錯綜
「……そろそろ時間か」
アレンは建物の影からそっと倉庫の様子を観察した。
辺りはしんと静まり返り、倉庫以外の建物は暗く灯を落としていた。並び立ったガス燈の灯りだけが、ぽつぽつと街路を照らしている。
倉庫の前には労働者風の男が三人ほどたむろしており、酒瓶を抱えた酔っぱらいが建物の壁にもたれかかっている。
労働者たちは恐らく倉庫の前を見張るマティアス一味のものだろう。酔っぱらいの男も、恐らく同様だ。酔っ払いのふりをして辺りを警戒しているフシがある。
倉庫になっている建物は1、2階部分は火が灯り、それ以上の階は真っ暗になっている。
「……どんな感じですか?」
アレンの後ろに控えていたカロルがアレンに声をかける。
「何人か見張りが立ってる。建物の中にも人の気配を感じる。これは確実にボードリヤールが来る体制だな」
アレンが倉庫の様子を答えた。
「カロル、やっぱり今からでも」
「帰りませんよ、私は」
カロルが強く言い返す。
「アレンにもしものことがあった時に、誰も気付け無いじゃないですか。そんな時に宿で一人安穏としてたなんて事になったら、私は自分が許せなくなる。それに、アレンが助けてくれているとはいえ、大元は私の問題です。私は絶対にここを離れませんよ」
カロルがその強い決意を口にする。カロルは姿だけ見れば儚い美しさを持った深窓の令嬢だが、これでなかなか頑固だ。こうなったらてこでも動かないだろう。
「……分かった。でも何かあったらすぐに逃げてくれよ」
「大丈夫です。その時は警察に駆け込みますから」
「そうしてくれよ」
アレンがカロルの身を案じ、声をかけた時だった。
「大丈夫だ、俺がお嬢さんに付いててやるぜ」
アレンがバッと後ろを振り返り、カロルが口から出そうになる悲鳴をなんとか手で押さえた。
「すまねぇ、驚かせちまったか?」
「エリク!」
そこにはエリクが片手をひらひらと振りながら立っていた。
「お前どうしてここに」
「お前ら二人だけで乗り込むなんて誰がどう見ても無謀だ。見張りぐらいなら俺にだってできるし、奴らが犬を放ったら俺の犬笛も役に立てる。ま、奴らが犬を連れてるところなんか見たこともねぇけど」
そういってエリクは犬笛をひらひらと振った。
「いや……だったらお前も危険だってわかるだろ」
「言っただろ。お前ぇさんがたにゃ貸しがある」
エリクは真剣な表情でアレンに言い返した。
「今日ここで精算させてもらうぜ」
「いや、釣り合わないだろ」
「だが、お嬢さんを一人にさせるのもやばいだろ」
エリクがそう言い返すと、アレンは、うっ、と言葉に詰まった。
「なに、心配するな。俺も生粋のヴィースっ子だ。この街なら目を瞑ってでも走れる。いざとなったらお嬢さんを連れて逃げるぜ」
エリクのその言葉にアレンは少し悩んだが、最終的にエリクの言葉に甘えることを決めた。
「分かった、ありがとうエリク。だが無理はしないでくれ」
「当たり前よ。俺は言っちゃ何だが、腕っぷしには自信がねぇ。その代わり逃げ足だけは早いからよ」
「ありがとうございます、エリクさん。とても頼もしく思います。このような大事に巻き込んでしまい、申し訳ありません……」
「なぁに、自分で勝手にやってるだけさ。お嬢さんが気に病む必要はねぇよ」
そう言ってエリクはカロルを安心させるように笑いかける。
三人で待ち伏せすることを決め、それからしばらく待った。しかし、ボードリヤールが現れる気配は一向にない。
「……? どうしたんだ?」
「今日は取りやめになったんでしょうか?」
「その割には、結構人がいるようだが……」
三人は首をかしげた。
「……時間か」
ボードリヤールはそれまで吸っていた葉巻を消すと、側に控えていたククを見やった。周りにも屈強そうな男が2人いる。どうやらボードリヤールの用心棒のようだ。
「じゃあ、約束の場所に連れて行ってもらおうか」
ボードリヤールと用心棒の二人がククの肩に手をかける。その手の感触に微かな嫌悪感を抱きながら、「かしこまりました」と一言だけ伝える。
ククは自身の『ギフト』を発動させた。
「来たか」
荷物が山積みになっている広い空間に出た。倉庫だった。
そこにはマティアスとローザ、その他数人の男たちが居た。ククはマティアスの手下が『止り木』と呼んでいた木の棒と交換にここへやってきた。ボードリヤールと用心棒二人も一緒だ。
「これを持て」
部屋に居た手下と思われる内の男が一人、ククの下へ木の棒を持ってやってきた。ククは顔をわずかにしかめながら、それを握る。手下はそれを受け取ると階下へと降りていった。
「暗いな」
ボードリヤールがそう言うと、マティアスは「火を灯せ」と手下たちに命令する。部屋が明るくなる。
「ようこそ、ボードリヤール様。弊社の『商品』をお買い上げ頂き、ありがとうございます」
マティアスが低姿勢になりながら、ボードリヤールに告げると、ボードリヤールは鼻白むような表情を浮かべた。
「挨拶などいらん。いいからシャロン邸の品々を見せろ。なるべく早くここを出たい」
「へぇ。そしたらこちらですぜ、旦那」
マティアスはそう言うと、倉庫の中を先頭だって歩きだした。建物の一階層分、丸々倉庫となっており、荷物が山積みになりまるで迷路のようになっているが、たかがワンフロア分のスペースである。ほどなく、様々な調度品の置かれているスペースへ到着した。
「これらが、シャロン氏の品々でさぁ。納得いくまでじっくり検分してくだせぇ」
「フム……これが……確かに良い品々だ」
ボードリヤールはそう言うと、シャロン邸の品々をじっくりと見定め始めた。実際はそれらには興味なく、紋章のような物が無いかを確認している。
そのボードリヤールの後姿を見ながら、マティアスとローザはニヤリと笑った。
「……おかしい。どう考えても19時を過ぎてる」
アレンが全く姿を現さないボードリヤールに、焦りを感じ始めた。待っている間に起こったことと言えば、倉庫から一人男が出てきて、何処かへと去ったことぐらいか。
「やはり、今日では無いのでしょうか……」
「……あるいはあの場所と時間はなんらかの符牒だったのか? 盗み聞かれても問題ないように……」
そうアレンとカロルが話し合ってる間に、エリクが何かに気づいた。
「おい二人とも、見ろよ。4階の所……明かりが点いてるぜ」
そう言ってエリクが建物の上方を指差す。そこには確かに先程まで点いていなかった明かりが灯されていた。
「実はもうボードリヤールは到着してたんじゃねぇか?」
「いや、そんなはずは……そこそこ前からここで見張って……」
と、そこまで考えて、アレンは気づいた。
「しまった! 奴らの中にはあのエルフ女がいる! 『ギフト』を使って直接マティアスの下へ赴いたのか!!」
カロルがその言葉にハッとする表情を浮かべる。
「うかつだった! 俺は大間抜けだ!」
「? どういうことだ」
エリクが疑問を口にすると、カロルが答えた。
「マティアス一味にエルフの方がいるみたいなのですが、そのエルフの方は、何かしらの物と自分の位置を入れ替えることができる『ギフト』持ちなんです」
「身につけたものも一緒に移動してるんだから、多分何人かは人も運べるんだろう」
「おいおいおい! そんな大事なこと忘れてたのかよ!」
「くそっ……! 二人とも、俺は4階まで登る! エリク、カロルを頼む!」
エリクの「分かった!」という言葉を聞くと、アレンはガス燈の明かりを避けながら道路を横切り、向かいの建物の物陰に隠れる。幸い、見張りたちには気づかれなかった。
そのまま、建物に黒玉を放ると、建物をするすると登り始めた。
そこは倉庫の隣の建物だったが、階数が一緒なので同じ高さである。アレンはあっという間に建物の最上階に着くと、倉庫へと飛び移った。
「いやぁ、すげえなゴードンさんは。あっという間に登りやがる。まるで猿みてぇだ」
エリクが感心して言うと、何故かカロルが胸を張りながら自慢する。
「そうです。アレンは凄いんですよ!」
エリクはそれに苦笑しながら「ごちそうさまなこって」と一言呟いた。
そんな二人を後ろから眺めるものが居た。
「動いた動いた……ニシシ。兄ちゃん姉ちゃんを尾行して正解だった」
トニオである。トニオはこそこそと建物の影に隠れながら、三人の様子を伺っていた。
「兄ちゃんが動いたな。姉ちゃんとエリクさんが残って……見張ってるのかな。様子見てるだけ? ……まぁいいか。エリクさんは結局出張ってきちゃったんだな」
トニオがカルロスの酒場でエリクにアレン達の動向を伝えた時も、エリクは何か考え込んでいる様子だった。エリクがどうにも心の負債を感じているようだったから、こうなるかもとは感じていた。まさか本当に実行に移すとは。
「まぁ俺もこんなビッグなネタを逃しちゃならないって、ここまでやってきちゃったんだから、同類かもなぁ」
トニオが自嘲気味に呟く。
「兄ちゃんはまさかマティアス一味の倉庫に乗り込むんかな」
建物の陰から様子を伺いながら、アレンの動向を気にかける。
「……よし、倉庫が見える場所まで近づくか」
トニオが建物と建物の間の暗闇に消えていった。
アレンは倉庫の最上階に飛び移ると、階下の様子を伺った。
「あそこにちっちゃいバルコニーがあるな……」
建物の真ん中に荷物搬入用の扉があるのだが、その左右に人二人分くらいが立つことができる小さなバルコニーのような場所があった。
「……よし」
アレンは気合を溜めると、最上階のバルコニーから、4階へと降り立った。そこでしばらく様子を伺うが、誰かがアレンに気づいた気配はない。
アレンは当面の危険はないことを確認すると、ドアの窓から中をちらと覗いた。
「……ククと、ローザがいるな。ボードリヤールは……山積みの荷物の向こうか?」
アレンはその場に居る人物を確認していく。
「壁際に下っ端っぽい奴らが六人。荷物の向こうに二人手練っぽい奴と、ローザのそばに巨漢が一人。ローザのそばにいるってことは……」
この巨漢がマティアスだろうか。恐らくそうだろう。他の人間に比べて存在感と威圧感が段違いである。
「マティアスとはやりあいたくないな……」
マティアスの姿を見ながら、そんなことを呟く。これから何が起こるか、アレンは室内の様子を観察し始めた。
「ふーむ……」
それなりに量があったが、ボードリヤールは品々を大体検分し終わった。その様子を見て、マティアスが声をかける。
「どうです? いい品揃いだと思いますが」
「うむ、そうだな」
ボードリヤールは生返事を返しながら、紋章らしきものが無いことに失望を隠せなかった。もしや、こいつらが隠したか?
「これで全部か?」
「ええ、そうですとも」
マティアスが愛想笑いを浮かべると、ボードリヤールが疑わしげにマティアスを睨んだ。
「本当か?」
「あら……ボードリヤール様は私達のことをお疑い?」
「ムッ……そんなことは無いがな」
そう言ってボードリヤールは顎を擦る。
「もしかして……お目当ての品物が無かったとか?」
ローザが鋭い目線をボードリヤールに向ける。
「……まさか、何か隠しているのか?」
「質問は」
ローザがギラリと目を妖しく輝かせる。
「こちらがしているわ」
そう言うと、ローザは自身の影から蛇を繰り出した。
「貴様っ!!」
脚に蛇が絡みつき、ボードリヤールはバランスを崩して横倒しになってしまう。
「おい、何やってるんだ!」
「てめぇらやめろ!!」
ボードリヤールの用心棒二人が色めき立つ。それまで壁際に控えていたマティアス達の手下達が、明かりの下へ歩み出る。
「おいおい、状況考えてモノを言えよ! てめぇらは追い込まれてんだからよぉ!」
それまでの愛想を投げ捨てて、マティアスがニタリと笑った。
「謀りおったな! 裏切るつもりか!!」
「あら、裏切るも何も、私達はあなたの飼い犬になったつもりはないわ。勘違いしないことね」
「おい、お前たち!! 何をしている!! 早くこの場をなんとかしろ!!」
ボードリヤールが用心棒二人に檄を飛ばす。
「……しかし、正直言って、多勢に無勢ですよ!? ここは投降した方が……」
「何を馬鹿な!! 何のためにお前らに金を払ってると思っているんだ!! いいからなんとかするんだ!!」
用心棒たちは正直躊躇する思いがあったが、仕方なく戦闘態勢を取った。
「おーおー、頑張るねぇ、かっこいいねぇ、お二人さんよぉ。……だが」
マティアスは壮絶な笑顔を浮かべた。
「その武勇伝は誰にも語られることはねぇだろうよ!」
マティアスが拳をガチンと鳴らした。
「……? 何だ? なにか騒いでる?」
にわかに騒がしくなった倉庫の中に、アレンが疑問符を浮かべる。
「交渉決裂か?」
そう思っていると、ローザがボードリヤールに蛇を向け、それを受けたボードリヤールが転倒するのが見えた。
「おいおい!? こりゃどうなってるんだ?」
ボードリヤール側とマティアス側が何か言い争っているようだ。倉庫の中は一触即発の空気が漂っている。
俺はどうする? このまま観察しているか?
アレンは今後の出方に考えを巡らせるが、良い案は浮かびそうに無かった。中で何が話し合われているか、あまりにも知らなすぎる。
そのうち、中ではボードリヤールの用心棒と、マティアス一味の下っ端が戦闘になった。
「ん~、兄ちゃん真っ黒な格好しているからよくわからないな……あそこのベランダにいるのがそうかなぁ……」
トニオがカロルたちとは建物を挟んで反対側の陰に潜みながら、建物の様子を伺っていた。
「もうちょっと見やすいところへ……」
トニオは見張り達の目を盗むように、こそこそと建物の陰から出ると、大胆にも道路を渡り、アレンが登ったのとは反対側の建物に身を潜めた。
「しまった……逆にこれじゃ見づらいや。せめて声だけでも聞こえないかな……」
トニオがそう独り言を呟いた時だった。
「てめぇ、ここで何してる?」
後ろから声をかけられた。
トニオがぞっとして振り返ると、そこには目の据わった一人の男が、トニオを見下ろしていた。
「アレン……」
カロルが建物の陰からアレンの心配をしていると、突然、騒がしい声が聞こえてきた。
「うん? なんか誰かが騒いでるな……」
エリクがそう言って通りを覗くと、どうやらマティアス一味と思しき男が、何者かを捕まえて、倉庫前の労働者たちの方へ寄っていくのが見えた。
途中、ガス燈の下を通った時。
「! おいおいおい! ありゃトニオじゃねぇか!!」
「えっ、うそっ!!」
二人はトニオが捕まる場面を目撃し驚愕した。トニオは離せ、離せと騒いでいるが、大人と子供の力の差には勝てず、ずるずると引きずられていく。
「あんのバカ、何やってんだ!!」
「た、大変です! ど、どうしたら……」
カロルがうろたえ、エリクがトニオ達を睨みながら考え込む。
「……シャロンのお嬢さん、カルロスの店に行って、応援を呼んできてくれ」
「え?」
「頼む!」
「でもエリクさんは?」
「一か八か、やつらに特攻してトニオを奪い返す!」
そう言ってエリクはその辺に転がっていた酒瓶を握り込む。
「そんな! 無茶です!!」
「だから応援を呼んでほしいんだ! このままじゃトニオが危ねぇ!!」
「でも私、ここからカルロスさんの店までの道、知りませんよ!?」
「今いる道を3ブロック戻って右だ!! 真っ直ぐ行きゃ店がある!! 営業は再開してるはずだ!!」
「でも!」
「いいから行ってくれ!! 頼むから早く!!!」
そういうとエリクは雄叫びを上げながら、マティアス一味に特攻する。マティアス一味は突然現れた襲撃者に驚き、慌てて迎え撃つ。
カロルは一瞬迷ったが、今はとにかく早く応援を、と頭を切り替え、夜の暗闇を駆け出した。
・作者twitter
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