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世界樹の夢でまた会いましょう  作者: うたまる ひろ
第3章 貴族の少女と従者の男
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突然の出来事

 窓の外には麦畑が広がっていた。

 まだ青々しい麦の群れが大地の起伏をうけて、まるで大波のようにうねっている。その上を風が撫でれば、その部分が太陽の日差しを明るく照らし返し、さざ波のような波紋を作る。その波はアレン達の馬車を追い越したり、逆に追い越されたりしながら、屈託の無い子供の笑い声のようなさわさわとした葉擦れの音をひびかせる。

 あと数ヶ月もすれば、太陽の恵みを目一杯その実に蓄えた麦達が、この大地を黄金の海で埋め尽くすのだろう。

 馬車はそんな麦の海を航海する一艘の船となって、リュテに向かって力強く進んでいく。


「ところで、リュテまでどれくらいかかるんだ?」

 アレンが外の風景を眺めながら、隣に座っていたカロルに質問した。

 馬車の心地よい揺れに思わず眠気を誘われていたカロルが、ぼんやりとしていた顔をにわかに引き締めなおした。顎に人差し指を当てて少し考える。

「うーん、アンガスからだと、大体五時間ほどでしょうか」

「結構かかるな」

「途中厩舎があるのでそこで休憩するそうですよ」

 カロルの言葉を受けて、ボリスが「是非ともそうしてほしいね」と相づちを打つ。

「郵便馬車に比べたらそりゃあこの馬車は天国みたいな乗り心地だけど、やっぱり長く乗ってるとケツが固くなってしゃあねぇわ。鉄道が通ってればリュテまでパッといけたんだろうがなぁ」

 それを聞いて、エマがデパルトに着いてからずっと抱いていた疑問を口にする。

「デパルトは鉄道の敷設があまり進んでいないようですね? 人や物の移動の大部分を馬車が占めているように思われますが」

「鉄材が不足してるんです」

 カロルが困ったような顔をしながら微笑む。

「国内の採掘では鉄鉱石の供給が追いつかないので、かなりの部分を輸入で賄っています。そうしてやっとこさ生産された鉄も、多くは造船関連産業が押さえてしまっています。銃火器製造業とかもそうです。船の海賊対策になるので」

 カロルが困ったようにため息をつく。

「政府の優遇政策によって資本の余裕がある貿易関連企業が、それらの産業に投資してしまうんです。それが呼び水になって、海外からの投資も自ずとそちらに流れてしまい、それがさらに多くの鉄を確保する資金源になる。そんな『好循環』ができてしまっているんです。それに対して、資金の不足している鉄道事業は充分な量の鉄を確保できず、あまり芳しい状況ではありませんね」

「そう言えばウェルゲッセンの鉄鉱石も、デパルトへ輸出されていましたわね」

 以前に家庭教師から習ったことを思い出しながら、エマが相槌を打つ。

「貿易も大事ですが、工業製品の国内市場拡大と、そのために要する労働力の確保のためには、陸上の輸送力に勝る鉄道の普及は必要不可欠かと思われますわ」

「私の父もそのように考えておりましたね」

 未だ記憶鮮やかに蘇るシャロン氏の姿を、カロルは目蓋の裏に思い浮かべる。

「なんとか都市間を結ぶところまではこぎつけましたが、地方への敷設はどうしても後まわしにされてしまっているのが現状です。鉄道事業を国策として支援した方が良いと、父が再三に渡って陛下や議会に訴えたのですが、聞く耳持たずといった感じでした。国内より拡大余地のある海外市場に目を向けるべきだ、と言うのが彼らの言い分ですが、国内産業が成長しないうちは価格競争力で他国に負けてしまうのは分かりきっている話で……。結局のところ彼らの本音は、海外領土を拡大し続けるテルミナへの危機感と対抗意識なのだと思います」

 エマがうんうんと頷く。

「今のウェルゲッセンはとにかく鉄道の導入に躍起になっていますわ。工業も農業も、生産力で他の国にいま一歩劣っているので、なりふり構っていられないという事情もありまして。この前もテルミナへ視察団を派遣して……」


 真剣な顔で政治について語り始めた二人を尻目に、ボリスがやれやれと言った風に呟く。

「俺にゃあ、そんな複雑なことわかんねぇわ。腹いっぱい食えて、安心して眠れて、朝は気分良く目覚めて、今日も元気いっぱい生きてるぞ! って感じで充分じゃねぇか? なぁ青年」

「え? まぁ、そうだろうけど。なんかそういう言い方だとバカみたいだな……」

「いいじゃねぇかバカでも。バカ三人仲良くしようぜ」

「私をバカサイドに含めないでください……」

 ククがげんなりした顔をしながら、ボリスとアレンから距離を取ろうとする。

「なんだよ、エルフっ娘。まさかお前……バカじゃないのか?」

「殴りますよ。私は新聞読む方なので、話についていくぐらいなら出来ますよ……。あなたとは違うんです」

 そんな馬鹿な! とでも言いたげに愕然とするボリスを、ククが冷たく突き放した。悲しげな顔をしながらボリスがアレンに抱きつく。

「おい! インテリがあんなこと言ってバカにしてくるぜ! 俺たちは友達だよなぁ!?」

「ちょ、やめてくれ! 無理やり肩を組もうとするな! 確かに俺も頭は良くないが、お前と一緒にされるのはなんか嫌だ!」

 必死に仲間を作ろうとアレンに身をよせるボリスと、そうはさせじと身体を引き剥がそうとするアレンの攻防を見ながら、ククは思わずため息を漏らした。


 かたや真面目な顔で政治の話をする女性陣。

 かたやアホ面ひっさげてバカの沼で泥仕合をする男性陣。


「温度差で風邪ひきそう……」

 そんなことを呟きながら、ククは一人流れ行く景色を見つめていた。



 馬車は麦畑を抜けて何もない平地へと入った。段々と木立や森などの、さきほどの麦とは異なる濃い緑色が目立ち始め、日差しを遮る木陰の涼しさを感じるようになる。これはこれで気持ちの良いもので、カロルもとうとう耐えきれず眠りに落ちてしまった。すぅすぅという穏やかな寝息が響き渡り、普段は眠りが悪いアレンも、カロルの寝息につられて思わずあくびをしてしまう。


 出発してから二時間くらいが経過したあたりで、テニスコート半分くらいの大きさの木造小屋と出くわした。

 小屋の傍には厩舎らしき建物もあった。今は繋がれた馬なども特に居らず、がらんとしている。

 その小屋に近づくと馬はそろそろとその速度を緩め、やがて敷地の前で歩みを止めた。御者台から降りたルメールが、馬車の扉を開く。

「皆さん、こちらで一旦休憩にします。そちらの建物は休憩小屋なので、存分に身体を休めてください」

 アレンはぐぅぐぅと眠りこけるカロルの肩を揺らした。

「ほらカロル、起きろ。ここで休憩だってよ」

「んぁっ?」

 垂れ下げていた頭をがばりと跳ね上げてカロルが起きた。きょろきょろと辺りを見渡してぐしぐしと目をこするカロルに、ボリスとエマが苦笑する。

「お先に失礼致しますわ、カロル様」

「お嬢さんがぼんやりして足もと踏み外さないよう気をつけろよ、青年」

 そう言って降りていくエマたちを見送って、カロルがいまだ夢うつつといった様子で、アレンに不思議そうな目を向ける。

「ここは……?」

「途中の休憩所だ。ここで少しの間休憩だ」

「エスカルゴは?」

「は?」


「さっきククが『このビスクを作ったのは誰だぁっ!!』って飛び込んできたと思ったら、アレンが『明日またここに来てください。本物のエスカルゴというものをお見せしますよ』って……」


「「そんな事言ってない」です」


 寝ぼけるカロルにアレンとククがジト目で突っ込んだ。

「そんなぁ……楽しみにしてたのに……」

 悲しげに肩を落とすカロルに脱力しながら、アレンとククも馬車を降りていく。


 小屋の周りはちょっとした林になっており、爽やかな空気で辺りが満たされていた。アレンたちが降りた先では、ボリスが気持ちよさそうに身体を伸ばしていた。

 傍に控えていたルメールがカロルへと声をかける。

「お休みのところ失礼しました、シャロン嬢」

「いえいえ、失礼なんてことはありません、ルメール警部。お気遣い感謝いたします」

「出発は30分後になりますので、その時になったらお声かけします」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 カロルが愛想よく受け答えすると、ルメールは帽子を脱いで一礼し、再び御者台の方へと歩いていった。御者に一声かけると、柵の傍にある馬の水飲み場へと馬車がガラゴロと動き出した。

 それを眺めているとアレン達に声を掛けるものがいた。

「あんたがた、ルメール警部のお知り合いかい?」

 その声に振り返ると、小屋から顔を出した一人の老人と目があった。

「ああ、そんなようなもんだ。あんたは?」

「ワシはこの厩舎の管理人だよ」

 老人はのたのたと難儀そうに扉から出てくると、しわがれた声でそう返してきた。七三の髪とたっぷりとした口ひげを真っ白にした小太りの老人だ。老人が口ひげの奥でもごもごと口を動かした。

「警部さんなら馬の世話ぁ勝手にやるだろう。あんたがたお疲れだろう? 茶の一杯くらいなら出してやれるからこっちへ来なせぇ」

 そう言って来い来いと言うように腕を振りながら、老人が再び小屋の中へと入っていった。

「お嬢、茶だってよ。ありがたく頂いとこうぜ」

「そうね。喉乾いちゃったわ」

 エマとボリスが老人にならって小屋へと近づいていく。

「私達も行きますか」

 ククがアレンとカロルを促して歩いていくので、二人もそれに続いた。


 小屋の中は六人がけのどっしりとしたテーブルが四卓とストーブ、薪の束、それに加えてスコップ、斧、火ばさみなど諸々の道具類が雑にまとめられている他には何もない、極めて簡素な作りの小屋だった。

 特別寒いわけではないが、ストーブの中では薪がパチパチと音を立てており、天板の上のポットがシュンシュンと湯気を吹いている。

「ちょうど茶を飲もうとしていたところでなぁ。あんたがた、適当にそこら辺のにお掛けなせぇ」

 老人がどれでも好きにしろと言わんばかりにぐるぐると腕を動かして、周りのテーブルを指し示す。ボリスが「それじゃ遠慮なく」と適当に腰掛けると、他の四人もそれに倣って席についた。

 老人は奥の扉へと消えたかと思うと、客用と思われるマグと茶道具を持って引き返してきた。それを年季の入った木製の台に置くと、危なっかしい手付きで茶を入れ始めた。

「なんか見ててハラハラするなぁ」

 ボリスが苦笑しながら呟く。皆も何も言わないが心の中でひっそりと頷いた。

 自分の分も含めて六人前の茶を用意した老人が、震える手でそれをよぼよぼと持ってこようとするので、見かねたクク、アレン、ボリスが茶を運ぶのを手伝った。

「すまんのぉ、歳取るとどうにも思い通りに手足が動いてくれんもんで」

「いや、茶をごちそうしてもらうだけでありがたいよ。運ぶくらいは自分たちでするさ」

 アレンが笑ってそう言うと、老人は「すまんのぉ」ともう一度もぐもぐと繰り返した。


 その後は老人を交えて少し歓談をした。


 老人とルメール警部は顔見知りらしかった。警部がリュテへ赴く際はこの小屋へと必ず立ち寄るらしい。

「この先休める場所は無いからのぉ。この道を良く通る者は大体この小屋に立ち寄る。そうすると自然と顔見知りになるでな。そうやって小屋に来た人と喋るのが、雀の糞ほどのちぃっぽけな年金で暮らす老人の、唯一の楽しみだわい」

 そう言うと老人は茶を一口ごくりと飲んで、ほぅ、と嬉しそうに息をついた。

 そんな話をしていると、エマがしきりにソワソワとしだした。そして「ボリス、あの……」とボリスの袖をちょんちょんと引いた。ボリスが「ああ、はいはい」と何かを悟る。


「爺さん、便所どこだい? お嬢がションベンだって」

「死ねぇっ!!」


 エマの拳が轟音を立ててボリスの顔面に突き刺さる。「ぐぇ!」と間抜けな声を上げてボリスが椅子ごと床に倒れて、それきり動かなくなった。

「あそこの扉入って左側だぁ。手洗い用の水も、桶に用意してあるでな」

 そう言って老人が部屋の隅の扉を指差すと、エマが真っ赤な顔で「ど、どうもご親切に……」と返事し、そそくさと扉の奥へ消えていく。

「あの、私もおしっこ行きたいです」

「カロルは逆にもうちょっと慎みを持ってください……」

 ククが疲れた顔をしながら顔面を手で覆う。アレンは何も聞かなかったことにして、目と口を固く閉ざす。ボリスは未だに動かない。

 エマがまだ少し朱の差した頬で「も、戻りました……」と言って帰ってくると、カロルが「それじゃ私も」と席を立って手洗いへと向かった。

「俺は大丈夫だけど、お前らは? 今のうち行っといたら?」

 息を吹き返したボリスが殴られた箇所をさすりながら、アレンとククに問いかけた。

「俺は大丈夫だ」

「私も今はいいです」

 そんなことを喋っていた時だった。


「きゃっ!」

 バタン!


 突然、カロルの悲鳴と扉が勢いよく閉まるような音がした。


「!?」

 四人は一斉に顔を見合わせ、慌てて席を立ち手洗いの方へ向かった。


「カロル?」

 ククが扉を開けて左側にある手洗いの扉に目をやる。扉は閉まっている。

 そろりそろりとククが手洗いの扉に近づき、ノックをした。

「カロル、そこに居ますか? さっきの悲鳴は躓いたか何かですか?」


 しかし中から返事はない。


「カロル? カロル! 居るなら返事をしてください!」


 やはり返事はない。

 皆の危機感が一気にピークへと達した。


「カロルすまん、蹴破るぞ!」

 アレンがククを押しのけて扉へと声を掛けると、思い切り体重を乗せてドアを蹴った。

 古びた扉は紙を千切るかのように呆気なく破れた。

「カロル!」



 破れた扉の先には、誰も居なかった。



「お、おい! あんたがた!」

 息を呑み驚愕する一同の下へ、老人がバタバタとうるさい音を立て慌てて駆け寄ってきた。

「馬車! 馬車!」

 先程まで溶けたチーズのように垂れ下がっていた目蓋を限界まで見開いて、老人が焦りながらしきりに後ろの方を指差す。

「爺さん! 悪いが馬車とか後に……」

 ボリスが今はそんなことに構ってられないとばかりにあげた大声に、さらに大きな声を被せて老人が叫んだ。


「馬車出発しちまったぞい! あんたらあれに乗っていくんじゃないのか!?」


「なんだって!?」

 四人が老人を押しのけて急いで扉へと駆け寄る。勢いよく扉を開いた先には。



 あの大きな馬車の姿は無く、地響きのような重たい車輪の音が、遠く木立の向こうへと消え去ろうとしていた。



「こ、これは……どういう……」

 カロルは今しがた自分の身に何が起こったのかも分からず、混乱と緊張の極みへと投げ込まれていた。

「一体……どういうことなのかを説明してください」

 ガラゴロと固く震える床に尻もちを着いたまま、カロルが警戒心と敵対心を露わに強い語調で言い放った。



「ルメール警部!」



 カロルの目線の先で、ルメール警部が拳銃を向けたまま、カロルを冷たい目で見下ろしていた。


話のキリと、次章へのつなぎを考えて、今回の話を第三章の最終話といたします。

後出しの形になってしまい、大変申し訳ありませんm(__)m

引き続き、第四章もお楽しみ頂ければ幸いです!


【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2

【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0


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