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世界樹の夢でまた会いましょう  作者: うたまる ひろ
第2章 エルフの女
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オーケストラの幕は上がる

 トニオとの邂逅から二日後、アレンとカロルは例のコンサート・ホールの前で、ボードリヤールが登場するのを待っていた。トニオのおかげで期間は三日間というところまでは絞れたが、そのうちのどの日に現れるかまでは分からないため、今日から三日間、建物の前でボードリヤールが現れるのを待つつもりだ。幸い、開場が17時、公演が18時からのため、待機時間はそう長くない。

「17時になったな。ボードリヤールを見逃さないよう集中しなきゃ」

 アレンはそう言って真剣な顔つきになるが、カロルはくすくすと笑い出した。

「……なぁ、カロル。いつまで笑ってるんだ?」

「いやぁ……すみません。アレンのそんな格好が珍しくて珍しくて…………フフッ」

 油断すると吹き出すカロルを見て、アレンは心の内で盛大に溜息を吐いた。

 今アレンは珍しいことに普段の黒装束ではなかった。コンサートのドレスコードに合わせて、グレーのズボンに黒のベスト、青いネクタイを合わせ、上着にフロックコートを着込んでいる。手には白手袋を付け、髪の毛はオールバックの上にシルクハットを合わせている。

「この服装選んでくれたのカロルじゃないか……」

「そうですね……フククッ、とても似合ってますよ、アレン……」

 笑いをこらえきれないカロルに、納得いかねぇ! と心の内で叫ぶアレンだった。

 一方のカロルも旅装を解いて、今は青い光沢のあるイヴニング・ドレスに身を包んでいる。白いレースのショールを肩から胸元を包むように掛け、赤いバラを象った造花のブローチでショールを胸元に留めていた。白いフリル付きの、少し大きめのボンネットで頭を覆い、そのボンネットにもやはり赤い造花が付けられている。カロルもアレン同様、白い手袋を着用している。

 二人は昨日のうちに衣装屋に行き、コンサートに合う服装を借りていた。カロルは昨日もアレンのしゃちこばった様子を見てふがふがと笑っていたが、未だに慣れぬらしい。

 胸に留まる造花のブローチだけは借り物ではなく、カロルが衣装屋から買い取ったものだ。ボンネットの装飾と合わせたものだが、結構気に入ったのか、大事にするつもりらしい。

 チケットも準備しておいた。もしやボードリヤールが現れるまで毎日購入しなければならないかと思ったが、立ち見席なら期間中いつ入ってもいいらしい。

「カロル、もうちょい緊張感持ってくれよ……」

「ごめんなさい……フッ!……気をしっかり張らないとですね……フフッ!」

 これは駄目だ、とアレンは諦め、真面目に建物の正面玄関を見張ることにした。

 小一時間が経ち、時計は17時50分。今日は現れないかと諦めかけていた頃に、一台の馬車が正面玄関へと寄せられた。その馬車が到着すると、建物から何人もの従業員らしい者たちが慌ただしく現れ、馬車から玄関まで、道を作るかのように並んだ。

「アレン、もしやあれは……」

「うん。近くに寄ってみよう」

 二人は急ぎ道路を渡り、何事かと寄り集まった人山の奥から、馬車の様子を覗き込んだ。

 するとドアボーイがうやうやしく馬車の扉を開け、その奥から一人の男が降りてきた。

「アレン、当たりです。ボードリヤールです」

「あいつが……」

 アレンは初めて見るボードリヤールをまじまじと眺めた。

 ボードリヤールはキザな仕草でシルクハットを取ると、周りの人間に向けて手を頭上に掲げた。おお~、というどよめきが周りから起こり、それに気を良くしたかのようにのっしのっしと歩みを進め、やがて扉の奥へと消えていった。道を作っていた従業員たちはそれを見送ってから、同じ様に建物へと入っていき、辺りは再び元の喧騒を取り戻した。

「よし、俺たちも」

「待ってください、アレン」

 何事かとアレンが振り返ると、カロルが手を差し伸べた。

「私という可憐な一輪の花をエスコートしてくださいな」

「えぇっ!?」

「その驚きは何に対してです?」

 カロルが少しむくれるように言った。

「い、いや、俺エスコートとかしたことないけど……」

「そんなことならそんなに心配しなくても大丈夫ですよ。とりあえず腕を直角に曲げてくれれば、私が、ふんっ! って感じで掴むので」

「お、おう」

 アレンは言われたとおりに腕を曲げると、カロルがその腕を優しく取って横に並んだ。二人でシャロン邸を後にしてから、何かと距離が近くなり、それにも徐々に慣れてきたな、とアレンは思っていた。しかし、こうやって腕を組まれると、それはそれでソワソワするものだ。

「アレン、どうしましたか? そろそろ開演時間ですから急ぎませんと」

「そ、そうだな」

 とアレンは返事したが、どうにも歩みがぎくしゃくとして堪らない。背中に変な汗をかいてしまい、甚だ気持ちが悪い。

 少し不安だったが、ドアボーイにチケットを見せると、ドアボーイは「どうぞあちらです」と笑顔で通してくれた。ドアボーイが示した先では、改札人二人が客たちのチケットを捌いていた。

 アレン達がチケットを渡すと、改札人がそれを受取り、「立ち見席ですね。そちらの扉から中へお入りください」と、真正面にある大扉を指し示した。

「ね? 入るだけならそんな畏まらなくて大丈夫だったでしょう?」

「そうは言っても俺初めてだから、緊張したよ……」

 アレンは思わず、ほうっ、と息を吐き出した。これからボードリヤールの動向を探ろうとしているわけだが、ある意味、それよりも緊張することかも知れなかった。



 扉からホールへと入ると、まずその広大な空間に驚かされた。長方形のホールは住宅が2、3軒、すっぽりと収まってしまいそうだ。扉の真正面に楽団が上がるステージがあり、整然と並んだ椅子が演奏者の登場を待っている。天井は高く、客席は全部で4階層あるようだ。2階から上の客席はホールをぐるりと取り囲むような回廊状になっており、特に、今アレン達が入ってきた扉側の上方部分はホールの5分の1ほど前にせり出している。客席数がどれほどかは分からないが、1000人くらいは軽く収容できるのではないか。

 壁際が立ち見客たちのための場所となっている。観客席の後ろに2階席を支えるための柱が立ち並び、それらの間を石造りの手すりが結んでいる。立ち見客たちは少しでもステージが見える場所を確保しようと、誰も彼もが手すりの辺りで群がっている。

 そのような広大なホールが、無数の観客によって埋め尽くされていた。観客たちのおしゃべり声が重なり合い、どよどよと響き渡る様は、さながら音の大洪水だ。

「いや、すごいな……」

 アレンはその光景に圧倒され、感嘆の声を上げた。思わず辺りを見渡してしまう。

「外観も大きいものでしたが、中へ入ってみるとまた見事ですね。これだけの大きさのホールはなかなかありませんよ」

 口ではそう言いながらも、落ち着き払ったカロルを見て、アレンは少し気後れのようなものを感じた。こういうところに庶民と貴族の差が表れるな、と思うと少し負けた気分だ。

「それで、特別観覧席というのは……」

「きっとこの真上でしょうね」

 そういって二人は前にせり出した2階部分、今立っている場所の真上を見上げた。

「少し真上の様子を見てみましょうか」

 そう言ってカロルが掴んでいるアレンの腕をぐいぐいと押し、先へと歩くことを促す。

「観客席の方へ歩いていくのか? 俺たち、立ち見席なんだが」

「別に問題ありませんよ。席に迷ってるふりをすればいいだけですし」

 アレンはそれでも少し躊躇したが、意を決し、足を前へと運び出す。

 二人は観客席の中ほどまで歩みを進めると、振り返って2階部分を確認した。

 2階席のど真ん中に、他の部分に比べ少しばかり弧を描いたバルコニーのようにせり出した場所があった。垂れ幕に隠れて判りづらいが、両側は壁に囲まれているようだ。奥に席があると思われるが、今は赤い緞帳が降ろされていて、中の様子は伺えない。

「あそこが特別観覧席ですね」

「じゃあ、あそこにボードリヤールがいるんだな」

 特別観覧席を確認すると、アレンはごくりと唾を飲んだ。あそこでこれからボードリヤールとマティアス一味が接触するのか……あるいは既に接触しているのか。

 二人は立ち見席となっている壁際まで戻った。すると二人と入れ替わるかのように、従業員らしき者たちが壁際から離れて、ステージの方へと歩きながら「間もなく開演いたしまーす!」と大声を上げ始めた。それと同時に扉が閉められ、赤く厚ぼったいカーテンで覆われる。いくつかのガス燈が点灯夫によって消され、立ち見席は2階部分がせり出していることや、太い柱が立ち並んでることもあって、想像以上の暗闇に包まれた。

「そろそろか」

 アレンに緊張が走り、自然と身体がこわばる。その様子に気づいたカロルが、アレンの腕を空いた手でぽんぽんと叩く。カロルがこくりと頷き、アレンがそれに答えて頷く。

 ステージ横に小太りの紳士が一人躍り出た。

「ご場内の皆様! 本日は当公演へとご参上くださり、誠にありがとうございます。 今宵もこのように大勢の紳士淑女を迎え入れることができ、当歌劇場の支配人として感謝の念に堪えません。当歌劇場は大変由緒のある、歴史的建造物でございます。本日も満員御礼、大変光栄な限りではございますが、こう沢山の人で賑わいますと、そのうち2階3階4階部分が落っこちてしまうんじゃないかと、支配人の私はヒヤヒヤしております」

 そう言って支配人がおどけると、場内からどっと笑いが起きた。

「そのような当歌劇場ですが、その昔、次々と生まれた新しい劇場に押しに押されてしまい、恥ずべき経営不振に陥った結果、一度は廃館寸前にまで追い詰められてしまいました。……そのような時代の逆風の中、かの高名偉大なるヴィース市議会議員であらせられる、ジルベール・ウスターシュ・ボードリヤール氏が現れ、当歌劇場の歴史的価値をそのご慧眼によって看破なされ、ご賢明にも当歌劇場に温かいご支援の手を差し伸べて下さったのでございます」

 支配人はそう言うと、2階部分に向かってスッと手を差し伸べた。1階の観客たちがその仕草につられて、後ろを振り返る。

「本日の公演もボードリヤール氏が後援会長となり、実現したものになります。ボードリヤール氏居られればこそ、こうして皆様に音楽鑑賞という優雅なひとときをお届けすることができるのです!」

 観客たちから「おお~!」というどよめきの声が上がる。

「皆々様! どうぞ高貴な紳士たる、ジルベール・ウスターシュ・ボードリヤール氏の名誉のために、盛大な拍手をお送りください!!」

 支配人は陶酔しきった顔でそう述べ立てると、大きな拍手を2階に向かって送った。

 一拍遅れて、広大なホールのあらゆる場所から、まるで大瀑布のような拍手の音が湧き起こった。2階席が見えないはずの立ち見の観客たちまでもが、手すりに乗り出すようにしながら2階へ向けて拍手を送っている。

「いま、多分……」

「ボードリヤールがいるんでしょうね……」

 1階の席に座る観客たちが2階席を振り仰ぎながら、笑顔で盛大な拍手を送っている。時折、大きな口笛の音や、声にならない歓声が上がっている。

「それでは、紳士淑女の皆様お待ちかね、アードラーブルク管弦楽団による公演を開始致します。どうぞ、ごゆるりと瀟洒なるひとときをお過ごしください……」

 そう言って支配人がステージから離れると、ほどなくしてホール横手の扉から楽団のメンバーが姿を現し、場内は今一度大きな歓声と拍手に包まれた。動くとあれば頃合いか。

「……よし、ボードリヤールの様子を確認してくる」

 アレンが硬い表情で告げる。

「アレン、気をつけて」

「ああ。……すまんが帽子を預かってくれ」

 アレンは帽子をカロルに預けると、歩き出そうとして、その動きをハタと止めた。

「……コートの裾が邪魔になっちまうな。色は暗闇に紛れて良いんだが……」

 アレンは長く垂れ下がったフロックコートの裾を気にして、しきりに自身の背中を見下ろしている。その様子を見たカロルが「背中を見せてください」とアレンに近寄った。

 カロルは胸元にあった赤い花のブローチを取ると、フロックコートの裾を一回折った上でズボンに留めようとした。温かい時節ではあるが、フロックコートの生地はそれなりに厚ぼったく、作業はなかなか難航したが、最後にはなんとか上手く留めることができた。

「……うん、これなら邪魔にならないし、垂れ下がる心配もないな。……おい、どうしたカロル。またそんな笑いだして……」

 アレンが身を捩りながら、多少動きやすくなったことを確認していると、またカロルが息を詰めるかのように笑いを堪えていた。

「いえ? ……プッ……グクッ……なんでも、ありませんよ?」

 そう言うとカロルは、フグッ、と息を漏らして、その顔をアレンのシルクハットで覆い隠した。

 アレンは、また赤い花のブローチが似合わない、とかそんなことで笑ってるんだろうな、と釈然としない気持ちになった。ウサギの尻尾の様に、赤い花を尻に付けた滑稽な姿になっていることには、アレンは気づいていない。

 それとは知らず、こんな状況でもからかってくるのかと、脱力するような気分になったアレンだが、ある意味良い具合に肩の力が抜けたのかもしれないと考え直した。自分は確かに緊張しすぎだったのかも知れない。

「……ありがとうな、カロル。それじゃあ行ってくる」

 意図せずともアレンの緊張を解いてくれたカロルに感謝の気持ちを込めながら、真剣な面持ちでアレンは告げる。

 するとそれを聞いていたカロルの口元から、バフーッ! という音が漏れ出し、アレンに返事をすることもなく壁際へ急ぐと、座り込みながら肩を震わせていた。どうやらいよいよ笑いを堪えきれなくなったらしい。

 ……本当にさぁ! カロルはさぁ! こういう時でもさぁ!

 憤懣やるかたない様子のアレンは、肩を震わせてばかりのカロルを無視すると、お尻の造花をぷりぷり振りながら、さっさと行動に移すことにした。

 ステージの上では演奏者が出揃い、観客に向かってお辞儀をし、椅子へと着席したところだった。

 よっ、とアレンは黒玉を生成すると、壁にそれを放った。黒玉を吸い込んでいたアレンの手が、ひたりと石壁に吸い付く。

 指揮者が指揮棒を握り込み、演者たちが楽器を手にして静止する。

 アレンが地面を蹴りあげた時、指揮者が一気に指揮棒を振り下ろした。



 場内にはクラシックの旋律が、ゆったりとした大河のような力強さで流れ始める。

 観客たちはその調べに身を委ね始めた。あるものは目を閉じ、あるものはうっとりとした様子で聞き入り、あるものはステージ上の演者を食い入るように見つめている。薄暗がりの中、天井に張り付き、這うように移動するアレンに気づくものは誰も居ない。

 アレンは、特別観覧席の両側から垂れていた垂れ幕に隠れながら、2階へ向かうつもりだ。

 垂れ幕がかかっている柱まで到達した。ここから柱を回り込んで、垂れ幕の下に潜り込む時に、一瞬身を晒すことになる。緊張の一瞬だ。

 オーケストラの音色が次第に高く、大きくなっていく。

 ホルンやコントラバスに支えられながら、ヴァイオリンとチェロが高みへと上り詰めていく。

 豊かな広がりを持っていた音が、高音域の方へ細く張り詰めるように収束していき……。


 指揮棒が音色をジャンッと断ち切った瞬間、アレンは「今だ!」と、するりと幕下へ潜り込んだ。


 ――木管楽器の旋律が柔らかく、ふくよかに流れ始める。その春風のような音色に場内の空気は弛緩する。垂れ幕の下のアレンは冷や汗を手袋で拭い、誰も自分の存在に気づいていないことを確認すると、ゆっくり、少しずつ2階へと進んでいった。



 2階の特別観覧席からは灯りが漏れ出しているようだった。どうやら緞帳の幕は開かれたようだ。

 アレンは柱に張り付きながら耳をそばだてるが、ホールを満たすクラシックが邪魔をしてよく聞き取れない。

 しかし、よく見るとバルコニーの手すり部分と赤い緞帳の間に、身体を滑り込ませることのできそうなわずかなスペースがあることに気付いた。危険を伴うかもしれないが、アレンは意を決すると手すりを飛び越え、緞帳の影に潜んだ。

 意外にも、観覧席の中から女の声が聞こえてきた。

・作者twitter

https://twitter.com/hiro_utamaru2


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