エマとボリス
翌日、老夫婦に別れを告げて、三人はアンガス村へと出発した。
生憎の曇り空で風は少し肌寒く、薄暗い空気が三人を口数少なにした。村が近いこともあり、前日よりも速く馬を飛ばす。すれ違う人の数は前日とさほど変わらないが、風を少しでも防ごうとシャツの襟を合わせ、周りに目もくれずムスッとしながら進む人たちは、なんとなく陰気に見えた。
おそらく正午を少し過ぎた辺りから、周りに家屋がちらほらと散らばり始め、柵で囲われた牛や豚も見られるようになった。荷車を引く農夫や、こちらをぼーっと見つめる子供達の姿が目立つようになり、どうやら村の辺縁までたどり着いたということが分かった。
教会らしき尖塔が近くに見えるようになった辺りで、三人は馬を降り、村の中心へと歩き出した。
「なんというか、ちょっと歓迎されてない視線を感じるな」
アレンは村に入ってからずっと感じていた感想を口にした。すれ違った村民たちは漏れなく三人へと注目してくるのだが、その顔は無感情で、少し眉を顰め視線をこちらにやったかと思うと、興味も無さそうにふいっと逸らす。カロルが粘り強く挨拶の声をかけていたのだが、目礼を返す人はまだマシな方で、大半は反応もせずに通り過ぎていく。関わる気など、さらさら無いといった心の内が透けて見えるようだった。
「外の者に敏感な村人は珍しくないですからね。私も旅をしている間に何度もこういう光景は見かけました。気にしないことです」
ククが何でもないように言い、アレンが頷いた。
「そうだな。どうせリュテに入る前の一時的な滞在だ。方針だけ決まったら、さっさと出ていってしまおう。まずは宿だな。教会の近くまで行けばあるだろう」
馬を引いて歩いている内に、村の中心を貫く大道路に出た。密集した背の低い民家の間に、ポツポツといくつかの食堂や商店は見かけるが、天気のせいもあってか店内は薄暗く、店番と思われる男や女があくびをしながら、つまらなそうにカウンターに肘を突く姿ばかり見受けられた。この村を通り過ぎる旅行者や商人たち向けに商いができるのではないかと思うのだが、彼らからは商売っ気のひとかけらも感じとれず、その姿を見れば通行人達もいそいそと村を通り過ぎて、次の町へと急いでしまうのではないかと思われた。
やがて、この村で唯一と思われる宿を発見した。3階建ての漆喰を固めた木造建築で、このうらさびれた空気を漂わせる村にしては意外に大きく感じられた。
宿の玄関口まで近づいた辺りで、そこに少女が一人、手持ち無沙汰な感じで、脚をぶらぶらと揺らしながら立ち尽くしているのを見かけた。
少女は所々に濃い紫をあしらった黒いドレスの上に、少し赤みがかった紫のケープを羽織っていた。スカートはパニエで膨らませており、その裾から白タイツを履いた細い足が伸びている。
赤みがかった茶色の髪は背中まで垂れてゆるくカールしており、少女のシルエットを柔らかく広げていた。目尻が少しだけツンと上向いた浅葱色の目は、少女の勝ち気そうな性格を表しているように思えた。
少女は三人の姿に気付くと、少し怪訝そうに目を細めた後、そそくさと扉を開け、宿の中に入ってしまった。
「……旅行者だと思うが、この村は旅行者もあんなのばかりか?」
アレンがげんなりとした様子で呟き、カロルが「まぁまぁ」と宥める。
「まぁいいや。ちょっと宿の主人に挨拶してくる」
そう言ってアレンは馬をククに預けると、さきほど少女がその奥へと消えた扉を開き、中へと入った。
宿の中は非常に薄暗く、昼間だと言うのにランプを付けていた。この天気では仕方ないとも思うが、そもそもの窓の数が少ないため、日差しがあってもそれほど明るくならないのではないかと思う。
カウンターの奥にはこの宿の女主人と思われる、大柄な婦人が椅子に座りながら大衆紙と思われる新聞を読んでいた。扉を開いたアレンの姿に一瞥をくれると、「客かい?」と無愛想な言葉をよこした。
「ああ、三人で一晩泊まりたいんだが、部屋はあるか?」
アレンが返事を返すと、女主人は鼻息をフンと鳴らして、
「一人25ルブラ」
とだけ答えた。
「……馬を二頭預かって欲しいんだが」
とアレンが質問すると、女主人は新聞を畳みカウンターへと投げると、親指を後ろへと差した。
「宿の裏手に留場があるから、そこを使いな。飼い葉が欲しけりゃ、一頭あたり3と半」
「……分かった。よろしく頼む」
アレンがそういうと、女主人は勤めを果たしたとばかりに、また新聞を読む作業に戻った。
アレンはもやもやとした不愉快な気持ちを抱えながら、宿を出た。
「……本当に不愉快な村だここは。正直言って野営のほうがまだましだ」
アレンは二人に合流すると、開口一番に不満を漏らした。カロルがキョトンとする。
「何かありました、アレン?」
「女主人にすげぇムカつく対応された……。まるで看守が囚人を扱うかのような態度で接してきやがってさ……!」
アレンが頭を振りながら憤慨しているのを見て、ククが同情するように言った。
「まぁ、今夜一晩の我慢と思いましょう。馬はどうします?」
「宿の裏手だってよ」
憤懣やるかたないアレンが、二人の手綱を受け取り、馬を誘導しようとする。しかしその感情を敏感に感じ取ってか、忙しなく足踏みしながら頭を振ったり、首を大きく後ろに伸ばし手綱を引いたりと、なかなかアレンの言うことを聞いてくれない。見かねた二人が手綱をとって誘導すると、馬は素直にこれに従って蹄を鳴らす。それを見送ると、アレンは空を仰ぎ見て「あー、くそっ……」と一人呟いた。
宿に入り、チェックインの手続きをする。
三人分の部屋代と飼い葉二束分の代金を渡すと、女主人はつまらなそうな顔で金額を確認した。それが終わると、カウンターを跳ね上げて玄関扉の前まで進み、「飼い葉渡すから、こっちへ来な」と言いながら顎をしゃくった。
カロルとククの後ろをついて行こうとした時、突然、後ろからアレンに声を掛ける者がいた。
「よう! あんた方も旅行者かい?」
アレンが振り返ると、一人の男が笑顔で手を振っていた。
その男は茶色い厚手のジャケットに黒いインナー、緑がかったオリーブ色のズボンにブーツを合わせた、体格の良い男だった。年齢は20代後半から30代前半といったところか。ボサボサと跳ねるライトグレーの髪を後ろで一つに縛り、頬から顎にかけて無精髭を生やしている様は、男の大雑把な性格を思わせた。灰色がかった青目が親しげに細められ、アレンの姿を捉えていた。
「ああ、そうだ。あんたもそうか?」
「ああ。この国の色んなところを周ってる途中さ。俺はウェルゲッセンから来たんだが、あんたは?」
「俺はテルミナだが、同行者は二人共この国の人間だ」
「同行者って、さっきの二人のお嬢さんだろ?」
そこで男はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、アレンに顔を近づけ声を潜めた。
「兄ちゃんも隅におけないねぇ! よその国から来てあんな美少女二人侍らすなんてさ、やるじゃーん! なぁ、どうやって捕まえたんだよ?」
アレンは後ずさりながら、嫌悪感に顔をしかめた。
「そんなんじゃねぇよ……。俺はあの銀髪の子の単なる従者で、もう一人は途中知り合って意気投合した結果、一緒に旅をすることになっただけの関係だ」
「従者? するってぇと、あの銀髪のお嬢さんは貴族ってことか」
男は興味深そうに相槌を打って、笑顔を浮かべた。
「奇遇だな、実は俺も貴族のお嬢さんの従者でよ。俺たち気が合うかもなぁ!」
そう言って、男は親しげにアレンと肩を組んだ。アレンはその軽い調子にげんなりとした表情を浮かべ、男を半眼で睨む。
「そうかぁ? 俺はあんたのようなノリがちょっと苦手なんだが……」
「そう言うなよ。テルミナ人はつれないねぇ!」
そう言うと男は笑いながらアレンの肩をバンバンと叩く。そうして、アレンに握手を求めた。
「俺はボリス・バーレクってんだ、よろしく、なっ! お前さんは?」
「アレン・ゴードンだ。よろしくしなくていいぞ」
アレンはしかめっ面を浮かべながら、ボリスと握手した。その時、カロルとククが戻ってきた。
「アレン、とりあえず飼い葉は後で食べさせ…………どうしました?」
見知らぬ男と握手しているアレンをカロルが不思議そうに見つめる。
「ああ……なんか見知らぬオッサンに絡まれちまって……」
「おいおい、もうちょっと、こう、いい感じに紹介してくれよ、青年!」
ボリスがアレンに訴える。アレンはいかにも面倒くさそうに、それをあしらう。
「ウェルゲッセンから来た貴族の従者のオッサンだ。名前は知らなくていいぞ」
「ボリス・バーレクだっ! よろしくな、お嬢さん方!!」
「は、はぁ、どうも……」
ボリスのノリに少し気圧されながらもカロルは挨拶を返す。ククは何の感慨も浮かばない顔でそれを見守っている。
「うちの気まぐれお嬢のわがままに付き合ってな、この国のいろんなところを旅して周ってるところなんだ。聞けばあんたらも旅の途中なんだって? じゃあ旅仲間ってことで、この先また出会うこともあるかもしれないからな。ご挨拶を、と思って」
「だーれが気まぐれでわがままよ、ボリス」
ボリスがカロルに話しかけていると、その後ろから突然声が掛かった。その場の全員がそちらに視線をやると、そこには先程玄関前に居た少女が、腕を組みながら偉そうにふんぞり返っていた。
「お嬢のことに決まってるでしょ。さっきも、こんな小汚い部屋に泊まりたくないって、ふて腐れて外出てったと思えば、今度は足が疲れた、少し休みたいからって、俺のこと部屋から追い出したの、ついさっきの話よ? そしたらまたこうやって下に降りてきて、一体何がしたいんだよ、お嬢?」
ボリスが呆れたように言うと、その少女は少し怯みながらも言い返す。
「う、うるさいわね! 仕方ないでしょ、一人で部屋に居ても、何もやることないんだから! この村退屈すぎるのよ!」
「この村に限らず今までもそうだったでしょうよ……」
ボリスが額に手をやり、「やれやれ」と言ったように頭を振るのを見て、少女はムッと苛立つような表情を見せた。
「あ、あの~……」
そこへカロルが割り込み、カーテシーを披露しながら少女へと話しかけた。
「ウェルゲッセンの名家の出かとお察ししますので、ご挨拶を……私、デパルトのシャロン家が第一子、カロル・エレオノール・ド・ラ・シャロンと申します。どうぞお見知りおきを……」
「あ、ああ、デパルトのシャロン家の方……シャロン家っ!!?」
少女は一瞬普通に受け止めた後、その言葉の意味にようやく気づき、慌ててカーテシーを返した。
「わ、私はウェルゲッセンの地方領主ノイラート家の2女、エマ・シャルロッテ・フォン・ノイラートです。デパルト屈指の名家、シャロン家のご令嬢を前にしているとも知らず、私と私の従者の大変お見苦しい様をお見せしてしまい、まことに申し訳ありませんでした……!!」
恐縮しながら冷や汗をかくエマに、カロルが慌てて声を掛ける。
「あっ、あっ、気にしないでください! 私、ただの娘ですし、家はもう、取り潰しになったも同然ですので……」
ボリスが口を挟んだ。
「シャロン家って……あれだろ? 代々デパルト王室に仕える由緒ある家柄の……ひぇ~! まさかシャロン家の人間に会えるなんて夢にも思わなかったなぁ……」
「ボリスはちょっと黙ってて!!」
エマがボリスを叱り飛ばし、カロルが慌てて止めようとする。それを受けてまた、恐れ多いとばかりにエマが恐縮するので、話をまとめようとしてもまとまらない。
アレンはそっとククに話しかけた。
「すごいすごいとは思ってたんだが、カロルの家って外国にも知られるほどすごいのか?」
アレンをジト目で見ながらククが「そうですよ」と返した。
「シャロン家と言えば、国内外に名の知られた超名家ですからね。少なくとも上流階級の人間でシャロン家を知らない人がいたら、そいつはモグリでしょうね」
「そうなのか? その割には意外と暮らしぶりが質素に感じたが……」
「自分の暮らしにお金を使わない主義だったのでは? 聞くところによると鉄道や造船所、化学工業、王立科学研究所とかの技術への投資とか、学校建設・維持の私的援助とかやってたらしいですよ。デパルト王国としては、失くすに惜しい人財だったでしょうね」
「マジか……そんな人財を王は排除しようとしたのか?」
「だからこその暗愚なのです。自分のことしか考えてないんでしょうね」
ククが吐き捨てるように言う。アレンもシャロン氏のことはその目で見て知っているだけに、氏がそのような気高い人物であったと知って、余計に王とあの夜の暗殺者共を許せないという気持ちを抱いた。
そうこうしている内にカロルとエマ達の話し合いが終わったようだ。カロルがとてて、とアレン達に近寄る。
「エマさん達とお昼をご一緒させて貰うことになったのですが、アレンとククも一緒に行きませんか?」
【作者Twitter】https://twitter.com/hiro_utamaru2
【質問箱】https://peing.net/ja/hiro_utamaru2?event=0
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