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世界樹の夢でまた会いましょう  作者: うたまる ひろ
第4章・前編 首都攻防戦 ~それぞれのリュテ~
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それぞれのリュテ

更新が一日遅れになってしまい、大変申し訳ありませんでした。

最新話、更新しました。

 タチヤーナが去った後、部屋の中で一人カロルは思い悩んでいた。

 あの夜父とミレイユを始めとする使用人を殺害したのはノーラとパーシーの二人組であると、カロルは今まで固く思い込んできた。

 しかしタチヤーナによるとそれは間違いであるという。

 そして『世界樹の本』を奪い去ったのも特務機関ではなく、夢男の仕業であると言い切った。

 それはカロルにとって予想外の事実だった。

 もしタチヤーナの言葉が真実であれば、特務機関は『本』を所持していないということになる。

 そうなると今のこの状況にも説明がつく。

 カロルは自分の身柄がすぐに王の下へと送られなかったことを不思議に思っていた。

 『本』とその適合者であるカロル。

 シャルルの身になって考えれば、この二つを揃えた以上、『世界樹』が一体どのようなものでどのような力を持っているのかすぐにでも知りたいはずだ。急ぎ王宮へと身柄を移されるものと思っていた。

 しかしそうはならず、しばらくの間はここで監禁になるという。

 この悠長な対応は『本』を確保していないがためか。

 そう考えるとタチヤーナの言葉にも真実味がある気がする。

 そしてそうなると……。

「夢男……」

 確かに胡散臭い男とは思っていた。カロルたちを助けるとは言うが、なにか裏のある態度を隠しきれない男。

 しかし、まさか『本』を持っているのが夢男だとは夢にも思っていなかった。

 ……しかし、ありえないということも無い。

 何しろ何を考えているか分からない男である。怪しさだけなら群を抜いている。

 それにあの男は『鍵』の存在も知っていた。

 それはどこから手に入れた情報なのか?

 そして何故それをわざわざカロル達に伝えたのか?

 全くの親切……というのは信じ切ることができない。

 心臓の鼓動が少し早くなっている。

 カロルは目を閉じて、ゆっくり深呼吸する。


「父上……ミレイユ……」


 あの夜、血溜まりに沈んだ二人の姿が閉じたまぶたに浮かぶ。

 タチヤーナの言葉がどこまで本当かは分からない。

 ただ、父の今際の言葉を思い返してみれば、確かに『あの二人にやられた』とは一言も言っていなかった。

 ミレイユと父の倒れ伏す傍にノーラとパーシーが居た。

 二人を犯人とする証拠はその状況証拠だけでしかない。

 それが単なる思い込みで、他に犯人がいるとするならば。


『いい夢見てくださいね』


 ふと夢男のニヤケ顔が頭をよぎる。

 それとともにカロルの心に、おぞましい熱が湧き上がる。


「夢男……どうやら詳しく話を聞かせて貰う必要がありそうです……」


 カロルの瞳には一度は消えたはずのあの炎、自分の身すら焼き尽くしてしまうほどのエネルギーを秘めた昏い業火が、再び宿っていた。



 夜も更け、ようやく街の賑わいも静まり返った頃。

 リュテの中心部にほど近い場所にある建物、その一室にルメールの姿があった。

 茶をすすり、懐中時計を取り出して時刻を確認しては、窓の外を眺める。

 そうしてまた茶を一口すすり、テーブルの上を指先でコツコツと叩く。

 それほど広くない部屋の中、しきりにカチャリカチャリと懐中時計の蓋を開ける音が響く。

 明らかにイライラとした様子である。

「……遅い。もうとっくに戻ってきて良い時間のはずだが……」

 肺に詰めた空気を大きく吐き出すと、堪えきれぬかのようにボソリと呟いた。

 そこへ、突然ノックの音が響いた。

 来たか、と言いたげな顔で振り向いたルメールの視界には、しかし待ち人とは異なる人物の姿があった。

「なんだ……ジュネか」

「なんだとは随分な言いぐさね、ルメールさん?」

 そこに立っていたのは、すらりとした若い美女だった。

 ボブカットの黒髪の下、吊り目がちの目がルメールを捉えている。赤いルージュを引いた口元は妖艶な笑みが浮かんでいる。

 深いスリットの入った赤いドレスから、女の白く眩いばかりの脚がスラリと伸びて、ピンヒールの靴の先まで直線を描いている。

 色香漂うなんとも艶やかな立ち姿だが、どこか周りの人間を引き締めるような空気をまとっている。

「用件はなんだ?」

「あら、用件がなければ会いに来てはいけなかったかしら? あなたがこうやって『本部』に詰めるのも久しぶりなんだから、挨拶くらいはしに来てもいいと思うけど?」

 軽口のような調子で楽しげに話すジュネに、ルメールが眉を顰め鼻を鳴らす。

「それは失礼したね。人待ちをしているところなんだが、大分待たされていて気が立っていたところだ。悪く思うな」

「あらそう? それは私も失礼したわね」

 ジュネはクスクスと口元だけで笑うと、ヒールをコツコツと鳴らしながら部屋の中へと入ってきた。

 妖艶な仕草でルメールの対面に座ると、テーブルの上に肘を付き、組んだ手の上に顎を乗せた。

「あなたの待ち人というのは……ジョアキムのことかしら?」

「ム……?」

「あの男ならここに来ないわよ。彼死んだから」

「なに!?」

 ルメールが険しい目つきになるのをどこか楽しげにジュネが見つめる。

「タンギー爺の小屋でね。6人負傷の5人死亡。タンギーも死んだわ。一人だけ無事だった奴が本部まで知らせに来たの」

「……まさかジョアキムが」

「相手は随分とやるみたいじゃない?」

 わなわなと震えるルメールを眺めながら、ジュネが頬杖をつく。

「銃使いの大男と黒髪の若い男、貴族らしき女の三人にやられたって話だけど。あなたがカロル嬢を拉致している間に、彼女の同行者を始末しようとしたんでしょ? 3人相手に12人がやられるって相当なことよ。ちょっと相手を過小評価してたんじゃなくて?」

「……」

「それで、カロル嬢は確保できたの?」

 ルメールが悔しげに表情を歪めながら沈黙する。

「その様子だと失敗したのね」

 ジュネはふぅと脱力するように息を吐いた。

「あなた肝心なところで詰めが甘いんだから。功に焦り過ぎなのよ。今回のことだってジョアキムだけじゃなくもっと人員を割けたでしょう?」

「すぐに動かせるのがジョアキム達だけだった」

「だから。こっちの人員を確保してからでも遅くなかったんじゃないの? それとも何か急ぐ理由でもあったの?」

 ルメールの握る拳に力がこもり、テーブルの上で微かに震えた。後悔と怒りを堪えるかのように顔をしかめつつ、ルメールは首を振った。

「……無い。お前の言う通り、俺は慎重さを欠いていたようだ」

 ジュネはそれを聞くと満足そうに頷き、席を立った。

「小屋の後始末は私の方で指示しておいたわ。一番人通りの少ない街道を選んだのは正解だったわね。誰かに見つかる前に処理することができた。カロル嬢が逃走したその後はわかっているの?」

「……いや、仲間のエルフ女に奪い返された後のことは分からない。タンギーの小屋から少し離れたあたりでの話だ」

「じゃあ今は仲間と合流してるわね、きっと。あなたが警部をしてる村だからアンガスに戻ることはないでしょうし、他の村や街は遠いから、おそらく既にリュテに入ってるでしょうね。……ルメール、あなた一度アンガスに戻りなさいな」

 その言葉にルメールは俯向けた顔を上げた。扉までツカツカと歩み寄るジュネの背中を見送る。

「別に、リュテに戻ってくるなという意味じゃないわよ? アンガスの奴らに『カロル嬢はちゃんとリュテに送り届けた。タンギーの小屋のことは知らない』ってことをちゃんと伝えておきなさいってこと。他の奴らに変に勘ぐられたくないでしょ?」

「……わかった。そうしよう」

「今回のことは貸しにしとくわ」

 扉を片手で掴みながらジュネが部屋の中を振り返る。

「同志ルメール、またリュテで会いましょう」

 少しだけ微笑んで、ジュネが扉を閉めた。



 アレン達がリュテに着いた翌日。

「はぁ……今日もいい天気だな……」

 とあるホテルの一室、ボリスが窓の外に流れるベレーヌ川を眺めながら一人ぼやいていた。

 ボリスとエマはアレンたちと別れた後、ここに宿をとった。

 エマはボリスに捕まってからも終始無言で、自分の部屋に鍵を掛けて以降ずっと引きこもっている。食事すらとっていないはずだ。

 こちらから話しかけても、返事どころか目すら合わせてくれない。

 きっと、ボリスのことを相当恨んでいるに違いない。

「……それも仕方ないか」

 ボリスが頬杖突きながら独り言を呟く。

 エマは最初からカロルのことをかなり気に入っていたようだった。

 人付き合いが上手くなく、シャイで無口なエマがあれほど自分から人に話しかけるのは本当に珍しいことだった。

 それどころか、アンガスでは東奔西走の末に、なんとカロル達の冤罪まで晴らしてしまった。

 あれほど積極的なエマは家に居たときにも見たことがなかった。

 よっぽどカロルに惚れ込んでいるのだろう。年も近しいし、本人にだけ感じ入る何かをカロルから感じているのだろう。

 それだけに、今回カロルが拉致されたことはエマにとってとてもショックだったろう。

 そして、手を拱いているだけで何もすることができないことに、心を砕かれるような気持ちを抱いているに違いない。

「……俺のせいなんだけどな」

 自嘲気味にボリスが呟く。

 アンガスでカロルを助けるために獅子奮迅の活躍を見せたエマだ。今回の特務機関によるカロルの誘拐も絶対に見過ごせない出来事だったはずだ。

 きっとあらゆる手を尽くしてカロルを救出する気持ちでいただろう。

 しかしボリスがそれをとめた。

 元々アンガスの事件についても、エマを関わらせたくはなかったのである。

 あの時はなし崩し的に協力することになってしまったが、それでもギリギリ探偵の真似事くらいで済んだ。

 危険度が低いとまでは言わないが、それでも話を聞いて情報を整理しただけ、とも言えた。

 だが今回は勝手が違う。

 カロル達の敵対者が明確な敵意を持って、集団の力で牙を剥いてきた。

 あの小屋での襲撃、運良く撃退することができたが、誰が命を落としてもおかしくなかった。

 現にエマは胸を撃たれてしまった。エマの『ギフト』があったにも関わらず、である。

 一歩間違えれば、エマはああやって部屋に引きこもって不貞腐れることさえできなくなっていたかもしれない。

 そのことを考えると、背筋がぞくりとする。

 エマにもしものことがあれば、旦那様にどんな顔向けができるというのか。

 いや……。

「旦那様とか、関係ねぇな、きっと……」

 ぽさり、と自分の頭頂部を撫でる。

 そんなことになれば、きっと自分が一番、自分を許せなくなる。

 エマは、ノイラート家で大切に育てられている養子で、自分はその教育係……単なる従者だ。

 だがエマを見守り続けて、もう十年が経った。

 単なる、お使え先のご令嬢とその従者、などという気持ちには、もはやなれなかった。

 ボリスは窓辺を離れると、自分の荷物を漁った。

 そこから一枚のボロボロになった写真を取り出した。

 その写真には年若いボリスと、もう一人、女性が写っている。

 その女性は、少し大きめの、ゆったりとした普段着のドレスの上にケープを羽織り、こちらに向かってはにかむように笑っていた。

 折り目が縦横に入り、擦れてよく見えなくなってしまった部分もあるが、その女性の顔のところは綺麗なままだ。

 ボリスが何かを懐かしむような、痛みを堪えるような表情を浮かべる。

「ソーニャ……」

 写真に向かってそっと呟いた。

「いいはずだよな……きっと、これで……」

 そしてそれきり無言になった。

 おだやかな朝日に照らされながら、ボリスはそのまま写真を眺めながら佇んでいた。

 しばらくすると不意に顔を上げ、何かを払うかのように頭を振った。

「……エマを起こして飯にしよう」

 写真を再びバッグの中へとしまうと、自分の部屋を出て隣のエマの部屋へと向かった。


 ドアをノックして声を掛ける。

「お嬢、起きてるか? おい、お嬢?」

 何回かそうやって外から声を掛けるが、返事がない。

 まだ寝ているのだろうか?

 ……それとも、ボリスへの怒りがまだ収まっていないのか。

 ボリスは気を落ち着けるように一つ深呼吸をし、後頭部を掻いた。

「どうしたもんか……」

「おやお客さん、どうかされましたか?」

 ボリスが振り向くと、そこにはふくよかなエルフの女性が居た。どうやらこのホテルの掃除婦らしい。

「ああ、いや、連れの者が部屋から出てこなくて、困ってんだ」

「そこの部屋のお嬢さんですか? それなら朝早くここを出てくところを見ましたよ」

「なんだって!?」

 エルフの女性が思わず怯むほどの声を上げて、ボリスが驚いた。



 朝の少し冷たい冴え冴えとした空気の中、労働者達がリュテの通りをのらくらと歩いていく。


 錠前屋や左官屋、金物工らしき男どもがそれぞれの仕事道具を右手に、弁当を左の小脇に抱え、背中を丸めて土気色の顔を前に突き出しながら、大方は無言のうちに歩いていく。

 パイプを咥えようと立ち止まった男が、それに気づかず追突した別の男と口論になる。

 他には仕事仲間なのか、3~4人ほどのひとかたまりになった男たちが大声で下品な冗談を言い合って、その垢だらけの顔を歪めて盛大に笑っている。

 男どもの練り歩くその脇では、炊き場か洗濯場かはわからないが、小さな煙突の隙間から蒸気がしゅんしゅんと噴いて、その乳白色の煙が立ち上った先で日光と混ざり合い、黄金色の雲をたなびかせている。

 通りに面する店は、開店するにはまだ早いらしく、雨風で表面がかすれた鎧戸は沈黙の内に沈んでいる。

 居住スペースとなっている階上の窓から、疲れた顔をした女が通りの下をぼんやりと眺めている姿も見かける。

 活気がある……というのともまた少し違った空気で、どちらかと言えば地獄より這い出た亡者が、太陽の光を求めて蠢いているといった印象だ。

 昼の活気とはまた異なる、このような景色もまた大都市リュテのもう一つの側面であった。


 そしてその群れの端っこの方に、とぼとぼと歩く一人の少女の姿があった。エマだ。

 背丈も見た目も階級も、あらゆるものが周りの労働者とは異なっていたが、その小さな背中から醸す暗く沈んだ空気だけは藍に交じる青色のように馴染んでいた。

 エマは一つため息をついては足を前に出し、また一つため息を吐いては足を出し、を延々と繰り返していた。

 階級差を悟ってか、周りの労働者は直接声を掛けてくることはないが、周りの仲間に「見ろよ、かわいらしくてちっちゃい蒸気機関が歩いてやがらぁ」と軽口を叩いては声を潜めて笑っていた。

 しかし、エマの耳にはそんな悪口も届かないようで、大した反応もなく、のそのそと歩いていく。

 昨日はあまり眠れず、一人部屋で悶々としているのも嫌で、特に行くアテもなく宿を飛び出してしまった。

 ……今はボリスと顔を合わせたくないという気持ちも正直言ってある。

 それで、こうやって何を見るともなしに何処へともなく一人野良犬のような哀れな後ろ姿で歩いている。

 エマの心を埋め尽くすのは、やはりカロルのことだ。

 この国の、特務機関なる存在に連れ去られていってしまったカロル。

 詳しいことは自分にはわからないが、なにかとてつもないことに彼女が巻き込まれていることだけは分かった。

 最愛の父を亡くし、心安らぐはずの家も離れ、国家を巻き込むような巨大な陰謀の渦に、為すすべもなく飲み込まれていくことは、一体どれほど恐ろしい出来事なのだろう。

 この国デパルトでももっとも偉大で有力だったシャロン家のご令嬢にも関わらず、自分のような低級貴族の娘にも気安く声を掛けてくれたカロル。

 あの優しい声と優しい笑顔は今、どれほどの悲痛に歪められてしまっているのか。

 昨日は一晩中そのことばかりを考えて涙を流していた。

 おかげで今の自分の顔はひどい有様だ。

 できれば、今すぐにでも彼女を助けに行きたい。

 しかし、ボリスからは反対されてしまった。

 恨みたくなる気持ちは、正直言ってある。

 だけど、ボリスの気持ちも痛いほど良くわかる。

 なにせ、5歳からこっち10年間、ボリスはずっと私を守ってきてくれたのだ。

 私がボリスを大切に思っているのと同じくらい、ボリスも私を大切に思っているのだ。

 そのことは少しも疑ってはいない。

 だからこそ、どうしていいか分からない。

 涙腺がぐっと緩むのをエマは感じた。

 カロルを助けたい。でも、ボリスの言う通り私がわがままを通せば周りに迷惑を掛けてしまう。

 ……そもそも、今カロルはどこにいるのか? それすら分からない。

「……一体、どうしたら……」

 いよいよ涙声がエマの口から漏れ始めた。


 と、その時突然、前の人間とぶつかってしまった。


 おもわず、わっ、と短い悲鳴を上げてからハッとし、すぐに謝罪の言葉を口にした。

「ご、ごめんなさいまし! 考え事をしていたもので、前を良く見ておらず……!」

 そういって頭を下げたが、目の前の人物からは何も返事がなかった。

 よもやかなり怒っているのか、と不安になったエマが恐る恐る顔を上げた。


 するとそこには一人のエルフの男性が居た。


 その男の髪は長く、ゆったりとした三編みに結って後ろへと垂らしている。

 長い耳には幾つもの耳飾りがつけられており、どことなく民族調の空気を感じる。

 男の顔は端正で、その細長くスラリとした肢体と相まって、女性とも見紛うばかりの美貌だ。

 厚手のフード付きマントに身を包み、下からは白くゆったりとした下履きが見える。

 全体的に言って南国風というか東洋風というか、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。


 その男が、何を言うでもなくエマを見下ろして、ニタニタと笑っている。


 自分からぶつかっておいて失礼な話ではあるが、どことなく嫌悪感を感じさせる顔つきだ。

 顔の造形が端正なだけに、より一層ぞっとする。

「あ……あの……」

「ん……ああ、失礼。こちらこそぼんやりとしていたのもので、貴女に気づかなかった。申し訳ない」

 たまらず声を上げたエマに、その男がようやく言葉を口にしてニコリと笑った。

 こうやって笑うと意外にもきさくな表情で、エマも人知れずホッとする。

「なにかお辛そうな様子ですが、どうかされましたか?」

 次いで男がそう声を掛けてきた。

「え?」

「涙」

 エマが思わず戸惑っていると、エルフの男はマントの下からハンカチを差し出した。

「流れていますよ」

「あ……あ! す、すみません、ありがとう存じます……」

 自分では気づかなかったが、涙を流していたらしかった。少し慌てながらハンカチを受け取り、まなじりを拭き取った。

「お嬢さんは、ウェルゲッセンから?」

 男が唐突に言いあてたので、エマは思わずぞっとした。

「え……どうしてそれを?」

「言葉。少し訛りがあったから」

 男が再びニコリとする。

「僕、結構いろんなところ旅しているから。そういうの結構詳しいんです」

「は、はぁ……」

「ウェルゲッセンの貴族のお嬢様がこんなところを一人で歩くなんて、なにかわけがお有りで?」

「い、いえ、なんでもないんです。お気になさらず……」

「なんでもない? そんなことはないのでは?」

 そこで突然ずいっと男が顔を寄せた。

「立ち止まっている僕にぶつかるほどです、よほどお悩みが深くていらっしゃる?」

 その言葉が批難めいて聞こえたエマは、慌てて再び頭を下げた。

「あ、そ、そのことは、本当に失礼をしました!!」

「いえいえ、本当に気になさらずに……ね」

 男は寄せた顔を元に戻しながら、意味深に薄笑いを浮かべている。

 ……どうにも、心の負い目のようなものをつついてくる男だ。

 無意識に話を逸らそうとして、エマは思わず尋ねていた。

「あの……あなたのお名前は……?」

「僕ですか?」

 そう言うと、男はフッと笑った。


「そうですね、仲間からは『ヴェルグ』と呼ばれていますよ。どうぞ、そのようにお呼びになってください」

 そう言ってヴェルグと名乗った男はニタリと、三日月のような笑みを浮かべた。


次回更新は 2020/12/7 朝6時更新予定です。


【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2


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