虚しい最後
「ぐぅ……」
「クク!」
カロルとエマ、夢男がククの下へと駆け寄る。
右手で刺された左肩を押さえながら、ククが苦悶の声を漏らす。
服に滲むという状態を通り越して、粘度を感じさせるほどの血が指の合間から溢れ出している。
生気を感じさせない蒼白した左腕は細かく痙攣しており、ククの全身に玉のような汗が浮かんでは、何条もの滝のように流れ落ちていく。
明らかに危険な兆候だ。
ククの様子を見て取った夢男が呟いた。
「これは……もしかしたら動脈をやられているかもしれん。急いで傷を塞がないと危険だ」
「ああ! どうしよう、クク! は、はやく病院へ……」
「いや、まず止血を先にしなければ……。マリーさん! 包帯はあるかね!?」
「は、はい!」
夢男が後ろへと声を掛けると、マリーが慌てて返事した。
「まて、傷なら俺がなんとかできる!」
屋敷の中へ引き返そうとするマリーを留めて、ボリスがククの下へ駆けつけた。
「できるのかね?」
「ああ」
ボリスは夢男の問いに短く答えると、真剣な顔でククの服をナイフで素早く切り裂く。ククの左肩が露わになり、脈に合わせてとぷとぷと血の湧き出す傷口が見えた。
「ちょっと痛むが我慢しろよ!」
「うううう!」
ボリスが傷口を無骨な手で押さえると、震えるまぶたがギュッと絞るように閉じられ、痛みを堪えるうめき声がククの口から漏れた。その声にカロルが怯むように口元を押さえる。
「だ、大丈夫なのかね?」
「大丈夫だ。刺されて間もない、すぐ治せる」
夢男が思わずといった様子でボリスに問いかけると、ボリスは緊張しつつも冷静に返した。
「あ、あの、ボリスさんは一体何を……?」
眼前の光景に戸惑いながら、カロルが誰にともなく問いかける。
エマがそっとカロルの両手を取ると、落ち着き払いながら声を掛けた。
「大丈夫、大丈夫です、カロル様。今ボリスが『ギフト』を使ってマクマジェルさんの傷を塞ぐところです」
「ボ、ボリスさんの『ギフト』ですか……?」
「ええそうです、すぐに治りますわ……」
幾分落ち着きを取り戻したカロルが三人の様子を見守っていると、突然ククがビクンと身体を跳ねさせる。
そうして荒い息を吐きながら、くたりと身を投げ出す。
「……よし、『元に戻した』。」
ボリスがククの肩にかけた手をそっと外す。ククの肩を深く穿っていた傷が綺麗に消えていた。
「マクマジェルさん、具合はどうですか?」
エマが傍へと近寄り、ククに声をかける。ククは朦朧とした様子で脱力していたが、自分の肩をチラと見てからエマへと瞳を向けた。苦痛が引いたのか、多少穏やかさを取り戻した目だ。
「……はい……まだ少しジンジンしますが……痛みは和らいだようです」
「そのうち落ち着く。今はゆっくり休め」
ボリスがククの肩や腕の血を拭えるだけ拭ってから立ち上がった。代わりにエマがククに寄り添うように跪き、ククの下に駆け寄ったカロルもそれに倣う。カロルはククの無事を見て、その手を取り安堵のため息をつく。
「聞いても良いですか? これはボリスさんの『ギフト』で?」
同じように立ち上がった夢男が、いつもの口調を取り戻してボリスに問いかける。
「ああそうだ」
「一体どんな『ギフト』なんです?」
「『何かを元の状態に戻すギフト』だ」
「ほう! それは素晴らしい! それでクク嬢の傷を治したというわけですか。大変便利な『ギフト』ですね」
夢男が賛辞を送る傍らで、ボリスは懐から紙巻きタバコを取り出し、それにマッチで火を付けた。
ゆっくりと深く吸い込むと、機関車のようにもうもうと煙を口から吐き出した。
「そんなに便利でもねぇよ」
もう一服した煙を吐き出しながら、ボリスがつまらなそうに答えを返す。
「元に戻すには時間がかかるからな」
「時間ですか? しかしクク嬢の傷を治すのに、それほど時間がかかった印象はありませんが」
「傷を負ってから経過した時間と、同じだけの時間が戻すのにかかるんだよ。簡単に言えば、一時間前の傷を戻すには一時間かかるってこった」
「多少の制限があるということですか。なるほど」
「他にもあるが……今はそんな話してもしょうがないな」
そういうと膝に手を突いて中腰になりながら、ククの顔を覗き込んだ。
「おい、エルフの嬢ちゃん。血も多少は元に戻せたとは思うが、戻せなかった分もある。血が足りてねぇだろうから無理せずゆっくり休むこった。後、腕や肩の近くに黒アザができるだろうが、それは内出血の跡だ。しばらくすれば消えるからほっておけ」
「……内出血?」
カロルが薄っすらと涙の浮かんだ目でボリスを見上げる。
「ああ。俺も良く分かってないが……傷を治す時に負担がかかるのか、近くの小さい血管が破裂するらしい。それで内出血するんだ。アザはできるがそれだけだから、とりあえず気にすんな」
ククが上体を起こそうとしながら謝意を述べる
「そんなことは全然……それより傷を治して頂きありがとうございます」
「気にすんな。起きなくていいから寝てろ」
無理に身体を動かそうとするククを、ボリスが制する。
そこへマリーとジェーンが近づいてきた。
「あの……よろしければ屋敷のベッドをお貸ししますので、そちらでお休みになられては」
「ああ、だったらそっちの方がいいか。おいエルフの嬢ちゃん、起きろ。ベッドまで運んでやる」
「どっちなんですか……」
カロルの介添を受けながらククが身を起こす。
ボリスに背負われながら遠ざかっていくククの背中を見送ると、夢男が詰めていた息をそっと吐き出した。
アレンの目の前ではフェルディナンが拘束されていた。
猿ぐつわを噛まされ、彼自身のコートを使って後ろ手に縛られており、自由に身動きの取れないまま地面に寝転されている。
今は意識を回復したエドモンという警官がルメールの指示で警察署まで応援を呼びに行っている。
フェルディナンは観念したのか、身じろぎ一つしないまま険しい顔付きでまぶたを閉じており、ルメールがそれを無言で見下ろしている。
アレンがルメールへと目線を向けた。
「それで……ルメール警部」
「……なんだね」
ぽつりと呟くような返事をするルメールに、先程から気になっていた事を質問する。
「カロルと俺たちについて……」
「ああ、そのことか」
ルメールがのろのろとアレンに顔を向けた。
「君達は現時刻を持って、証拠不十分により釈放とする」
「『証拠不十分』ね……まぁこの際良しとしましょうか、ルメール警部殿」
「ゆ……クレマンソー警部」
近寄ってきた夢男がルメールへと声を掛ける。一瞬、夢男と言いかけたアレンが慌てて言い直す。
夢男はそれを軽く無視すると、ルメールの傍へ立ちフェルディナンを見下ろした。
「この男はどうしますかな?」
「無論、殺人の容疑で逮捕する」
「それもそうですが……」
夢男が目線を上げてルメールに顔を向ける。
「この男は旗持ちの一員です。上手くやれば、今回の件から旗持ちの内部事情について何か聞き出せるかも知れない」
「どうせこの男は何も知らんよ」
ルメールが冷ややかに返すと、それを聞いていたフェルディナンが目を開き、ルメールの方を睨みつけた。
「首都に近いとは言え、このような何も無い村に居ついた構成員だ。大した情報など持っていないだろう」
「最初から決めつけてかかるのは感心しませんな」
「誰も聞き出さないとは言っていない。犯行の主要因になっている以上、その辺りは当然洗うことになる。警部殿こそその決めつけを止めて頂こうか」
「ルメール殿の言いっぷりはどうも誤解させられますな」
「君が邪推を働かせているだけだ」
二人の言い合いが一段落して、気まずい沈黙が降りた。フェルディナンも不貞腐れたようにそっぽを向いたまま黙っている。
夢男はさりげなくアレンの方に顔を向け、口角を釣り上げた唇に人差し指を添えた。クレマンソーの姿でそのような不似合いなポーズを取って戯ける夢男に多少の腹立たしさを覚える。
夢男がこの事件の解決に貢献していたことは既に聞いている。
夢男の『ギフト』のおかげで事が上手く進んだのは事実だ。本来なら感謝せねばならないが……。
それもこうやって、どこまで本気でどこまでふざけているのかも分からぬ姿を見せられると、簡単に夢男の事を信じるつもりになれない。
それに、クレマンソー警部本人はこの村で起きたことの詳細を知らない。彼のあずかり知らぬところで、身に覚えのない恨みを勝手に押し付けられた形だ。
短い付き合いだが、このルメールという警部はどうにも頑固そうな性格をしているように思われる。おそらくクレマンソーに向けられた不興をなくすのは容易なことではない。
いっそ、目の前にいるクレマンソー警部は本当はいかがわしい道化の扮装で、あなたを釣り出すためにわざと焚き付けるようなことを言ったのだ、と真実をぶちまけてしまいたい気持ちになる。
しかしそれはそれでルメールの不信を買うだけだろう。アレンはなんとももどかしい苛立ちを感じずにはいられなかった。
夢男……この男は信じるに足るのだろうか?
アレンがそんな自問自答を繰り返しているところに、例の警官がルメールの名を呼びながらこちらへ近づいてきた。後ろには馬に乗った警官二名が付いてきている。
「ご苦労、早かったな」
ルメールがエドモンに声をかけると、彼は「近くを警ら中だった彼らを捕まえることができまして」と、ぜいぜいと息切れしながら言った。どうやらかなり急いで駆けつけたようだ。
そこへさらにアンドレがやってきて、手に持ったロープを掲げてみせた。
「おい、ロープ持ってきたぜ」
「ありがとう、アンドレくん。おい、君」
エドモンが連れてきた警官の内の一人がハッと返事をして、アンドレからロープを受け取った。
今フェルディナンの腕は一旦のその場しのぎとして、彼のコートで縛っている。
エドモンの持っていた警棒を利用してきつく縛り上げているが、やはりロープで縛り上げた方が確実だろうということで、アンドレに屋敷にあるロープを探してもらっていたのだ。
「拘束したらこの男を署まで連行しろ」
ルメールがそう警官たちに命令すると、四苦八苦しながらフェルディナンを拘束し始めた。
そんなところをアレンが無表情で眺めていると、カロルがやってきた。
「アレン」
「カロル、ククは?」
「ボリスさんが『ギフト』で傷を治してくれて、今は屋敷のベッドを借りて休んでいます。疲弊した様子ではありますが、とりあえず無事です」
「ボリスの『ギフト』で?」
「なんでも、壊れた物を元に戻す『ギフト』だそうで」
「そうか……じゃあ礼を言わなきゃな」
そう言ってアレンが屋敷を見上げた時だった。
「うげぇっ!!」
突然、男の低い悲鳴が響いた。咄嗟にそちらの方を見ると。
フェルディナンが一人の警官を殴り倒したところだった。
貴様っ! と大声を上げる別の警官に蹴りを見舞うと、その警官は大柄な身体にも関わらず小石のように転がっていく。
フェルディナンが後ろ手に回された腕に力を込めると、ぐるぐると巻き上げていた警棒が外れ、手枷になっていたコートもばさりと宙を舞った。
どうやら警官がロープで彼を縛ろうとする時に、下手をして拘束がゆるんでしまったようだ。
ルメールが咄嗟に拳銃を構え弾丸を発射するが、フェルディナンは既にコートを翻してその姿を隠した後だった。
弾丸で穴が空いたコートの向こう側には既にフェルディナンの姿はなく、エドモンがいつ触れられたのか、「う、うわっ」と戸惑いながら宙を埃のように舞っていた。
エドモンの後ろから、彼を鬱陶しいカーテンを払いのけるようにしてフェルディナンが姿を表し、まっすぐカロルの下へと向かってくる。
アレンは舌打ちをしながら、カロルを庇うようにその胸に掻き抱く。
もう既にフェルディナンの手はアレンに届こうとしている。その時。
高らかな銃声が鳴り響いた。
フェルディナンが短い悲鳴を上げて、地面へと崩れ落ちる。
どうやら足に銃撃を受けたようで、地面に四つん這いで這いつくばっている。
突然の事に周りを見回すと、ボリスが屋敷の二階から銃口を向けているのが見えた。
咄嗟にフェルディナンを銃撃してくれたようだ。
アレンはカロルを腕の中に抱えたまま、即座にその場から離れた。
フェルディナンが「ぐっ!」と恨みがましい目でアレンとカロルを見る。
もう一つの乾いた銃声が辺りに響いた。
その場に鮮血が舞う。
穴の空いた木桶から水が溢れるように、フェルディナンの側頭部から血が吹き出す。
目を見開いたまま地面に倒れていくフェルディナン。
アレンの目にはその場面が、鳥の羽が落ちるかのように、奇妙なほどゆっくりとした動きに見えた。
硝煙の匂いがする。
ルメールの向けた銃口から煙がたなびいている。
「ゴードンさん、無事かね?」
「あ、ああ……あの」
「シャロン嬢に危害の及ぶ恐れがあった。止むを得まい」
ルメールが銃口を未だフェルディナンへと向けながら、アレンの問いなき問いに答える。
そのまま彼はフェルディナンの身体をつま先で叩く。反応はない。
今度はかかとを使って、地面に伏せるように倒れているフェルディナンを仰向けにする。
フェルディナンは何が起こったかも分からないようなポカンとした顔で目を見開いていた。少しばかり開いた口からは、何の呼吸音も聞き取れない。
フェルディナンは射殺された。
【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2
【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
評価・感想は小説家になろうにアカウント登録するとできるようになります。
作者の励みになりますので、よろしければ!