協力関係
「……食欲ないか?」
ボリスの問いかけに、エマが浮かない顔で頷いた。
今二人は、前日に来た店で朝食を取っていた。エマの前には硬いパンと茹でたハム、長方形に切られた薄めの硬いチーズがあったが、それに手をつける様子はない。
「勿体ないから食べていいか?」
「……いい」
エマが気落ちしたような声で呟く姿を見ながら、ボリスがエマの皿を手元に寄せ、ハムとチーズをそのまま食べだした。
「気になってるのか?」
「……」
「あいつらに何があったかは知らないけどさ。そんな気にする必要なんかねぇよ。どのみち俺たちにできることなんか無いし……今まで通り旅を続けるだけだ」
「そうなんだけど……そのとおりなんだけど……」
ボリスが気のない顔で自分の皿の煮豆を食べるが、エマは瞳を曇らせながら、未練を滲ませた返事をする。
「……昨日会ったばかりじゃねぇか。そんなに落ち込むほどの仲じゃないだろ?」
「……うん」
「どうしてそんなに気になるんだ?」
「……なんていうか……あの三人が、村長を殺すような人たちには見えなくって……なんとなく納得いかないの」
エマが視線を落としながら言うのを見て、ボリスはおもむろにフォークを置き、真剣に話をする体勢になった。
「お嬢。俺だって、まさかあの三人が、って思ったさ。割と気のいい連中だったし、あのお嬢さんもすげぇ高い身分なのに、全然気取って無くてさ。少なくとも、むやみに人殺しをするような奴らには見えなかった。でもよ、さっきも言ったとおり、あそこの屋敷で何が起こったかは俺たちには分からねぇ。何か事情があったのかも知れねぇ。でも俺たちにはそれを知るすべが無いし、それを知る必要も無い」
「分かってるわよ! そんなことは! それでもどうしてもモヤモヤするのよ!」
ボリスが滔々と諭すと、エマがそれを大声で撥ね退ける。
「だって、おかしいじゃない! カロル様達は今日にはさっさとここを出るって言ってたのよ? それがなんで唐突に村長を殺すことになるの? それに、カロル様にはお亡くなりになったシャロン様の遺言を果たすという目的があったのよ? その目的を投げ出して、村長を殺さなければいけなかった理由はなに?」
「だからさぁ」
ボリスは少し苛立つように髪の毛を掻きむしる。
「そんなの俺たちにゃ分からねぇよ。そもそも、村長を殺したのはお嬢さんじゃなくて、あのククとかいう女だって話だろ? お嬢さんたちには関係ない理由で殺したのかも知れないじゃないか」
「それにしたって、昨日の夕方に急に呼び出されて村長の所へ言ったのよ? 最初から村長を殺すつもりだったはずが無い。村長が、偶然にもククさんの仇か何かだったっていうの?」
「まさしく、そうだったかも知れねぇじゃねぇか」
ボリスが椅子に背を預け、腕を組みながら言い放ち、エマは返答に困った。
「……そんなの信じられないわよ……」
エマがそう呟きながら再び俯くと、ボリスは大きくため息を吐いた。
「分かりますよぉ。私も到底信じられないといった気持ちでいっぱいです」
唐突に二人に声をかける者が居た。二人は驚き、声のする方に素早く目を向ける。そこには奇天烈な格好をした怪しい男が居た。
「お前……何者だ?」
「驚かせてすみませんねぇ。私のことは『夢男』とでも呼んで下さい」
「はぁ?」
ボリスが夢男の珍妙な格好と名前に、呆気に取られる。
「そこのお嬢さん。確かエマ嬢とおっしゃいましたか。カロル嬢がそんな犯行を犯すなど信じられないとおっしゃいますが、私も全く同じ気持ちです。三人が無意味な殺人を行うなど、全く信じられない」
「まてまてまて! 勝手に話を進めんな!」
夢男が三流役者のようなわざとらしい身振りを交え、エマに同意すると、それを遮るようにボリスが待ったをかける。
「まずお前は何者だよ? そんな変な格好と名前で突然現れて、当たり前のように話なんか聞けるかよ!」
「それは失礼。話を急ぎすぎましたかね。私も少し焦っていたようです」
夢男がはやる気持ちを落ち着かせるためか、帽子のつばをしきりに弄る。
「私は訳あって、カロル嬢の旅を陰ながら見守っている者です。アレンさんが表の護衛役なら、私は裏の護衛役といったところですかねぇ」
「裏ぁ? あのお嬢さん、こんな胡散臭い奴を雇ってるのか?」
「いえいえ! これは私が勝手にやっていることでして、カロル嬢も他の二人も、私がこうやって陰ながら見守っていることには気付いていませんよ」
「……怪しいやつだな。なんでそんな慈善事業みたいなことやってるんだ?」
ボリスが怪訝な顔で夢男を追及する。
「まぁ一言で言うと、彼らと私の目的が一致するからです」
「目的? そりゃシャロン家の家宝とか言うやつか?」
「どこまで話したら良いか……あれは単なる家宝なんてものでは無いんですよ」
「は? 違うのかよ」
ボリスとエマが不思議そうに夢男を見つめると、夢男は顔を隠すかのように帽子を深くした。
「カロル嬢が探しているものは、この国の、いえ、世界の行く末に大きな影響を与えるようなものでして」
夢男がそう話すと、エマが問いかける。
「世界の? それってこの国の醜聞の類とか? それで国家間の戦争が起こったり?」
「いえ、そういうものではないです」
「じゃあ何だって言うんだよ」
ボリスが苛立つように問いかけると、夢男は首を振る。
「すみませんが、これ以上は私の口からは。もしあなた達が彼女たちの信用を得られれば、自ずと向こうから話してくれることでしょう。それはともかく、その捜し物というのが私にとっては大事でしてね。できればそれを彼女たちに手に入れて欲しい。そうして……」
そこまで言うと、夢男はエマ達には聞こえないほどの小さな声で何かを呟いた。
「……? 最後、なんて言ったんだ?」
「いいえぇ、何も」
夢男がとぼけたような態度をとる。
「それで、私としては彼女たちに目的を遂げてほしいのですが、今回このような訳の分からない事件に巻き込まれて、彼女たちは警察に囚われの身となってしまった。これは私にとって全く予想外の、非常に困った事態です。とは言え、私一人ではどうすることもできません。脱獄の手助けくらいなら出来るでしょうが、それではこの国の警察を敵に回すことになりますからねぇ。ただでさえ敵は多いのに、これ以上無駄な敵を増やしたくないのです」
「敵?」
「まぁカロル嬢を狙っている者達が居るとだけ言っておきましょう。と、ここで話は最初に戻るのですが」
夢男が本題に入り始めた。
「エマ嬢。あなたは、カロル嬢たちがこのような事件を起こすはずがない、そんなことは信じられない、とおっしゃいましたね?」
「え、ええ。私にとっては信じがたいことですわ」
「私も全く同じ気持ちです」
エマの答えに、夢男は口元を緩める。
「しかし、さきほど言ったように、私一人では出来ることが限られてしまい、三人を救い出すのは難しいのです」
私も追われる身ですからね……。夢男は小さく呟く。その言葉はエマ、ボリスには聞こえない。
「そこでですね……」
「まさかお前……」
ボリスが何かを察するが、機先を制するように夢男が口を開く。
「エマ嬢。私と一緒にカロル嬢を解放する手助けをして頂けませんか?」
「断る!!」
ボリスがテーブルを拳で叩きつつ立ち上がり、夢男に迫る。
「エマをそんな危険な目に合わせられるか!」
夢男の胸ぐらを掴むと、強い口調で拒否した。
「ボリスさん、従者のあなたではなく、エマ嬢に聞いたつもりなんですがねぇ」
「関係あるか! 俺はエマの護衛だ! 主人が危険にさらされたら、それから遠ざけるのが俺の仕事だ!!」
「エマ嬢、あなたはどう思っているのですか?」
夢男がエマに目を向けながら問いかける。ボリスは「おい、こんな奴の言うことを聞くな!」と声を荒げる。
「わ、私は……」
エマはボリスの怒気にあてられ、動揺した。しかし、ぐっと歯を食いしばると、意を決して口を開いた。
「私は……何があったか知りたい。確かに私達には関係のない事件かも知れないけど、どう考えてもおかしい。行きずりでこんなことを起こすような人たちには見えなかった」
「お嬢!」
「ボリス、あなただっておかしいと思うでしょ!? そもそも、あのククさんという方が犯人だと分かりきっているなら、カロル様達を勾留する必要ある!? 事が起きた時に自室で眠っていたというなら、なおさら無関係じゃない!」
エマの必死な言い分に、ボリスも夢男から手を離し、慌ててエマの下に駆け寄る。
「お嬢! それは警部も言ってたろ! もしかしたら二人と共謀してるかも知れないから、話を聞くって!!」
「勾留なのよ!? ルメール警部は明言しなかったけど、つまり逮捕されたってことだわ! 明らかに無関係なら事情聴取で済むはず。警部が共謀を疑っているような状況なのよ! だったらククさんの個人的な理由の殺人ではないってことじゃない!」
「そしたら三人で村長を殺すような理由ができたってことなんだろ!! そんなの、俺たちは知る由も無いし、関係ないって俺は言ってるんだ!!」
「私はそれが知りたいのよ! 今日には発つって言ってた三人が、お父様の遺言を果たすっていう目的も放り出して、すぐにとっ捕まるような下手な事件を起こす理由は何!?」
「そんなの……知らねぇよ……! シャロン氏の仇討ちとかじゃねぇの!?」
「だったらその証拠を集めて、裁判に持ち込めば良いだけよ。カロル様ほどの地位があれば、検察も真面目に捜査してくれるわ。少なくとも殺人なんて短絡的な行動に頼る必要はない。それに、お父様の仇討ちだって言うなら、実行犯は普通、カロル様になるんじゃないの? なぜククさん? カロル様が指示したの? ククさんより、従者のゴードンさんが実行するほうが自然じゃない? 三人とも共犯だっていうのは、絶妙に筋が通らないのよ!」
「…………! …………っ!!」
ボリスは反論したかったが、何と言って良いのかすぐには思いつかず、黙り込んだ。
「……ルメール警部が言ってたじゃない。ククさんが逮捕されるのを見て、カロル様が卒倒したって。私はそれが演技なんだとは思えないわ。昨日のカロル様の笑顔が、嘘だなんて到底信じられない!」
気迫のこもった目で睨むエマに、ボリスは苛立ちを隠せず、額に手をやった。
「分かった、百歩譲ってお嬢さん達が犯人じゃないとしよう。だからといって、それがどうした? 俺たちには俺たちの目的がある。キツい言い方だけどな、お嬢さん達のことに、俺たちが首を突っ込む義理なんて無い」
「それは……でも……」
「あのな、お嬢。気持ちは分かる。俺だって助けてやれるなら助けてやりたい。それが人情ってやつだ。だがな、だからといってお嬢がみすみす事件に巻き込まれて良いわけじゃねぇ。俺たちは外国人だ。排外的なこの村で変な行動なんかしてたら、捕まるどころか、袋叩きに遭いかねない。旦那様に頼まれたからってのもあるが、それ以上に俺がそんなことを許せねぇ。お嬢が子供の頃から見てるんだからな。ただ単にお嬢さん達が可哀想だからで、事件に関わろうとするなら、俺はお嬢を抱えてこの村を出るぞ。封鎖だろうが構いやしねぇ。抜け道なんかいくらでも見つけられる」
「…………」
今度はエマが黙り込む番になった。エマは爪を噛みながら、顔をしかめ、なんとかボリスを説得出来ないかを考え続ける。
「理由が欲しいと言うなら、私の方から差し上げましょうか?」
それまで二人の言い合いを傍観していた夢男が突然、声をあげる。ボリスが怒りのこもった目で、訝しげな声を投げかける。
「……何を言って――」
「エマ嬢、あなたは確かご自身の過去をお探しで?」
夢男の唐突な問いかけに、狼狽えながらもエマはこくんと頷く。
「てめぇ……何故それを知っている?」
「私はカロル嬢の影の護衛役を自負していると言いましたね? 失礼ながら、昨日の話もこっそり聞かせて頂きました」
剣呑な雰囲気を発するボリスに、夢男は飄々と答える。
「カロル嬢の探しているものが、ただの家宝では無いという話はしたかと思います。それがエンブレムだという話も昨日カロル嬢から聞いているかと」
「え、ええ……」
「そのエンブレムなんですがね」
夢男は勿体つけるように一つ咳払いして、言葉を継いだ。
「もしかしたら、エマ嬢の記憶を取り戻すのに、一役買うかも知れませんよ?」
「……え?」
「なに?」
エマとボリスは夢男の言葉に耳を疑う。
「そういう力を持っているのですよ」
夢男はニヤニヤと笑いながら、そう嘯く。
「エンブレムの力はそれだけでは無いのですが、一端として、そういう力もあるということです」
「てめぇ! エマを巻き込みたいからって、そんなくだらない嘘をっ!」
「ちょっと、待ってボリス!!」
夢男に殴りかかろうとするボリスをエマが制する。
「夢男とおっしゃいましたわね。それは本当のことですか? 何か証拠はありますか?」
「証拠ですか……なかなか困ることをお聞きになりますね。これに関してはカロル嬢も知らない事なので、なんと言ったらいいか……」
「ほらな、お嬢! こいつは適当言ってるだけなんだ! こんな奴の言うことを信じるな!!」
夢男を指差しながら糾弾するボリス。
「夢男とやら。証拠が無いということは分かりました。それでは次の質問にも答えて下さい」
エマはふぅと一息つくと、口を開いた。
「カロル様も知らない情報を得ているあなたの目的はなんですか?」
「……」
夢男はその饒舌な口を噤んだ。
「あなたはカロル様の影の護衛役とおっしゃいますが、カロル様も知らない情報を手に、影からこっそりとカロル様を監視する。それを護衛役と言いますか? どうみても漁夫の利を狙おうとしている『漁師』に見えます」
エマが夢男に疑問を呈すると、夢男は答えに窮するように帽子に手を掛ける。
「……いやはや。先程の口論でもそうでしたが、なかなかのご慧眼をお持ちのようだ。これでは隠し事は難しそうですね。……話せるところまで話しましょうか。それでエマ嬢の信頼を得られれば良いのですが」
夢男は大きく深呼吸して話し始めた。
「私もエマ嬢と似たような目的を持っているのですよ」
「え?」
「すなわち、自分の記憶の中から、『あるもの』を手に入れること」
「……あるもの? 記憶の中から?」
エマが問うと、夢男はコクリと頷いた。
「それが何かは、プライベートなことなので内緒とさせてください。決して、人に害をなすようなものでは無いことだけは、誓って言えます」
夢男が軽薄な笑みを浮かべながらも、真剣な口調で話す。
「エマ嬢は記憶そのものを、私は記憶の中のあるものを。どうです? なかなか似ていますでしょう?」
「わけが分からねぇな。記憶の中の物を持ってくるだって? そりゃどういうことだ?」
ボリスがなおも疑問に満ちた目で、夢男を見据える。
「まぁそうですね……『情報』のようなものだと思って頂ければ」
「情報?」
「ええ。どうしても重要な情報なのですが、記憶の中に薄れてしまい、再現が困難なのです。私はそれをエンブレムの力で取り戻したい。……なので、エマ嬢の『漁夫の利』という見方は、実際正しいです。横から奪い取るつもりはありませんが、一緒に自分の目的を果たしてしまおうという腹づもりは、正直言って有ります」
「ケッ! 億面もなく正体現しやがって」
ボリスが腕を組みながら、吐き捨てるように言った。
「なので、エマ嬢。私の目的は記憶の一部分を取り戻すことですが、エマ嬢の場合、5歳以前の記憶を取り戻すという意味では、私の目的と同じです。つまり、私の目的が果たせるなら、エマ嬢の目的も同じ様に果たすことができるということです」
夢男がエマを説得にかかる。
「なので、カロル嬢を助け出すことができれば、あなたと私の目的を叶えることができます。そのため、あなたさえ協力して頂ければ、私は全力であなたとカロル嬢を手助けします。決して裏切ることは無いと誓いましょう」
「お嬢、騙されるな。こいつは自分の都合の良いように場を引っ掻き回したいだけの奴だ」
夢男とボリスの言葉に挟まれ、エマが眉間に皺を寄せ悩む。
「……分かりました。真相を知りたい気持ちに変わりない。あなたに協力するわ、夢男」
「お嬢!」
「おお! その気になってくれましたか!!」
ボリスが狼狽し、夢男が喜色満面に答える。
「その代わり、一つあなたに条件を出すわ」
エマが真剣な面持ちで言う。
「はい、なんでしょう?」
「もしあなたが私とカロル様を裏切るようなことがあれば……その時は脚の一本を貰うことにするわ」
エマの言葉に夢男がごくりと唾を飲む。エマの背中に陽炎のように立ち昇る殺気を見た気がした。
「ボリス。手を焼かせるけど、そういうことでお願い」
エマが横目に見ながらボリスにそう言うと、ボリスは頭を掻きむしり、「あー、くそっ」と観念したような声を上げる。
「そこまで言うなら分かった、お嬢。だが、これ以上は危ないと感じたら、有無を言わさずお嬢だけ抱えて逃げるぞ。いくらお嬢の頼みでも、それだけは譲れない」
「分かった。世話をかけてごめんなさい、ボリス」
「はぁ……」
ボリスはため息一つ吐くと、椅子に座って脱力した。
「私達はこのデパルトという外国で、大きなリスクを引き受けようとしている。あなたもそれ相応のリスクを引き受けてもらわなければ、割に合わない。私達の協力が欲しければこの条件、のんでもらうわよ」
「……いやはや、エマ嬢はお若いのに、恐ろしいことをおっしゃる。……良いでしょう。その条件をのみます。元より裏切るつもりはありませんので、私としては特に問題ないです」
夢男にとっては、自身の『ギフト』の力で、脚の一本ごとき造作もなく取り戻せるわけだが、それとは関係なくエマ嬢に対する怖気を感じずには居られなかった。
【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2
【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
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