銀髪の少女
アレンにとって、その少女の美しさは筆舌に尽くし難かった。
陽光の透けて通るその長く繊細な銀髪は、まるでガラス細工のように煌めいていた。切りそろえられた前髪の下にはぱっちりとした大きな目が見開かれており、その瞳は宝石を嵌め込んだかのような透き通った空色をしている。頬にはほんのりと朱が差し、全身の雪のような白さと相まって、少女の健康的な美を印象づけている。気品を感じさせる白いドレスに身を包み、陽光を身にまとい淡く光る少女は、神の創り給うた一つの芸術作品と言っても過言ではなかった。
アレンは夢か現実かの判断に迷い、しばし呆然としていた。カロルはそんなアレンを不思議に思い、「あの、アレンさん?」と話かけた。
アレンはハッとなり、しどろもどろになりながら返答した。
「あ、し、失礼しました。すみま……あ、いや。申し訳ありますん」
かつてなく緊張したアレンを見て、カロルは堪えきれずといった感じでくすくすと笑った。アレンはあまりの恥ずかしさに耳まで真っ赤になってしまった。
「いえ……失礼など御座いませんよ。父はこう見えてざっくばらんな性格ですから、そんなに緊張なさらなくても父は気にしませんよ?」
……そう受け取ったかぁ……いやでもその方がこの場では都合がいい! と、アレンは前向きなのか後ろ向きなのかよくわからない思考を働かせ、軽く咳払いをした後、気持ちを切り替えてカロルと向き合った。
「申し訳ありません、ガラにもなく緊張したもので……。自分からも改めて自己紹介させて頂きます。アレン・ゴードンと申します。この度シャロン氏の護衛という身に余る栄誉を授かりました。これからシャロン嬢とも接する機会もございましょう。浅薄なこの身ですが、精一杯務めさせて頂きます」。
シャロン氏は楽しげに、「あれほど強いアレンくんでも緊張することがあるようだ」と笑いながらカロルに話していた。
「アレンさん、これから接することが多いとあれば、シャロン嬢と他人行儀にお呼びになるのはおよしになってください。気軽に、カロル、とお呼びくださいまし」
「まさか! そんな失礼はできませんよ!」
アレンが焦りながら答えると、カロルはやはりくすくすと笑った
「それでは、今後私は他人行儀なアレンさんと毎日お顔合わせしなければならないのですね。まぁ! なんということでしょう! それではお客人用の、きらびやかだけれど窮屈なドレスを毎日用意してもらわねばなりませんね! それだけの接待用のドレスを私は持っていたかしら?」
とからかうような表情でカロルが言うので、アレンは神経をすり減らされたという意味ですっかり参ってしまった。
「ありゃー大変だ! こりゃー大変だ!」
興が乗りすぎて最早庶民言葉になるカロルである。
「か、からかうのはおよしになって!!」
しまった。緊張と恥ずかしさと混乱のあまり、なぜかお嬢様言葉になってしまった。
その時点でいよいよカロルは堪えきれず、うふふふ、うふふふ、と肩を揺らして笑い始めた。
「カロル。そのあたりで勘弁してやりなさい。これではアレンくんも立場がないぞ?」
あまりにアレンが縮こまるものなので、シャロン氏からやれやれといった感じで助け舟が出た。
「困った娘ですまないね、アレンくん。この通りのじゃじゃ馬娘なもので、一体誰に似たのだか」
「ええ、わたくしごとながら、一体どのような父からこんな娘が生まれたのやら!」
シャロン氏は額に手をやり、呆れるように頭を振った。
「ですが、そうですね……申し訳ありませんでしたアレンさん。少々悪戯が過ぎました。何卒お許しください」
カロルはこの辺りが頃合いと見て、殊勝に頭を下げた。
「いえ……大丈夫です……」
というのが精一杯のアレンだった。
その後はカロルから昨晩の出来事について質問が飛び、シャロン氏とアレンがそれに答えた。カロルも初めは心配そうに瞳を揺らしながら話を聞いていた。しかし、アレンがエルフの男と戦った段になると、シャロン氏は未だ興奮覚めやらぬと言った感じで、劇的な誇張を加えつつアレンの活躍ぶりを話しだしたため、カロルは寝物語の冒険活劇を聞く子供のように心躍らせた。アレンが、いや、それは言いすぎですよ、そこは大げさですよ、と都度訂正したのだが、シャロン氏の話が終わる頃には、カロルは最早英雄を見るかのような羨望の眼差しをアレンに向けるようになった。アレンは最後の方には、もう許してください……お願いですから……とシャロン氏に慈悲を乞い、シャロン氏は若干話し足りないといった空気を醸しつつもそれで話を切り上げた。
カロルもまたシャロン氏と同様にすっかり興奮しきって、アレンの手をとると、
「あなたのようなお強い人が当家をお守りになるのは大変ありがたく存じます。是非末永く当家をお守りくださいまし」
と言った。そこでシャロン親子との会話は終了となり、聞くべきことを聞いたカロルは自室へと戻っていった。
「じゃじゃ馬娘だが、いい娘だろう?」
とシャロン氏が自慢げに言った。
「アレンくんは本当に良い青年だが……娘はやらんぞ?」
アレンは身も心もぐったりと疲れ切った。この親にして、あの娘あり。
「アレンさん、今日からこちらをご自分の部屋としてお使いください」
アレンはシャロン家の護衛として、邸宅の一室を使わせもらうことになった。館の主人を救った恩人ではあるが、護衛となった以上は使用人として働くことになる。そのため、使用人が利用する一室を与えられたわけであるが、アレンにとってはむしろその扱いの方がありがたかった。こじんまりとした一室だが、掃除が行き届いていてなかなか居心地の良さそうな部屋にアレンは満足した。
アレンの部屋に案内してくれたミレイユという名のメイドが、そのまま、今日一日屋敷を案内してくれることになった。アレンの部屋をあてがった後は、邸宅の設備等の案内や使用人としての心得などをアレンに教えてくれた。シャロン氏とその娘カロルの二人が使用人たちの主人である。主人の利用する設備と使用人の利用する施設は別れており、アレンは護衛なので基本的には使用人の利用する設備のみが関心の対象となる。主人の利用する設備に関しては簡単な説明と場所の確認だけにとどまった。
「カロル様がいかにお美しくとも、覗きはしてはなりませんよ?」
シャロン氏とカロルが利用する浴室に案内してもらった際に、ミレイユがそばかすの浮いた愛嬌のある顔にいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。この屋敷は今後同僚となる者達もこんな感じばかりか、とアレンは後悔の念を禁じ得なかった。
「冗談ですよ、そんなに辟易とした顔をしないでください」
肩口まで伸ばした赤髪を弾ませながら、ミレイユは冗談っぽく笑った。
屋敷の中を案内された後は外へ出た。
アレンが今朝操ってきた2頭の馬が、厩の中で休んでいた。その横に車庫があったが、利用していた馬車は布を被せられた状態でそこに置かれていた。恐らくは廃車になることだろう。洗ったとしても使用する気にはなれないはずだ。幸い、客室付きではないが、2人乗りの馬車が別に存在した。しばらくはそちらを使うことになるはずだ。今後新しい御者を雇うまではアレンが御者兼護衛となるため、軽く確認はしておいた。
その他、煙突や裏口、今朝くぐり抜けた門や邸宅を囲む壁などを見て回った。室外の設備は護衛としてしっかり確認をすべきものになる。アレンは逐一質問をしながら注意深く観察した。特にどのような場所が死角になるか、どのような場所が奇襲に適しているか、どのような場所が侵入に都合がいいか、等々。
最後に庭園の方を見て回った。
庭園は自然のありのままの美しさを模したテルミナ式庭園だが、自然そのままというわけではない。灌木は見目よくするため注意深く選定され、それらの間を白い石畳がゆったりと心落ち着かせるようなカーブを描きだしている。道の外側には色とりどりの花が咲き誇り、見る目を楽しませてくれる。道の先には人の手で引き入れられた小さな池があり、そのうえにアーチ状の橋がかけられていた。ここは自然の美と人の美意識が手を取り合い、調和という名のワルツを踊るための小劇場だった。
「良い庭ですね」
アレンの口から自然と感嘆の声が漏れた。
「アレンさんは庭園がお好きなのですか?」
「いやぁ、こういう本格的な庭園を見るのは初めてです」
アレンは辺りをゆっくりと見回し、しみじみと眺め入った。
「故郷の風景に似ている……とかなんですかね。なんというか、懐かしいと言うか、何かを思い出しそうになるというか……」
アレンの頭の奥でチクリと何かが刺さるような感覚がした。
「そう、何かを思い出しそうな……何かを……」
「アレンさん?」
突然、ミレイユとは別の声がアレンに呼びかけた。不意に現実に戻ったアレンが振り返るとカロルがそこにいた。
「お庭を鑑賞なされていたのですか?」
カロルは朗らかに笑いながら、アレンに問いかけた。
「ええ、とてもいい趣味の庭園ですね。シャロン嬢」
「私のことは」
カロルは明らかに不服そうな顔をした。
「カロル、とお呼び捨てになってくださいまし」
「……いえ、本日よりシャロン家の使用人として勤めさせて頂くのですから、そのようなわけには参りませんよ」
アレンはあくまで使用人としての節度をわきまえるべく、カロルにそう返事した。
「おお! なんということでしょう!! ミレイユ、今すぐ私に接待用のドレスを着せて頂戴! この分ではイヴニング・ドレスも用意せねばなりませんよ!」
「ほんとに! 本当にご容赦ください!!」
本当にもう勘弁してほしい。アレンは心からそう願った。朝にほんの一瞬だけ邂逅したあの銀色の妖精は一体何処にいらっしゃるのだろう?
「アレンさん」
そういうと、カロルは自然とアレンの手を取った。
「どうしても私のことをカロルと呼んでくれないのですね?」
「……お嬢様、その執念は一体どこから湧いてくるのですか……」
アレンの精神は一体あと何回疲弊させられるのだろうか。そうアレンが思った時。
「アレン」
突然アレンのことを呼び捨てにしたカロルは悪戯めいた表情をするとこう言った。
「カロルと呼びなさい」
その瞬間、アレンの口が本人の意志を無視してあらぬ言葉を紡いだ。
「カロル」
えっ?
渦巻くような混乱が、アレンの頭を真っ白にさせた。心臓が張り裂けそうなほど強く鼓動している。脈打つ血管が耳の奥を塞いでしまう。わけの分からない驚きと恐怖が、アレンをその場に硬直させる。
「驚きました?」
カロルが問うても、アレンは答えることができなかった。
「これが私の『ギフト』なのですよ」
アレンの闘いぶりは
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/3/
アレンが護衛となった話は
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/5/
も参照ください。
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