特務機関・屋内
夢男がアレンたちと合流してる間、場はとりあえず小康状態になった。
建物の二階ではノルベルトが外の様子を警戒しながら、銃に弾をこめていた。緊張のために顔を強張らせつつも、冷静に動けるよう努めて深呼吸を繰り返す。
アレンたちからすれば壁を無視して一方的に攻撃してくるノルベルトは恐ろしい脅威だったが、ノルベルトにとっても実は必死の防衛戦だった。
なにしろ、壁を撃ち抜ける『ギフト』はあっても、壁の裏側までは見えないのだ。
本当ならギヨルパに『目』になってもらいたいところだが、彼女の『ギフト』を使うには何かしら相手の持ち物が必要だ。
そういうものを奪えなかった以上、勘と経験でアタリを付けて撃ち込むしか無い。
確実に当てられたのは最後の男くらいだ。他の銃撃については、牽制くらいにはなっているだろうか?
とにかく、一旦戦闘が落ち着いたこの隙に、状況の把握をすべきだ。
「ギヨルパ。奴らが何者かわかるか?」
質問されたギヨルパはう~んと、困ったような表情で考え込んだ。
「ううん、知らない人ばかり。あ、でも、私を追いかけてきた人、あの人は林の中で戦ったエルフの女の人だと思う!」
「そいつは、夢男だ。奴が変身するところをちらっと見た」
「え!? そうだったの!?」
「お前の鼻で分からなかったか?」
「あのあたりなんか砂埃すごくて……鼻がずるずるしちゃうんだよ~!」
そういうと鼻をズズッとすすった。
ノルベルトは気を取り直すようにふぅ、と一息つくと、慎重に窓の外の様子を窺う。
「その夢男も、いつの間にか逃げてしまった」
ノルベルトは苛立たしげに舌打ちをする。
先程まで倒れていた女エルフ……に変身した夢男の姿は、今は影も形もなくなっていた。銃撃によるものと思われる血の跡だけが、ぼたぼたと地面に残されているだけだ。
「林の中で、シャロンの娘と一緒にいたエルフの女と夢男。それに加えて、今路地裏に姿を隠している黒髪の男。この三人はシャロンの娘と行動を共にしている一行だろう。分からないのは男二人と娘一人だ。この三人については何かわかることはないか?」
「よくわからないけどぉ……身体の大きいおじさんは、その黒髪の人と一緒に居て仲良さそうに話してた」
あまり実入りのなさそうな話だ。ノルベルトは諦めたように窓の外へと目線をやった。
特に彼らに動きはない。真正面からの突破は諦めて、建物の陰から回り込んでくるのを考えているだろうか?
人手が要りそうだ。
「ギヨルパ、ノーラはいつ帰ってくる?」
「昼頃になるって言ってた」
ノルベルトは再び舌打ちをする。
「機関長はそろそろ王宮から戻ってくる頃合いだが、まだ少し時間がかかる。ギヨルパ、タチヤーナとメルクリオに連絡しろ」
「なんて?」
「シャロンの娘を連れて脱出だ。娘はタチヤーナに連れて行かせろ。メルクリオは俺と一緒に奴らの足止めだ」
「わかった!」
ギヨルパは元気よく返事すると、とてて、と壁際へ寄った。
壁はクリーム色に塗られていたが、その上を白い真っ直ぐな線が一本走っていた。それは途中から分岐して天井へと向かい、換気口の向こうへと消えている。よく見ると、壁のあちこちに同じような白い線が走っているのが見てとれる。
ギヨルパがその白い線を指先でトントンと叩くと、ややあってから、突然タチヤーナの声が響いた。
『どうした?』
「ターちゃん、わたしギヨルパ~。えーと、ノルがこの建物を脱出だって」
『……敵襲か? 先程から上が騒がしいのは知っているが』
「うん、そう! ヴェルグが敵襲だって言ってた! カロルちゃんを取り返しにやってきた奴らだって~!」
『……そうか。で、ヴェルグは?』
「え~と、え~っと……」
タチヤーナの質問におろおろとしていると、それにはノルベルトが答えた。
「ヴェルグはエルフの女と戦闘しながらどこかへと移動していった。ここには居ない」
「ヴェルグは敵と戦いながらどこかへ行ったって!」
『そうか。機関長とノーラは?』
「まだ帰ってきてない~」
『なるほど、把握した。私がシャロン嬢を連れて脱出しろということだな?』
「そう! ノルがそうしろって! ノルとメルクリオ兄ちゃんは敵の足止めだって!」
『了解。メルクリオには私から伝えておこう』
「よろしく~!」
ギヨルパとタチヤーナの会話はそこで終了した。
ギヨルパがノルベルトの下へと戻ろうと踵を返したところで、突然、何かに気づいたかのようにピクリと身体を震わせ、足を止めた。
「ノル、なんか、ちょっとだけ、知らない人の匂いがした」
その言葉にノルベルトが敏感に反応した。
「どういうことだ?」
ギヨルパがその場に身体を伏せて、耳を床にあてる。そうして、彼女にしては珍しく真剣な面持ちで、ギヨルパが告げた。
「……誰か、ここに入ってきた!」
「……ここはどこだ?」
「建物の左端……一番東側の部屋ですね」
キョロキョロと部屋の中を見回すアレンに、パーシーの顔をした夢男が答えた。
その部屋は少し広めの作りで、棚や机、床などにも荷物が積まれ、雑然とした印象だ。物置代わりに使っている部屋といったところか。普段遣いしている様子はない。
今ここにはアレン、夢男、ボリス、エマの4人の姿があった。夢男がパーシーの『ギフト』を使って、この部屋へと皆を招き入れたのだった。
ロベールは失神したままだったので路地裏に置いてきた。治したとは言え、銃撃を受けた彼を放置していくのは少し冷たい気もするが、これ以上無関係な彼を連れ回すのも望ましくなかった。彼には後ほど謝りに行くことにしようと決めた。
エマも一緒に来ると言いだした時はボリスも随分と渋ったものだが、最終的には彼女を連れて行くことに同意した。
先程エマに説教したことに多少の引け目を感じていた、というのは否定できなかった。それに加えて、老婆の予言のこともある。
その予言によれば、ここ数ヶ月のうちにエマの身がどうにかなってしまうということは無いようだ。ならば多少危険だとしても、エマのやりたいことを汲んでみても良いだろうかと思うようになった。
かなり不安ではあるが、今は老婆を信じてみるか……。
ボリスは心の内で密かに腹をくくっていた。
ボリスはガシガシと頭をかきむしると、夢男へと声をかけた。
「どうやって入ったんだ?」
「天井のあそこから。あなた方があの狙撃手の気を引いてくれているあいだに、ね」
そう言って夢男が指差したのは、高めの天井に備え付けられた明かり取りの窓だ。
その窓は外側から破られたようで、割れたガラスが床に散乱している。
アレンが自分を鼓舞するように頬を叩くと、よし、と気合を入れた。
「カロルを探そう。パーシーが居たら手遅れかもしれんが……」
「ま、他にアテはありませんし、やるだけやってみましょうか」
夢男の言葉を皮切りに、ボリスが拳銃を構えた。
「よし、じゃあ俺が先行してクリアリングを……」
そこまで話した時だった。
キュウン、という音を撒き散らして、銃弾が皆の間を通り過ぎていった。
「伏せろ、銃撃だ! 伏せろ!」
「野郎、もう勘付きやがった!!」
アレンの言葉にその場の全員が床に伏せた。ボリスが歯ぎしりして悪態を吐く。
そのまま二度、三度と銃弾が部屋の中を横切っていく。頭上を飛び交う銃弾に、全員が必死になって頭をかばいながら床に這いつくばる。
エマが必死の形相で片手を上げると、皆を守るように障壁が展開された。
しかし……。
「……やっぱりだめ! 何重にしても破られちゃう!」
どれだけ障壁を重ねようとも、銃弾がやすやすとそれを撃ち抜いていく。
その度に六角形のパネルがガラスのように割れ、仄かな燐光を後に残しながら消えていく。
「下手に動けねぇな、クソッ!」
ボリスの語気に苛立ちが混ざる。
「どうやって俺たちの場所が分かったんだ!?」
ノルベルトは拳銃を打ち切ると、再び弾を込め直す。その間にギヨルパへと話しかける。
「ギヨルパ、奴らの様子はどうだ?」
話しかけられたギヨルパは、今は床に這いつくばっている。どんな小さな物音も逃さじと言わんばかりに、床にべったりと張り付き、耳をあてがっていた。
「う~ん、動かなくなったみたい」
「弾に当たって倒れたという意味か?」
「だったら痛くて叫ぶと思うけど、そういうのは無いなぁ。バタバタっと音がした後、なんか喋り合ってる」
「床に伏せたのかもしれない」
「うん、なんかそんな感じする」
「一番東側の部屋で良いんだな?」
「音の遠さ的に、多分そう」
「よし」
ノルベルトは装填が終わった銃を、東側の壁に向けて再び構える。銃口はやや下を向いている。
一呼吸置いて、トリガーを弾いた。
ボリスの近くの床が、銃撃で弾けた。ボリスが必死に腕で顔を庇う。
「ヤバい、狙いが正確になってきてる!」
そうこうしているうちに、更に次の弾が打ち込まれ、とうとう夢男の肩が撃ち抜かれる。
「ぐぅっ!」
「おい、夢男!」
「大丈夫、傷はすぐ消せますから」
夢男の姿が一瞬ぶれると、肩口の傷が最初から何も無かったかのようにこつ然と消える。
「こうなったらもう立ち上がった方がいい。皆なるべく隙間を開けて壁側へ! お嬢はこっちこい!」
ボリスの言葉に従い、皆が立ち上がり、壁際へと寄る。
それから二、三発ほどは床を削っただけだったが、その後は再び皆の胸のあたりの高さを銃弾が通り過ぎるようになった。
「銃弾が高くなってる! 伏せろ、伏せろ!」
そうやって伏せていると、また銃弾が床を狙うようになった。
「またか!! くそっ、どうなってやがる!? どっかから見られてるのか!?」
「一旦引こう! このままだとジリ貧だ!!」
アレンが退却を申し出ると、夢男だけが「いや」と否定を返してきた。
「一個思いついたことがあります。エマさん、障壁を張ってもらえますか? なるべく広く」
「え? でも私の『ギフト』じゃあいつの銃弾は……」
「ええ、防げません。なにしろなんでも貫通してしまう弾ですからね。ですが、一工夫加えればなんとかなるかもしれません」
頭上に疑問符を浮かべる一同を尻目に、夢男が不敵に笑った。