情報屋の少年
「カロル、ここだ」
「アレン!」
ボードリヤール邸の前、街灯の下で待っていたアレンは、ボードリヤール邸から出てきたカロルに手を振った。カロルがアレンの元に駆けてくる。
「すまん、こっちは成果無しだ。カロルは?」
「私の方は……」
カロルは、ボードリヤールがマティアスと繋がってることを確信したこと、上手くいけばボードリヤールとマティアスが接触するだろうことをアレンに伝えた。
「なるほど……」
アレンは人差し指をこめかみに当て、考え込んだ。
「……怒りませんか?」
「怒る? また何かやらかしたのか?」
「そんな、私がいつも何かやらかしてるみたいに……いえ、ボードリヤールさんとの会談でハッタリかましてみたり、ボードリヤールさんとマティアスの接触を促してみたり、結構勝手やっちゃったかなと……」
「あー……」
カロルは少し申し訳なさそうに目を伏せ、アレンの反応を伺った。アレンは思案げな顔をした。
「ん、まぁ、事前に伝えてくれたら嬉しかったかな、とは思うが……俺じゃ良い案は思い浮かばなかったし、カロルに任せたわけだから、カロルがそうするのが良いと思ったなら、それで良いと思うよ」
さきほどの反省のこともあり、アレンは後頭部をぼりぼりと掻きながら少し目線を逸らした。カロルは安心するかのように一息ついた。
「マティアス達のことは直接は聞かなかったのか?」
「はぐらかされると思ったので。ハッタリが上手くいかなかったらそれとなく探るところでしたが、ボードリヤールさんが案外簡単に口を滑らせてくれたので助かりました」
カロルはそう言いながら、手を握ったり開いたりした。
「ハッタリなんて初めてだったんで、手に汗握っちゃいました」
「どれどれ」
アレンは不意打ちのようにカロルの手を握った。カロルは驚きのあまり「きゃっ」と声を上げ、アレンの手を振り払った。少し頬が上気している。
「や、やめてくださいよ……汗かいてるのに恥ずかしいじゃないですか……」
「んー? 手ぐらい何回も握ったじゃないか。何を今更恥ずかしがるってんだ?」
カロルにいつもしてやられているアレンは、ここぞとばかりに仕返しをした。ニヤニヤと笑いながら、逃げるカロルの手を握ろうとする。
「ほらほら、どうしたんだカロル」
「やめてください、アレン! アレンはスケベです!」
「いつもしてやられてんだ、こんな機会を」
「……って大声で言いなさい」
「アレンはスケベです!」
アレンは往来のど真ん中、大声で叫んだ。本日もアレンはカロルの『ギフト』にしてやられた。
その後しばらくふてくされていたアレンだったが、何度も謝ってくるカロルに根負けして許すことにした。カロルに甘いアレンである。
「それで、今後の動きだが」
アレンは仕切り直すかのように話を進めた。
「ボードリヤールが動くかもしれないってんなら、その動きを監視しなきゃならないな。いつ動くか分からん以上は今夜から見張っていたほうがいいか」
「そうですね、いつ動くかまでは分からないので……それが分かれば好都合なのですが……」
そうやって考え込んでいると、二人に声をかけるものが居た。
「ねぇねぇ、兄ちゃん姉ちゃんたち。新聞買わないかい?」
二人が声のする方を向くと、そこには一人の少年が新聞紙片手にニコニコと笑っていた。新聞紙をいくつか下げたバックを肩がけにして、キャスケットを被った少年だった。毎日着ているのか服はあちこちが汚れており、裾や袖口が擦り切れていた。
「お貴族様の読む高級紙が一部1ルブラだよ! 昨日のだけどね」
「おいおい、昨日のかよ。それじゃ買う気失せるだろ」
アレンがただの新聞売りかと素気ない態度をとるが、少年は意にも介せず食い下がった。
「なんだ兄ちゃん、今日とれたてほやほやの新鮮ニュースが欲しいのかい? それじゃ14ルブラでどう?」
「14ルブラぁ?! いくら高級紙でも高すぎだろ!」
アレンが驚きと呆れ混じりの声をあげると、少年はキャスケットを深く被り直した。
「……それがボードリヤールのことだとしても高いのかなぁ?」
「なんだって?」
帽子のつばの下、少年の目がアレンを射抜く。少年の様子に警戒心を強くし、アレンは咄嗟に身構える。
「驚かせてごめんよ、兄ちゃんたちがボードリヤールの話をしてるのが耳に入っちゃってさ。思わず声を掛けたんだよ。きっとこの人達なら俺の情報を高く買ってくれるんじゃないかな……ってね!」
「あなたは一体?」
カロルが驚きと困惑の目で少年を見る。少年はキザな仕草で帽子のつばをあげた。
「俺はトニオ。この街の情報屋さ」
「情報屋? あなたがですか?」
「そ。この街を駆けずり回って、情報を仕入れちゃそれを売って、毎日の糊口をしのいでるのさ」
「あなた……おいくつ?」
カロルは困惑した表情でトニオに質問する。トニオは肩をすくめて答えた。
「10歳。もうそろそろ11歳になるかな。お姉ちゃん貴族の人? 別にこれくらいの歳で働くのはおかしくないよ」
「ええ、それは知ってるのですが……」
このくらいの歳で工場勤務や商店などに丁稚奉公するのは普通のことなので、そこには特に不思議はない。しかし、情報屋などというマフィアに片足突っ込んだような仕事をこのような少年がやっているのは、少し危なっかしい気がしてカロルは大いに戸惑った。
「お前……スラムの人間か?」
アレンが疑問を口にすると、トニオは困った顔をした。
「ん。まぁね。なに? スラムの子供が扱う情報なんて信用できないって?」
「そこまでは言わないけどな……」
アレンは口ごもるようにして答えたが、本音を言えばトニオを信じあぐねていた。ボードリヤールの情報というなら欲しいが、この少年をどこまで信用して良いのか。
「じゃあ大サービスで一つだけ教えてあげるよ。いつもなら前払いで半分の7ルブラ貰って、情報を教えた後でもう半分貰うんだけどね……こっち来なよ」
そういうとトニオは人差し指でこっちへ来いと示しながら、街路を歩いていった。
アレンとカロルは困ったように目を合わせた後、トニオの後をついていった。
「あそこ。なんだと思う?」
トニオが指差す先にはレンガ作りの建物があり、その一階部分が酒店になっていた。広く開いた戸口から、店の奥のカウンターと棚に並べられた様々な種類の酒が見える。アレン達はその店の真向かいに立っていた。
「ただのリカーショップに見えるが……」
「ところがどっこい、ただのリカーショップじゃないんだなぁこれが」
トニオは得意満面に講釈をたれる。
「実は社会の裏に潜む人間達の連絡窓口でもあるのさ」
「連絡?」
アレンが聞き返すと、トニオは「そう、連絡」と返した。
「要するに直接接触すると怪しまれる人間たちが、あそこの店のおっさんを介して連絡を取り合ってるってわけ。棚に並んでない酒頼むとさ、店主が奥に引っ込んで酒取ってくるんだけど、その時にボトルを受け取りながらこっそりと店主に紙切れを渡すんだ。ちょっと、っていうか大分多めの金を渡してね。そうすると店主がその紙切れを本命の相手に渡すって寸法だよ」
「お前なんでそんなこと知ってるんだ」
アレンが疑問を投げかけると、トニオは、ふっ、とニヒルな笑顔を浮かべて、新聞紙の束を叩いた。
「哀れなスラムの子供が、戸口で必死に待ち構えて新聞売りこむ……っていうふりして、店主との会話をこっそり聞いたり、盗み見したりしたからね。尻を蹴られることもあったけど、まぁバレずにすんだよ。先行投資としちゃ安いもんさ」
そう言ってトニオは自分の尻をぽんぽんと叩いた。
「さぁ来たぜ! お待ちかねのお客さんだ!」
トニオは往来に目をやると二人に目配せした。アレンとカロルが一体何が始まるのかとまじまじと店を見つめていると、「あまりじろじろ見てるとバレるよ」と少年が注意したため、横目で店の入口を眺めることにした。
「お客さんってなんだ?」
「あれ、あそこ」
トニオがわずかに顎をしゃくって目配せすると、その目線の先には小綺麗な身なりをした男が堂々と歩いてきた。
「あいつがなんだって?」
「あの男、ボードリヤール家の使用人なんだ」
「なに?」
アレンが驚いていると、カロルが「ああ」と何かに気づいたように声をあげた。
「確かに、先程ボードリヤールさんの邸内でチラと見かけた人な気がします」
カロルの言葉を聞くと、アレンは男に目線を向けた。
「じゃあ本当にボードリヤールの……」
その男はずんずんと歩いていき、リカーショップに入っていった。自然を装っていたが、店に入る前にさりげなく周りの様子を伺っていたことにアレンは気づいた。
男と店主は少し会話すると、店主が店の奥に引っ込んでいった。と、すぐにカウンターに戻り、男に酒を渡した。男は酒を手にするとそそくさと店を出て、もと来た道を歩いていった。
「あいつは追わなくていいのか?」
ニヤニヤとするトニオにアレンが問いかけると、トニオは首を横に振った。
「追いかけたってあいつはボードリヤールのお屋敷に戻るだけさ。それよりももっと決定的な方を押さえなきゃ。……さぁ、兄ちゃん姉ちゃん、こっちへ来て! 急がなきゃ!」
そういうとトニオは走り出し、アレン達を促した。
「おい、どこへ行くんだ?」
「店の裏手側! もうすぐ、あの使用人が誰に連絡を取ろうとしたかわかるぜ!」
アレン達一行は急ぎ道路を渡り、小道へと入った。ほどなく裏通りのある曲がり角に着き、トニオがシーッと口に指を当ててアレンとカロルを一旦待たせると、建物の影から裏通りを覗きこんだ。
「……出てきた! ほら、覗いてみて!」
トニオが場所を譲ってきたので、アレンとカロルも裏通りを覗き込んだ。
すると、先程のリカーショップの裏口から一人の男が出てくるところだった。男はハンチングを目深に被り、少し背を曲げながら向こうへと歩いていく。
歩く先には一台の赤い塗装がされた馬車が止まっており、男は御者と何事かを話すと、その馬車へと乗り込んだ。馬の蹄がカッポカッポと鳴り響き、車輪がガタゴトと回転する。
「おい、あいつ行っちまうぞ! どうすんだ!?」
「お兄ちゃんたちお金あるよね? 表通りで辻馬車を捕まえよう! 大丈夫、あの馬車の行く先がどの道に出るかは知ってる」
アレン達は表通りに引き返し、近くで客待ちをしていた4人乗りの辻馬車を捕まえると、客室へと乗り込んだ。
「おいちゃん、この先の運河通りへ入って、ここで良いって言うまで走って!」
「はぁ!? なんだその注文は?」
御者は小汚い少年に訳の分からない注文を投げられ当惑した。しかし、カロルが「すみません、お願いします」と御者に金を握らせると、御者はその額にぎょっとした顔をし、カロルたちが客室へ乗り込むのを確認すると、馬に鞭を入れた。
「ひゅーっ! 俺、客室付きの馬車なんて初めて乗るよ! あっ、エマニュエルだ! おーい、マニュ! 羨ましいだろ! お前も俺くらい頑張れよなぁ!」
トニオは開けた馬車の窓から身を乗り出し、キャスケットを誰かに向けて振っていた。ひとしきり騒いだ後で、満足したかのように椅子にどかっと腰をおろした。
「こうやってはしゃいでるのを見ると、普通の少年なんですけどね……」
カロルが苦笑を浮かべながら言う。
「おい、あの店から出てきた男は一体誰なんだ? お前、まさか俺たちをからかってるんじゃないだろうな?」
アレンが疑惑の目をトニオに向けると、トニオは心外だとばかりに大きく肩をすくめた。
「あいつが何者かは、あの男の行き先を探ればわかることさ。まぁ大体見当は付いてるんだけどね」
馬車は表通りを走っていき、やがて交差点で左折した。
「……あっ、見つけた! 兄ちゃんたちも見てご覧よ!」
そういってトニオは客室の前方の窓を覗き、アレンたちに手招きした。窓から覗くと、先程男を乗せた赤い馬車が遠く前方の方に見えた。
「おいちゃん! あそこに赤い馬車いるだろ!? あの馬車に離されないようにしてくれる?」
トニオは窓を上方へと押し上げて御者に声をかけた。
「おい! 金は確かにもらったが、一体なんでそんなことしなきゃならねぇんだ!」
「すまん、俺からも頼む。事情があるんだ。距離を保ちながら離されない感じで……」
怒鳴り返す御者にアレンがそう声をかけると、御者は「一体全体なんだっていうんだ……」とぐちをこぼしながら手綱をとった。
赤い馬車は運河に沿って右へ曲がり、倉庫街を通り抜けて左へ曲がり、十数分ほど走ると一つの建物の前で止まった。
「おいちゃん、ここらへんで一旦止めて」
トニオが御者に声をかけると、アレン達の乗る馬車は建物から少し離れた場所に止まった。
例の男は赤い馬車から降りるとその建物へと入っていき、それを見届けた馬車はそのまま何処かへと去っていった。トニオはその様子をしげしげと眺めてまた御者に命令を飛ばした。
「おいちゃん、ちょっとゆっくりめに建物の前を通り過ぎてくれる?」
もうどうにでもなれな気分の御者は、無言で馬を操ると、ゆっくりと建物の前を通り過ぎた。
「兄ちゃん姉ちゃん、あの看板見える?」
トニオはそういうと例の男が入っていったビルに掲げられた看板を指差した。
「うっ、デパルト語の看板か……すまん、俺は読めん……」
アレンがカロルに水を向けると、カロルは窓に顔を寄せ、看板の文字を読んだ。
「ヨハンセン&ヴァイスマン合同商社、ですね。普通の会社に見えますが……」
カロルがそう言うと、トニオはチッチッチッ、と指を振った。
「表向きは普通に見えるでしょ? ところがどっこい、合同商社は表の顔」
馬車が建物の前を通り過ぎると、トニオは窓の外にやっていた目線をアレンとカロルに向けた。
「二人共、マティアス一味にはトップが二人いるんだけど、そいつらの名前知ってる?」
アレンはマティアスという単語にドキリとしながらも頭を振り、カロルも否定の意を示した。
トニオは秘密の悪戯を企むような顔をしてこう言った。
「マティアス・ヨハンセンとローザ・ヴァイスマン。そう、ヨハンセン&ヴァイスマン合同商社の裏の顔は、マティアス一味が利用する偽装会社なんだ」
「ボードリヤールからマティアスへ、どんな伝言が伝わってるかは俺にはわからないけどさ。こんなことが今までにも何回かあったんだよ。今回はどんな内容なのかな?」
トニオの言葉を聞きながら、アレンとカロルはガタゴトと後ろへ遠ざかるマティアスの偽装会社を眺めた。
「どう? 立派に情報屋やってるでしょ?」
トニオの言葉に二人はようやく椅子に腰を落ち着け、笑顔を浮かべるトニオに面と向き合った。
「疑おうと思えばまだ疑えるが……そうだな、正直言って参考になった」
「でしょ?」
へへっとトニオは笑顔を浮かべながら、二人に向かって手を差し伸べた。
「じゃあ、酒店が仲介屋になってる情報と、偽装会社の件と、合わせて28ルブラね。マティアスとローザの名前は特別サービスってことでタダにしておくよ」
「ええっ!?」
アレンは心底驚いた。
「お前、最初にサービスするって」
「俺は『大サービスで一つだけ教えてあげる』とは言ったけど、『タダで』なんてこれぽっちも言ってないよ。しかも結局二つ教えちゃったし、このまま慈善事業してたらおまんまの食い上げだよ」
トニオは今度こそ本当の悪戯めいた笑顔を見せた。
「じゃあサービスってなんだよ!?」
「さっきも言ったけど、いつもは前払いで半分貰うんだ。情報だけ盗られてトンズラされないようにね。それを、兄ちゃんたちを信用してあげたってことで、特別に後払いにしてあげたってわけ」
「おまえなぁ!!」
アレンが憤慨していると、カロルが「まぁまぁ」とアレンを宥めた。
「実際有益な情報を得たわけですし、それくらいなら……」
そう言うとカロルは財布からお金を取り出し、トニオに差し出した。
「おっ、毎度!」
トニオがそう言って受け取ろうとすると、カロルが手を引っ込めた。
「ちょっとちょっと! 姉ちゃんまで兄ちゃんと同じ考えなわけ? 情報貰うだけ貰ってはいトンズラってのはやめてくれよなぁ!」
トニオが不満を漏らすと、カロルは首を横に振った。
「いいえ、ちゃんとお支払いしますよ。なんなら満額に色をつけてお渡しします」
カロルの気前の良い言葉に、トニオは、ヒューッ、と口笛を吹いた。
「その代わり教えて下さい。私達はボードリヤールさんとマティアスが接触するかもしれないと思っています。それで、もし接触するとしたらいつ、どこになるのかが知りたいのです。何かヒントになるような情報を持ってたりしますか?」
「それなら2つくらい教えられるかな。倍の56ルブラ、用意してくれよな」
カロルの言葉にトニオはニヤリと笑った。
ボードリヤールの件については前話
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/27/
カロルの『ギフト』については
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/7/
もご参照ください。
作者twitter
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