歓待の夜
老紳士はフェルディナン・マショーと名乗った。村長宅の執事だと言う。
「屋敷内でご用命がございましたら、ご遠慮無くこのフェルディナンにお言いつけ下さい」
フェルディナンはそう言って、ニコリと笑った。
フェルディナンの言葉によると、屋敷では他二名のメイドを雇っているらしい。計三名の使用人を雇っていることになる。しかも交代制というわけでもなく、全員泊まり込みらしい。小さな村の村長とはいえ、それなりの収入があるようだとアレンは思った。
アレン、カロル、ククの三人を乗せた馬車が走り始めたかと思うと、対して会話もしないうちにあっけなく村長の屋敷へと辿り着いた。アレンは「なんとなく遠いのかな」と無意識に思いこんでいたため、少し拍子抜けするような気持ちを抱いた。
村長宅は2階建ての少し幅広の邸宅だった。あまり大きいとは言えないが、このアンガス村においては立派な大邸宅と言えた。
村長宅は村よりも一段、小高くなった丘の上に立つ邸宅だった。ここからだと村の全景が一望でき、なるほど、村長宅にふさわしいと思わせる立地だった。アレン達が泊まっていた宿がここから見える。宿は一階玄関と三階に二部屋分明かりが点いている他は真っ暗だ。あの二部屋はまず間違いなくエマとボリスの部屋だろう。
玄関扉をくぐると、まず目の前に吹き抜けの階段が見えた。階段を中心に部屋が配置されているようで、左右それぞれに2つずつ扉があった。また階段右手側奥にも、目立たないようにひっそりと扉がある。おそらく通用口だろう。また吹き抜け部分から二階を見ると、回廊が階段をぐるりと取り囲み、その回廊から二階の各部屋に入れるようだ。
屋敷へと入るとまず応接室へと通された。玄関から入って右手側手前の部屋で、屋敷の表玄関横の部屋だ。この部屋から村が一望できる。
「いいところですね。少なくともあの安宿よりはずっとマシです」
ククがきょろきょろと部屋を見渡しながら言った。
「でも、本当に良かったのかな……いつの間にか名前を知られていて、突然歓待がしたいなんて言われて、俺は正直、今でも警戒しているんだが」
アレンが腕組みしながら堅い表情を浮かべる。
「すみません……。ご招待を受けておいて、特に理由もなく断るのは少し気が引けるもので……。こちらのお宅とあの宿とどちらが良いと言われて、宿を取るというのは、ちょっと……」
カロルが申し訳無さそうな表情でアレンに答えた。アレンは仕方無さそうに表情を緩めて言った。
「そういうものなのかな……。まぁ、確かに『警戒してるので、そちらにはお世話になりません』とも言い辛いしな……」
アレンは言葉ではそのような事を言うが、いまいち納得しかねるといった顔だ。ククがすっかりくつろいだ顔でソファに深々と身を沈めて言った。
「安全という意味では、あの防犯意識が有るか無きかの宿よりも、よっぽど安全だと思いますけどね。いざとなったらアレンさんも居ますし」
「いや、そんなこと言われると責任が重くて辛いんだが……」
カロルが二人のやり取りを聞いて、クスクスと笑った。
「頼りにしていますよ、アレン」
「ム……」
カロルにそう言われると弱いアレンだ。どう答えるか一瞬では判断が付かず、思わず難しい顔で黙り込んでしまう。
そうこうしていると、アレン達が入ってきた扉とは違う、部屋の奥にあった扉から、一人の男が姿を現した。その男は三人を順々に見渡すと、誰がシャロン家の令嬢であるかを瞬時に見抜いたらしく、どかどかと三人の下へと歩み寄り、ハキハキとした大声でカロルに話しかけた。
「ようこそ当屋敷へ。私がアンガス村の村長を勤めております、ジョセフ・ベルナールです」
そう言って、ベルナールはずいっと大きな手をカロルに差し出し、握手を求めた。カロルは戸惑いながらもそれに答え、どうしたものかと迷いつつ、とりあえず愛想笑いを浮かべた。
ベルナールの第一印象は、なによりもまず「背が高い」ということだった。隣に立たれたら、アレンでも首を曲げて見上げるほど頭が上にある。ククなどは、その頭がようやくベルナールの胸にまで届くかというほど身長差がある。がっしりとした体格の男だが、腹回りは少しばかり肥えているようだ。白髪交じりの黒髪を後ろへと撫で付け、口髭も綺麗に整えられている。髪の生え際が後退した広い額には深々とした皺が刻まれており、村長という仕事の大変さが伝わってくるようだ。そのハキハキとした物腰からは明朗快活な性格が伝わってくる。
三人が自己紹介を済ませ、再びソファに座り込むと、ベルナールも対面のソファにどかっと座る。ソファの脚がギシッと軋んだ。
ベルナールはアレンを見て「ん?」と首をかしげる。
「マクマジェルさんは旅の道連れということですからまだしも、君はシャロン様の従者では無かったかな……?」
ベルナールは困惑したようにアレンとカロルを交互に見る。その様子を見てカロルが弁明する。
「アレンは確かに私の従者ではありますが、歳が近いこともあり、私も友人のように接しております。どうぞ、ベルナール様と席をご一緒することに、お気を悪くしないでください」
「フム……? シャロン様さえ問題無ければ、私としても否やはありません。私は実務家ですからな。形式だ、礼儀だと、とやかく言うつもりはありません。そういうことであれば、えーと、……アレンさんもお客人としてお迎えしましょう。アレンさんも先程は失礼を申しましたな。非礼をご容赦頂きたい」
そう言って、ベルナールはアレンに笑いかけ、アレンも曖昧な笑みでそれに答えた。
アレンは「ああ……言われてみれば、従者が主人と同じ席に座るのは不自然か……」と得心した。ベルナールがアレンの名前を呼ぶ時に少し間が空いたのも、おそらくちゃんと名前を覚えてなかったのだろう。仕方ないとは言え、アレンはちょっぴりだけ、モヤモヤとした。
その後は、特に実入りのある話も無く、ベルナールがカロルのご機嫌取りとばかりに、シャロン家に対する賞賛の言葉を並び立てる時間が過ぎた。カロルも終始微笑みを浮かべそれらの話に相槌を打っていたが、アレンから見ると、なんとなく気疲れしている様が見え隠れした。貴族としての対面を保つのも大変だと思いはしたが、特に喋ることもなく置物と化しているアレンとククである。ただただ何もすることが無い時間を過ごすというのも苦痛で、それに長時間耐えるということは、それはそれで大変なことだった。
そうこうしていると、時計が18時の鐘を打った。それとともに老執事のフェルディナンが、晩餐の準備が出来たと告げに来た。
「シャロン様ほどの方からしたらお粗末な晩餐かとは思いますが、村の食事より少しはマシでしょう。どうぞ食堂へといらして下さい」
そう言って、ベルナールが再び応接室の奥の扉へと消えていった。
三人は一旦応接室から玄関ホールへと出ると、応接室の隣の部屋へと案内された。そこは食堂となっており、長テーブルに高価そうな椅子が並び、真っ白なクロスの上に事前にカトラリーが準備されていた。
食堂にはメイドが二人待ち構えていて、執事と三人、椅子を引いてアレンたちに着席を促した。
一人のメイドは、赤毛を三つ編みに縛った長身の女で、その落ち着き払った所作の端々から、この仕事への熟達具合が伺える。目元がキリッと引き締まっており、瞳には揺るぎない光が湛えられ、アレンに理知的な印象を抱かせた。
もう一人のメイドは、先程のメイドよりも少し背が低く、歳も若そうな、明るい栗毛の女だ。先程のメイドと比べると幾分ぎこちなく、歳の若さも相まって、まだまだこの仕事に慣れきっていないといった印象だ。
二人のメイドは三人の着席を見届けると、一礼をしてから、アレン達が入ってきたのとは反対側にある扉から出ていった。と、それと入れ替わるようにしてベルナールも姿を現した。ベルナールは特に気にするでもなく自分で椅子を引いて席についた。
「まずは食前酒ですな」
ベルナールがそう言うと、執事が突き出しの皿を配膳し、目の前にあるシャンパン・グラスに酒を注いだ。
「シャロン様の栄光を祈って」
ベルナールが簡素な祝福の言葉をカロルに贈り、グラスを軽く掲げた。アレン達もそれに倣いながら、グラスに口をつけた。アレンは口こそ付けたが、念の為、それを飲まずに置いた。
それから間もなく、メイドが食事を持ってきて晩餐が始まった。
前菜、スープ、魚料理と続き、口直しのソルベを挟んで、肉料理、デザートと、次々と目と舌を楽しませる料理が運ばれてきた。アレンはこのように豪華な食事を見たことが無かったので、思わずワクワクしつつ料理に集中してしまった。どうせベルナールの関心はカロルにしかなく、自分たちには発言する機会も無かろうと、目の前の夕食を全力で楽しんだ。そして事実、ベルナールはアレンやククには話しかけず、終始カロルと会話していた。アレンは自分の食事マナーに問題があるかどうかは分からなかったが、まぁ、外国の田舎者ということで許してもらおう、と割り切った。
時計の鐘が21時を打ち、夜も更けたということで晩餐が終わった。
アレン達は若いメイドの方に二階の客室へと案内された。二階へと上がった階段の正面に大きな両開きの扉があり、カロルはほろ酔いも手伝ったのか、そこの部屋は何かと問うと、メイドは「旦那様の書斎になります」と微笑みながら告げた。正面の壁には右手側にもう一つ部屋があるようだったが、扉の位置から推測すると、書斎がかなりの割合を占めているようだ。
階段上がって左手側の壁沿いに、客室が並んでいるようだ。一番手前の客室は書斎と隣り合っている。ククがその部屋に割り当てられ、それにカロル、アレンの部屋が続いた。
「それではお休みなさいませ」
部屋を割り当て、三人に客室の鍵を渡すと、メイドは一礼して一階へと戻っていった。
「ああ~、気疲れした上に酔っ払いました……」
カロルはそう言って、自分のベッドに、ぐでっ、と突っ伏した。今三人はカロルの部屋に集まっている。
「お疲れさん、カロル」
アレンが労いの言葉をかけると、カロルはキッとアレンを睨んだ。
「アレンったら他人事のように! 私がベルナールさんに対応してる時に、隣で、もがもが、もがもが、夕食楽しんでるんだもの。ずるいったらありゃしないです」
そう言ってカロルは頬をぷくぅと膨らませたので、アレンは焦った。
「い、いやさ……だって何も喋れることが無かったんだから仕方ないじゃないか……」
アレンがもごもごと言い訳すると、ククがカロルに乗じてアレンを非難した。
「それにしてもガツガツ食べちゃって、まぁ、はしたないったら……。フォークとナイフも逆から使ってましたし……」
「え? 左手と右手間違えたってことか? そんなわけないだろ?」
「そうじゃなくて。カトラリーは外側から順に使うんですよ。適当に使ってたでしょ」
「そんな……だって俺そんなん知らなかったし……」
アレンは二人に口撃されてタジタジとした。
「私はテーブルマナーは別にどうでも良かったですけど、私が大変な時に自分だけ料理楽しんでたのずるい……」
カロルはそう言って、ふくれっ面でふいっと顔をそらした。
「悪かったよ……。ああいう料理初めてだったんで、つい興奮して楽しんじゃったんだよ……。結構美味しかったし……」
「そう言えば、料理美味しかったですね。村長宅とは言え、このように小さな村だったんで、正直言って期待してなかったのですが」
ククが思いついたように、先程の料理を賛美し始めて、カロルがガバっと飛び起き、それに同意する。
「確かに美味しかったですね。あのメイドの方たちが作ったのでしょうか? 良い腕前だと思います」
「特にポワソンが良かったですね。魚も新鮮なようでしたし、ソースも絶品でした」
「私はじゃがいものポタージュが良かったですね。舌触りなめらかで、ほのかに甘みがあって……」
そう言ってカロルとククが料理の話できゃいきゃい騒ぎ始めたので、アレンもこの流れに乗らいでか、とばかりに話に混ざろうとした。
「俺は肉が美味しかったな。味が濃くて、肉の旨味があって……」
しかし、その言葉にカロルとククが少しばかり呆れたように顔をしかめた。
「肉料理ですか? 肉は微妙に感じましたけどねぇ。作ってくれた方に悪いと思いつつも、少しだけ食べて残してしまいました。まぁお腹壊すので、どっちにしろ残すつもりでしたが」
「私も肉料理だけは少し、微妙な感じが……。何か、珍しい香辛料でもまぶしてたのか、結構癖のある味と香りだったもので……。ソースの味付けも濃かったですし……」
二人の言葉にアレンが「えぇ……」と悲しい顔をした。
「俺的にはあの味の濃さが良かったんだけどな……」
それを聞いてククが「バカ舌……」と呟きながら、ふいっと顔をそらした。
「おい、今なんて言った?」
「おっとそろそろ寝るに良い時間ですかね」
アレンが目を眇めながら問うのを無視しながら、とぼけたようにククが言った。
「カロルもお疲れでしょう。さきほどからうつらうつらしてますよ」
「はい。実はそうなんです。一気に気が緩んで眠気が……」
確かにカロルが先程から眠たげな目をしきりにこすりながら、体をふわふわと揺らしていた。そうして、ボフッとベッドの上に体を倒した。
「じゃあこれで解散か。……本当は明日以降の動きをどうするか決めたかったんだがな……」
「まぁ、今日はこんな感じで予定外のことが起こったんで、仕方ないですよ。明日早めに起きて対策を立てましょう」
「そうするか」
アレンとククが会話している間、カロルはベッドに倒れた時点で限界を迎えたのか、一瞬で眠りに就いてしまったようだ。すやすやと穏やかな寝息を立てている。アレンはカロルをベッドに正しく寝かせて、毛布をそっと掛け、ククとともに部屋を出た。
するとそこで意外な人物と出くわした。
「お前ら……」
「お前は……」
そこには昼間、アレン達に絡んできた、あの三白眼の青年がいた。青年が驚きながらアレン達に問うてきた。
「お前達、なぜここに……?」
「俺たちは村長に招待されて来たんだ。お前こそどうして?」
アレンがそう問うと、青年は「ハッ」と嘲った。
「俺は村長の息子だよ」
「なに?」
「アンドレ・ベルナールだ」
青年は腕組みしながら傲岸不遜な態度で答えた。
「それよりよぉ、昼間、俺はこの村から出てけって言ったよなぁ? どうしてここに居るんだよ、野良犬野郎」
「知るかよ……村長に呼ばれたから俺たちはここに来たんだ……。てめぇの親父にでも理由聞いてみろよ」
「あぁ? その口はてめぇのケツ穴か? なにクソ垂れてやがんだこのボケナス」
「この野郎……」
「ちょっと、二人とも止めてくださいよ。ここ村長の家ですよ……」
危うい空気を感じ取ったククが、二人を止めに入る。ククに掴まれるアレンを見て、アンドレが虫を見るような目で二人を見下す。
「どうなっても知らねぇぜ……」
そのような捨て台詞を吐いて、アンドレは歩き去り、2階にある部屋の一つへと消えていった。
「あいつ、村長の息子だったのか……どうりででかい態度なわけだ……胸糞悪ぃ……」
「……同意します。私も正直奴をぶん殴りたくて仕方なかったです」
アレンとククはアンドレが入っていった部屋の扉を見つめる。
「村長には歓待してもらっておいて悪いですが、明日はすぐにこの村を出ましょう」
「……そうだな、そうしよう」
アレンは気を落ち着かせるため、ふぅー、と深呼吸をした。
「じゃあアレンさん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
そう言い合って二人はそれぞれの自分の部屋に戻った。アレンは自室の鍵をかけると、ベッドへと倒れ込んだ。
「リュテか……実際どうなんだろうな……」
アレンはうつらうつらとしながら、これからのことを考えた。
「特務機関もいるし、旗持ちもいるだろうし……やっぱり俺だけ乗り込んだ方が良いかな……」
アレンは夢と現のまどろみの中、自分たちの敵、障害となる者達からどうやってカロルを守るべきかを考えていた。
「明日……二人に伝えるか……眠い……」
アレンの目がすぅっと閉じられる。
「カロル…………俺が……守るから…………」
そう呟いたところで、アレンの意識は夢の中へと落ち込んでいった。
時計の針が23時を回った頃。
館中に絶叫が響き渡った。
書斎の扉を叩く音が響く。
「旦那様? 旦那様!?」
赤毛の長身のメイドが、書斎の外から村長に呼びかける。後ろの階段を、誰かが上ってきた。
「マリー! さきほどの叫び声は……!? 旦那様は!?」
マリーと呼ばれた赤毛の長身メイドは、三つ編みごとぶんぶんと首を振った。
「私にもわかりません、フェルディナンさん。扉に鍵が掛かって書斎に入れないのです。寝室に旦那様がいないことは確認しました」
「私のマスターキーで……」
そう言って、執事はジャラジャラと鍵束を取り出し、そのうちの一つを鍵穴に差し込んだ。
二人が鍵の開いた扉を開き、書斎に入ると。
「!? だ、旦那様っ!!」
書斎机の横に血だらけで倒れている村長と。
「こ、これは…………違うんです……」
血まみれで立ち尽くすククが居た。
【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2
【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
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