強盗団の追跡
「……ひどい有様だ」
アレンはカロルを伴って本邸に入り、玄関ホールを見回すと一言呟いた。
簡素だが品よく飾られていたホールは、今となっては荒れ果て見る影も無くなっている。赤い絨毯はそこかしこがほころび、浅浮き彫りの見事なチェストは力任せに壊されている。大輪の花を収めていた白磁の花瓶は、持ち去られてしまったのか影も形もない。凛として飾られていた花たちは、踏みにじられたのか今は泥だらけで床に散らばっている。あんなにも暖かく穏やかだったシャロン邸は、今は冷たい陰の中に沈んでいる。
「ひどい……」
カロルはその有様にショックを受け、今にも泣きそうな顔をしている。
「とりあえず、様子を見てみよう」
二人は邸内を見て回ることにした。
「これは明らかに空き巣狙いの物とりの仕業だな……」
アレンは邸内の荒らされ方を見て、そう結論づけた。
「特務機関とかの仕業では……」
「ないだろうな。明らかに金になりそうなものだけ選んで持ち出してる。しかもかなり大量に盗み出してるから、窃盗団のような一味の仕業だろう。まぁ、『旗持ち』たちの可能性は否定できないが」
絵画や装飾品、銀製のカトラリーなど、換金できそうなものが片端から失くなっていた。
「私今、嫌な想像をしています」
「奇遇だな、俺もだ」
カロルがその不安な心境を吐露し、アレンが同意する。
「盗品の中に『鍵』があったらまずい」
もし『鍵』が本邸の中に隠されていて、それを窃盗団が盗んだとしたら、早く窃盗団を追わなければ『鍵』の行方が分からなくなってしまう。しかし、邸内に『鍵』が存在して、盗まれずに未だ無事である可能性を考えると、館を探索するのも捨て置け無い。そうかと言って、館の探索を優先すると窃盗団の足取りを追うことは難しくなる。二人は相反する問題の中に放り込まれていた。
「アレン、警察に相談してみませんか? 館が空き巣被害を受けたことを訴えて、ついでに『鍵』のこともそれとなく探してもらうとか」
カロルは二人での問題解決が難しいと見て、警察に頼る案をアレンに提案した。アレンは悩んだ。
「クレマンソー警部が言っていたように、警察上層部が国王の暗躍に加担しているとすると、その案はまずくないか? 仮に見つけたとしても、そのまま持ち去られる可能性がある」
「私はその可能性はあまり高くないのではないかと見ています」
カロルは自らの考えを陳述する。
「あの襲撃のあった夜、特務機関の工作員は私と『本』の確保を狙っていたようでした。しかし『鍵』のことは言及に無かった。もしかしたら『鍵』の存在そのものを知らないのではないかと疑っています」
カロルはパーシーの発言を思い返しながら、推測を働かせる。
「さらに言えば、その後警察を呼んだ時に、私を確保しようとする警官はいませんでした。警察の上層部は国王の命に従っているのかも知れませんが、現場レベルまではその陰謀に加担しているわけでは無いのかも知れません。考えてみれば、国王と国民議会は利害が対立しているところがありますし、現代においては国王も象徴的な意味合いが強い立場に居ますから、強硬な策に打って出るのは難しいのかも知れません。そうでなければ、特務機関という自身の手先となる組織の創設や、『デパルトの旗を立てる者たち』などの犯罪者まがいの集団を利用することもないと思います」
「流石に貴族のお嬢さんだけあって、政治に詳しいな」
「いえ、素人の浅知恵です」
「しかし納得はいった。確かに警察はいくらでもカロルを確保するチャンスがあったのに、こうして自由に出歩けるところを見ると、今回の陰謀には積極的に加担しているわけではないのかも知れない。あくまで何かあった時のもみ消し役といった動きだ」
アレンはカロルの言に同意しながら言った。
「何かあったら俺が守る。警察に相談してみよう」
「その言葉、胸の内に刻んで忘れずにおきますからね」
カロルは嬉しそうに微笑んだ。
その後警察に向かった二人は、本邸が窃盗の被害に遭ったことを訴えた。すぐさま警官数人が被害状況の検分に駆けつけ、二人はその場で調書を取られた。といっても、邸宅が襲撃にあったということ以外伝えられることは何もなかった。具体的に盗まれた物を聞かれたが、量が量だけに把握しきれず、惜しいとも思っていないからとカロルが告げ、それ以上の事情聴取を切り上げてもらった。そして、警察に失せ物の捜索を依頼した。
「これくらいの大きさで、枝を広げたような意匠の丸いエンブレムがあったら確保してもらえますか? 私達は父の遺言により、それを探しに戻ったのです」
カロルは手で丸を作り、警官に大きさを示しながら失せ物の特徴を伝えた。若い警官は「遺言」という言葉に反応し、同情するかのような表情を浮かべた。
「わかりました。可能な限りお力添えしましょう。しかし、期待はしないでください。なにしろ熊の大集団でも通り過ぎたかのような状態ですからね。捜査のついでという形になってしまいますから」
「それで結構です。お手数をおかけし申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
日も暮れかかり、建物のシルエットが影絵のように黒く塗りつぶされた頃に、二人は街に戻った。大きい街ではないが、中心街を貫く大道路には多くの人々が押し寄せていた。遠くの方からぽつぽつとガス燈が灯り始め、街は夜の活気に包まれ始める。
「結局窃盗犯については手がかりなしか」
警察の方でも盗人が誰なのかは、今の状況でははっきりと判断できず、後日の調査結果を待つことになった。だが二人としても、悠長に構えているわけにもいかない。警察の捜査とは別に、独自に犯人を追っていく所存だ。
「さて、困ったことになったな。これからなんとかして、シャロンさんの館に侵入した奴らの情報を掴まなければいけない」
「そうですね……あの荒らされ方から見て、集団での窃盗だと思うので、誰か一人くらいは目撃しているはずとは思いますが……」
そう言い合い、悩む二人に声をかけるものが居た。
「もし……そこのお二人さんよぃ。今シャロンさんの話をしていたかね?」
二人がその声に振り返ると、そこには年季の入ったくたびれたスーツを着た老人が立っていた。老人は二本の長い棒と脚立を持ち歩き、スーツのそこかしこが汚れている。ハンチングを被った頭も、口元にたくわえられた髭も真っ白になっている。
「あなたは?」
カロルがそう問うと、人懐こい笑顔で老人は答えた。
「いやぁ、ただの老いぼれたガス燈の点灯夫でさぁ」
と言い、老人は二本の棒を軽く持ち上げた。なるほど、あの棒はガス燈の元栓を開け閉めする開閉棒と、ガス燈に火を灯すための点火棒らしい。
「それで、何か用かい? 点灯夫の爺さん」
アレンが少しばかりの用心を滲ませながら老人に問うと、老人は「あぁ……」と少し間延びした声で返答した。
「そこでな、お嬢さんのお姿を見かけたんじゃが、その時もしやと思うてなぁ……お嬢さんはもしかして、シャロンお嬢様じゃないかね?」
老人がそう問い、アレンはどう返答しようか悩んだが、カロルは特に気にせず老人に首肯した。
「そうです。ジャン=クリストフ・ド・シャロンが第一子、カロル・エレオノール・ド・ラ・シャロンです。お爺さん」
「おお! やはりそうか!! 以前街にいらした時にチラとお見かけしましてなぁ」
老人は肩かけた脚立をガシャガシャと鳴らしながら帽子を脱ぎ、胸に押し当てた。
「シャロンさんのこと、労働者仲間から伝え聞きましたぞ。ほんに残念なことで……偉大なる主よ、なぜワシのようなしょぼくれた老人よりも先にご立派な紳士を迎えられたのか。せめてシャロンさんが天国で安らげますように……」
そう言って老人は弔意を示すべく、黙祷を捧げた。
「ありがとう存じます、お爺さん。私の父もきっとお喜びになるに違いありません」
「シャロンさんは街のみんなが誇りに思う紳士じゃて。本当に無念なことじゃ」
そう言い、老人はまなじりに浮かべた涙を袖口でぐいと拭った。アレンはそれを見て、シャロン氏は街の人に愛されていたんだなと思い、かえって余計にいたたまれない気持ちになった。
「シャロン家は別宅の方へ引っ越ししたと聞き及びましたが……お嬢様は戻ってきたんですかい? これからもお屋敷にお住まいで?」
「いえ、そういうわけではないのです。私達が戻ったのには理由がありまして……」
そう言って、カロルは老人に軽く経緯を説明した。シャロン氏からの遺言でとある物を探しにきたこと。そのために本邸に戻ってみたが、空き巣に入られたようで、屋敷が荒らされていたこと。その強盗団を探したいが、何も情報がないこと。
「お爺さんももし知っていれば教えてほしいのですが、最近あやしい集団など見かけたりはしませんでしたか?」
カロルがそう言うと、老人はうんうんと唸りながら記憶を探っているようだった。
「いやぁ……そういう奴らはとんと見かけませんでな……しかし盗賊団と言うなら、ちょいと聞き覚えがありますぞ」
アレンとカロルは老人の言葉に驚いた。
「爺さん、そいつを教えてくれないか? もしかしたらそいつらが大事なものを持って行っちまったのかも知れないんだ。俺たちはそいつらを追わなければいけないが、今の所全く情報が無い。些細なことでもなんでもいいから教えてくれると助かる」
アレンが勢い込んでそういうと、老人はこくりこくりと頷いて、その心当たりを二人に伝えた。
「こいつは労働者仲間から聞いた話なんじゃが、最近幅をきかせる悪党どもがおるらしくてなぁ。あくどいことなら何でもやるチンピラ共じゃが、特に空き巣を狙った強盗を得意にしておる薄汚いハイエナどもらしい。シャロンさんのお屋敷が狙われたという話でピンと来た」
「爺さん! それこそまさに俺たちが聞きたかった情報だ! そいつらは名前とかあるのか?」
「マティアス一味と言うそうじゃよ。その名の通り、マティアスという男が首領をやってるらしい。そいつらの本拠地も聞いたことあるぞい」
「本当か爺さん!? して、そいつらはどこに居るんだ?」
老人は眉間に拳をあてて、記憶を探るようにして答えた。
「確か……『ヴィース』って街じゃ」
「ヴィース……この街からほど近い街ですね。確か、とある郷紳の方が治めてる街だったかと」
老人が答えるとカロルがその街について知っていることを語った。老人はウムと頷いた。
「確かそんなところじゃったよ。しかしお嬢様、そいつらを追うなら気をつけてくだせぇ。なんでもそいつらはパッと現れてパッと消える、なんとも不可解な奴らだそうで」
「パッと……」
アレンが不思議そうに呟くと、老人はアレンに大きく頷きながら答える。
「どこまで本当か、なにせそれを聞いたのは耄碌しかかった看板屋のロイクの野郎じゃからなぁ。しかし、結局は悪党どもを追うなら、危険なことには変わりない。ワシとしてはお嬢様にはこの街にいつまでも住んでいてほしいところじゃが」
「ありがとう、お爺さん。だけどとても大切な物なの……お爺さん、お名前は?」
「ヴォイチェフじゃよ、お嬢様」
「ヴォイチェフ……もしやポドポラの方ですか?」
老人がこの辺りでは聞かない名前を答え、カロルがその名前から老人の出身地にあたりをつけると、老人はくすぐったそうに首を引っ込め笑った。
「若い頃、出稼ぎでこの国までやってきたは良いが、帰る金が失くなってしまってなぁ……。他の街では外国人ということで随分と苦労したが、この街はいい。とてもいい。だからシャロンさんのことは好きさ!」
ガシャガシャと仕事道具を鳴らしながら、老人は両腕を広げた。
「お嬢様に会えてワシは嬉しいです……主よ、何卒、シャロンお嬢様に御加護を……」
老人はアレンとカロルのために、神に祈りを捧げた。
「ありがとうヴォイチェフさん」
二人が老人に礼を言ってその場を去っても、老人はいつまでも帽子を振って「神の御加護を!」と声を上げていた。
それから二人はカド・ドゥ・パッセに一泊してからヴィースの街に向かった。
ヴィースは本邸と別邸に対し、丁度三角形を描くような場所に位置しており、首都からは少し離れた方向にあった。二人が朝から馬を走らせると、日中のうちにたどり着くことが出来た。
二人はヴィースの中心街に着くと、馬を曳きながら歩き始めた。
「人通りが多いな」
「この街は音楽堂や芝居小屋、見世物小屋、サーカスなどの娯楽産業で成り立っていますからね。遠くから足を運ぶものも多いと聞きます」
洒落たコートやきらびやかなドレスを着込んだ紳士淑女が道路を埋め尽くし、それらの間を立派な馬車が行き交っている。上流階級の者も多いが、中にはそれほど裕福そうには見えないものたちも居る。最近になって蒸気機関車というものが整備されるようになったそうで、その影響で庶民にも気軽な娯楽として観光が盛んになっていると聞く。そのお陰で、娯楽産業の集まったこの街は大層潤い、成金貴族が増えた結果さらに金がよく回るという好循環が生まれているようだった。
「活気はあるが……なんというか少し趣味の悪い気もするな」
道行く人を眺めてアレンは言った。着飾るは良いが、誰もかれもがたくさんの宝石で身を飾り、じゃらじゃらとした金時計を胸ポケットから垂らすのを見るにつけ、一言で言って品の無い成金趣味といった様相を呈していた。
「それはそうとアレン。まだ夜まで時間がありますから、少し聞き込みなどしましょう。マティアス一味を追わなければ」
「そうだな、まずは馬を預けなきゃ」
そういって二人が歩みを進めようとした矢先。
「きゃっ」
「おっと……すみませんね。この人混みなもので……」
背が小さい、フードを目深に被った者が、カロルにぶつかり謝った。声の質からして女だと分かる。女はそのまま人混みに紛れて去った。
「カロル大丈夫か?」
「ええ、私は大丈夫……」
カロルはぶつかったことでふらついた身体を踏ん張り、アレンにそう返すが。
「あ、あれ?」
「どうした?」
カロルがその身をぱっぱと手で探ったあと、さぁっ、と青い顔をしながらアレンに言った。
「財布が……無いです」
警察上層部の話は
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/8/
王に関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/11/
を参照ください。
本作をお楽しみ頂けましたでしょうか?
評価・ご感想はページ下部へ↓