十字路の小競り合い
風をも切り裂く勢いで振られたククのナイフを、ウォムロは紙一重で避けた。
そのまま二度三度と刃がひらめき、空中に銀色の冷たい軌跡が走る。
ウォムロは身を躱し手でいなし、それらのことごとくを掻い潜っていく。
攻防の合間、ククの身が一瞬硬直した隙を狙うと、ウォムロはムチのようにしなるケリを放った。
ククは地面スレスレにまで身を反らしそれを避けると、後転しながらも手に持ったナイフをウォムロめがけ投げつける。
蹴りの態勢でバランスを崩しているウォムロは、そのナイフを風を操って弾く。一瞬、ナイフの行く末に目を奪われる。
すぐさまククの方へと視線を戻すと。
ククの姿が消え、ナイフがその場にくるくると回転している。
「!?」
何が起こったか分からず戸惑っていると、背後から音がした気がして脊髄反射で振り向く。
「だあありゃあっ!」
「ぐっ!?」
認識するよりも早くククの拳が脇腹へと突き刺さり、ウォムロは苦悶の声を上げた。踏ん張りが効かず、地面へと転がっていく。
ククはナイフを逆手に持ち、地面へと転がるウォムロへと振り下ろす。
ウォムロは咄嗟に自ら転がりそれを躱した。しかし地面へと突き立てられたナイフがマントをその場に縫い止めてしまう。
「くっ!」
身動きが取れず焦るウォムロに馬乗りになると、ククが歯を食いしばり拳を振るおうとした。
しかし。
「風よ!」
ウォムロが両手をかざすと、火薬の破裂音にも似た音を立てた突風がククの身体を叩いた。
「うあっ……!」
ククの身体は空中へと一瞬浮かび上がったあと、そのまま重力に従って地面へと落ちた。
「ククっ!」
突然の出来事に茫然としていたアレンは、その光景を見て咄嗟にナイフを抜き、ウォムロへと迫る。
アレンが迫りくるのを見てとると、ウォムロはマントを脱ぎ捨て、視線を切るようにバサリと目の前に広げた。
「……っ!」
アレンは薙ぎ払うようにマントを切り裂いたが、そこにはすでにウォムロの姿はなかった。
素早く周りを見渡すと、大きく空中へと跳躍したウォムロが、アレンから十分に距離をとった場所へと着地するところが見えた。
ウォムロが降りた地面を中心に砂埃がふわりと吹き散らされ、黄土色の靄が薄っすらと辺りを漂った。
「突然殴りかかるなんて、久しぶりの再会だってのにひどいや」
ウォムロはニヤけた顔をしながらすくと立ち上がり、身体にまとわりつくホコリをぽんぽんと払った。
マントの下は上半身裸だったようで、今やその不健康に白い肉体が白日の下に晒されていた。その石膏像のように生気の無い肉体には、何かのまじないのような奇っ怪な紋様が縦横無尽に入れ墨されており、鈍く光る金属製の腕輪や、黄色いカンラン石のような石でできた首飾りをしていることもあって、全体的にお話の中に出てくる悪いドルイドのような、怪しい呪い師といった雰囲気を醸し出している。数世紀前の暗黒時代ならともかく、現代においてその時代錯誤な格好は狂気の沙汰としか思えない。狂人と言って良い。
血相を変えて飛び出そうとするエマを「お嬢さん、危ない! 出ていっちゃだめだ!」とロベールが制す。その間に夢男が急ぎククのもとへと駆け寄った。
「あなたへの……ごほっごほっ……挨拶としては、ごほっ……こんなもんじゃ、足りません……ましてや、特務の一員というならなおさらです」
夢男に支えられながらククが立ち上がった。無視できないダメージを負っているはずだが、その足はしっかりと地面を踏みしめている。アレンはひとまず胸をなでおろした。
「やっぱり、キミが件のエルフ女ってわけだね?」
ウォムロがさらりとした涼しい表情をククに向ける。
「タチヤーナさんがキミのこと『警戒すべき奴だ』って高く評価してたよ。僕も彼女の話を聞いて興味もってたんだけど、まさかそれがククのことだったなんてね! さっきの攻撃がタチヤーナさんの言ってた『瞬間移動』のギフトなのかな? びっくりしたよ、そんなギフトを持ってたんだね。知らなかったよ」
「…………」
不快げに顔を歪めたククが視線で射殺すかのごとくウォムロをにらみつける。
それには軽く肩を竦めただけのウォムロだったが、ついと横に目をそらした途端、砂利でも噛んだかのような怪訝な顔をした。
「あれ……? フェザーストンさん、なぜここに……? あなたは今骨折の治療中のはずじゃ……?」
どうやらパーシーの姿をした夢男の存在に気づいたようだ。夢男は面倒くさい客の対応に苦慮する商売人のような困った顔で、もごもごと返答する。
「あー……まぁ、本人ではないとだけ言っておきましょうか」
「…………もしかして」
顎に拳を添えこっくりと首を傾けていたウォムロが、何かの考えに行き当たって人差し指を立てた。
「夢男とかいう人かな? 『変身能力者』だとかいう……」
「…………」
夢男はその問いには無言で返したが、ウォムロはそれを気にする風でもなく、勝手に納得したようにふむふむと頷いた。
「みんな、あなたの話をする時は炭でも舐めるかのような苦々しい顔をするよ。ふむ、あなたが夢男ね。……皆の話を聞いていてずっと思ってたんだけど、その『変身能力』とやら、とても興味があるなぁ。もしよければ今ここで見せてくれませんか?」
「……さてはて? 夢男なんて胡散臭い名前の人物には、とんと覚えがありませんね。あなたの勘違いでしょう」
そらとぼける夢男の言にウォムロがくつくつと忍び笑いを漏らした。まさかあの空気を読まない面白くもない自虐に笑っているわけでもあるまいが。
「話通り食えない人だね。あなたにはいろいろと興味が湧くよ。その能力もそうだし、あなたの今までの行動を思い返しても」
「こちらからも」
ウォムロの言葉に唐突に夢男が口を挟んだ。
「質問させてくれませんか? 事情を知らぬ私たちとしてはあなたとクク嬢がいきなり戦いはじめて、困惑しきりなのです」
アレンは夢男のその質問に、いや、正確に言えば唐突に質問を始めたというその行為に、微妙な違和感を感じた。なんとなく、都合の悪い話になりそうだから無理やり割り込んだ、という印象を受けるが……。
しかし、そんなアレンの思考を他所に、二人の会話は淡々と進む。
「それについて言えば、僕は被害者側だよ。なにしろククの方からいきなり殴りかかってきたわけだし」
「今度会う時は殺し合いだと言ったのはお前だろうがっ! 何を素知らぬ顔してやがるっ!!」
「クク嬢、落ち着いて……!」
歯を剥いて激しく糾弾するククは狂犬の如く今にもウォムロへと飛びかかりそうだ。それを鎖でつなぎとめるかのように、夢男がしっかりとククの両肩を押さえる。
「何やらお二人の間にのっぴきならない事情があることは察しましたので、他の質問をしましょう。ウォムロさんでよろしいですかね? あなたがエマ嬢をここまで連れてきた目的は?」
「今はヴェルグと名乗ってるんだけどね……。さっきエマが言ったとおりさ。カロル嬢を探しているというから、彼女のいる場所まで連れてきた」
「その行為の裏にあるあなたの真の目的のことですよ。特務機関の者が何の意味も無く、カロル嬢のところまで部外者を案内するはずがないでしょう? 任務の遂行に万が一でも不確定要素を持ち込むはずがない」
それを聞いてウォムロは「まぁそう来るよね」とばかりに大げさに肩を竦めた。どこまでも緊張感の無いやつだ。
「まぁ実を言うと、大層な理由は無いのさ。僕の個人的な理由だよ」
「個人的な理由?」
夢男が訝りながら問い返すと、「そうさ」とウォムロが頷いた。
「端的に言うと、興味があったんだよ。エマに、というか、もっと正確に言うと『エマの反応』に」
エマがその言葉を聞いてビクリと身体を震わせ、「私の、反応に?」と恐る恐る呟いた。
「僕は、人間観察が趣味でね」
ウォムロの口元が不気味に歪む。そのエマを無遠慮に眺める視線にコールタールのような不快な粘りが混じり始める。
「特に人の『思い』がどう揺れ動くのかに興味があってね。何かの出来事にぶつかった時に、笑うのかな? 怒るのかな? 悲しむのかな? そんな色んな感情を観察するのが僕の楽しみなのさ。ライフワークと言っても良い」
秋風のようにさらりと冷めた奴という印象だったが、その言葉、身振りに熱が入り始めた。
「いなくなってしまった友人を探して駆けずり回るお嬢様。なんとも健気で美しい話じゃないか。なかなかお目にかかれるシチュエーションじゃないよ。そんなお嬢様が、友人が何者かに囚われていると知って、どんな表情になるんだろう。恐怖かな? 怒りかな? もしかしたら自分の身を犠牲にして救出しようと思うかも知れない。もしそうなら……なんと美しい友情物語だろう! そんなの、最高じゃないか……!」
熱っぽい演説とは裏腹に、ウォムロの瞳は徐々に深く沈んでいくような暗みを帯びていく。その無機物を思わせるようなつるりとした黒目に、アレンは寒気を覚える。
イライラを募らせたククが抑えきれずといった様子で叫んだ。
「訳のわからないことをごちゃごちゃと! そんな誤魔化しでお茶を濁そうったってそうはいきませんよ!!」
「誤魔化しなんかじゃないよ、クク。僕は本当に……」
そこまで言ったところで、ウォムロが何かに気づいたようなハッとした顔をした。
すると突然、耳をつんざくような発砲音が鳴り響き、その場の人間全員が思わず身を竦める。
銃弾は甲高い音を立てて、ロベールの近くの壁に着弾する。一息遅れて、ロベールが悲鳴を上げた。
「エマっ!! 無事かっ!? そこの男、エマから離れろ!」
聞き覚えのある声にアレンが振り返った。
「お前たちもいたのか! なんだこの状況はっ!?」
そこには長銃を構えたボリスが立っていた。