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世界樹の夢でまた会いましょう  作者: うたまる ひろ
第4章・後編 首都攻防戦 ~廃工場街の激闘~
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ボリス v.s. ノルベルト2

 強烈な拳を喰らい、視界が暗転する。

 倒れながらも無我夢中で手を伸ばすと、床の硬い感触にぶつかった。

 その態勢のまま更に腹を蹴られ、仰向けに転がされる。空の胃が絞られ、吐くこともできずただひたすらに苦しい。

 暗転した視界に、ようやく光が差した。目に飛び込んできたのは、四角い窓に、青い空。

 突然、逆光を受けた何者かの影が外の光を遮った。

 その手に掲げられた獲物だけが、ギラギラと剣呑な光を反射する。

「うおおおおおっ!!」

 ナイフの刃が振り下ろされるすんでのところで、ボリスはその身を躱した。ナイフが床を突く、ドン、という大きな音が部屋に響き渡った。

 すばやく態勢を立て直すと、ナイフを振り下ろした男、ノルベルトに向かって体重を乗せた前蹴りを放つ。

「ぐっ……!」

 踏ん張りきれずに態勢を崩すノルベルト。ボリスが更に追い打ちをかけようと前へ出ると、何者かの気配が猛スピードでこちらに向かってきた。

「はあああっ!」

 ギヨルパが鋭い爪を振りかざし、ボリスの首筋を掻き切った。鮮血がボリスとギヨルパの二人を濡らす。

「…………っ!!」

 ボリスが口角に血の泡を吹かす。

 丸太のような腕を振り回すが、ギヨルパは羽毛のようにそれをひらりと避けて、ノルベルトの傍へと着地した。

「ノルッ!」

「ギヨルパ……逃げろと言ったはずだ!」

「でもっ!」

 ノルベルトの視界には、心配そうにこちらを見つめてくるギヨルパと、その向こうで首筋に片手を当てて、手負いの獣のような呼吸で佇むボリスの姿があった。

 ボリスがその首筋から手を離すと、ギヨルパによってざっくりと切り開かれた首の傷が、跡形も無く消え失せていた。

「ああ! また傷を治しちゃった……!」

「だから……無駄なんだ、あいつには」

 うんざりといった様子で眉根を寄せるギヨルパに、ノルベルトが諭すような言葉をかける。

「頭か心臓を一撃で破壊しなければ、奴は倒せない」

 片膝に手を突いてノルベルトが立ち上がる。

 満身創痍でふらつきながらも、まっすぐにナイフを構える。その銀色の切っ先は、ボリスの心臓を狙っている。


 全身に殴打跡の青あざを浮かべたノルベルトに対して、ボリスは全身赤い血まみれの有様であった。

 大きなキズこそ『ギフト』の力で治しているが、細かい傷までは気を配る余裕がなかった。

 首の傷は治しても、胸元をべったりと汚す赤い血はそのままだ。

(……やべぇ、力が入らなくなってきた……)

 度重なる出血でいよいよ血が足りなくなってきたのか、ボリスの視界が霞み、視野が狭まってきた。

 拳を握り込むが、僅かな痺れと共に、力が抜けていくような感じがする。

 全身の冷や汗が体温を奪い、骨の芯から冷えていく。

 気を抜けば倒れそうになるほどの倦怠感を無理やり意識から追い出し、血がにじむほどの力で拳を握り直した。


「くるぞ……下がってろ」

 ギヨルパを片手で押しのけて、ノルベルトが前へ出た。

 ボリスとノルベルトは咆哮し、再び野獣同士の殺し合いのような格闘を再開する。

「どうしよう……どうしよう……」

 ギヨルパがおろおろと足を彷徨わせる。

 二人の力は最初は拮抗していたが、段々とノルベルトが押され始めているように思える。力が入らなくなってきているのか、攻撃を踏ん張りきれないことが多くなった。

「このままじゃ負けちゃう……!」

 私がなんとかしなければ。

 ギヨルパが焦燥感に駆られて、忙しなく辺りを見回していると、ふと目に入ったものがあった。


「うおおおっ!!」

 ボリスの拳がノルベルトの顔面に入る。ノルベルトはうめき声をあげながら床へと転がった。

 ボリスは馬乗りになってノルベルトの手からナイフをもぎ取ろうとするが、ノルベルトもそれに抵抗する。

 床をゴロゴロと転がりながらもみ合う二人。

 ノルベルトが一瞬の隙をついて、ボリスの手を振り払うとその腹に深々とナイフを突き刺した。

「ぐっおおおお!」

 激痛に悲鳴を上げるボリス。しかし、痛みに意識をほとんど途切れさせながらも、ノルベルトの腕をガッチリと脇に抱えた。

「ぬっ!?」

 腕を固定され、ナイフを引き抜けない。

 ノルベルトが焦っていると、ボリスの拳が一発、二発と頬を殴りつけた。思わずナイフを握る手が緩む。

 さらに追撃を加えるべく、ボリスの拳が振りかざされた。外の光が逆光となってボリスの顔に影が差すが、その目は昏い感情でギラギラと光を放つ。

 その拳を振り下ろさんとする瞬間、突然、ボリスの顔面にガツンとした衝撃が走った。

「…………っ!?」

「このっ、ノルから……離れろおおおっ!!」

 ノルベルトの長銃を振りかぶったギヨルパが、ボリスの顔面へと再度それを叩きこむ。

 再びの衝撃に、怯むボリス。

「ぐっ、この……!」

 ボリスが長銃をもぎとろうとするも、ギヨルパはすでにそれから手を離していた。

 思ったよりも軽い感触に態勢を崩したボリスの顔面へ、その鋭い爪を振るった。

 四本の赤い平行線が、ボリスの顔を横断する。

「ぎゃああああああああっ!!」

 目鼻口を切り裂かれたボリスが、筆舌に尽くしがたい痛みに絶叫を上げ、たまらず後ろへと倒れ込んだ。

「ノルッ! しっかりして!」

「う……」

 ノルベルトを揺り起こすギヨルパに、ノルベルトが弱々しい視線を返した。

「ノル、これっ!」

 ノルベルトを無理やり引き起こすと、ギヨルパは彼にしっかりと長銃を握らせる。

「もう後は引き金引くだけだから!」


 切り裂かれた顔面を『ギフト』で治すと、ボリスは窓枠に手をかけてよろよろと立ち上がった。

「う……、くそ……」

 本格的に意識が朦朧としてきた。こうやって立ち上がることにすら困難を感じる。

 ぼやける目の焦点を無理矢理に合わせて、前を見据えると――。


 そこには銃を構えたノルベルトが居た。


「うっちゃえーーーーっ!!」


 ギヨルパの言葉と共に、銃弾が発射された。


 パッ、とボリスの頭から鮮血が迸る。


「…………」


 ボリスが糸の切れた操り人形のように頭から後ろへと倒れこむ。ボリスの上半身が窓ガラスを叩き割り、そのまま外へと落下した。


 外から、ドン、という鈍い音が響く。


 若干茫然とした様子でギヨルパが呟く。

「や……やった……?」

「いや……まだだ」

 床へと手を突いたノルベルトが、油の切れた機械のような緩慢な動きで立ち上がろうとする。

「発射の衝撃に耐えられなかった……狙いが少しずれた……くそっ!」

 千鳥足で窓辺へと向かうノルベルトを、ギヨルパが横から支える。

 窓枠に手をかけて、二人はボリスの落下していった地面を覗き込んだ。

「…………」

 無言で青ざめるギヨルパ。ノルベルトが、ギリッ、と歯を食いしばる。

「……『不死身』め……」


 ボリスの姿はそこには無く、ただ血の跡のみが広がっていた。



「ぐっ……ハァ……ハァ……」

 特務機関の建物の角、ノルベルト達からは死角となる場所にボリスの姿があった。

 耐え難い疲労感を感じて、ドンと壁に背をつくと、そのままずるずると地面に座り込む。

「ハァ……ハァ……チクショウ……仕留め損なった……あの犬っころめ……!」

 体中のあちこちについた細かい傷を『ギフト』で治す。しかし傷は治せても失った分の血は戻らない。この暖かい陽気の中、指先がかじかむような寒気を感じる。

 流石に肉体の限界が近い。

「…………だめだ……少しここで休んで――」

 ずるずると倒れていく身体で、そう呟いた瞬間だった。


 鋭い風切り音が耳元を通り過ぎていった。


 脱力しきる寸前だった身体がこわばった。

「あの野郎、まだ狙ってきやがるのか……!」

 冷や汗と、少しの絶望を滲ませながら、ボリスが建物を仰ぎ見た。



「避けられちゃったよ!」

「……ちっ……」

 ノルベルトが難儀そうに銃のボルトを引く。その指先がブルブルと細かく震えている。

「奴は……?」

「えっと……」

 ノルベルトに問われたギヨルパが、自身の手についた『ボリスの血』をくんくんと嗅ぐ。

 ギヨルパの『ギフト』が発動し、ボリスの気配をくっきりと捉えるようになる。

「裏庭の方へ逃げようとしてる!」

「……照準頼む」

「うん!」

 ギヨルパは人差し指をピンと立てて、ノルベルトの持つ銃を掴んだ。

 『ギフト』で捉えたボリスの姿を、ギヨルパの人差し指が追う。そうやって銃口の狙いをボリスへと定めようとするが、ボリスの不規則な動きに、なかなか照準を合わせられない。

「なんだかふらふら走ってて、狙いにくいよ!」

「……奴の体力も、限界近いのだろう……奴の動きが、止まったところを狙え……」

「わかった!」

 フラフラと走るボリスを、ギヨルパの指が慎重に追いかけていく。



「くそっ……しつこい奴!」

 ぜいぜいと荒い息を吐きながら、ボリスが悪態を吐く。

 建物の裏は手入れのされていない庭になっていた。雑草が膝丈くらいにまで生え揃い、ボリスの進行を邪魔する。

 何か打開策は無いかと周りを見渡すと、建物を囲っている石塀の一箇所に、小さな木製の扉があるのを見つけた。

 扉へと近づいてみると、そのボロ具合がはっきりする。

 腐りかけた木の表面はボロボロで、長い間手入れされていない事が見て取れる。扉を補強する鉄製の金具は全面が錆びついて、黒い地金の下から噴き出した赤錆が、薄汚れたまばら模様を作っている。

 錠前は丈夫にできているようだが、そもそもの扉の方が朽ちかけて今にも崩れ落ちそうだ。

 ボリスがぐっぐっと扉を強く押して見ると、パキパキと木材が軋んだ。

(ここから外に出られるか……?)

 満足に戦闘もできそうに無い今は、とにかく一旦引くしかない。

 『魔弾の射手』に狙い撃ちされている現状、敷地内をうろうろとしているのは自殺行為だ。

「これならなんとか……おらっ!」

 ボリスは二度、三度と扉を強く蹴り飛ばした。その度にミシ、メキリと木板がたわみ弾ける音を立てる。

「もう……少し……!」

 そうやって脚を思いきり上げた瞬間。


 ボリスの脇腹を銃弾が貫通した。

 その勢いに押され、扉へと身体を押し付けるように倒れ込む。


「くそっ、もう勘弁してくれっ!!」

 腹の傷を治すのも後回しにして、勢いよく扉へと突進した。

 蝶番が壊れ、ボロ扉と共にボリスが外へと転げ出た。

「ぐぅ……くっ……!」

 体中が限界だと悲鳴を上げている。しかしここで動かなければ一方的に狙撃されてお終いだ。

「動け……! もっと動け、俺の身体っ!!」

 振り絞るようにして腕と脚に力を込め、地面を掻くようにして走り出した。

 その足元をまた別の銃弾が穴を穿った。



「……だめ、脇腹あたりに一発当たっただけ」

 ギヨルパが力なく呟いた。

「…………弾ももう無くなった」

 ノルベルトはそう言うと、銃口を床へと落とした。

「……奴は『裏口』から『工場』へ……?」

「うん……今は南の方へ走ってる」

 その答えを聞いて、ノルベルトは内心で舌打ちした。

 少しの間沈黙してから、ノルベルトが口を開いた。

「ギヨルパ、お前、工場へ向かえ」

「え」

「タチヤーナは地下通路を通って、工場から外に出るはずだ。このままだと奴と鉢合わせになる可能性がある」

「わ、わかった……でも、ノルは……?」

「俺は……もう動けん」

 その言葉を聞いて、ギヨルパの目に涙が溜まっていく。

「ノル……! し、死んじゃやだぁ……!」

「……勘違いするな、死ぬような傷じゃない。ただ、身体がもう限界で動かん。後は皆に任せるしか無い……」

「ノル……」

「行け。万が一があったらタチヤーナに加勢しろ。奴を殺す必要はない。動けなくするだけでいい。無理はするな」

「う、うん、わかった……」

 それから二度、三度と振り返りつつ、ギヨルパはボリスが破った窓からひょいと下に降りていった。

 ノルベルトはそれを見届けると、一度深呼吸してから、目を閉じた。

 そしてそのまま気絶した。



 扉の外は広い敷地になっていた。

 先程の裏庭ほどひどくはないが、やはり手入れはされていないのが見て取れる。敷地の端には背の高い雑草がまばらに生え散らかっている。

 ここは何らかの工場跡地のようだ。背の低くて細長い、レンガ造りの巨大な建物が、ボリスの前方へとまっすぐ伸びている。

「奴の貫通射程は……確か300フェールほどだったはずだ」

 10年前、内戦時に得た情報を必死に思い出すボリス。

 ノルベルトの『ギフト』には、貫通できる限界距離があった。その距離、およそ300フェール。

 大体、蒸気機関車の全長分くらいの距離だ。

 左にあるレンガの建物を眺めながら必死に脚を動かす。

「この建物は……250フェールくらいか? ……端まで行っても……くそっ、ぎりぎり奴の射程内か」

 ボリスはただ走った。ノルベルトの射程外を求めて、ただひたすらに。

 ノルベルトを仕留めることが出来ず、逆に彼の指先一つに自分の命が弄ばれている。

 まさに敗走、惨めな敗走であった。

 必死に足を動かして、自分の命をなるべく遠くへ運ぶ。

 悔しさが胸の内にあふれる。

 エマも建物に残したまま、俺は――。


 そこまで考えたところで、ボリスはズザザザ、と足の裏を擦るようにして急停止した。


 ハァハァと空気を喘ぎ求めながら呟く。

「俺はお嬢を建物に残したまんま、一体、何やってんだ……」

 血液を失い、酸素の回らない頭で必死に考える。

「俺の優先順位は自分の命じゃねぇ……お嬢のはずじゃねえか!」

 ノルベルトとの再会が、ボリスの視野を狭くさせた。

 彼の顔を見た瞬間、自分の役目や状況など全て頭から吹き飛び、ただひたすら悲願成就、ノルベルトへの復讐だけに思考が染まってしまっていた。

「復讐は今やることじゃねぇだろう、このバカ野郎がっ!」

 ボリスは自分の頬を思い切り殴り飛ばした。口の内側が切れ、奥歯の一本がぐらつく。

 『ギフト』で治すことはしなかった。これは目的を見失っていた自分への罰だ。

 自分に喝をいれるように両頬を叩くと、しっかりと地面に足を踏ん張った。そうして、今やってきた方向へとまっすぐ視線を向ける。

「あそこへと戻らねぇと……」

 その前に、何か武器になるものが欲しい。流石に徒手空拳のみで彼らに太刀打ちできるとは思えない。

 ふと横に目をやると、ちょうどそこに巨大な廃工場の正面玄関がぽっかりと開いていることに気付いた。

「……刃物の一本くらいは落ちてねぇか……?」

 そう呟きながら、ボリスは廃工場へと足を踏み入れていった。


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