思わぬ因縁
馬車にあった手綱の予備を利用して男を拘束した後、後ろの客室に放り込んだ。豪奢な作りの立派な客室とはいえ、四人用のこじんまりとした造りである。悪漢と一緒に乗り込むのも憚られたため、シャロン氏は手綱を繰るアレンの隣に座っていた。
紳士は危機から逃れた安堵感か、やたら興奮して捲し立てるように喋った。
「いや素晴らしい! 本当に素晴らしいよ、アレンくん!!」
「君のその『ギフト』にはまこと驚嘆させられたよ! 襲われてる最中はそんな余裕はなかったがね、振り返ってみるごとに、子供のような興奮を抑えきれぬ!」
「そのナイフさばきの鮮やかな閃きと言ったら! その技術は一体何処で学んだんだね? ……なに、お父君? アレンくんのお父君は一体何を生業としているのかね? ……ふむ、傭兵か。さぞかし立派な御仁なのであろう! まっこと、称賛に値する!!」
そんな調子で道中しきりに持ち上げられるものなので、アレンは照れくささを通り越して、少々うんざりした。
そのうち話はシャロン氏自身の話になっていった。どうやらシャロン氏はアレンが思っている以上に偉い方らしく、なんと王に謁見できる数少ない人間の一人だとか。この国デパルト王国はその名の通り国王が存在する。政治体制的には立憲君主制で、選挙で選ばれた人間と家格の高い貴族達が主に政治を司っているが、比較的王権が強く、シャロン氏は王族と議会の間を取り持つような立場にいるらしい。
「先代の王が身罷られてからは、御用聞きも大変なものさ」
シャロン氏は自虐めいた愚痴をこぼし、ため息を吐いた。
「王と議会の間に挟まれて、まるで石臼引きされる小麦のような気分さ」
「それは大変ですね。ご心労お察しいたします。……ところでシャロンさん」
アレンはシャロン氏と出会ってからずっと気になっていたことを質問した。
「平民の浅ましい好奇心で不躾な質問をすることをご容赦ください。……今日シャロンさんが襲われていたのは、政治に関わることですか?」
「ムッ……」
それまで饒舌だったシャロン氏は急に言葉に詰まり、しきりに口ひげをさすりだした。
「あの輩は『本』がどうとか言ってましたが」
「アレンくん」
シャロン氏は首を横に振り、アレンの発言を制止した。
「命の恩人に対し、真に心苦しく思うが、そのことはそれ以上詳しく聞かないでくれたまえ。それについて何も言うことができぬのだ」
そういったきり、シャロン氏は口を噤んだ。シャロン氏が何気ない風を装いながら、まさに一冊の本が入りそうな鍵付きの箱を、アレンの目に触れぬようそっと身体の影に隠したのを横目に見てしまった。シャロン氏の上機嫌も影を潜め、少しの警戒心を浮かべた目をたまにアレンに向けつつ、流れ去る風景をただ無言で見つめるばかりになった。
馬車はやがて街の中に入っていった。時刻はすでに夜中になり、配置されているガス燈が街路を等間隔にぼんやりと照らしていた。まだ少しの人出はあったが、もう一、二刻もすればすっかり人の姿は見えなくなるであろう。
馬車はその中を駆けていき、やがて郊外にほど近い警察署の前で歩みを止めた。
「着きましたよ、シャロンさん」
アレンがそう声をかけると、シャロン氏は、ああ、とも、うむ、とも判別できぬようなくぐもった返事を返し、警察署とその周りを油断なく睥睨すると、またしきりに口ひげをさすっている。アレンは、この人は不安や緊張があると口ひげをさするんだな、と既に了解していた。
シャロン氏は小脇に箱を抱えながら御者台を降りようとするので、それだけでひと手間かかった。ようやく両の脚を地につけると、胸に詰めていた息をようやくといった様子で吐き出していた。
「シャロンさん、この馬車はどうしますか?」
アレンがそう問うと、ハッとしたように振り返り、ウムと一声あげた。
「警察署の裏手に駅舎があるので、そこに留めておこう。男は署の者に運ばせるゆえ、そのままにしておこう」
と、シャロン氏が返答したためアレンは早速、手綱を握り馬を駆らせようとした。その時、シャロン氏から声をかけられた。
「アレンくんは」
と、シャロン氏は少し不安な様子でアレンに上目遣いを差し向けた。
「その、なんだ、なにか、希望の謝礼などあるかね?」
「謝礼ですか?」
と、アレンは馬の脚を止めた。今聞くようなことなのだろうか?
「そうですね、図々しくも希望を述べさせて頂けるなら、お金を少しばかり頂ければ。もしくは職の斡旋でも嬉しいです。お会いした時にも申し上げましたが、恥ずかしながらこの身は無職なもので」
「……君は本当に善意で私を救ってくれたのか? 自分の身の危険も顧みずに? そもそもなぜあんな辺鄙な場所にいたのかね?」
アレンの希望を聞くと、シャロン氏がその胸に無理矢理収めていた疑問が一気に噴き出し、がまんしきれずといった様子で捲し立てた。
「んー……、説明は難しいですが、場所に関しては、なんというか、成り行きです。職もなく危うく露頭に迷いかけたところに、怪しげな占い婆に占われましてね。あの場所にいれば職を得られると。それでまぁ、のこのことお目当ての場所に向かったところで、シャロンさんと出会った次第で」
「それで、何よりも職を探していた君が、なぜ見ず知らずの私を助けてくれたのだろう? 一歩間違えば二人まとめて殺されていた」
「そんなに難しいことは考えてませんよ、シャロンさん。さしずめ親父のバカを継いじまったってところですかね。考えるより先に身体が動いていましたよ」
「君は」
シャロン氏は念を押すように次の質問を放った。
「本当に『本』とは無関係なのかね? 私は君を信じて良いのかね?」
本題はこれか、とアレンは思った。アレンは注意深く言葉を選びながらゆっくりと返答した。
「シャロンさん、今日私は、あなたをとち狂った暴漢からお助けしました。暴漢は夜盗まがいの卑劣な畜生と私には見えました。そのため私はあなたを夜盗らしきものから助け出した。ただそれだけのことです。他には何も見てない、聞いてない、なんにも知らない。……そうでしたよね? シャロンさん」
その言葉を聞くと、シャロン氏はそれまで浮かべていた怯えの表情を少しずつほぐしていき、ようやく安堵の笑顔を見せた。
「ああ……そうだ、そのとおりだよ、アレンくん」
「もしそれでもお疑いの場合は」
とアレンはダメ押しで緊張をほぐすジョークを飛ばそうとした。
「テルミナの、ハームという村にいるケチな傭兵上がりの爺をとっ捕まえてください。名前はクリフ・ゴードン、私の親父です。屁が臭い男ですが、シャロンさんに人質として献上いたしましょう。まぁ、親父が無実の罪でとっつかまったとしても、私は素知らぬ顔して他人を装いますがね」
とアレンが言うと、予想に反してシャロン氏は大きく目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。
「クリフ・ゴードンだって!?」
勢い込んで聞いてくるシャロン氏に、アレンはへどもどしながら答えた。
「ええ、そうです。親父はクリフ・ゴードンです」
「ハームの村と言ったね? もしやその男は、貴族の屋敷で護衛をしていたと言ってなかったかね!?」
「どうですかね……ちょっとそれは分かりかねますが。ただ、用心棒まがいの仕事をしていたことがあるのは知っていますよ」
「ううむ、そうか……いや、しかし他にそんな男は……アレンくん、失礼ながら、君のお父君の年齢は60くらいかね?」
「そうです、今年62ですね」
「なんということだろう!!」
シャロン氏は胸を大きく開き、天を仰いだ。
「もはや疑いようがない! アレンくん、君のお父君は私の古い知人だよ!」
「なんですって?」
アレンは予想もしなかった言葉に意表を突かれた。
「ゴードン! そう、ゴードン! 君はアレン・ゴードンくんだ!! なぜ今まで気付かなかったのだろう!! 私はなんと耄碌したことか!!」
シャロン氏はまるで狂乱したかのように腕を振り回し、その興奮を全身で表現していた。
アレンはぽかんと呆けていると、少し落ち着いたシャロン氏は、息を弾ませながらこう言った。
「君のお父君は昔私の屋敷で護衛をしていたことがあったのだよ」
アレンは驚きに声も出せない。
「ナイフ使いのクリフ! 君のお父君はそう言われていてね。『ギフト』持ちでこそなかったが、それをものともしない鬼神の如き強さだった。クリフには何度も助けられたものさ」
シャロン氏は懐かしむような顔をしながら、昔を回想した。
「クリフは護衛としてはそこそこ長く努めてくれてね。最後は家族を養うことになったと言い、屋敷からは去ったが、真に失うに惜しい男だったよ」
「そんな話は聞いたことなかったですね」
アレンは初めて聞く話に驚きを隠せない。
「無理もない。恐らくアレンくんが4~5歳位の頃の話だろう。……そうか、君がクリフの息子なのか……」
シャロン氏はまるで眩しいものを見るかの如く、アレンを仰いだ。
「昔の私はクリフに助けられ、そして今はその息子であるアレンくんに助けられる! なんという奇縁だろう!!」
シャロン氏は感極まるかのごとく叫んだ。
「アレンくん、私は君に謝らなければいけない。……私は私の抱えてるものの大事さのあまり疑心暗鬼に囚われ、愚かにも命の恩人である君を第二の刺客ではと疑ってしまったのだ! あの君の鮮やかな剣さばきは実は見せかけで、本当はあの不埒な輩と共謀を働き、私を誰も知らぬ何処かへ連れて行ってしまうのではと疑ってしまったのだ……。それがどうだろう! 馬車はちゃんと警察署にたどり着き、そして君はクリフの息子だという!! ああ、本当に私はなんと愚かな男だったろう!! アレンくん、滑稽なこの老人をどうか嘲ってくれたまえ、なじってくれたまえ。そうしてどうか私の無知蒙昧を許してほしい。このとおり」
と一気にまくし立てた後に、シャロン氏は頭を下げた。
「やめてください、シャロンさん! 私は気にしていませんよ!」
「それではこの愚かで哀れな老人を許してくれるのかね?」
「許すも何も、最初から怒りもしなければ、不快感もありませんよ。……さぁお顔を上げてください。そろそろ事を片付けるとしましょう」
「ああ、その通りだ。そうするとしよう」
シャロン氏は憑き物がとれたかのような晴れやかな顔で同意した。
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