あるいは、居るのか。
アレンはいつ戦闘になってもよいように身構えつつ、そろりそろりとそちらへ向かった。
目当ての部屋へと忍び寄る途中、廊下の中程でT字型に別の通路が伸びていることに気付いた。その奥はまたしても鉄製の扉になっていた。この通路も気になる。しかし、今はまずあの部屋の様子を探ろう、そうアレンは心中で呟いた。通路を無視して奥へと進む。
緊張感に冷や汗を流しつつ、じわりじわりと歩みを進め、遂に件の扉のそばまでたどり着いた。息を殺して耳をそばだてるが、人のいる気配は感じられない。
ごくりと生唾を飲むと、意を決して、扉をガバリと開いた。
――そこには誰も居なかった。
「……ふぅ」
額の汗を拭って、部屋の中へと足を踏み入れる。
ベッドや椅子、机があるだけの簡素な部屋だ。仮眠室か何かのようだ。
気になるのは机の方だ。煌々と炎をともすランプと共に、金属製の四角いトレーが机の上に乗っている。そのトレーは机に対して斜めになって、四隅のうちの一つが机の端からはみ出ていた。皿が乗っているが、その一部がトレーの縁にかかって、斜めに傾いている。皿の上に乗っているべき肉や野菜が飛び散って机の上を汚していた。
床ではこぶりなボウルが逆さまになって落ちている。その中に入っていたと思われるスープが、絨毯にカエデの葉っぱのような形のシミを作っていた。アレンがスープボウルを拾い上げてみると、人肌よりもわずかに温かかった。机の下にフォークも落ちている。椅子も横倒しに転がっている。それら全てがランプの明かりに揺らめいて、薄暗い部屋の中で物言わぬ残骸となって冷め続けている。
寝具の方に目を向けると、ベッドの端の一点を中心に、シーツに放射状の皺が寄っている。誰かの座っていた跡のように思われた。
この部屋に誰かが居たことは明らかだ。それも、スープボウルのぬくもりから判断するに、アレンが来る直前までその誰かはここに居たに違いない。そして机周りの惨状からは、その人物にとって何か良くない事が起きたのでは無いかと想像させる。
直感のようなものがアレンに告げた。
「……きっとこの部屋に居たのはカロルだ」
料理のぶちまけられた跡は、突然に現れた脅威に対する抵抗の跡のように思われた。それはカロルの仕業ではないだろうか。
カロルは一見たおやかな美少女であるが、その内には、こうと決めたことを絶対にやり遂げるという強い意志と、自分を襲い来る脅威に簡単に屈したりはしないという強かな精神を持っている。机周りのめちゃくちゃな状態こそ、その強い精神が引き起こした抵抗の証なのではないか?
もしそうだとしたら、カロルはこの部屋から一体どこへ消えたのだろうか?
「なにか、それらしい跡はないか……?」
入り口付近を注意深く探ってみると、やがて絨毯の上にぽたぽたと水滴の落ちたような跡があることに気付いた。それは机の方から部屋の入口へと移動し、廊下へと続いていた。
「これは……?」
アレンはその跡を追って廊下へと出た。硬い廊下の床にいくつもの小さな水滴がぽつぽつと一列に連なって落ちている。その跡を辿っていくと、先程通り過ぎた別の通路の方へと曲がり、その奥の扉の前まで続いていた。
「この奥か?」
その鉄製の扉を引いてみると、やや重たいながらもぎいぎいと音を立てて扉が開いた。
扉の先は通路になっていた。硬い石敷きの床がずっと奥まで続いている。明かりはなかった。
アレンは地面へと這いつくばるようにして、水滴が落ちて無いか慎重に探した。
果たして、目当てのものは見つかった。
「……あった」
水滴の跡だ。もはや針の先ほどに小さな跡だが、その水滴は扉の先にある通路の奥へと伸びて、闇の奥へと吸い込まれるように消えていく。
「……よし!」
アレンは気合を入れ直すと、その明かりの灯らぬ暗闇の廊下を手探りで進み始めた。
コッ、コッ、コッ、と幾分急ぎ足の靴音が暗闇に鳴り響く。
少ししてその靴音が鳴り止むと、金属同士が擦れ合う不快な音と共に、細い光の線が現れた。その線は少しずつ幅を広げていき、それとともに目がくらむような光の洪水に飲み込まれる。
――眩しさで反射的に閉じた目をそろそろと開くと、カロルの目の前には視界全てを埋め尽くすほどに広い空間が横たわっていた。どうやら自分たちは暗い通路を抜けてどこかの建物へと入ったようだ。ホコリとカビと鉄の匂いがぷんと鼻をつく。
レンガ作りの建物のようで、天井まで二階分ほどの高さがある。横幅に比べて奥行きが長く、もしこの建物を上空からみることができたなら、一本の棒のように縦長の形をしていると思われた。テーブルが二列になって、奥の方まで断続的に並べられている。壁の方に目を向けると、蒸気機関のボイラーのようなものが見えた。石炭を投入する火室がボイラーへと接続され、そこから伸びたパイプが壁を走り、クランクや歯車で構成された機械へと繋がれている。どうやら蒸気機関を動力としたなにかの工作機械のようだ。そのような機械が壁に沿っていくつか並べられていた。
空中を舞うホコリが、薄汚れたガラス窓から差し込む黄色い陽光を受けて、光の粒子となってキラキラと瞬いている。この空間にあるものは全て日に焼けて、色褪せ、サビつき、静かに降り積もる時間の中で、穏やかな眠りについている。
タチヤーナは木板の床を踏みしめながら部屋の中を進み、壁際まで近寄るとようやくそこでカロルを床に下ろした。ここまでずっとカロルを肩に担いで来たが、流石に多少の疲れが出たのか、額の汗を拭い、静かに息を吐いた。
そのまま休む間もなくカロルをその場において何処かへと消えると、しばらくしてから大きな木箱を台車に載せて戻ってきた。カロルが思わず言葉を漏らした。
「それは? あなたは何をしているんです?」
「…………」
タチヤーナはカロルの疑問を無視して、木箱の蓋を開け放つと、カロルを再び肩に担いだ。
「えっ、えっ、一体何を……」
「うるさい。静かにしろ」
タチヤーナはそう言うと、カロルの口を『ギフト』の糸で塞いだ。
「むー! むぐー!」
「怪我したくなければおとなしくしていることだな」
そのままカロルを木箱に詰め込むとタチヤーナは蓋を閉めた。タチヤーナが手をかざすと白い糸束が木箱の表面を這い回り、蓋が開かないようぐるぐると巻き付いた。タチヤーナが力をこめて引っ張っても木箱の蓋はびくともしないほどに固定されていた。これなら中でカロルがいくら暴れても外には出られないだろう。タチヤーナは満足そうに頷いた。
タチヤーナはカロルを連れて逃げるつもりでいる。駅馬車を捕まえて、カロルを詰めた箱とともにリュテを出る。事前に機関のメンバーで取り決めていた潜伏場所へと向かい、そこで仲間の連絡が来るのを待つ。これから運ぶ荷はこの国の重鎮の一人娘、カロルである。念には念をいれて変装をしておくのは、もしもの場合の保険になる。
木箱の裏から黒いコートとキャスケット帽を取り出し、それらを身に着ける。ロングコートで身体を覆い、襟を立てて顎と首元を隠しつつ、シルバーグレイの後ろ髪をまとめて帽子の中へ突っ込むと、パッと見、中性的な青年のような見た目になった。もちろん近くでマジマジと観察されれば女性であることはすぐに分かってしまう。しかしそれは些末な問題だ。普段と違う姿の印象さえ残せれば、それで十分である。
タチヤーナは変装を終えると、カロルを乗せた台車を押して歩き始めた。車輪が床板の上をゴロゴロと転がり、木箱がガタガタと揺れる。床の継ぎ目に引っかかって台車がはねると、木箱の中でカロルが唸った。しかし口元をしっかりと覆ったおかげか、それほど大きな声は漏れ出さない。馬車への荷積みの際に多少の注意は必要だが、これくらいのうめき声であればなんとかごまかせるだろう。一旦走り出してしまえば、後は馬車の走行音がかき消してくれる。
テーブルの合間を縫うように進み、建物の中央部へとたどり着いた。そこには大きな玄関扉があった。タチヤーナはぐるりと台車を出口に向けた。
「……っ!?」
突然、タチヤーナは何かを察知したかのようにびくりと身体を震わせ、その場に足を止めた。
すると唐突に扉がガタガタと揺れて、ギギギィ、と軋む音を立てながら開いた。
一人の人間がこの建物へと入ってきた。
「……っ!? だ、誰だ!?」
その人物が驚きの声を上げる。タチヤーナは無意識にキャスケットを深く被り直した。
そこにいたのはボリスだった。