街の黒い噂
アレンが目を開いた。
「……お? 気づいたか?」
誰かの声が聞こえる。目の前には幾つもの顔が輪になってアレンを取り囲んでいた。
「アレン!」
真上からカロルが覗き込んできた。瞳が揺れ、今にも泣きそうな顔をしている。
「カロル……俺は一体……」
「あんちゃん、あの金髪野郎をぶちのめした後に倒れちまったのよ」
「大丈夫か? 気つけのブランデーいるかい?」
少しずつ意識がはっきりしてくる。それとともに闘いの記憶も蘇ってくる。
「そうか……あの野郎をぶちのめしたんだっけ……。気つけは大丈夫だ、ありがとう」
身体を起こそうとするアレンだが、途端に激痛が全身を襲い、うめき声を上げながら再び上半身を倒した。
「アレン、無理しないでそのまま休んで下さい。重症なんですから……」
カロルがアレンの前髪をかき分け、ハンカチで汗を拭く。アレンは脱力するように目を閉じる。
「へっ、坊主。具合はどうだよ、えぇ?」
中年労働者が横合いから顔を出す。
「アレン、この方はダントンさんです。アレンの傷を塞いでくれたんですよ」
「おう! 血が噴き出してたんで、逆にそれを利用してチョチョっと、な」
アレンが辛うじて右手を上げると、捲られた袖の下で、血が固まってかさぶたのように傷を塞いでいるのが見えた。
「そうか……ありがとうダントンさん」
「礼なんかいらねーよ、むしろそのお嬢ちゃんに礼を言うんだな。……へへっ、おい。お嬢ちゃんの膝枕の寝心地はどうよ?」
「えっ!?」
アレンは驚いて首を回すと、アレンの頭の下にある白い肌が視界に飛び込んだ。そういえば何だか柔らかくて暖かいものを枕にしている。
カロルが顔を赤らめてアレンを見つめた。アレンも思わず顔を赤くした。
「おーおー、二人共頬を染めちゃってまぁ、いい年してウブなことだなぁ! えぇ、おい?」
ダントンの言葉にアレンの周りに集まった客たちが笑った。アレンとカロルは耳まで真っ赤になる。
そのようにからかわれていると、不意に横から声をかけられた。
「ゴードンさん」
アレンが声のする方に顔を向けると、そこには顔中をボコボコにしたカルロスがあぐらをかいていた。水に浸した布を顔の右半分に当てている。
「お前さんには助けられた。ありがとう、礼を言う。すまなかったな、俺のゴタゴタに巻き込んで、そんな怪我までさせちまって」
「いや……気にしないでください。俺たちも自分の目的があってやったことですし」
「それでも助けられたことは事実だ。……それと、こいつが詫びを入れたいそうだ」
カルロスがそう言うと、客たちの合間から一人の男が進み出てきた。
「あんたは確か……」
「エリクだ。……お前とお嬢さんを侮辱しちまった、な……」
そういうとエリクは膝と手を床につき、アレンの近くに顔を寄せた。
「すまねぇ、俺はヤケを起こして何の罪もねぇあんたらを虚仮にしちまった! マティアス一味とこんなボロボロになってまで闘ってくれたあんたらを……俺はとんだクソ野郎だった! お願いだから気が済むまで俺のことをぶん殴ってくれぇ! この恥知らずの能無し野郎をよぉ……」
エリクは自身の行為を悔やむように頭を垂れ、アレン達の制裁を請うた。アレンがカロルと目を合わせると、カロルは優しく微笑み、エリクに顔を向けた。
「エリクさん、お顔を上げてください。私達は気にしていませんから」
「そんなこと言わねぇでくれ! 罪深いこのとんとんちきを、どうか罰してほしい!」
「殴ってやりたいのはやまやまだけどな」
アレンがエリクに語りかける。
「この通りのざまで、ちっとも腕を動かせない。これじゃ自分の尻すら拭けやしないや。あんたを殴りたくても殴れねぇな」
アレンは苦笑する。
「だけどよぉ……」
アレンの言葉を聞いてなお、エリクは納得できずにいる。見かねたカロルがエリクに提案した。
「それではこれは貸しということで、私達が困った時に何らかの形でお返し頂くということではどうでしょう?」
エリクはその言葉が耳に入り、頭に染み込んだあとになって、天に祈りが通じたかのようにパッと表情を明るくさせた。
「あぁ……ああ! 勿論だ! その時には絶対、何があっても借りは返すぜ!! 命かけても!!」
エリクは必死の形相でカロルに誓いを立てる。
「その時はお願いしますね。命まではかけなくていいですけど」
「ああ! 偉大なる主に誓って、必ず……」
そういうとエリクは十字を切りながら、祈りを捧げた。意外と信心深いんだな、とアレンは思った。
「それで、アイツらのことなんだが……」
アレンがそう切り出すと、カルロスが、うん、と頷いた。
「奴らはふん縛って、倉庫にブチ込んでおいた。この後警察に引き渡す予定だ。……だが」
そこまで言うとカルロスは何かを言い淀む素振りを見せた。カルロスの言葉をカロルが引き継いだ。
「一人……チャンという男を逃がしてしまったんです……」
あの時、戦勝に湧く客たちの間から突然悲鳴が上がり、その場にいた全員が振り返った。そこには、血を流し、荒い息を吐くチャンが立っていた。チャンの握る鎖がギチリと軋む。
「こんな馬鹿げたことで掴まる訳にはいかないネ」
「てめぇ、性懲りもなくまだ歯向かってくるか!」
ヤッカがその手から爪を出す。
「ワタシ、金で雇われただけ。そんな馬鹿な真似は……」
チャンは天井の梁に鎖を絡ませると、身体を空中へと持ち上げた。
「しないヨ!!」
そう言うとまるで天井でバク転をするかのように、梁から梁へと器用に飛び移り、店外に飛び出す。
「逃げるつもりかっ!? そうはさせるか!!」
ヤッカは猛スピードで客たちの頭上を駆け抜け、チャンを追う。チャンは鎖を上へ放ると、店の屋根へと姿を消す。
ヤッカは階段を登るかのように空中を駆け抜け、屋根の上へ顔を出す。
「待ちやがっ……!!」
ヤッカが言い切る前に、チャンの錘がヤッカの腹部へと突き刺さる。
「ふっ……ぐっ……!」
ヤッカはうめき声を立てると、地面へと落下していった。入り口に居た客たちがすんでのところでヤッカを受け止める。
チャンは屋根の上でニヤリと笑うと、そのまま奥へと姿を消し夜の闇に消えていった。
「悪い。油断してたよ、カルロス」
ヤッカが悔しそうに顔を伏せている。
「さっきも散々言ったがお前が悪いわけじゃねぇ。悪いのはあの男だ」
カルロスがそう声をかけると、ヤッカはグッと何かを堪える表情をして黙りこくった。ダントンがヤッカの下へ赴き、ぽんぽんと肩を叩く。
「それで……あんたらはマティアス一味のことを知りたいんだったな」
カルロスがそう言うと、カロルがこくりと頷いた。
「ええ。マティアス一味が盗みに入ったという証拠は無いのですが、今の所、一味のことくらいしか手がかりが無くって」
「いや、多分奴らで間違いないんじゃないか。金品を大量に強奪されたんだな?」
「ええ。あの量だと複数犯でないと多分無理です」
「じゃあ、マティアス一味の仕業と思っていいだろう。この辺りで大人数でそんなこと出来るのは奴らくらいしか居ないからな。ナワバリの問題もある」
カルロスは確信に満ちた声で答える。
「奴らはその名の通りマティアスという男を頭に据えたチンピラ集団の一味だ。今日あんた方が目撃したように、商いをする者のもとにやってきて上納金とやらを要求し、断れば嫌がらせをする、そんな奴らだ」
「その他にも色々と手を広げているんです」
そう言いながら、一人のスーツ姿の男が声を上げた。ダントンの肩を支えた男だ。
「失礼、わたくしロベール・ブルデューと申します。この街で小さいながらも画廊を営んでおります。……それでですな、マティアス一味は、この街にやってくる興行団体……まぁ、サーカスや劇団などのショービジネスですな。そういうものや、賭場の仕切り、麻薬の流通など、裏で行われる取引全般に関与しているのです。言わばこの街の裏の顔役といった所です。これは噂ですが、人身売買にも手を染めているとか……」
「まぁ興行団体ってのはそういうのに手を染めてる連中も多いからな。特に見世物小屋関係はそういうのが多い」
カルロスが男の言葉を継いでそう語った。
「なんとひどい……」
カロルが口を手で押さえながら、嫌悪感に顔をしかめた。
「警察は動かないのか?」
アレンがそう問うと、ダントンがそれに答えた。
「警察は手を出したくとも手を出せねぇ。奴らの人数が人数だし、この街の金持ち共はこぞって反対しやがる」
「それは何故だ?」
アレンが問うと、カロルが推測を働かす。
「恐らく、この街の高額所得者が興行で財を成した者たちだからですね」
「正解です」
ブルデューが答えた。
「興行で身を起こした者たちは、新たにこの街にやってきた同業者に客を奪われてしまうのを常に恐れています。その点、マティアス一味に多めの上納金を渡していれば、都合の良いように取り仕切ってくれる。つまり、賄賂のようなものです。売上の一部を渡すことで、興行主達は有利に商売ができ、マティアス一味は上納金で潤う。お互いにメリットのある取引なのです。もっと言うと、興行でなくとも同じことが言えます。金を払える者は表通りへ店を構えることを許され、そうでないものはマティアス一味に追い出されてしまう……観光客を多く取り込める場所を死守するにはマティアスに尻尾を振るしかないのです。その代わり、多くの観光客を取り込めるという旨みを享受できる……。結果、マティアスのお陰で甘い汁を吸う者たちは、表立ってマティアスを支持するような発言こそしませんが、マティアス一味に有利な証言をするという形で、暗黙裡にマティアス達を助けているのです」
「ドぐされドブネズミ野郎どもが!!」
ダントンが憤りを露わにする。
「そういうわけで、警察は決定打となる証拠をつかめません。せいぜいが暴行や恐喝などを働いた一味の下っ端を捕まえて、一味の実態を尋問するくらいのものです」
「……マティアス一味は昔からこの街に居たのですか?」
カロルが質問する。
「いや、そう昔から居たわけではありません。マティアス達がこの街に居着くようになったのはここ5、6年くらいのものでしょう」
ブルデューの答えを聞いて、思案げな顔をする。
「それにしては、なんだか上手くいきすぎではないですか? ただの暴力集団が、数年の間に街の裏取引を一手にできるようなものなのでしょうか?」
「シャロンのお嬢さん、鋭いね」
カルロスが答えた。
「奴らがこの街に根付いたのには、ある一人の有力貴族が後ろ盾になっているからだ。名前はジルベール・ウスターシュ・ボードリヤールという奴だ」
「ボードリヤール! 私知ってます! 確か、先代の方が宝石商として身を立てられたとか……」
「そうだ。もともとこの街は工芸が盛んだった街でな。そこへ先代がやってきて宝石を捌いた所、それが上手いこと需要と合致して、大金を稼ぐことができた。ボードリヤール家はみごと上流階級の仲間入りを果たしたというわけだ。この街の名士として市議の席も手に入れ、ボードリヤール家はますます存在感を強めた」
カルロスはボードリヤール家の起こりをつらつらと語る。
「先代は既に亡くなってジルベールは2代目だが、奴の代になってからショービジネスに手を出し始めた。その辺りからだな、マティアスの影がチラつくようになったのは。いつのまにかこの街に居着いたマティアス一味は最初、劇場やコンサートホール、サーカスとかに恐喝や嫌がらせをし始めた。そのせいで客が来なくなり、廃業せざるを得なくなった者たちも数知れずだ。なのに、ボードリヤールの経営する劇場はそういう被害を一切受けることがなかった。同業者が客を失ってケツに火が点いたかのごとく必死で資金繰りする一方、奴のビジネスは華々しく成功し、街の中心にドカンとでかい劇場を構えるまでになった。おかしい話だろう?」
アレンとカロルは頷いた。
「警察も手をこまねいていた訳じゃなく、一味の下っ端を片端から捕まえては、なんとかジルベールの野郎との繋がりを掴むべく尋問したそうだ。だが、奴らはそんなことにはまともにとりあっちゃくれねぇ。そしてやることと言えば、場内で大声で騒いだり、悪い噂を流したり、わざと喧嘩をふっかけたり。業務妨害ではあるが死人が出たわけでも、直接被害を与えたわけでもない。軽い刑罰だけ与えたら、後は泣く泣く釈放するしかねぇってな具合よ」
カルロスがそこまで語ると、再びブルデューが後を継ぐ。
「警察の方でも捕まえた一味の末端に取引を持ちかけることがあったようです。その結果、ボードリヤール氏とマティアス一味の間に金のやり取りがありそうだ、というところまでは分かったのですが、直接の証拠を掴むことはできなかったとのことです。しかし、その間もマティアス達は暗躍し、せっせと政敵の排除も行っていた。結果、ボードリヤール氏は今や多数の劇場を経営し、ヴィース市の政治においてもその財政を一手に担うポストに収まるようになりました。どう見てもマティアス達とボードリヤール氏の間には黒い繋がりがあります」
「ひどい話だ……」
アレンが眉根をよせて唸った。
「そういうわけで、マティアス、ボードリヤール、この街で財を成した経営者。そいつら全てが複雑に、密接に繋がってるわけだ。これは簡単に崩せるものじゃねぇ」
カルロスが大きな溜息をついた。
「マティアス達を追っているとのことだったが……正直、俺は諦めることを勧める」
アレン達がマティアスを追うようになったきっかけは
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ヴィースの街については
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/22/
もご参照下さい。
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