思わぬ訪問客
五人は宿を出て、村に存在する唯一の食堂に向かった。
食堂は間口を大きく開いた店で、テーブルと椅子で埋め尽くされた店内の席に、村人と思われる10人ほどの集団が、やかましい声を上げつつ愚痴混じりのお喋りに興じていた。
アレン達が店に現れた事に気づくと、談笑をふと止めて、少しの間じぃっとアレン達を見たかと思うと、すぐに興味を失ったかのように再び談笑を始めた。しかし、前よりも少しばかり声が潜められたような気がするのは気のせいだろうか。
その様子にチクリと差すような微かな嫌悪感を抱きつつ、なるべく店の奥のテーブルを選んで腰を下ろした。
不景気そうな顔をした陰気な店員が無言でテーブルに近づいてきた。皆が注文をすると、うむとも、コクリともせず、そのまま無言でのろのろとキッチンへと向かい、五人の注文を伝えた。料理人と思われる男の声が「あいよ」とつまらなそうに答える。
「……ところで、お嬢はまだ青年の名前を知らなかったな」
なんとも言えぬ雰囲気の中、ボリスが努めて明るい声を上げた。
「この青年は、アレン・ゴードンさんと言うそうだ。シャロン家のお付きの人らしい。それから、ええと……」
ボリスはそこまで言うと、ククの方をチラと見た。
「私はクク・マクマジェルです。なんと言えばいいか分かりませんが……この二人とはちょっとした縁があって、一緒に旅をさせてもらっています。どうぞよろしく」
ククが自己紹介すると、エマは大儀そうに頷いた。
「私はエマ・シャルロッテ・フォン・ノイラートよ。ウェルゲッセンから来たわ。それからこのでかいだけの木偶の坊はボリス・バーレク。私の世話係兼護衛よ」
「お嬢、でかいだけの木偶の坊はひでぇ言いようだなぁ……」
エマの紹介にボリスが少し傷ついたように眉をハの字にする。エマはそしらぬ顔でツンとしている。
「ええと、ところで」
カロルが挙手をしながら、質問した。
「エマ様は何のために旅をなさっているのですか?」
カロルの言葉に、エマは慌てたように顔を赤くさせ、少しだけ頭を垂れた。
「カロル様。私のような下級貴族にかしこまる必要はございません。どうぞ『エマ』とお呼び捨てになさって下さいまし」
「それならば、エマも私のことを『カロル』と気安く呼んで下さい」
「まさかそんなこと!!」
エマはますます恐縮して、肩を縮めた。
「お嬢さんがああ言ってくれるなら、良いんじゃないの、お嬢? すまんねぇ、お嬢さん。お嬢ったら今まで友達がいなくて、そういう気安い感じに慣れてないんだよ。お嬢の練習にもなるから、気楽に話しかけてくれると助かるよ」
「ボリス!!!」
エマはボリスの軽い物言いに顔を青ざめさせたかと思いきや、すぐに顔を紅潮させてボリスを叱りつける。しかし、その言葉にカロルが瞳を輝かせて頷いた。
「ええ! 勿論そうさせて頂きます! 私が『お友達』のなんたるかをエマに叩き込んで差し上げます!!」
「いいぃ……!」
エマは驚きと困惑がないまぜになった、言葉にならないうめき声を上げた。アレンとククは顔を見合わせて「……カロルが何を叩き込むって?」と、こっそり視線で会話した。
ククが軽く咳払いをして、エマに話しかけた。
「あの、それで、お二人の旅の目的は……」
「そういや、そういう話だったな」
ボリスが答えた。
「一言で言えば、お嬢の『ルーツ』探しかな?」
「ルーツですか?」
ボリスの言葉にカロルが聞き返した。
「そう。さっきも紹介したとおり、お嬢はウェルゲッセンのノイラート家の娘なんだけど……実のところ言うと、旦那様の実の娘じゃなくて……養子なんだ」
ボリスが少し真面目な顔で笑みを浮かべながら、答える。
「お嬢が五歳くらいの時だったか、旦那様がエマを連れてきてな。遠縁の親戚の娘なんだが、事情があって預かることになったから、エマの面倒を見てくれって言われてな。それが10年くらい前の話か……それからずっと、このわがままお嬢の教育係さ」
ボリスが少し懐かしみながら語る。
「ボリス。誰がわがままですって?」
「お嬢のことに決まってんでしょ。ったく、俺が教育したのに、なんでこう、じゃじゃ馬に育っちゃったかね」
そう言いながらボリボリと後頭部を掻くボリスに、エマが怒りの表情を浮かべる。
「私がわがままに育ったって言うなら、それはあんたの責任でしょ!!」
「うそぉ? 俺は何処に出しても恥ずかしくない、立派なレディに育てたつもりよ?」
「嘘おっしゃい! 屋敷の中で24時間耐久かくれんぼして、私と一緒にお父様に怒られたくせに!!」
「お嬢一人に罪は背負わせられないからな……父親代わりとして!!」
ボリスがその白い歯を輝かせながら、格好つけたポージングをする。エマが、むきーっ! と地団駄を踏む。
「本当に心の底からムカつく!! 誰が私の父親よ!?」
「反抗期かな?」
「いい加減にしなさい、ボリス!!」
エマが怒りのため思わず叫ぶ。
「あの、お二人とも」
ククが仲裁に入った。
「そのくらいで、そろそろ……」
そう言いながら、ククがちらっと後ろに目線だけ送る。
その後ろでは客たちがこちらを無言で見つめている。中には明らかに迷惑そうに顔をしかめているものも居た。
エマはそれに気付くとオホンと咳払いをして、会話を仕切り直した。
「と、とにかく、ボリスの言ったとおり、私は元々はノイラート家の者ではないのです。それで、自分がどのような者なのかを知りたくて、家を飛び出して自分の過去を探し回っているという次第です。お父様に以前聞いたところによると、元々はデパルトの家系らしいという事までは聞き及んでおりまして、こうしてデパルト中を旅して回っています」
エマの説明が一段落つくと、今度はアレンが質問した。
「その、家の者はノイラートさんのそれまでの暮らしについては知らなかったのか?」
その質問にはボリスが答えた。
「うーん、旦那様はお嬢の元々の家に不幸があって、孤児になってしまったから引き取った、としか言わなくてな。俺もそれ以上は知らないんだ」
「エマは、昔のことは覚えていないのですか?」
カロルが質問する。
「いやぁ……まぁ……」
ボリスが言い淀んで、エマの方に目配せした。エマが軽く息を吐いて、口を開いた。
「いいわよボリス、私が説明するから。隠すことでも無いわ」
そう言って、エマが少し目線を落としながら言葉をついた。
「私、5歳より前の記憶が無いのです」
「記憶が?」
「そうです。ノイラート家に引き取られた辺りの記憶は朧気にあるものの、前の家に居た時のことはさっぱり……」
「……しかし、5歳より前ですよね? それは、覚えていなくても不思議は無いのでは?」
ククが疑問を口にすると、エマが首を振った。
「それにしても、全く無いのもどうかと。……本当の父と母のことも、少しは覚えていても良さそうなんだけど。前の家に……不幸……があったと言うなら、それも少しくらい記憶に残っていても良さそうなのに……」
そう言ってエマが顔を俯ける。その様子にアレン達はいたたまれない気持ちを抱いた。
「……ま、そんなわけで、お嬢は自分が何処の誰だったのかを知りたい気持ちが爆発しちゃって、旦那様と大喧嘩したあげく、その勢いで家出して、俺がそれに付いていくことになっちゃったわけ。……面倒くさいことに」
「だったら今すぐ家に帰ってくれてもいいのよ、ボリス」
「いやぁ、旦那様についていってやれって言われちゃったし。お嬢一人で旅させるのは流石にまずいし」
ボリスの言葉に、エマはむくれた顔でそっぽを向いた。ボリスは苦笑を浮かべる。
「ところで、お嬢さん達は何のために旅を?」
今度はボリスがカロル達に質問を投げかけてきた。
「私達は……ええと……」
カロルがどのように答えるべきかと、少し考える。
「その、私の父が亡くなったことは……」
「存じております。まことにお気の毒なことでした。カロル様のご心痛、お察しいたします」
そう言って、エマが目礼をした。
「いえ、起こってしまったことは仕方ないので……。それで、父の遺言で、我が家の大事な物を何処かに隠したらしく、それを探しに旅に出ています」
「大事な物? それは家宝的な?」
ボリスの問いに、カロルが頷く。
「ええ。まぁそのような物です。父が今際の際にそれを探してほしいと私に遺言を遺しまして、それで……。そうです、すみませんが、ついでなのでお聞きしたいのですが……」
カロルはそう言って、エンブレムについて何か知らないかと二人に質問した。二人は首を横に振った。
「いや、そういうのは見たこと無いな」
「私もです。お役に立てず、申し訳ありません」
「いえいえ、そんな! というか、エマはもう少し気安く話してくださいよ。私達、『友達』じゃないですか!!」
「え、ええぇ……。い、いえ、まさかシャロン家のご令嬢にそんな気安くは……」
カロルが鼻息荒くしながら主張すると、エマが困ったように否定する。アレンとククは「いつのまにか勝手に友達にしてるの怖っ……」と心の中で思ったが、口にはしなかった。
「なんだお前ら? 見かけない顔だな。余所者か?」
突然、アレン達に声をかけた者がいた。
五人がそちらに目線を送ると、そこには一人の男が居た。
男はこざっぱりとした服に身を包んだ青年で、少し長めのくすんだ金髪を真ん中で分けている。タレ気味の三白眼が五人を見下ろしている。
アレンが剣呑な雰囲気を発しながら、男を睨み返した。
「俺たちはただの旅行者だ。お前こそ何者だよ?」
「ああ? なにいい気になってでかい面してんだタコが」
男がアレンの気勢に少しも怯むこと無く返してきた。
「この村はなぁ、何度も戦火に焼かれながら、その度復興してきた村だ。ここの村人は余所者を決して受け入れねぇ」
男が荒い言葉を吐く裏で、店の客たちが無言でこちらのやり取りを眺めている。アレン達はそれを見て、不快な気持ちを抱きながら、無言で男の言葉を聞く。
「いいか、忠告するぜ。用事が終わったらこの村をさっさと出ていくことだな。面倒なことに巻き込まれたくなけりゃ、な」
「俺たちは一晩の宿を借りに来ただけだ。言われなくてもこの村はすぐに出ていく。お前のような不愉快な奴の顔をこれ以上見たくないからな」
アレンがそう言い返すと、男はケッと唾を吐く真似をする。
「忠告はしたぜ。後は勝手にしろ」
そう言って、男は踵を返し、店を出ていった。客たちはその後姿を見送ると、何事も無かったかのように談笑に耽り始めた。
「……来たときから思っていたが、なんなんだこの村は……本当に不愉快な連中ばっかりだ」
アレンが悪態を吐くが、今度はカロルもククも何も言わない。ボリスがテーブルに両肘を突きながら呆れたように言葉をつく。
「なーんか、排他的よね、この村。俺たちはあんた達のちょっと前にこの村着いたんだけど、やっぱり歓迎されてない空気は感じたわな。外国人にちょっと厳しいな、この村は」
「私とカロルはこの国の出身なんですけどねぇ……やっぱり不快な感じは拭えませんね」
ククがボリスに同意するように告げる。
「なんでも良いわよ。ゴードンさんの言うように、私達もすぐこの村を立つつもりだし」
エマがすまし顔で言う。
「昼食を済ませたら、さっさと宿に引っ込んで、明日になったらこの村を出るわ」
五人が昼食を終えると、外はにわか雨が降り始めた。
小麦の籾がザルの上を流れていくようなザラザラとした雨音の中に村が沈んでいる。ほとんど暗闇のような店内から、向かいの住宅や商店が青みがかった灰色に染まって、店の入口に四角く切り取られている風景が見える。土がむき出しになった地面に雨煙が霞み、ぬかるみの合間に黄土色に濁った水たまりが無数に出来て、幾つもの雨の波紋に揺れている。店員が、外にはみ出たテーブルと椅子をのろのろと片付けている。雨に濡れた前髪が顔に張り付き、さながら幽鬼のように生気のない表情を浮かべながら、淡々と手と足を動かしている。
五人は雨が止むのを待ってみたが、一向に止む気配はなく、皿を取り下げに来た店員にギロリと睨まれたのも不愉快で、意を決して雨の中を走って、宿へと戻った。
「あー濡れた濡れた」
宿の中へと退散すると、ボリスが髪や頭に付いた水滴をぐいっと手のひらで拭いながら、ひとりごちる。
「すまんが、何か拭くものはないか」
アレンが宿の女主人に告げると、大義そうに大柄な体を椅子から持ち上げ、店の奥に引っ込むと人数分の布を持って戻ってきた。つまらなそうにそれをアレンに渡すと、カウンターへと引っ込み、帳簿らしきものをペラペラとめくり始めた。
「……もう、この対応にも慣れてきた気がするな」
アレンが布を皆に配りながら呟く。
「……少し寒いですね。服も乾かさないと」
カロルがそう言って、暖炉の前に陣取った。肌寒い気温になってきたため、女主人が暖炉に火を入れたようだ。暖炉の口が煌々と赤く燃えて、薪の爆ぜる音が響く。
「……私は部屋に戻るわ」
そう言ってエマがさっさと階段を上っていった。
「おーい、服乾かさなくて良いのか? 臭くなっちゃうぞ?」
ボリスがそう声をかけると、エマはぐっと堪えるような表情をした。
「……服脱いだら渡すから、乾かしといて……」
エマはそれだけ言い残すと、今度こそ本当に部屋まで戻ってしまったようだ。
ボリスが困ったようにラウンジを見渡した後、嘆息した。
「……そうか、じゃあ俺も。お嬢さん方、また明日な」
そういってボリスがエマの後を追った。
「大変だなボリスも」
「同じぼっちのお嬢さんでも、カロルとはえらい違いますね」
「ぼっちは止めてくださいってば!」
三人は暖炉の前に身を寄せ合いながら、体が温まり服が乾くまで、他愛もない会話を続けた。
ラウンジにあった大きな振り子時計が四回鐘を撞いた。
アレンが部屋に戻って休んでいた所、部屋の扉がノックされた。アレンが扉を開けるとそこには女主人が居た。
「あんた方に客だよ」
「客? 俺に?」
「あんた達三人だよ。うちの村の村長の使いさ」
女主人は腰に手を当てながら告げる。
「下で待ってるから、早く行きなよ。他の二人にも、あんたから伝えときな。あたしゃ忙しいんだからね」
そう言って女主人はその恰幅の良い体をのっしのっしと運び、やがて階段へと消えた。
「忙しいって……こんな客の少ない宿でかよ……? いや、それより客? 村長の使いとか言ってたな……」
アレンは愚痴と困惑を口にしながら、部屋を出て、カロルとククがいる部屋に向かった(ちなみに、ククにアレンとの仲を怪しまれたためか、カロルは三人それぞれに一部屋ずつ取ったようだ。内心チクショウと悪態を吐いたのは内緒だ)。
アレンはカロルとククに客の訪問を伝えると、当然ながら二人も驚いたようだ。首をかしげながら階段を下りると、そこには一人の老紳士が居た。ロマンスグレーの髪と髭を蓄え、柔和な目に丸メガネを掛けた、温厚そうな老人だ。
「シャロン様御一行ですか?」
老紳士が出し抜けにそのようなことを言う。なぜ、カロルのことを? とアレンが身構えていると、老紳士が慌てたように弁明した。
「いや、驚かせてしまい申し訳ありません。この村はこのように訪問者の少ない村でございますから、誰かいらっしゃると、その噂がすぐに村中を駆け巡ってしまうのです。それで、シャロン家のご令嬢の方が、どうやらこの村にいらしたらしいと言う噂が、私の仕える旦那様……アンガスの村長であるジョセフ・ベルナール様のお耳に入りまして、よろしければ是非当屋敷にて、シャロン様を歓待したいと」
そう言って、老紳士は深く腰を曲げた。カロルが困惑するように口を開いた。
「歓待……ですか?」
「旦那様は、シャロン様ほどの御仁を粗末に扱うことなどとんでもない、できることは限られども、せめて精一杯のおもてなしをしたいとのことです」
老紳士の言葉に三人は互いに顔を見合わせた。
「外に馬車を用意しております。是非、ベルナール様のお屋敷へとおいで下さい。ささやかではありますが、夕食のご用意をしております」
そう言って老紳士は、今一度深く腰を折った。
【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2
【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
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