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世界樹の夢でまた会いましょう  作者: うたまる ひろ
第3章 貴族の少女と従者の男
43/99

夢男 v.s. 特務機関

「あなたが奪った『本』を返していただきましょう」


 時刻は21時を過ぎようとしている。遠くから響き渡る酒場の喧騒以外に人の気配はなく、街はゆっくりと眠りに就こうとしている。

 生ぬるい空気が全身に絡みつく。ここはなんの変哲もない商業ビルの屋上。星月夜の仄明るい青色と、屋上の端から辛うじて漏れ出る地上のオレンジ色のガス燈の灯り以外に、この場所を照らすものは何もない。

 そのような暗がりの中、4人の人間が対峙していた。骨と筋肉の摩擦音さえ響きそうな、張り詰めた静寂が辺りを包んでいる。ノルベルトの持つ銃口が、一寸の動きもなくひたりと夢男を捉えている。銃口から放たれる鋭い針のような殺気が、夢男にちりちりと突き刺さる。

「はて……?」

 息が詰まるほどの重たい空気の中、しかし夢男は、場違いな程に軽い声を上げる。

「『本』とは一体なんのことやら? 私はこの月明かりに誘われ、気持ちの良い夜風に吹かれてやってきただけの、ごく一般的な道化者ですよぉ? どなたかとお間違えでは? 本をお求めなら昼間に大通りを歩いてご覧なさい。趣味の良い教養小説が目移りするほど本屋に並んでいましたよ」

「知らばっくれるな」

 ノルベルトが険しい視線を夢男に送る。

「俺とギヨルパはお前がシャロン邸から飛び出し、『本』を持ち出す所を実際に見た。その時、お前と交戦すらしている。ふざけた言い逃れは通用しない」

 ノルベルトの持つ銃がチャキッと鳴り響いた。

 その音を耳にしながら、夢男はあの夜のことを思い出していた――。



 シャロン邸で起こったあの惨劇の夜、屋敷から一人の男が飛び出してきた。

 男は屋敷をぐるりと取り囲む石塀の上に上がると、追手の無いことを確認するように、後ろをキョロキョロと見渡した。そうして問題ないことを確認すると、塀の外側の用水路のような濠を飛び超え、慎重に地面へと着地した。すぐ目の前には鬱蒼とした林が広がっている。

 そのまま屋敷から離れようとした時。

「動くな」

 木陰の奥から、声が掛かった。声の主が足元の砂利を踏みしめながら男へと近寄る。

「ここの関係者か?」

 声の主が銃を構えながら男に誰何する。その時、雲の切れ間から月が顔を覗かせ、声の主――ノルベルトの顔を照らし出した。

「……さぁ? もし関係が無いと答えてその銃を下ろしてくれるなら、私は無関係だと答えますが」

 男のとぼけた言い草に、ノルベルトは不快感を露わにする。

「名乗れ。とぼけるようなら撃つ」

 そう言い放ち、ノルベルトは引き鉄に掛けた指に力を込める。

 その時、銃口の先の男にも月の明かりが降り注ぎ、その出で立ちを露わにした。

「……私は元の名前を捨てた身です。普段は夢男と名乗っています。どうぞお見知りおきを」

 そう言って、夢男はシルクハットを少しだけ傾ける。正気を疑う奇妙な格好と名乗りに、ノルベルトは思わず呆気にとられる。

「……貴様、ふざけているのか? それとも狂人なのか?」

「ふざけているつもりは無いですけどねぇ。少なくとも伊達や酔狂で『夢男』と名乗っているわけではありません。まぁ、狂人呼ばわりの方が素直に受け入れられますかねぇ」

「……一体ここで何をしている?」

「それはお互い様でしょう。あなたこそ何者で、ここで一体何をしているのです?」

「……もういい」

 ノルベルトはこの男に対する苛立ちが急に冷めていくのを感じた。目の前の肉と骨で出来たできの悪い道化人形を撃ち抜くべく、引き鉄を引き絞ろうとした時。

「ノルベルト、なんか変だよ! お屋敷の中が騒がしいの!」

 屋敷の塀を軽々と飛び越えてきたギヨルパが、ノルベルトのそばにスタッ、と着地した。そしてノルベルトの前にいる夢男の姿に気付くと、キョトンとした顔で疑問を口にする。

「……その人だれ?」

「……不審者だ。それより、どう騒がしい?」

 ノルベルトは銃撃を寸前で中断し、短くギヨルパに尋ねた。銃口は少しも油断せず夢男を狙い続けている。

 ギヨルパが興奮しながら、あまり上手くはない説明を始めた。

「なんか、なんかねぇ、女の人の悲鳴が聞こえて、それから、そのあと、ノラちゃんが誰かと戦い始めたみたい! まだ戦ってる音が聞こえるから、その人、ノラちゃんと互角っぽいよ!」

「……ノーラと、互角に……?」

 ギヨルパが犬耳をピクピクと動かしながら捲し立てると、ノルベルトは信じられないといった様子で、わずかに視線を屋敷へと向けた。その瞬間だった。


 夢男がノルベルトに向かって猛然と走り出した。


 ノルベルトは瞬時に察知し、引き鉄を絞ろうとする。

 しかしそれよりも速く、夢男が銃身を左手で跳ね上げ、ノルベルトの胴体に右の掌底を叩き込む。マズルフラッシュが二人の姿を一瞬照らし、銃声と銃弾が虚しく空へと吸い込まれる。

 夢男は銃身を掴み、拳で追撃する。ノルベルトはこれを左腕でガードし、銃ごと夢男を引き寄せ右膝蹴りを放つが、夢男はすんでのところで避けた。夢男は後退する。

「ノルベルト!!」

 重心を外しよろめくノルベルトに代わって、ギヨルパが一瞬で夢男へと肉薄する。

 思い切り振り下ろされた右の爪を、夢男が横手へと逃れる。そのまま体重を乗せた蹴りをギヨルパに放つが、ギヨルパはゴム人形のように上半身と下半身を捻じり、これを避ける。

「えりゃっ!!」

 ギヨルパは身体の捻りの勢いを乗せ、右脚で夢男の胴体を蹴りつける。夢男は無理やり肺を絞られ、苦しみに呻く。そのままバランスを崩し地面へと転がってしまう。

 ジャキン、ジャカ、という不吉な金属音が響く。それを聞き取った夢男がすぐさまバネのように起き上がると、鼓膜を叩きつける銃声とともに夢男の目の前の地面が抉れる。

 夢男の背筋に冷たいものが走る。が、地面を強く蹴りつけ、ノルベルトへと迫る。

 ジャキン、ジャカ、とノルベルトが手際よく銃のボルトを操作し、夢男に銃口を向ける。

 しかし、排出された薬莢が地面に落ちるよりも早く夢男が銃身を掴み、銃床付近を蹴り飛ばす。

「ぐっ!!」

 その衝撃に持ちこたえられず、ノルベルトは長銃から手を離してしまう。夢男はその手に掴んだ銃を塀のそばの濠へと投げ込むと、水しぶきを上げながら長銃が濠の底へ沈んでしまう。


 その背中にギヨルパが飛びかかり、夢男の肩に咬み付いた。


「ぐぅっ!」

 夢男がその勢いに地面へと倒れ伏し、短いうめき声を上げる。ギヨルパの身体にざわざわと薄い体毛が生え揃い、その口から野犬のような唸り声が上がる。

「そぉ……っれ!」

 夢男は後ろ手にギヨルパを掴むと、掛け声とともに起き上がり、そのまま後ろへと倒れた。

「ぎゃんっ!」

 ギヨルパが悲鳴を上げ、夢男の肩から牙が抜ける。夢男は後転しつつ地面へと足を着ける。


 ナイフを抜いたノルベルトが夢男に迫る。


 腰だめに構えたナイフを、フェンシングのように何度も突き出す。その度に鋭い風切り音が鳴り、刀身が月明かりに閃く。夢男は隙を見せぬよう集中しながら、その身を旗のように翻し避け続ける。

 極限に高まる緊張の中、何度目かの突きが夢男を捕らえる。燕尾服が千切れ、その下の胴体を浅く切った。

「ぐっ!?」

 ナイフの衝撃によろめいた夢男を、ノルベルトが蹴り飛ばす。夢男が吹き飛び後方へと転がる。

 追撃を加えようとするノルベルトだが、一歩踏み出そうとした所で何かに蹴躓いた。

「っ……!」

 ここぞという勢いを削がれたノルベルトが足元に目をやると、そこに何かが落ちていた。目を凝らしよく見ると……。

「!! これはっ!?」

「私の、落とし物です、よっ!」

 夢男が走ってきて、飛び蹴りを放った。今度は、胸の辺りを強打されたノルベルトが後ろへ吹き飛び地面に転がった。

「このぉおおっ!!」

 入れ替わるかのようにギヨルパが夢男に殴りかかる。

 目にも留まらぬ速さの攻防を繰り広げる。互いに攻撃を何度か受け、少しずつダメージが蓄積していく。やがて、ギヨルパの爪攻撃を紙一重で避けた夢男が、反射的にその腕を掴む。

「ぅうおおおおっ!!」

 気合一閃、遠心力で振り回すようにしてギヨルパを投げ飛ばした。

「ぎぁっ!」「ぐっ……!」

 投げ飛ばされた先で、起き上がろうとしていたノルベルトと衝突してしまう。ノルベルトは背中をしたたかに打ち付け、視界が明滅する。ギヨルパは衝突の勢いで地面を転がり、やがてぐったりとその身を横たえた。どうやら衝撃で気絶してしまったらしい。


 ――辺りには夜の静寂が戻る。


「……ふぅ、やれやれ。お気に入りの服が、この一瞬でまるでボロ雑巾ですね……」

 夢男は息をついて、その身の土埃を払った。ノルベルトとギヨルパとの戦闘によって、夢男の燕尾服は所々が破け、肩口や袖口もボロボロになっていた。

 夢男が地面の上に転がっていた何かを拾い上げると、ノルベルトが地面に手を突き、上半身を起こしながら口を開いた。

「ぐっ……貴様、それは……その『本』は……!」


 夢男が拾い上げたのは一冊の『本』だった。古めかしい表紙の一部は、何かを嵌め込めるような、円形の窪みが存在した。


「これですか? これは私の大切な私物ですよ。あなた方には関係のないものです」

「ふざけたことをぬかすなっ! それはシャロン卿から奪ってきた『世界樹の本』だな!? 貴様、その『本』を手に入れどうするつもりだっ!? この世の支配でも目論むつもりか!?」

 ノルベルトが激高すると、夢男は人差し指を振りながら、チッチッチ、と舌を打った。

「まさか。これは私が譲り受けたものですよ。中身は私が寝る前に愛読していた、どこにでもありそうなただの寝物語。あなたの仰ることは全て誤解ですよ」

 そう言うと、夢男はボロボロの燕尾服を翻して、その足を林の方へと踏み出した。

「ぐっ、待て!」

「それではお二人共、良い夢を」

 そう言って夢男はその場を後にした。林の奥へとその姿が消えていく。

「……くそっ!」

 ノルベルトは怒りも露わに、地面を拳で叩いた――。



「――さてさて、どうなんでしょうねぇ? あなた方の探し人は本当に私だっていう保証はありますか?」

 夢男は、ノルベルト・ギヨルパとの戦闘を思い出しながらもなお、のらりくらりと会話を続ける。

「浮草のように憐れで儚いこの私にも、生存する権利などという小洒落たものを一応持っていたりしますのでね。あなた方の勘違いで、あわれ浮世の泡沫と散るなどという結末を迎えるのは、御免蒙りたい」

「いまこの状況で、そんな保証をする義理が、僕たちにあると思います?」

 パーシーが無感情な目と声で告げる。

「あると思いますよぉ。なぜなら、ほら……」

 夢男は燕尾服の裾をつまみ上げながら答える。

「あなた方の仰る『本』など、『この場のどこにもない』」

 パーシー、ノルベルトが表情を硬くする。

「あなた方が私を兇弾の餌食にしたところで、この場に残るのは私の死体だけ。物言わぬ私は、あなた方にとって何の価値があるんでしょう? ……まぁまぁそんな怖い顔をなさらず、紳士的にいこうじゃありませんか?」

 3対1という絶望的な状況にも関わらず、この場の主導権を夢男が握り始めた。パーシーは夢男の得意げなニヤけ面を見て、握った拳に思わず力を込める。


「言い逃れしようとしたって、そんなことはできないんだからね、夢男!!」


 突然ギヨルパが声を上げ、堂々とした出で立ちで夢男に人差し指を突きつける。

「この私の鼻にかかれば、お前がどこに逃げたって、すーぐ見つけちゃうんだから!!」

「へぇ……それはそれは。しかし、いくら獣人とは言え、そこまで凄い『鼻』をお持ちとは到底信じられませんが」

 夢男がシルクハットの角度を直し、ギヨルパにその顔を向ける。ギヨルパは夢男に向かって得意げに言い返す。

「そこが、ギヨルパちゃんの『ギフト』の凄い所なんだなぁ!!」

 そう言って、ギヨルパは腰に下げたポーチから何かを取り出す。

「これ、なーんだ?」

 ギヨルパの手にはジャケットにつけるボタンのような物が乗っていた。

「……さて。皆目見当がつきませんね」

「これは、お前の服に付いてたボタンだよんっ!! あの夜戦った時に、地面に落っことしていったから、私がもらっちゃったよ!!」

 ギヨルパが意地の悪い笑みを夢男に向ける。

「ギヨルパちゃんの『お鼻』はぁ、誰かの持ち物を意識しながら一回嗅ぐだけで、そいつがどこにいるのか、すーぐ分かっちゃう優れものなのだ!!」

 ギヨルパが誇らしげに自分の鼻を指差す。


「これが私の『ギフト』、『スーパーくんくん大追跡』の力なのだ!!」


 ギヨルパが得意げにふんぞり返りながら、気の抜けるようなギフト名を宣言した。

「……そうですか、そうですか。ギヨルパさんはとっても凄い『ギフト』をお持ちなんですねぇ」

 夢男が白々しい賛辞を送ると、ギヨルパはその嫌味にも気づかずに「まぁね!!」と得意満面の笑みを浮かべる。

「しかし、その割には私を捕まえるのが随分と遅かったようですが。なにかの制限でもあるんですかねぇ……?」

「そんなことを話す必要はない」

 ノルベルトの鋭い声が、弛緩した空気を再び引き締める。

「お前が知るべきはギヨルパの『鼻』によって」

「『スーパーくんくん大追跡』!!」

「……ギヨルパの『ギフト』によって、お前があの夜戦った者と同一人物であることを、俺たちが知っているということだ」

 ギヨルパの訂正の声を無視し、ノルベルトが淡々と夢男を詰める。

「しかし、その『ギフト』を信じる根拠などあるようには思えませんが?」

「今は、あなたの信じる信じないは重要ではありません。僕達がギヨルパの『ギフト』を信頼し、あなたを『本』を奪った夢男なる人物であると確信している、それが伝わればそれで結構。いい加減、話を前に進めましょう」

 パーシーが若干苛立ちながら声を上げる。

「あなたは何が目的で『本』を持ち去ったのですか?」

「それを話して、どうなります?」

「あなたの目的を知れれば交渉の余地が生まれます。僕たちの目的は『本』を最終的に確保することです。それが叶うなら多少は融通を利かせてもいい」

 その言葉を聞いて、夢男は肩をすくめた。

「デパルト王に献本するためですね?」

「……どうしてそれを」

 パーシーが眉根を寄せ夢男を睨む。

「詳しく言うつもりはありませんが、恐らくそれは無理でしょう。私の目的が叶った場合、『本』は私の手の届かないものになる。もしかしたら『本』そのものも封印されることになるかも知れません。いずれにせよ、デパルト王の手に渡るような事態は、到底考えられません」

 夢男の言を聞いて、パーシーはそれまで胸に詰めていた息を大きく吐いた。

「……交渉決裂ですか」

「そうなりますかねぇ」

「それは残念です」

 パーシーが無感情に告げた。


 その瞬間、ノルベルトの放った銃弾が夢男の胸を貫いた。


・作者twitter

https://twitter.com/hiro_utamaru2


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