v.s. マティアス・ローザ3
「おらぁっ!!」
マティアスが拳を振るうと、山積みの荷が積み木のように吹き飛ばされる。アレンが転げるように避けると、マティアスの投げた麻袋が飛んでくる。
「くっ!」
重量のあるそれを跳躍して避けると、マティアスがアレン目掛けて疾走する。
「うぉおおおおっ!」
「……っ!」
アレンは咄嗟に白玉を生成して、反発力を利用して更に高く飛び、マティアスの拳から逃れる。鉄の固まりのような拳が足元を掠めた事に、アレンは戦慄する。そのままマティアスを飛び越え床に着地する。
マティアスがアレンの下へと走ると、牛のような呼気を漏らしながら二度、三度と拳を振るう。アレンも蜘蛛のように素早くステップを踏みながらその拳を避ける。と、アレンの背中が壁とぶつかった。
「っ! やばいっ!!」
「ぬぅぅうううううううううううううんっっ!!」
マティアスが暴れ牛のように突撃してきた。アレンは黒玉の力で壁の上を後転するように避けると、マティアスがタックルした壁が陥没する。アレンの足元が衝撃でグラグラと揺れる。
そのまま壁を蹴り空中で前転すると、回転の勢いを乗せてマティアスの後頭部に蹴りを叩き込んだ。
「ごっ!」
壁から離れようとしたマティアスが蹴られて、頭を壁に打ち付ける。アレンは床に着地するとマティアスから距離を取った。
「おのれ、猿みたいにちょこまかと……!」
「暴れ牛の相手なんてまともにしてられるかよ」
マティアスが、頭を抑えながら壁から離れる。足元が少しよろめく。
アレンは打開策が見いだせずに焦っていた。マティアスの『ギフト』は身体を鋼鉄化するだけの能力のようだが、シンプルな反面、隙がない。こちらの攻撃をものともせず突進してくるのは相当厄介だ。その拳も一発でも当たれば良くて骨折、当たりどころが悪ければ即死もありえる。全身凶器とはこのことだ。
「ちっ、ローザの奴は何をもたもたしてやがんだ」
マティアスは首をごきごきと鳴らして、ローザを非難する。
「……お前らは何が目的でこういう事をしてるんだ?」
アレンは呼吸を整えるために、特に意味の無い質問を投げかける。
「ああ? なんの話だ?」
「シャロン邸の品々を盗んだことさ」
アレンがそういうとマティアスは首を捻った。
「決まってんだろ。シャロンほどの大物なら持ってる物も高額に違いねぇ。ボードリヤールも目の色変えてたから間違いねぇ。それがどうしたってんだ?」
そうか、本当にただの金目当ての犯行か。大体分かっていたが、『本』と無関係なことが知れたのは安心できる。
「そういや、さっきも紋章がどうとか言ってたな? お前シャロンの関係者か?」
「さてね、どうだか。案外お前の同業者かもな」
マティアスはアレンの答えに、「はぐらかす奴が、そんな訳ねぇだろ」と鼻で笑う。その時、マティアスが怪訝な顔をした。
「ボードリヤールは何処行った?」
「は?」
「お前がどこかにやったのか? いやちげぇな、さっきまでそこに居たんだから」
ボードリヤールが? アレンは少しだけマティアスから目線を外し、すばやく辺りを見渡す。確かに今さっきまで居たボードリヤールの姿が何処にもない。
「あいつはローザの蛇に捕まってたはずだが……もしかしてローザの奴に何かあったか?」
ローザに? 下で何か起こってるのか? もしかして姿の見えなかったカロルが何かをしたのか?
マティアスは舌打ちすると、拳を構えた。
「何がなんだか分からねぇが、こう悠長にしてられねぇ。いい加減さっさとくばりやがれ猿野郎」
「くたばるならお前がくたばってくれよ。俺だって急ぎなんだ」
「ふざけやがって」
マティアスが突進してきた。
再び倉庫に闘いの音が響き始め、ボードリヤールは身を守るように頭を抱えた。
何故か突然、身を縛る蛇が消え失せたため、ボードリヤールは二人の隙をついて、荷物の陰に隠れていた。
「い、一体何が起きているんだ……まぁいい、と、とにかくここから出なくては」
このままでは殺されてしまう。ボードリヤールの頭の中にはその恐怖で満たされていた。階下にもマティアスの手下がいて、あえなく捕まってしまうかも、という考えが浮かばぬほど気が動転していた。
ボードリヤールはちらと階段を見た。このまま走れば二人に気づかれることなく、なんとか階段から脱出できるかも知れない。
ボードリヤールは荷物と棚の隙間から二人の戦闘を伺おうとすると。
「ぐあっ!」
ちょうど、荷物の向こう側に誰かがぶつかり、ドン、という衝突音が鳴った。ギシリ、と棚が軋み、ボードリヤールが叫び声を必死に押さえる。キン、カラカラ、と何かの道具が音を立てて床に落下する。
「にゃろう!」
ブン、と大きなハチの羽音のような音が鳴った。またギシリという音がして、棚全体が震える。ボードリヤールが恐慌状態に陥りながらも耳をそばだてていると、二人の気配がここから遠ざかっていく。どうやら二人はこの棚から離れたようだ。
チャンスか?
ボードリヤールが恐る恐る二人が闘っているであろう場所を覗き込むと、ボードリヤールとは反対側の方へと二人が移動しながら闘っていた。これは好機!
ボードリヤールは震える膝をなんとか手で抑えながら立ち上がり、タイミングを見計らうと、階段の方へと一気に走り抜けた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……やった、やったぞ!」
ボードリヤールは小声で歓声を上げる。途中、足がもつれて転びそうになりながらも、なんとか階段まで無事にたどり着けた。後はここから一気に下まで下りるだけ。危険から遠ざかると、ボードリヤールにも考える余裕が生まれる。
マティアスの奴め、許しておけん! 金で飼ってやりつつ、私の市議という立場を利用して美味い汁を吸わせてやっていたものを! お前らが今まで好き放題できていたのは、私あってのことなのだ! それを調子に乗りおって! 飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ!!
許せん、許せん、許せん、許せんっ!!
奴らは徹底的に潰さねばなるまい。奴らの組織の仕組みは分かっている。やつらの悪事の証拠もなんなく掴めるだろう。私の立場を利用すれば奴らを潰すなど造作もない。特に、マティアスとローザはなんとしても死刑に追い込んでやる。
それに奴らを潰せば、警察や下層市民連中も私に向ける目を大きく変えるだろう。大きな手柄として私の地位も大きく向上するに違いない。これでシャロン嬢からも信任を得られ、私も晴れて貴族の仲間入りだ!
ボードリヤールが怒りと侮蔑と欲望と目まぐるしく表情を入れ替えながら、階段を下りようとすると。
「……ボードリヤール?」
「シャロン嬢っ!?」
カロルと鉢合わせした。
「どうしてあなたがここに!?」
「あ、いえ、それは……」
カロルが突然の事に頭を整理しきれず、答えあぐねる。ボードリヤールが問う。
「まさかあなたまで捕まってしまったのですか?」
「いえ、そういうわけでは無いのですが……」
カロルがしどろもどろとしていると、後ろからククが顔を覗かせた。
「!? お前は、マティアスのところの『運び屋』ではないか!?」
「ボードリヤールですか。この急場に面倒な」
ククが顔をしかめながら答える。
「なんでシャロン嬢がそいつと一緒に……」
そこまで呟いたところでボードリヤールが閃いた。
「そうか……シャロン嬢、あなたは私を嵌めましたな?」
「えっ」
まだ頭の追いつかないカロルがボードリヤールの言葉に不意をつかれる。
「そうか、そうだったのか。通りでうますぎる話だと思ったんだ。お前はマティアスと手を組み、私を亡き者にしようとしたのだな!」
「いえ、違います! 私がなんでそんなことをしなければならないのですか!!」
「この状況を見て、誰が違うと思うのだ! シャロン亡き後、王室侍従長の権威という後ろ盾を失った貴様は、政治的に勢いを増した私の力を恐れ、巧みな甘言で私をここへと誘い込み、排除しようと思ったに違いない!」
「ボードリヤール、あなた無茶苦茶言ってますよ」
ククが呆れながら反論すると、ボードリヤールは「うるさいっ、黙れ!」とククを一喝した。
「貴様ら、タダで済むと思うなよ! こうなればシャロン嬢、貴様のような裏切り者の推薦などいらん! 国家反逆の罪で中央政界に訴えてくれる!! 私は国を守った英雄として、貴様なぞ居なくても貴族に召し上げられるだろう!!」
「支離滅裂ですね。だめだこりゃ」
ククがぽいっとナイフをボードリヤールの真横に投げると。
パッと位置を入れ替えたククが、ボードリヤールの側頭部に回し蹴りを入れる。
「ごっ!!」
壁に頭をぶつけ、ずるずるとその場に倒れ伏した。どうやら気絶したようだ。
「こんな一地方のチンピラ捕まえて、国家反逆罪なんて適用できるわけないじゃないですか」
ククが入れ替えに使ったナイフを回収しながら、ボードリヤールをなじる。
「ありがとう、クク。助かりました」
「別に礼を言われることではないですよ。……それよりこいつをどうしますか」
ククは足元に転げるボードリヤールを見下ろす。ボードリヤールは無様に口から血を流しながら、ピクピクとしている。
その時、後ろから足音がした。
「あれ!? まだそこにいたんですか?」
「あ、ヤッカさん」
猫獣人の青年が目を丸くしながら、二人へと近づく。と、気絶したボードリヤールに気付く。
「うわっ! ボードリヤール!!」
「ちょうど良かった、この間抜けを下まで連れてってもらえますか」
とククがボードリヤールを足でつつきながら、ヤッカに依頼する。
「すみません、お願いします。またこの男に逃げられても面倒なもので……」
カロルが哀願すると、ヤッカは躊躇する。
「いや、だったら上の階は俺に任せて、二人で運んだら……」
「とにかく任せましたよ!」
「すみません、ヤッカさん」
と二人は四階へと向かう。ヤッカが止める間もなく行ってしまった。
「せっかく助けに来たのに……」
ヤッカは溜息を吐くとボードリヤールを抱え、なるべく早く戻ろうと階段を下り始めた。
アレンとマティアスは戦闘を続けていた。
アレンは『ギフト』を使い、床、壁、天井を縦横無尽に駆け抜け、マティアスの攻撃を避け続けた。マティアスが鉄製の荷棚も紙切れのようにくしゃりと壊す拳を、恐ろしい速度で振り回す。アレンは一発も当たらないよう神経を研ぎ澄ませ、紙一重で避け続ける。
しかし、徐々にマティアスが押し始める。
「はぁ……はぁ……」
「ハッハー、どうしたどうした!? 動きが鈍ってきてるぞ!!」
マティアスは防御など無視、攻撃さえ当たれば勝ちという条件に対し、アレンは手も足も出ず、打開策をなんとか見つけようとしながらの防戦一方。どちらが気力をより使うかは明白だ。
アレンの息が上がり始める。
「……くそ!」
アレンが自身の体力の減りを悟り、長期戦覚悟で積荷の陰に隠れる。しかし。
「ごおおおおおおっ!!」
マティアスが積荷に突進をしかける。積荷がふっとび、アレンもそれに巻き込まれる。
「うぐぁっ!!」
アレンが積荷と荷棚に挟まれ身動きが取れなくなっていると、マティアスが荷物を掻き分けて顔を覗かせる。
「よぉ、やっと捕まえたぜ」
そう言いながらニィィと顔を歪める。ここまでか。そう思った時。
恐るべき速さで飛んできた何かが、マティアスの後頭部を鉄パイプで叩く。重たい金属音が鳴り響き、マティアスは前のめりに倒れる。
「!? いまだ!」
アレンは即座に荷を掻き分け立ち上がり、側に倒れるマティアスから距離を置く。
「……お前は?」
「やぁ、どうも。また会いましたね」
ククが折れ曲がった鉄パイプを持っていた。
「鉄パイプで殴ったのに、こっちがダメージを貰うとは。本当に固いハゲですね」
そういって手をぶるぶると振っている。
「アレン!!」
「! カロルか!! 無事なのか!?」
「ええ、アレンこそ無事ですか!?」
「なんとか。それより、こいつは?」
「お二人共、すみませんが、おしゃべりは後にしてください」
ククがそう言って身構えた。その目線の先には、後頭部を押さえ頭を振りながらマティアスが立ち上がるところだった。
「……誰かと思いきや、臆病者じゃねぇか。てめぇここで何してやがんだ。ローザの奴はどうした?」
「あの蛇女なら倒させて頂きました。残るはあなた一人です」
「倒しただぁ? ……そうか、だから蛇がいなくなっちまったのか」
マティアスが憤怒に顔を染める。
「いさぎよく投降したらどうです? もうあなたのお仲間はいなくなり、じきに警察も来るそうです。どう考えても後がありませんよ、あなた」
「調子に乗ってやがるな、臆病もんがぁ?」
マティアスが拳をガキンと合わせる。
「俺を警察が捕まえておけると思うか? 全員ぶっ殺して逃げりゃいいだけだ。それより」
マティアスが身を屈めた。
「てめぇらもぶっ殺す!!」
マティアスが猛スピードで突進してきた。アレンとククは左右へと飛び退る。マティアスが後ろの壁に激突し、耐えきれなくなった壁に大穴が開く。マティアスが予想外に穴にハマってしまい、脱出しようともがいている。
「……おい、どうするつもりだ」
「私に策があります」
マティアスが壁に突っ込んでいる間にククとアレンが作戦を練る。
「……なるほど?」
「なので、どうにかしてマティアスの足を止めてくれますか? そうしたら私がマティアスを外に放りますので、後を任せます」
二人が喋っているうちに、ガラガラと音を立ててマティアスが立ち上がる。壁の外は運河なのか、下の方でレンガが水に落ちる音がする。
「よくもやってくれるぜ」
「勝手に壁につっこんだのはあなたでしょうに」
ククが呆れて言うと、マティアスが「ほざけっ!」と叫び、二人へと突っ込んできた。
「散っ!」
と二人が左右に散ると、マティアスがくるりと向きを変え、ククに向かっていった。
「こっちですか。勘弁してくださいよ」
ククが風の力を使い飛翔しながら逃げるが、倉庫内は飛ぶには狭い。それほど速くないマティアスが追いつき、ククを拳の射程距離に入れる。
「うぉらああああああっ!!」
マティアスの拳がククの顔面を捉える寸前。
ククが鉄パイプを後ろに放り、『ギフト』で位置を入れ替える。身代わりとなった鉄パイプがマティアスの拳を受けて、くしゃくしゃに折れ曲がる。
「この野郎っ!!」
マティアスがくるりと振りかえると。
大きな布のような物がマティアスに覆いかぶさり、その視界を奪う。マティアスがそれを除けようとするが、マティアスにピタリと張り付き、上手く剥がせない。
「今だ!」
黒玉を吸わせて、マティアスを布で覆ったアレンが叫ぶ。「仕事早いですね」とククが呟きながら、飛翔してマティアスにタッチする。
ようやく布を剥いだマティアスが「おちょくりやがって!!」と怒号を飛ばす。
「てめぇら全員ぶち飛ばして、運河の藻屑にしてやる!」
脱兎のように駆け抜けると、アレンへと拳を放とうとする。
「いえ、運河の藻屑になるのは」
とククが先程マティアスが開けた大穴の縁に立ち、そこから飛び降りた。
「あなたですね」
そう言い放って、ククが『ギフト』を発動する。
その瞬間、マティアスは運河の真上に放り出された。
「ぐっ!?」
マティアスは空中でどうすることもできず、運河へと落ちた。
ぐぐぐっ、まずい!! とマティアスは焦った。マティアスの『ギフト』は鉄の強度になるだけではなく、実際に鉄並みの重さになってしまう。そのため、川に落とされると浮き上がることができない。
一旦解除しなければ。
マティアスは『ギフト』を解除すると、水面へ向かい、ぷはぁと息を吐いた。そこで、アレンの黒玉がマティアスの顔面へと吸い込まれる。いきなりのことでマティアスが怯んでいると。
空からアレンが降ってきた。
「これで……」
アレンは驚愕するマティアスの顔を眺めながら、黒玉を自身に吸わせる。
「終いだっ!!」
黒玉の力を借りて加速したアレンが、膝蹴りをマティアスの顔面にめり込ませる。ゴッ、という鈍い音が一瞬響く。
そのまま二人は大きな波しぶきを立て、水面下に沈む。
「アレン!!」
「どうなりました!?」
カロルとククが不安そうに眺めていると――。
ぶはっ! という息継ぎと共にアレンが水面に顔を出す。
「アレン!!」
カロルが口元に手をあて、アレンの名を呼ぶ。
「マティアスはどうなりました!?」
ククが声をかけると、アレンは後ろへと親指をやる。
そこにはマティアスがうつ伏せで運河に浮かんでいた。
「文字通り、運河の藻屑にしてやったぜ」
そういってアレンは笑みを浮かべた。
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