事件の全容
「こ、これは一体どういうことなのでしょうか? なぜあなた方がこんな時間にこの屋敷にいらっしゃるのか」
「それは、私達の方こそ知りたいことですわ、フェルディナンさん。なぜあなたはここにいらっしゃったのですか? 見張り番の眠ってしまった隙まで見計らって」
「それは……」
突然のことに狼狽したフェルディナンが言葉に詰まる。エマがそれを見て腕組みしながら鼻を鳴らす。
「まぁいいでしょう、答えて差し上げます。私達が何故ここに居るか。それは、犯人が今宵必ず書斎に現れると踏んで、待ち伏せしていたからです」
「は、犯人ですって?」
「もちろんベルナールさん殺害の件です」
「ばかな! では私が旦那様を殺したと仰るのか!」
「そのとおりですわ」
エマが確信に満ちた声で、ばっさりと断ずる。フェルディナンは気を取り直すように頭を振ると、エマに対して反論をし始めた。
「意味が全く分かりません。旦那様の殺害犯はマクマジェル様であると既に結論が出ているはず。実際、鍵の閉まったこの書斎に旦那様の遺体とともにいらっしゃった以上、マクマジェル様が殺害犯であることは火を見るより明らかです。何故それを無視して、私が犯人であると仰るのか?」
「マクマジェルさんが犯人だとすると、不自然な点が二つあります」
エマが指を一本立てた。
「一つ目は、何故村長を殺した後も書斎にそのまま居たのか。殺人を犯したとしたら、マクマジェルさん視点では、この書斎にずっとこもりきりなのはリスクのはず。現にマクマジェルさんはあなたに姿を見られた上に拘束までされてしまい、その場で現行犯逮捕となってしまった。マクマジェルさんが犯人なら、すぐにこの部屋から逃げたいと思いませんか? マクマジェルさんはエルフです。いくらでも窓から飛んで逃げられますし、さらに言うと、マクマジェルさんは別の場所へと一瞬で移動することができる『ギフト』持ちです。これは警察署で面会した際に教えてもらいました。そんな『ギフト』があるなら、自分の部屋にでも逃げ帰れば良い。しかしそれをしなかった。これは極めて不自然です。ここから、犯人の策略に嵌められたのでは無いか、という考えが浮かびます。これが一つ目の不自然な点」
エマが二本目の指を立てた。
「二つ目は、村長の刺されたナイフの位置です。村長はとても背の高い人だったと伺いました。対してマクマジェルさんは私よりも低いくらいに背の小さな方です。そんな方がナイフを刺すとしたら、胸より腹だと思いませんか? 例えばこうやって……」
そう言って、エマはボリスに向かって右手を上げ、それを振り下ろす動作をした。
「振りかぶれば、如何に背が小さいとは言え、胸にはナイフが届きます。しかし、村長も黙ってやられるわけにはいきません。当然それを避けようとします」
そう言って、エマはボリスの胸を狙うように拳を振り下ろすが、ボリスはそれを左手で払いのける。
「こんな風に。マクマジェルさんからしたら胸は狙いにくい位置なのです。しかも、この状態だと腕が伸び切って、力を上手く込めるのは難しいのです。そんな状態で、根本まで深々とナイフが刺さるような一撃を放てるでしょうか。もっと言えば、ナイフは上からえぐりこむように斜めに刺さっていたと聞きます。マクマジェルさんの身長から言って、そんな角度でナイフを刺すのはとても難しいことでしょう。むしろこうやって」
エマは拳を腰だめに構えると、ボリスの腹部めがけて突き出した。
「胴体を狙う方が、マクマジェルさんにとってはよほど自然です。身長差がありますから、むしろ下から突き上げた方が、村長も防御しづらくなります。しかもこの状態ならしっかりと踏ん張ることができるので、一撃の威力を増すことができます。どう考えても、マクマジェルさんの立場からすれば、胸を狙うより胴体を狙うほうが自然なのです」
「何を言うかと思えば、そんなこと」
エマの話の間に気を落ち着けたフェルディナンが、くだらないとばかりにエマに言い返す。
「マクマジェル様がこの書斎に残っていたのは、あまりの興奮に頭が回らず、逃げる算段などどこかへと吹き飛んでしまったからですよ。私がこの書斎に入ってきた時にもマクマジェル様はひどく興奮している様子でしたから、ありえない話ではありません。また、胸の傷に関しても仮説は立てられます。例えば、揉み合う内に旦那様が足を滑らせ、床に尻もちをついた瞬間を狙ってナイフを振り下ろせば、如何に身長差があれど、心臓を狙うことは可能です。どうです? 說明を立てるだけなら、いくらでも説明がつきますよ。それをもってマクマジェル様が犯人では無いと断定することはできませんよ」
フェルディナンが立板に水を流すが如く、すらすらと言葉を紡ぐ。それにエマが再反論する。
「あなたが仰る通り、それだけでは犯人では無いという証拠にはなりません。今ここでお伝えしたいのは、『マクマジェルさんの他に犯人が居るのでは?』と疑うことに根拠がある、ということです。マクマジェルさんが犯人であると断定されてしまった根拠は、『書斎に村長の死体と一緒に閉じこもっていた』という、ただその一点の状況証拠だけなのです。これでマクマジェルさんが犯人であることは確実である、などと言えるでしょうか? それはあまりに早計というものです。フェルディナンさんが仰るように、マクマジェルさんが犯人でないという証拠は残念ながらありません。しかし、マクマジェルさんが犯人であるという確たる証拠もまた無いのです」
「馬鹿馬鹿しい! そんなのは詭弁だ!」
フェルディナンが鼻白みながら、エマの反論を切って捨てる。しかしエマが続ける。
「私は詭弁とは思っていませんが、仮に詭弁だとしても、マクマジェルさんが犯人である可能性はイーブンである、という事自体は否定できないはずです。しかし、あなたは違う」
エマがフェルディナンを指差す。
「あなたが犯人であることを示す手がかりは山程あります。これからそれらを論じていきましょう。すみませんエドモンさん、この屋敷の方達を呼んでくださいますか?」
エマがそう言って振り向くと「分かりました、ノイラートさん」と言いながら、見張り番の若い警官が顔をのぞかせた。
「エドモンさんには眠ったふりをしてもらいました。犯人が新たな証拠とやらに動揺して、書斎へと確認しにやって来てもらうために。狙い通りの結果が得られて私は満足ですわ」
エマの言葉に、フェルディナンが悔しさを噛みしめるかのように歯を食いしばる。両手が強く握りしめられ、痙攣するように震えている。
エドモンが屋敷の者を起こして、書斎まで連れてきた。
「これは一体、何が起こっているのでしょうか?」
とマリーが戸惑いの声をあげる。
マリー、ジェーン、そしてアンドレの三人が集まったタイミングで、フェルディナンが犯人と疑われていること、そして、こうやって皆が寝静まったタイミングを見計らって書斎へとこっそりやってきたことを説明した。三人は驚愕に目を剥き、自分たちが恐ろしい現場に立ち会ってしまったと悟り、思わずたじろぐ。
「それでは、一つずつ確認していきましょうか」
それだけで誰かを射殺せそうな凄まじい目つきでフェルディナンが睨んでくる。エマが下腹に力を込め、気合を入れ直してそれを迎え撃った。
「まずは外堀から埋めていきましょうか。フェルディナンさん。あなたはこれに見覚えがあるはずです」
そう言ってエマが目線で促すと、ボリスが懐から何かを取り出して見せた。
「これはなんですか、フェルディナンさん?」
「それは……私の手袋です」
ボリスが取り出して見せたのは一対の手袋だった。元は汚れ一つ無い純白の手袋だったが、今は見るも無残に血に塗れてしまっている。
「これは焼却処分する袋から持ってきた物です。マリーさん、ジェーンさん、裏庭で話した時に、こちらを見たと思いますが、覚えていますか?」
エマが言っているのは、マリーが洗濯物を干している間、ジェーンから話を聞いていた時のことだ。二人とも、コクリと頷いた。
「ええ、確かにありました」
マリーが肯定する。その時の記憶が蘇る。
――ジェーンが指差したのは、燕尾服に、白シャツ、グレーのベストに、同じくグレーのズボン、白手袋と蝶ネクタイだった――
夢男が袋から取り出して裏庭に広げた際に、その手袋も確かに存在した。その場に居た皆が確認済みだ。
「そ、それがどうだと言うのですか?」
思ってもみなかった物を持ち出されて、フェルディナンが戸惑う。エマがボリスから手袋を受け取って、フェルディナンに良く見えるように持つ。
「こちら、よく見ると右手だけ汚れてるの分かりますか?」
エマが両方の手袋をひっくり返しながら確認する。確かに、右手袋だけ血に汚れ、左側は真っ白なままだ。
「この手袋、何で汚れたのですか?」
「決まってる、血まみれで倒れた旦那様に駆け寄ったときだよ! あの時、私は旦那様のお身体に触れたので、その時に手袋が汚れたのだ! なんでこんな当たり前のことを確認するのか?」
「それって変ではありませんか? だったら片方だけ汚れてる理由はなんでしょう?」
「片方だけ汚れてるのなら、片手で触ったからに決まっているだろう。それ以外に理由があるのかね?」
「マリーさん、その時マリーさんもその場に居合わせたはずです。フェルディナンさんの仰るとおり、フェルディナンさんは手袋した右手で、村長の遺体に触れたのですか?」
エマがマリーに確認を取ると、マリーが戸惑うように首をかしげる。
「いえ……すみませんが、そこまではちょっと覚えておりません」
「マリーは覚えていないだろうが、実際そうだったのだよ」
フェルディナンが幾分安心したかのように、穏やかな声色で言う。
「旦那様のお身体に右手で触ったが、正直言ってひと目見て、もうだめだと思った。それでそれ以上の事は諦めてしまったのだよ」
「ところが、それはおかしいのです、フェルディナンさん」
エマが今とばかりに鋭く切れ込む。
「マリーさん、焼却処分品を検めていた時に、マリーさんのハンカチもそこにありましたよね?」
マリーが自分のハンカチの話題を出されてドキリとする。
「ええ、確かに」
「そのハンカチも血で汚れていたと思いますが、それはなんででしたっけ?」
「それは……フェルディナンさんが、手を汚されたのでそれを拭うためにお貸ししたからです……」
――「これは?」
と言って、夢男が一枚のハンカチを手にとると、マリーが答えた。
「それも私のものです。昨晩フェルディナンさんの手が汚れた時に、それを拭うためにお貸ししました」
そのハンカチも白い生地で出来ていたが、なるほど、手を拭ったためか一面血に塗れて、ぐしゃぐしゃに皺が寄っていた――
「マリーさん、つまりフェルディナンさんが手を拭った時、フェルディナンさんは手袋を……?」
「して、おりませんでした……」
その言葉に、その場に居た者たちが目を丸くして驚く。ジェーンの息を飲む音が聞こえる。
「フェルディナンさん」
愕然とした表情でわなわなと震えるフェルディナンに、エマが追及する。
「あなたは手袋をしていたと仰る。しかし、マリーさんは手袋をしていなかったという。これは一体どういうことですか?」
「こ、これは、その……マ、マリー、記憶違いでは無いか? そのハンカチは自分の手を拭っただけなのだろう?」
フェルディナンが顔を真っ青にしてマリーに問いかけるが、マリーは何か恐ろしいものを見るかのように険しい顔をして首を振った。
「いいえ、確かにあなたは手袋をしておりませんでした」
その答えに、ぐっ、と短いうめき声を上げて、フェルディナンが忙しなく手で顔を触ったり、服の裾を掴んだりする。
「い、いや、そんな、そんな……そ、そうだ、思い出したぞ。私は旦那様を触った後で、手袋が汚れてしまったのに気付いて、その手袋を脱いだのだ。それでもまだ手が汚れてしまっていたから、マリーにハンカチを借りたのだ!」
「つまり、手袋の裏にまで染みてしまったから、手も汚れてしまったと?」
「そ、そのとおりだ」
「そんなわけありません、フェルディナンさん」
苦し紛れのような言い訳を絞り出したフェルディナンに、容赦なく追撃する。
「こちらの手袋を良く見てほしいのですが……ほら、裏地までは血が滲み出していません。なので、手袋を脱がない限りあなたの手が汚れるわけがないのです」
――生地の薄いシャツとエプロンは別にして、それ以外の物が裏地にまで血が染み出していない所を見ると、おそらく村長を抱き起こすか何かした際に、その血が表面に付着してしまったものであろう――
一つ一つ詰められていき、もはや言葉も出ないフェルディナンが動揺を隠しきれず、興奮で息を荒くする。
「手袋で村長を触った後、わざわざそれを脱いでまた村長の身体に触ったのでしょうか? それは変じゃありませんか、フェルディナンさん? だったら脱ぐ必要もない、そのまま手袋をしていれば良い。血で汚れるのが嫌だったと言うなら、なおさら。あなたは村長を抱き起こそうとした時には手袋はしていなかった、私はそう考えます。では、手袋は何故片方だけ血で汚れてしまったのか。それで、ここを見てほしいのですが」
そこまで言うと、エマは血で汚れた方の手袋の側面を指し示した。
「この手袋、主に小指側の側面が血で汚れてるのが分かるでしょうか?」
そう言って、周りの人間に見せると、皆それを認めて頷く。
「右手の小指側の側面の血の汚れで、何かピンとくる方はいらっしゃいますか?」
「……それはきっと」
とクレマンソー警部――の姿をした夢男――が答えた。
「村長を刺した時の汚れではないかね。遺体の胸にはナイフが柄に届くほど深々と刺さっていた。そうすると右手側の側面がこう……」
そう言って、夢男が右手をナイフを持つ要領で握り、それで左の手のひらを叩いた。左の手のひらに『右拳の側面』が接触する。
「村長の胸に当たるわけだ。その時に吹き出た血が手袋に付着したのでは無いかね?」
「私もそう思います、警部」
エマが夢男の言葉に同意する。
「どうです? これに対して何か反論はありますか?」
エマがフェルディナンに問いかけるが、フェルディナンは先程から異常なほどの脂汗をかき、唇をわなわなと震わせながら、「そんなことは……そんなことは……」とぶつぶつと呟くだけだった。
反論しなければならない。しかし上手い返しが思いつかない。
焦燥感に駆られながら、頭を回転させているフェルディナンに、エマが声を掛ける。
「どうやら言い訳を考えていらっしゃるようですね、フェルディナンさん? それでは、上手い言い訳を思いつかれてしまう前に、他の証拠を上げていくとしましょう」
エマのその言葉にフェルディナンが俯けた顔を上げて、呆然とした表情を浮かべる。いっそ哀れな程に憔悴している。
「第二幕のご披露といきましょう」
エマが無慈悲な宣告を与えた。
【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2
【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
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