悪漢との闘い
「これは、あの婆さんに、絶対に、騙された」
アレンはもはや郊外と呼んで良いほどに街の中心から遠く離れた場所に立って居た。
老婆の言葉には半信半疑だったが、仕事が見つかると言われては無視が出来なかった。半ば諦めていた就職への希望がまたむくむくと湧き上がり、結局老婆に金を払ってしまった。
老婆に教えられた場所は街の辺縁、もはや外部と言って良いほど中心部から離れた場所にある、何の変哲もない小さな十字路だった。最初は半信半疑であったアレンだが、街の中心から離れるほどに辺りの建物はまばらになっていき、代わりに草木の生い茂る風景に取って代わっていくのを眺めるにつけ、段々と疑いの気持ちの方が勝るようになっていった。しかし、金を払ってしまっては最早あとには引けないと思うのが人の性である。半ば森に埋もれたような民家がぽつぽつと建っているのを横目に見ながら、アレンは、20ルブラ、20ルブラ、と呟きつつ夢遊病者のように歩き続けた。
夕刻あたりになって、ようやく老婆に教わった十字路に到着した。最早存在すら疑い始めていた十字路が本当にあって安堵したものの、そこは林に囲まれた道を抜けた先、平野部と接するまさにその境界にあたる場所だった。当然周りには何もなく、「この先リュテ」と素っ気なく書かれている簡素な看板が立っているだけの侘しい場所だった。待つ以外にできることなど何もなく、アレンは所在なく一人ぽつんと立ち尽くしながら、その時を待っていた。茜さす頃というなら、もうすぐお目当ての出来事が起こるに違いない。
しかしそのまま1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、空はもはや茜さすどころか、残り火のような夕焼けの余韻が地平線の彼方で夜の帳に溶け込もうとしていた。
つまり、最早夜と言っていい時間だった。
「あの詐欺ババア、今度見かけたら有無を言わさず警察に突き出してやる!」
もしかして到着が遅かっただろうか? 機会を逃してしまったのだろうか? と、最初は不安に襲われていたアレンだったが、次第にそのもやもやと鬱屈したエネルギーは怒りへと変わっていき、やるかたないその怒りを老婆にぶつける以外、他に仕方が無かった。
詐称を働こうとして逆に詐欺に合うなど笑い話にもなりゃしない。なんと時間を無駄にしたことだろうか。ここでできることなど何もないし、街に戻って宿をとり、明日になったら婆さんを命かけて探し出し、警察に突き出してやるんだと考えながら、アレンが踵を返そうとした時だった。
「……? なんだ?」
最初に気づいた時は地震の前触れのような地響きが遠くから聞こえるだけだった。しかしその音が近づくにつれ、どうやら馬車を飛ばす音のようだと分かった。それは段々とこちらに近づいてきているようで、このままここにいれば確実に鉢合わせになるだろう。
「御しきれなくなって馬が暴走したか?」
そんなことをアレンが考えていた時。
「――! ――――!!」
何者かが叫んでいるようだった。最初は馬車の地響きに埋もれはっきりとは聞こえなかったが、こちらに近づくごとにそれは明瞭な言葉となり、ついにはアレンの耳にはっきりと助命を懇願する叫びとして届いた。
「助けてくれ! だれか! 助けてくれ!!」
「おいおい! 一体何なんだ!?」
アレンが目を白黒させていると、紳士然とした男が恐慌に落ちいった顔を浮かべながら、客室付きの立派な四輪馬車の御者台に座り、馬の手綱を必死で操っていた。
「おうい! どうした! どうした!」
その馬車に乗る紳士が目視できるまで近づいてきたところで、アレンはその紳士に向かい声を張り上げた。その紳士はぎょっとした顔でこちらを見やったが、アレンが頭の上で大きく手を振っているのを見て、どう、どう、と手綱を引いて馬の速度を緩め、やがてアレンの目の前で止まった。
その紳士は元はブラウンであったろう白髪の上にピカピカのシルクハットを被り、仕立ての良いフロックコートと靴に身を包まれた、ひと目で貴族とわかる痩せぎすな初老の男だった。
紳士は恐れと緊張のためか、よく手入れのされている口ひげをしきりにさすり、狭い御者台に押し込められた大柄な身体を、まるで怯えきったネコのように丸めていた。警戒しているのか、辺りをきょろきょろとせわしなく見回している。差し迫った危機はないとわかると、貴族としての体面を死守すべく、胸を張りながら誰何してきた。
「君はこのあたりのものか!?」
「いや、紳士の旦那。私は昨日この国に着いたばかりのしがない無職なもんで。それより旦那、一体どうされましたか?」
「ううむ、外国のものか……いや今はそれは関係ないな。率直に言おう、私は今追手に追われているのだ」
「追手ですって?」
アレンが馬車の後ろを見やるが、他に馬車や馬の影もなく、何者の気配も感じられなかった。
「追手とやらはどうやら諦めたようですよ」
「いや、違うのだ、あの輩は地上を走らず……」
紳士が言葉を継ごうとしたとき、突然突風のような風が吹き荒れ、周りの草木をざわつかせた。そうして、ふわり、と鳥の羽が落ちたかのように、一人の男が空から降りてきた。
男はいかにも荒くれ者といった風体で、がっしりとした肉体をフード付きのマントに包み、片手に大ぶりのナイフを持っていた。見た目だけで判断すれば年の頃は30~40といったところか。薄汚れたフードの奥でその目がギラギラと紳士を睨めつけていた。
「追いついたようだなぁ。もう諦めたのか、シャロンさんよう? 俺はあんたさんの家まで着いていったって良いんだぜぇ?」
「ふざけるな、お前のような下賤な輩を屋敷に近づけさせてなるものか!」
荒くれ者がにやにやと薄笑いを浮かべながら、紳士の言葉を受け流したところで、ようやくアレンの存在に気がついたらしかった。
「お前は誰だ?」
「それは俺の言葉だな。誰だお前は? なぜその旦那を追う?」
「そんなもんバカ正直に答えるかよ!」
そう言うと男の周りに風が渦巻き始めた。男がその風に身を任せると、男の身体がふわりと浮かび上がった。そして男はナイフを振りかぶりながら、あっという間にアレンの眼前に肉薄した。
「ぐっ!?」
アレンは考えるよりも先にナイフを抜き、男の攻撃を防ぐ。宵闇の中ナイフとナイフがぶつかり合い、飛び散る火花が閃く。
アレンと男が数合切り結ぶ。ジャリジャリと鎬を削り合う音が辺りに響き、そのたびにナイフから飛び散る火花が辺りを一瞬照らし出す。アレンのナイフが男のフードを切り裂いた時、男は舌打ちしながら風に乗るようにアレンから距離を開いた。
「てめぇ、本当に何者だ? 最初の一撃で終いかと思ったんだがな」
「ただの通りすがりの外国人だ。それよりお前のその耳……エルフだったのか」
男はどうでも良いとばかりに鼻で笑った。切り裂いたフードからエルフ特有の長い耳が覗いている。アレンは得心する。
「なるほど、『風使い』の種族ってことか。風の術を使って、この旦那を追ってきたな」
「それがどうした? ただの通りすがりにゃ関係ない話だろう」
そう言い言葉を切ると、エルフの男は紳士に水を向けた。
「シャロンさんよ、悪いことは言わねぇ、『本』を渡しな。そうすりゃ命まで取りゃしねぇよ」
「ばかな! この『本』を渡すことはできん!」
と、紳士が返す言葉を聞きながら、エルフの男はにやりと笑った。
「今、『この本』って言ったな? どこかに隠したわけでもなく、この場にお目当ての『本』があるってわけだ。それをおとなしく渡しな。さもなければ」
エルフの男は、アレンに向けて顎をしゃくった。
「この無関係な男ともども死ぬことになるぜ」
ぐっ、と紳士は言葉に詰まった。アレンは身構えながら言い返した。
「なんだか知らねぇが、俺も含めて恫喝したってことでいいな。ならば俺にぶん殴られて警察に放られても、文句は言わねぇな?」
「……後悔するぜ、よそ者が」
エルフの男はそういうと身を低く構え、一足飛びにアレンのもとへ飛び込んだ。
アレンは迎撃するべくナイフを構えたが、嫌な予感が背筋を走り、ナイフで受けずに瞬時に身を屈めた。瞬間、アレンの頭上を空間ごと薙ぎ払うかのような恐ろしい風切り音が通り過ぎる。
「!? これは!?」
驚きつつ体勢を立て直そうするアレンに、気合の声とともに男が蹴りを放つ。脇腹を男の脚で薙ぎ払われ、アレンは横っ飛びにすっ飛ぶ。
アレンは地面に身体をしたたかに打ちつけながらも、回転しながら受け身をとり、あらためて体勢を立て直そうとするが、男は追撃の手を緩めない。
「どらぁっ!!」
男は唐竹割りにナイフを振り下ろす。アレンは短い呼気を吐きつつ自身のナイフで受け流し、男の左肩あたりを蹴りつけた。大したダメージは与えていないものの、男が一瞬怯んだすきにアレンはバク転しながら男と距離をとる。
「さっきよりもナイフがでかくなってる……」
アレンは、今や長大な剣も同然となった男のナイフを見て、驚愕とともに呟いた。
「さっきといい、今といい、よそ者風情がよく避ける……」
忌々しげに吐き捨てる男に向かって、アレンは確信して言った。
「お前、『ギフト』持ちだな。持ち物をでかくするってか? エルフは汚いな、風の術とは別に『ギフト』を持てるんだから」
「へっ、だったらどうしたよ。逃げ足だけは早い兄ちゃんよぉ!?」
再び襲いくる男にアレンは再びナイフを向けた。轟、轟、と恐ろしい音をたてながら男がナイフを振るう。アレンはそれらを紙一重で避けながら、男と剣戟を切り結ぶ。男が下段から切り上げて来たところをナイフで受け、その勢いで後ろへと飛び退る。
「いつまでも避けてばかりじゃ俺には勝てないぜ、兄ちゃん!!」
男が風の力を使い、機関車のように突進してきたのを見て、アレンは声を上げた。
「引き合え、『黒玉』!!」
瞬間、男の身体はまるで鎖に引かれたかのように減速し、そのまま地面に擦られながら後ろに引き摺られていく。
「おおおおおおおおおおっ!!??」
男は混乱の声を上げながら地面を掻きむしるが、なすすべもなく引き摺られていき、やがて地面のある一箇所に『磁石がくっつく』ように張り付けになった。
「これはっ!!??」
「おらぁぁぁぁっ!!」
アレンは雄叫びに烈帛の気合を乗せながら、男の頭上へと跳躍し、ナイフを振り下ろす。
「ふぐぅおおおおおお!!!」
男は巨大化したナイフの横腹でその攻撃を受け止め、アレンと鍔迫り合いになる。
「小僧! 貴様も『ギフト』持ちか!?」
「だったらどうしたよ! ナイフをでかくするしか能のないおっさんよぉ!」
アレンは先程への意趣返しと言わんばかりに叫んだ。
「なめやがって! このクソ野郎!!」
男はそう叫ぶと獣のような咆哮をあげ、アレンのナイフを横へと流しつつ、背中を中心に頭と脚の位置を入れ替えるように回転するという曲芸じみた動きをした。勢いそのままアレンの頭を横から蹴りつける。
短いうめき声を上げ、横へと倒れ込むアレン。すると男は地面から開放され、自由に動けるようになった。それを確認し、男は手に何かを握りこむと、風の力を使いながら上空へと跳躍した。
「俺をなめたこと、後悔させてやるぜ!」
そういうと、男はその手に握り込んでいた石をアレンに向けて投げ下ろした。
瞬間、男の手によって投げられた小石が、一抱えほどもある大きな石へと変化する。
「ぐっ!??」
アレンは避けきることができず、左肩の辺りを石にぶつけてしまう。直撃こそしなかったものの、鈍い痛みにうめき声を上げる。
「おかわりはどうだ!? そらよ!!」
と、男はいくつもの小石を投げると、それらも瞬く間に巨大化した。
アレンは痛みに耐えながらそれらを躱し続けるが、あまりの数に途中で体勢を崩してしまう。男は「勝った!」と思った。
その時、アレンの両手に突然白い玉が現れた。
アレンはその内の一つを避けきれない石に向かって投げると、白玉は石に吸い込まれた。
もう一つをアレン自身の胸のあたりにあてがうと、それもアレンの身体に吸い込まれる。
そうしてアレンは叫んだ。
「反発しろ、『白玉』!!」
すると、石とアレンの間に見えない力が働き、まるでクッションを挟んだかのようにアレンと石が反発しあって、互いに遠ざかる。
咄嗟のことで上手く受け身を取ることは出来なかったが、アレンは石の直撃を受けずに済んだ。
「……」
男は風で速度を殺しながら地面に降り立ち、怒りと困惑の入り交じる複雑な表情をアレンに向けた。
「妙な『ギフト』をもってやがる。本当に逃げることだけは天才的な野郎だ、褒めてやるよ」
「不本意な褒め言葉をどうも」
アレンは全身を苛む痛みに耐えながら立ち上がる。
「物に吸い込まれる黒玉と白玉か。それを吸収しちまうと、引き合ったり反発しちまうってわけだ。さっきも切り合った一瞬のすきに黒玉を俺に投げてやがったな」
男が『ギフト』持ちと判った後の剣戟。男のナイフを避けながら、アレンは密かに男と地面に黒玉を投げていた。その後に男が風で加速したとき、アレンは黒玉の能力を発現させたのだった。
「他にもつまんねぇ手品を隠し持っていやがんのか、小僧? 銀玉とか金玉とかあるのか?」
「下品な野郎だ。ほいほいと自分の手の内を明かすバカがいるか?」
「俺が下品ならお前は面倒くせぇ野郎だ。これ以上付き合ってられねぇな」
そういうと男は、アレンと男の闘いが始まってからどうすることもできず、ただおろおろとしていた紳士の方へと顔を向ける。
「俺の仕事は『本』を回収することだ!」
と言うと、男は紳士に向かって爆発するかのような勢いで飛び込んでいく。
「てめぇを殺して『本』を回収する!!」
「ひっっ!!」
紳士はどうすることもできず身を縮込めるばかり。凶刃が紳士の命を奪わんとばかりにギラつく。
「お命頂戴!」
男がまさにその凶刃を振り下ろさんとした時。
突然男の身体が弾かれるように馬車から吹っ飛ぶ。
「なっ!?」
「俺から目をそらしたな? バカが!!」
アレンはそう叫ぶと黒玉を生成し、男とアレンの身体に吸い込ませた。
アレンは黒玉の引き合う力を利用し、弾丸のような速度で男に迫った。
「てめぇは隙だらけなんだよ!!」
その勢いのままにアレンの膝が男の顔にめり込んだ。バキバキという音を立てて男の顎が砕ける。
それきり、うめき声もあげずに男は倒れた。
がくりと倒れそうになる疲労の中、荒い息をつきながらもアレンは地面をしっかりと踏みしめていた。
「念の為、事前に馬車に白玉を吸わせておいて正解だったな」
男が現れた時に保険として吸わせていた白玉が役に立った。男が紳士に顔を向けた一瞬の隙をついて男に白玉を投げておき、今やというタイミングで発動させたのだった。アレンは勝利した余韻に相好を崩しながら、紳士の元へと歩いていった。
「旦那、お怪我はありませんか」
アレンが問うと、未だ闘いの熱気にあてられたかのように呆けていた紳士がもごもごと口を動かしながら返答した。
「ああ、大丈夫だ。すまない、助かった」
「お安い御用……ではなかったですね。まぁ、お怪我が無くてなによりです」
アレンがそういうとようやく気を持ち直したのか、紳士は背筋を伸ばし、感嘆の吐息をもらしながら御者台から降りた。胸に手をやりつつ紳士は言った。
「私の名はジャン=クリストフ・ド・シャロンという。どうか君の名を教えてはくれまいか」
「アレン・ゴードンです、シャロンさん」
「アレンくん。此度は危うく命を落としかけたところを、貴君の勇猛果敢なる働きによって見事救われた。真に感謝に堪えない。心より御礼申し上げる」
と述べ、アレンにお辞儀をした。アレンは普通では関わることもない貴族の紳士に最上の敬意を払われるというむずがゆさに、なんとも言えぬ照れくささを感じた。
「よしてください、シャロンさん。私は私のできることをしたまでですよ。それよりも」
と、アレンは未だ気絶しているエルフの男を親指で差し示しながら、紳士に告げた。
「あの男をふん縛って、警察の檻に放り込んでやりましょう」
本作をお楽しみ頂けましたでしょうか?
評価・ご感想はページ下部へ↓