アレン・夢男 v.s. メルクリオ
アレン達が階段を降りきると、正面玄関の大きな扉が目に飛び込んできた。
玄関ホールは馬車二台分くらいは収容できそうなやや広めの造りになっている。
元々は鮮やかな赤色であったろう、今は長年の使用で黒く汚れたカーペットが敷かれ、壁際には空の花瓶が埃をかぶって、所在なさげにポツンと置かれているだけの寒々しい空間だ。
階段すぐの両翼には廊下が一本左右にまっすぐ伸びており、各部屋へと通じる扉が等間隔で並んでいた。
長年の歴史を感じさせるというよりは、衰退して寂れきったもの悲しさというものを感じさせる建物だ。
国の秘密機関の拠点にしてはずいぶんとわびしい場所だが、考えてみればシャロン氏のような国政の重鎮でさえ存在を知らなかった秘密組織が、都会の一等地にでかでかと看板を掲げるのもおかしい話で、案外とわざわざこういう場所を選んで拠点にしているのかも知れなかった。
しかし、この色あせた空間に一箇所、周りの景色から浮き上がるようなド派手なスーツを身にまとった男が、壁に背を預けてそこに立っていた。
「お? 外から入って来るんじゃねぇのかよ? なんで階段から?」
その男は片眉を上げ不思議そうな顔をすると「よっと」と呟き、壁から背を離した。
「まぁいいか。お前らだな、うちを襲撃しに来たのは」
そう言うと男はへらへらと軽薄そうな笑みを浮かべると、長く黒い棒をヒュンヒュンと回して肩にかついだ。
「夢男、こいつは二人で一気に倒しちまおう。左右から挟み込むぞ」
「いいでしょう。エマさんは『ギフト』で身を守っていてください。すぐ済ませます」
短いやりとりをすると、アレンと夢男が互いに距離を取るようにして男へと対峙した。
夢男はマティアスへとその身を変える。
「せっかちだねぇ、お前さんたち。お互い初対面なんだし、挨拶くらいはしようぜ。そんなんじゃ女にモテねぇぞ?」
男はアレンと夢男の二人に挟まれても余裕の表情を崩さず軽口を叩いてくる。
「俺はメルクリオ・アッバティーニってもんだ。そちらさんは?」
メルクリオの名乗りに対して、アレンが淡々と返した。
「わざわざ名乗る義理はない。さっさと片をつけさせてもらう」
「はじめまして、メルクリオさん。それではさようなら」
夢男の言葉を皮切りに二人がメルクリオへと襲いかかる。
メルクリオの持つ棒がくるりと翻り、床をドンと突いた。
「おらあっ!」
メルクリオが気合を込めると。
床を這うような雷撃がメルクリオを中心に放射状に広がった。
「ぐあっ……」
「おっ……!」
アレンと夢男はその電撃をまともに喰らい、糸が切れたように床へと倒れ込んだ。
「アレンさん! 夢男さん!」
「……あっ……が……」
「…………っ! ……っ!」
階段の上からエマが叫ぶが、二人は電撃のショックでうまく口が回らない。
ブン、という音を立てて、メルクリオは再び棒を肩にかついだ。
「まぁまぁお二人さん、そう連れないことを言いなさんな。俺はあんた達の足止め役でね。男と喋っても楽しかねぇが……まぁゆっくりしてけや」
メルクリオの口元が楽しげにつり上がった。
日差しの無い地下の部屋で、カロルはベッドの上に座り込んでいた。
冷たく硬い石壁に四方を囲まれた部屋に、固くて安っぽいベッドと、申し訳ばかりに備え付けられた机と椅子、スツール、ランプがあるばかりの寂しい部屋だ。広々とした空間がカロルの孤独感を煽り立てる。
机の上にはスープとわずかばかりの肉と野菜、パンが乗っている。
朝食として出されたものだが、この状況で食欲など湧くわけがなく、手つかずのまま机の上でひたすら冷め続けている。
カロルは『白蜘蛛』と名乗った女――タチヤーナのことだ――の言葉を幾度も反芻していた。
白蜘蛛は言った。『本』を奪ったのは夢男だ、と。
確かに夢男のことは胡散臭く思っていた。
だが、まさか『本』を奪ったのが彼だとは露ほども思わなかった。
父の殺された夜、館を襲撃してきたのはパーシーとノーラの二人組だ。
カロルもアレンとともにその二人に襲われたし、父も血まみれで床に倒れていた。
父を殺したのは二人だと思うのはごく当たり前だ。
だが、あの白蜘蛛の話によれば、父を殺したのはパーシーとノーラではないと言う。
これはどういうことなのか?
「あの人が言うように、二人は『本』を持っておらず、父も殺していないとしたら……実は二人はたまたまあの場に居合わせただけ? ……まさかそんな馬鹿な話……」
……あり得るのだろうか?
白蜘蛛はあの後、こうも言っていた。
外で見張っていた機関員が二人、夢男と交戦し、その際に夢男が屋敷から『本』を持ち出していた、と。
もしそれが本当の話であれば――。
「夢男は『本』を持っている。そしてアンガスでも、その後の特務機関との遭遇の時も、どこからともなく現れて、私を助けた」
その意味はなんだろうか。
すぐに思い当たるのは『エンブレム』の事だ。
『本』の表面には窪みがあり、そこに鍵となる『エンブレム』をはめ込むことができるらしい。
どのような意味があるかは知らないが、父はその鍵を手に入れるようカロルに遺言を残した。
そのためにカロルはアレンとククを伴い旅をしているわけだが、夢男の狙いもこれにあるのではないだろうか。
『本』、『エンブレム』そして『カロル自身』、この3つが揃えば『世界樹の本』が開くということならば、夢男の立場からすれば『本』と『カロル』は手元に揃えているわけで、残りは『エンブレム』のみとなる。
それをカロル達に探させているとしたら?
カロルがそれを手に入れれば夢男は手元に全てが揃う寸法になる。
それまでは、他の人間に――主には特務機関に――奪われないように気をつければいい。
だから、夢男はカロルのことを守る。
……辻褄は合う気がする。
「ならば……本当の父の仇は夢男……なんでしょうか?」
カロルにとっては、鍵と同じくらい、いや、それ以上に重要な問題だった。
父の仇討ち。
それはずっとカロルの心の中でずっとくすぶり続けている執念であった。
「なんにせよ……真相を確かめる必要がありますね……そのためには」
特務機関や王なぞに捕まっている場合ではない。
……とは言え、現状、カロルには手も足も出ない。
白蜘蛛の女も、カロルの能力を警戒して本名を口にしないのだろう。用意周到なことだ。
カロルがそうやってつらつらと物思いに耽っていると、ふと扉の外に気配を感じた。
ノックもなしに唐突に扉が開かれ、カロルに事務的な口調で声がかけられた。
「シャロン嬢、移動だ。部屋を出ろ」
そこには白蜘蛛が居た。固く冷え切った無表情にあってもなお、その冴え冴えとした美貌を損なうことはなく、むしろ一層引き立てているようにも思える。
「移動ですって?」
「そうだ、早くしろ」
なるほど、早々にこの時が来たか、とカロルは思わず身構えた。
「それは、王の下へ、ということでしょうか?」
「…………答える必要はない」
白蜘蛛は意味深な沈黙のあと、すげなく答えた。
カロルはその様子に首を傾げた。もしや違ったのだろうか?
もしかして、もしかしてだが――。
「アレン達ですか……?」
「…………いいからこっちへ来いっ」
白蜘蛛はカロルの言葉を無視すると、苛立たしげにカロルへと手を伸ばしてきた。
カロルはその手から逃れると、椅子を手に持ち、抗戦する構えを取った。
「アレン達が来ているならば、簡単にここを離れるわけにはいきませんね!」
「お前の勘違いだ。とにかく、私についてくるんだ」
「どちらにせよ、大人しくついていく義理はありませんよ!」
椅子の脚を前に構えて抵抗するカロルに、白蜘蛛は盛大に舌打ちした。
「ならば、縛り付けるまでだ!」
白蜘蛛の手から勢いよく銀糸が飛び出し、カロルへと絡みつく。
「あっ! このっ!」
カロルが椅子を振り回しながらその糸から逃れようとするが、抵抗虚しく、カロルの身体をぐるぐると糸が拘束した。
振り回した椅子の脚があたって、机の上の朝食が盛大にひっくり返る。皿ごと飛んできたスープを頭から被ってしまう。
冷めていたから良かったが、髪から何から全て汁まみれになってしまった。
「わっぷ!」
「下手に抵抗するからそういう惨めなことになる」
皮肉げな言葉を飛ばすと、白蜘蛛が簀巻きになったカロルを肩に担ぎ、部屋を出た。
白蜘蛛は冷たい石造りの廊下を早足で歩くと、すぐに角を曲がった。
そこには少し大きめの、鉄製の扉があった。
懐から鍵束を取り出した白蜘蛛がその内の一つの鍵を扉に差し込んでひねると、ガチャン、という大きめの音が残響を伴って廊下に響き渡り、ギギギ、という重そうな音をたてながら扉が開いた。
扉の向こうは大人二人が並べるくらいの幅の、石造りの通路となっていた。
通路は灯り一つなく、こちら側の光が数歩分ほど足元を照らした先は真っ暗闇となっている。
そんな通路へ、白蜘蛛は灯り一つもたずに躊躇なく足を踏み出す。
「うううっ!」
「……おとなしくしていろ!」
肩の上でもぞもぞと身じろぐカロルに、白蜘蛛が怒りを示す。
カロルはなおも抵抗を止めず、頭をブンブンと振る。その度に頭から垂れるスープが飛沫となって飛び散り、壁や床を汚していく。
白蜘蛛は通路へと入ると扉を閉めた。
ゴン、という重々しい音とともに、通路は完全な暗闇へと沈んでいった――。