v.s. マティアス・ローザ2
最初にヤッカが二階へと飛び出し、すぐ後をククが続いた。二人は床へと着地する。
二階は荷積みの無い、空虚で寒々しい場所だった。その空間の中央にローザが立ちすくんでいる。
「あんたら、よくもやってくれたわね」
ローザは怒りのこもる瞳を二人に向けた。
「特にクク。アンタ、私達に逆らうなんていい度胸ね。飼い犬に手を噛まれるとはこのことだわ」
「私、ドブネズミじゃありませんでしたっけ? どちらかと言えば、窮鼠蛇を噛むっていう方が正しいのでは?」
ローザの侮蔑に皮肉で返す。ローザは巌しい目つきでククを睨む。
「もういいわ。……蛇よ、縊り殺しなさい」
ローザがそう言葉を発すると、ククに取り付いた蛇が、ざらざらと肌の上を這いずり上がり、束になった枯れ木もへし折れるような力でククの華奢な首を締め始めた。
「……っ! …………っ!!」
ククはもはや声も出せない。そのままその場に崩れるように倒れる。ヤッカがその様子を見て、目を剥いて驚く。
「! おい!? どうしたんだ!!?」
目玉が飛び出さんばかりに喘ぐククを見て、ヤッカが慌てていると、ダントンとカロルが二人の下へと追いついた。ダントンが叫ぶ。
「おいヤッカ、無事か!?」
「!? ククさん!?」
カロルは地面に横倒しになったククに半狂乱となり、慌てて駆け寄る。
「次から次へとチョロチョロと。アンタら全員まとめて……死になさいっ!!」
ローザが怒号を上げながら、片手を頭上へと掲げた。
その瞬間、ローザの足元から2匹、人の胴体よりも太い巨大な蛇が飛び出して来た。
「こ、これって……」
ヤッカがこれまでとは比べ物にならないほどに大きい蛇を見て固まってしまう。
「やばい、来るぞ!!」
ダントンが叫ぶと同時に、ローザがその腕を振り下ろす。
2匹の巨大な蛇が咆哮し、猛スピードで襲い掛かかってくる。
「あああああああああああああっ!!」
ダントンが絶叫しながら、咄嗟に2発の大きな水弾を蛇の頭に食らわせた。4人に飛びかかろうとしていた蛇達が、その衝撃に怯む。
「ヤッカ!! 二手に分かれて、あの女を攻撃するぞ!!」
「! わ、分かったっ!!」
その隙にダントンとヤッカが、それぞれ別の方向へと駆け出していく。
「そうは、させるかっ!!」
二匹の蛇がそれぞれダントンとヤッカに襲いかかった。
ヤッカは空中へと跳躍し、蛇の牙を避ける。
「くっそ!!」
ヤッカはその胴体に爪を振り下ろした。しかし、傷はついたものの、その攻撃が効いている様子はない。
「だめか……!!」
蛇はヤッカへと向き直り、再び突っ込んできた。ヤッカは縦横無尽に跳躍し、蛇を翻弄する。
「こうなったら……!」
ヤッカは一瞬の隙を突き、ローザへと直接向かった。しかし、それを瞬時に察知した蛇が、その尻尾でヤッカを打ち据える。
「あぐっ!!」
ヤッカは床へと転げ落ち、げほげほと咳き込む。しかし、息を整える間もなく横へ飛び退ると、そこへ蛇の頭が突っ込んだ。
「くそ、こんなのどうしようもねぇだろ!!」
蛇が鎌首をもたげ、その真っ黒な目をヤッカに向けた。
ヤッカは蛇を回避し爪を振り下ろすことを繰り返すが、蛇はそれを意にも介せずヤッカに襲いかかる。お互いに決定打が出ぬまま、戦況は膠着状態となった。
「うぉぉぉおおおおおっ!!」
ダントンは力の限り飛び退り、猛スピードで突っ込む蛇を躱した。蛇が壁へと激突する。
「こ、こりゃ、やばいぜ……」
ダントンがごくりと唾を飲み込みながら蛇から遠ざかるように走る。その間に蛇は頭をこちらに向け、怖気の走る音を立てながら、ダントンを追う。
「あーっ、くそっ!! 水がありゃなんとかなるものを!!」
さっきの咄嗟の水弾で水のストックを使い果たしていた。ローザを挟み撃ちにすることを提案したのはダントンだが、正直言って逃げるだけで精一杯だ。
「とりあえず、嬢ちゃん達から気を逸らすことはできたが、こっからどうしたもんか……」
ダントンが一瞬気を逸らした瞬間だった。
猛烈に追い上げて来た蛇が、ダントンへと突っ込んでいった。
「あがっ……」
咄嗟に横へ飛んだが避けきれず、ダントンは吹き飛ばされた。床をゴロゴロと転がる。蛇は勢い余って壁に激突していた。
「いちちち、くそっ。直撃したらやばかっ……」
そこまで考えて、ダントンはようやく気づいた。
「おいおい、まじかよ……」
ダントンは冷や汗を垂らしながら、自分の折れてしまった左足を見た。興奮のせいか、あまり痛みはない。
蛇が首を持ち上げ、こちらを見た。
「俺の人生、一巻のおしまい……」
と呟いた時に、何かに気づいた。
「……でもねぇな!!」
そういってダントンが右手を上げると、蛇が激突した際に破裂した水道管の水が蛇を襲った。九死に一生で、蛇を牽制することに成功する。
「とは言っても……こっからどうしたもんか」
牽制には成功したが、蛇を倒しきれず、このままこの場に張り付く他無かった。
「ククさん、しっかり!!」
ククの口からは、げへ、げへ、という音が繰り返し吐き出され、胸が痙攣するかのように上下する。
「この蛇が……!!」
カロルはククの首を締め上げる蛇を掴もうとしてみるが、実体のない蛇にどうすることも出来ない。ククの首が、コルセットを巻いた女性のようにくびれてしまい、血管がはち切れんばかりに膨れ上がっている。
そのうちククの全身が痙攣しだし、打ち上げられた魚のように床をバタバタと跳ね出した。
「こ、このままじゃ……い、一体どうすれば……」
ククの姿を見てカロルは動揺する。
「ローザの能力を解除することさえできれば……」
カロルはローザのフルネームを知っている。後はローザ本人に触れさえすれば、カロルの『ギフト』で解除することができるのではないだろうか。
しかし、どうやって?
カロルには特筆すべき身体能力はない。あの2匹の巨大な蛇を掻い潜りながらローザに触れるのは至難の技だ。そもそも、さらに追加で蛇を出されたらそれでおしまいである。これだけの広い空間だとこっそり近づくのも不可能だ。
「どうにか……どうにか……」
その時、カロルの頭にふとある手段が閃いた。
その手段なら対応させる時間も与えず、ローザに近づくことができるかも知れない。
しかし、カロルは実行を躊躇した。
それは、このように苦しむククにさらなる負担を強いる、あまりにも酷な手段に思えた。だが、このままではククが死んでしまうのは明らかだ。
迷っている暇は無く、それを選択せざるを得なかった。
「ククさん、ごめんなさい!!」
ガクガクと痙攣し涎を垂らすククに触れた。ククが光の消えそうな目でカロルを見た。
「クク、風の力で私をローザの下に飛ばしてっ!!」
カロルの『ギフト』でククに命令する。その瞬間ククの右手が挙がり、風に舞う木の葉のようにカロルの身体が吹き飛ばされた。
ローザが猛スピードで近づくカロルに気づくが、もはや対応する暇がなかった。
「ああっ!!」
カロルがローザと衝突した。ローザが床へと倒れ、カロルが床の上を転がる。
「あ……ぐっ…………」
ローザは突進の衝撃で、目の前がチカチカとしている。
カロルも暗転しそうになる意識をなんとか握りしめながら、頭に響くほど絶叫した。
「ローザ、『ギフト』を解除なさいっ!!」
その瞬間、大蛇2匹と、ククの身体に取り付いた蛇が、煙のように消え失せた。
「こ、これは……!?」
ローザが朦朧とする意識の中、能力が解除されたことに大いに戸惑った。
そして二人はその隙を見逃さなかった。
「くらぇええええっ!!」
ダントンが水弾をローザに放つ。対応もできないローザが水弾に吹き飛ばされ、床の上をごろごろと転がる。
「……っ!!」
悲鳴もあげられず、吹き飛ばされるがままになるローザの頭上に、ヤッカが飛び込んでいった。
「これで」
ヤッカが手を振りかぶる。
「終いだっ!!!」
ヤッカがローザに掌底をお見舞いした。ドカンという音が広い倉庫に響き渡る。
「……やったか!?」
ダントンが固唾を呑んで、ヤッカとローザを見つめる。
ヤッカがそろそろと手を離すと、床の上で鼻血を吹き出しながらローザが失神していた。
荒い息を突いたヤッカが、その全身から力を抜く。
「や……やってやったぜ……」
ヤッカはその重たい疲労感に膝をついた。
「クク!!」
くらくらする頭でなんとか立ち上がったカロルが、ククの下へと歩み寄る。ククは肺がひっくりかえるほど咳き込んで、床の上をもんどりうっていた。
「クク、大丈夫ですか?」
カロルが床に膝を突き、ククの身体を起こした。ククはぜいぜいと掠れるような呼吸を繰り返しているが、意識の灯る目でカロルを見つめ返した。
「大丈夫じゃありませんよ……よくもまぁ、苦しむ人間をこきつかってくれましたね……」
「う……本当にごめんなさい……」
そういってうなだれるカロルを見て、ククは大きく息を吸い込み、深く息を吐いた。
「まぁいいですよ。……結果的にこうやって呼吸を取り戻すことができました。それに、なにより……」
ククはそう言って、自身の胸元を覗いた。そこにはククの乳白色の肌が見える。あの黒い呪縛は影も形も無くなっている。先程蛇が這いずった跡が、少しだけ赤みを帯びているのみだ。
ククは襟元から指を離すと、天井を見上げた。
私は、自由になった。あの蛇の呪縛から。
意識が朦朧としている間の出来事だったせいか、まだイマイチ実感が湧いていない。長患いがいつのまにか消え失せていたような気分だ。
きっとこれからの日々を生きていく中で、少しずつその感覚を取り戻していくのだろう。
ククはフフッと僅かな微笑みを浮かべて、目を閉じた。
「クク? クク!? しっかりしてください! どこか痛むのですか!? ここですか!?」
「ちょ、ちょっ! 痛くないですから! ちょっと目を瞑っただけですから!!」
目を閉じたククに狼狽し、その襟元をガバっと開き覗き込むカロルの頭を、両手で押しやる。
「そんなに過剰に心配しなくても大丈夫ですから……もう少し解放の余韻に浸らせてくださいよ……」
「でも……でも……私が無理をさせてしまって」
「無茶をさせられたのはそのとおりですけど、その代わりもう少しで死ぬ所を助かったわけですし、こうやってローザの呪縛からも逃れられました。もうそれで相殺ってことにしましょう。もうこれ以上お互いとやかく言わないって事で」
ククがピシャリと言い放つと、カロルは居心地悪そうにもじもじとしながら「はい」と返答した。
「無事かい? ダントン」
「あー、無事じゃねぇ。折れた足がパンパンに腫れて、シクシクと痛みやがる」
ダントンが大の字で横たわりながらヤッカに返答する。
「あの女は?」
「部屋の隅にロープが転がってたから、縛っておいた。でも、縛ってても蛇を出されたら厄介だなぁ」
その時、カロルがダントンとヤッカの下へやってきた。
「お二人共、無事ですか?」
「いや、無事じゃねぇ。足折れた。お嬢ちゃんのお手々で、やさしく擦ってちょうだい」
「それ逆に痛いでしょ……俺の方は、まぁなんとか」
冗談を言うダントンに突っ込みつつ、ヤッカが返事する。
「シャロンさん、あのエルフの女性は無事でしたか?」
「なんとか生きてますよ、これこの通り」
そう言ってククがカロルの背後から姿を現した。少し顔が青いが、自力で動けるまで回復していた。
「そうですか、お互い無事でなによりって奴ですね」
ヤッカが全員の無事を喜ぶ。
「それでですね、ダントンはこんな調子だし、あの蛇女も捕まえてどっかに閉じ込めなきゃいけなさそうなんで、とりあえず一旦皆で下に戻りましょう。こんだけ騒いでマティアスが出てこないのが不気味ですけど、もう少ししたら警察もくると思うので、きっとなんとかなるでしょう」
ヤッカがそう言うと、カロルは首を振った。
「いえ、私はこのまま四階まで上ろうと思います」
「ええっ!?」
その言葉にヤッカが仰天する。
「アレンの姿が見えません。もしかしたらマティアスといるのかも」
「私も一緒に行きます」
四階まで上るというカロルとククに、ヤッカが動転する。
「あなたまで!?」
「マティアスのハゲには一発やり返してやらないと、私の気が済みません」
そう言いながらククは拳を握った。
「女性二人じゃ無茶だ!」
「お気遣いありがとうございます。ですが、元々私の目的のためにこうして乗り込んだわけですから、私が逃げるわけには行きません」
カロルが胸を張りながら答える。
「私は、私をこんな目に合わせたマティアスに、なんとか一発やり返さないと気が済みません」
ククは俯けた顔を上げ、まっすぐにヤッカを見る。その瞳を見て、ヤッカは何も言えなくなる。
「それでは!」
その一言を残して、カロルとククは走り去った。
「……やっぱり女性二人だけで行かせるのは絶対まずいって。俺も行ってくる!」
「ちょ、ちょっと待てっておい!」
ダントンがヤッカの後ろ姿に声をかける。
「行くんなら、せめて下の奴ら呼んでこいって!! 俺マジで脚痛くて動けねぇんだよ!」
あっ、という顔でヤッカが立ち止まり、慌てて下へと続く階段へ向かった。
・作者twitter
https://twitter.com/hiro_utamaru2
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