ヴィースという街
「お金が戻ってきてよかったです。宿もとれましたし」
カロルは上機嫌とは言わないが、財布を取り戻せたことに満足そうな様子だった。しかし、アレンはいま一歩でスリを取り逃がしたことに悔しさを覚え、憮然とした態度で鼻息をついた。
「今度あの女を見つけたら、絶対にとっちめてやる。カロル、俺があの女を捕まえたら3回廻ってワンと鳴かせてやれ」
「えぇ……アレン、それはちょっとひどくないですか?」
「俺にはさせた癖に!!」
少しばかり身を引いて顔をしかめるカロルに、アレンは理不尽な思いを抱いて一人悲しみに震えた。
「まぁまぁ。それよりまだ少し時間もありますし、当初の予定どおり、聞き込みをしながらどこかで夕食を頂いていきましょう」
カロルはアレンに微笑みかけつつ、弾むように歩きながら先導を切った。
時刻は午後4時を回ったあたり。建物の間から斜陽が差す頃合いである。
街路にはまだまだ人が溢れかえり、人の話し声や馬車の行き交う音が騒々しい。娯楽を求めにやってきた人にとっては、むしろこれからがお楽しみの本番といったところか。たくさんのコーヒーハウスが建ちならび、どの店も多くの紳士や婦人達がテーブルを占領している。
それらのテーブルでは婦人たちがやかましく喋りながら、お互いが如何に希少で高価な物によって身を飾り立てているかを相争っている。
「まぁ、とても素敵な宝石だこと……羨ましいですわぁ! そのキラキラと輝く色のなんて鮮やかなこと!」
「オホホ……珍しくございましょう? この宝石は産地が限られておりますのよ。なかなか手に入りづらくそれなりにお値段も張るもので、主人にねだって、やっとこの間手に入れましたの……」
「あら、あなたのご主人はとても幸せものね! だって奥様のようなお美しい人をその宝石でさらに飾り立てることができるのですもの! ……私もね、このネックレスでございますけど、実はさる高名な職人になんとかお願いして作っていただきましたの! 普通はそのような依頼はお受けしない方なのですが、主人に普段からお世話になっていますからと、特別にこしらえて頂きましたのよ……」
その隣では紳士たちが自らの富をちらつかせ、婦人たちと同様、どちらがより上の立場かを競い合っている。
「いやぁ、今度館を改築することになったのですが、子どもたちが自分たちの部屋がもっと欲しい、鳥を放し飼いにする部屋が新しく欲しいと駄々をこねましてな。今でさえ自分の部屋まで辿り着くのも覚束ない程なのに、この上さらに広い館を拵えることになりそうですよ!」
「それはまこと大変ですなぁ! 新しく使用人も雇わなければならないでしょう。私のところは使用人をちょっとしたサーカス団程も雇っておりましてね。よろしければ何人かご紹介しましょう……」
そのような光景がそこかしこで見受けられた。アレンはそのなんとも言えぬ醜悪な熱気に、思わず眉をひそめた。
「ああいう奴らは、例え情報をもっていたとしても話しかけたくないもんだな」
「本当に。……恐らく観光目的の方たちですから、聞き込みをしてもあまり実入りは無いかと思います」
カロルも虫を見るような目でコーヒーハウスを眺め、興味を無くしたかのように、ふい、と目をそらし歩き続ける。
「そういう意味では地元に住む人間に聞くのが一番なんだがな。……そうなると、酒場とかになるのか?」
「酒場ですか!?」
アレンが思いつきを口にすると、その言葉にカロルが反応した。素早く身を返すカロルに一息遅れて、夕日の色が染み込んだ銀髪がふわりと広がる。アレンはカロルの銀髪はこの世のどの宝石よりも美しいと感じた。
アレンがそのような場違いな感想を心に浮かべているなど露知らず、カロルは鼻息荒くアレンに詰め寄った。
「私、酒場へ行くのは初めてです! 是非行きましょう!!」
「あー……いやぁ、なんというか」
興味津々で乗り気なカロルを見て、アレンは思わず「しまったな」と心の中で呟いた。こめかみに人指し指を当てながら、アレンは言い訳をするかの如く喋った。
「地元の人間が行くような酒場は荒くれ者が多いから……まぁなんというか危ないと言うか。俺が言って話を聞いてくるからカロルは宿に」
「そんな訳には参りません!! 元はと言えば私の問題なのですから、私が話を聞かなければ! アレンこそ宿に戻っていてください!!」
「いや本当危ないって! 飲んだくれの酔っ払いや、中にはおイタをしてくる奴もいるんだから!」
「それならアレンが私を守ってください! 私の父の遺志を継ぐという大道の上には、酒場という険しい山が待ち構えていたのです! ならば私は胸を張りその道を邁進しましょう!! 『世界樹』の真相を暴くために!!!」
「そんなアホくさい大道は迂回しろ!!」
カロルの瞳は先程の婦人たちの宝石も敵わぬ程に、キラキラと輝いている。まるで秘密の抜け道を見つけた子供のようだ。
たまにカロルはこんな風にわけわからんこと言いだすな……。酒場のなにがそんなにカロルの琴線に触れるんだ。というか、酒場ごときに入れ込みすぎだろ常識的に考えて……。そんなことを思いながら、アレンは盛大に溜息を吐いた。「馬鹿娘が本当に申し訳ない……」というシャロン氏の幻聴が聞こえたような気がした。
「どうしても行くのか?」
「はい、どうしても行きます! なんなら聞き込みとか後でもいいですから!!」
「本末転倒過ぎだろ、いい加減にしろ!! お前の大道どこいった!!」
「大丈夫です! 大道ですから! 酒場という前人未到の山さえ乗り越えれば……きっと、どっかその辺でいい感じに大道に戻れますよ、多分!!」
「前人未到じゃないから……お前、マジか……」
シャロン氏も草葉の陰で号泣した後、涙も枯れ果て放心していることだろう。
カロルの傍若無人な唯我独尊ぶりを目の前にして、アレンはカロルに詰め寄り、噛んで言い含めるように告げた。
「……俺が悪い虫から守るから。だから絶対、ぜーったいに俺から離れるなよ! あと、好き放題暴れてくれるな! これ真剣に言ってるからな!? 絶対止めろよ!!」
女に狂った男は「俺が悪い虫からこいつを守ってやらないと」と自己中心的な勘違いをし、自分自身が相手を思いやれぬ悪い虫になるということも多い。アレンはそのような人間ではないが、しかし言わずにはいられなかった。カロルの好奇心と行動力は、傍から見ていてあまりにも不安になる。
「そんなに心配しないでくださいまし。私のことをなんだと思っているのですか?」
カロルは少しムッとするような顔をして言った。カロルのその顔を見て、アレンは胸中にふつふつと湧き上がる思いをせき止めることが出来なかった。
……蜘蛛の巣を突破できると信じてやまない、アホな蝶だと思ってます!!
酒場に向かうにはまだ少し早い時間だったため、二人は街の食堂で夕食をとった。料理自体は申し分なかったが、やはりここでも成金趣味達がテーブルを囲み、欲望で煮付けた言葉のシチューを互いにつつき合っていた。給仕の笑顔も何処か粘りつくような不快さを感じ、二人は食事を済ませると早々に店を後にした。
「どことなく嫌な感じでしたね。マティアス一味のことも聞く気になれませんでした……」
「なんというか……笑顔は浮かべていても、あまり友好的な感じはしなかったな」
二人は互いに感じた不快さについて確かめ合いながら街を歩いていく。日は大分傾き、街には夜が訪れようとしている。そろそろ日雇いの労働者や地元の人間が、一日の終りを締めくくるべく、酒場に集まりだす頃だ。
「ところで、本当にカロルも付いてくるのか?」
「それは勿論!! 私の父の遺志を継ぐという大道の上には」
「それはもう分かったから……」
アレンは疲れを感じながらも、労働者が集まるような酒場を探し歩いていく。中心街の店はどこも夜闇に負けじと明かりを灯し、光溢れるショーウインドウを通行人が値踏みするように覗き込んでいる。この街にとっては夜は安らぎの時間ではなく、観光客達とそれを取り込もうとする売り子達によって、奇妙な活気に包まれていた。
大通りから脇道へ逸れると、街の華やぎが少しづつ背中から遠ざかり、それに伴い目の眩むような明るさが薄れ、あちこちに生活の灯りが見受けられるようになった。うらぶれた路地裏だが、アレンにとってはこちらの雰囲気の方が性に合っていた。
「こういう雰囲気も人の生活感を感じられて良いですね」
カロルが知る由のないアレンの心の内を代弁したかのように感じられ、アレンは口の端に浮かんでしまうニヤケを抑えることができなかった。
しばらく歩くと、完全に中心街から外れ、この街の生活者が集う区域に出た。
「アレン、あそこ」
カロルが指差す先には、人々が賑わっている倉庫のように開かれた店があった。体格の良い男、ひょろひょろとした商人風の人間、様々な種類の獣人などがジョッキ片手に大声で騒ぎ立て、それらの合間を給仕の女が慣れた足取りでするすると通り抜けていく。シェードの下まで椅子代わりの粗末な木箱と、テーブル代わりの太い樽が並び、言葉にならぬ歓声を上げながらジョッキをガチリとぶつけ合う。そこは紛うこと無く――。
「地元の人間の集う酒場だな」
「アレン!!」
カロルは早速その瞳をキラキラとさせていた。
「何度も言うが、俺から離れるなよ。酔っ払いは何するか分からない生き物だからな」
「分かっています!」
そう言うが、カロルは気がはやるのか小さく跳ねるような仕草をしながら、酒場の方を凝視している。アレンは少しばかり頭痛のするような思いでカロルを見ていた。
酒場に入ると、そこかしこから人いきれと酒気が漂ってきて、それだけで気分が悪くなりそうだった。労働者の大きな笑い声が二人の近くから突然あがり、鼓膜が大きく震わされて軽い目眩を覚えた。
そんな二人の存在に気づいた者たちは、怪訝な表情で二人を見据えた。カロルのようなお嬢様然とした者が、こんな場所に何の用があるのかと探るような目を向けている。それだけでこの街に住む貴族が地元の人間にどう思われているかが推して測られた。
カウンターに着くと二人分のエールを注文しながら、アレンが店員に質問した。
「なあ、このあたりにマティアス一味という奴らがいるっていう話を聞いたんだが、何か知っているか?」
「マティアス一味だと?」
アレンの質問を聞くと、カウンターの中にいた熊のような大男が、眉をひそめながら二人をギロリと睨めつけた。周りの温度が一気に冷めるような心地がした。
カウンターの周りにたむろしていた客たちも、アレンの言葉を聞いていたのか、剣呑な空気を発して二人を眺めだした。
「そんなクソどものことなんか知らねぇな」
「いや待ってくれ、俺たちはそいつらを追っているんだ。何か知ってるなら教えてほしい」
アレンがそういうと、二人分のエールがカウンターに叩きつけられるように置かれた。
「ここは酒場だ。飲まねぇなら帰りな」
カウンターの大男がそういうと、周りにいた客たちが二人に寄ってきた。
「そこの豪傑熊の言う通りだぜ。マティアスなんて名前、エールと一緒に飲み干したら気分悪くって明日の仕事もできなくならぁ」
「エリク、てめぇは酒なんか飲まなくても仕事しねぇじゃねぇか。いっそのこと見世物小屋で薄ら汚ねぇ犬の真似でもやってくるんだな。お情けにその日の酒代くらいは稼げるだろうよ」
「冗談よせよ熊野郎。あんな街の貴族に媚びた連中に尻尾でも振った日にゃぁ、女房に目一杯尻ひっぱたかれちまうぜ」
「そうでなくてもひっぱたかれてんだろ。後、俺を熊と呼ぶんじゃねぇ。カルロスだ」
熊と呼ばれる大男と言葉の応酬をしていたエリクという男が、アレン達に突然水を向けた。
「おいお前ら。なんでマティアスなんてクソ野郎どもを追ってるんだ。場合によっちゃ、その酒、飲まずしてお家に帰ることになるぜ」
「私の住んでいた家が、恐らくマティアス一味とやらに襲われたようなのです」
「……襲われたようだぁ?」
エリクは片眉を上げながら、詐欺師でも見るかのような目を向けて来た。アレンはカロルを守るべくサッと前へ出る。
「なんでそんな曖昧な物言いなんだ。襲われたってんならはっきりしてんだろ」
カウンターに居るカルロスという大男がカロルに質問した。
「それが、私達がその家を空けている間に物取りに入ったようで、空き巣に入られたことを後で知ったのです」
カロルがそう言うと、エリクが茶化すような調子でまぜっ返した。
「ハッ! お貴族のご令嬢がお外でお遊びになられている間にやられたってか!! なんともお間抜けなお嬢様だなぁ! それで、お外で何してたんですかい、お嬢様? そこの男と草むらの陰でしっぽりとしけこんでたんですかい?」
「お前、いい加減にしろよ……」
アレンが怒気を発しながら前へ一歩踏み出すと、「お? やんのか、優男」と言いながら、エリクも一歩前へ出る。
「おい、エリクいい加減にしろ。そういう事情なら話くらい聞け」
「そうだぞエリク! お前ちょっと飲みすぎた!」
カルロスがカウンターから身を乗り出してエリクを諭し、エリクの周りに居た者たちもエリクの服や腕を掴み引き留めようとする。
「うるせぇ!! 俺はな! マティアスなんて言葉を耳にした日にゃあ、ケツからヘドが出そうになるんだ!! あいつらのせいで俺は職を失っちまった!! あいつらぶっ殺してやりてぇぜ!!」
エリクと言われる男は酒で理性を失っているのか、アレン達など関係なく、腕を振り回しながら暴れだした。周りの者達が必死でエリクを抑えようとする。
「おや、騒がしいですねぇ。何か、うちのお頭を侮辱するような声が聞こえたようですが?」
突然第三者の声が割り込んできた。アレン達が振り返るとそこには怪しげな雰囲気を漂わせた三人の男が立っていた。荒くれた雰囲気を発する犬獣人。長いブルネットの髪をひっつめ髪にした細目の男。そしてその二人を脇に従わせながら、金色の長髪を垂らした優男が、馬用の短鞭をしならせて見下すような目でこちらを睨んでいた。
「……マティアス一味の下っ端がぁ……! ここへよくもぬけぬけとやってきやがったもんだなぁ……」
エリクが怒りに震えながら言葉を吐き出すと、金髪の優男が鼻で笑った。
「私は貴方など知りませんがねぇ。今日はそこのカルロスさんに用があって来ただけですよ」
「俺の方にゃお前らに用なんかねぇな」
カルロスがカウンターに両手をついて、威嚇するかのように告げると、金髪の男は短鞭をヒュパッと振るいながらニタニタと笑った。
「この街に住むならいい加減上納金を納めなさい。貴方のような外国人がデパルトでやっていくのは大変でしょう? この国にはそういう外国の方の存在を許さない奴らもいますからねぇ。そういう輩共から貴方の店を守ってあげようというのです。悪い話ではないでしょう?」
「俺は酒を扱いだして30年、ネズミの扱いも一級品よ。ましてや愛国主義者やお前らのようなドブネズミの駆除なんざ、赤子の手をひねるより楽な仕事だ」
そういうとカルロスは両手の指をバキバキと鳴らし、カウンターの扉を跳ね上げて前に出てきた。金髪の優男が眉間に皺をよせ、脇に控えた二人が身構えた時に、カロルが言葉を発した。
「あなた方はマティアス一味の方なのですか?」
「はぁ? そうですが……。貴女はどこのお嬢様ですか?」
金髪の優男がカロルの全身を舐め回すように眺めながら返事をした。その視線を切るようにしてアレンが前に出た。
「俺たちはお前らマティアス一味を追ってきたんだ。お前らが盗った物、返してもらうぜ」
空き巣に入られた話とマティアス一味の話は
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/20/
もご参照ください。
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