本邸への道程
夢男との邂逅から一夜明け、二人は本邸を目指して馬を駆らせていた。本邸までの道のりは行きと同じく二日ばかりかかる。早駆けさせれば一日がかりでぎりぎり到着はできるが、今後も馬の世話になることは分かりきっている。なるべく馬に負担を掛けないよう、通常通りのペースで途中の町を目指した。
「夢男とやらの発言……どこまでが真実なのでしょうね」
途中、馬を休憩させるべく木陰で水を与えていたところに、カロルが疑問を投げかけた。
「いまいち信のおけない方でしたね……今ならアレンの言うことがよくわかります」
「全てにおいて信のおけないやつだよ。奴を信じるくらいならイワシの頭を拝んだ方がまだマシだ」
アレンが馬の身体を拭きながらそう吐き捨てると、カロルは木に寄りかかりながら座り込み、膝を抱えた。
「しかし、『鍵』かどうかはともかく、『本』の表紙のエンブレムの存在に関しては、お父様の話と一致します」
アレンはその発言には答えず、黙々と馬の身体を拭き続けた。
「丸いエンブレム……お父様は『枝が伸びるように広がっていく意匠』と仰ってました。またその部分は金属製で少しばかり表紙からはみ出していたとも……。夢男の話が事実だとしたら、それが『鍵』と呼ばれるものではないでしょうか」
「…………どうだか。俺はあの野郎には砂の一粒分さえ信用が置けないからな。奴の言うことは全部ウソで、俺たちを『本』や『鍵』から遠ざけて、独り占めしたいだけかも」
「……そうなんでしょうか? それなら、あんな凝った嘘をつかなくても一言『外国にある』とでも言っておけば、それで充分な気がします」
アレンはそのまま馬の身体を拭き続けたが、気もそぞろになったことが馬に伝わってしまったのか、馬はぶるるんと頭を振り身体を揺らした。アレンはため息を一つ吐くと、馬を拭く手を止め、カロルの横に無言で座り込んだ。カロルはアレンのその様子を見ながら話を続ける。
「確かに夢男の言葉はどこまで信用してよいかわかりません。ですが、仮に夢男が『本』と『鍵』と……『適合者』である私の三つ全てを奪いたいとしたら、むしろ私達に全てを揃えさせた方が好都合です」
カロルは話しながら自分の考えを整理しているようで、一言一句を噛み含めるように喋り続けた。
「夢男の立場で考えれば、少なくとも『鍵』に関しては本当の事を喋って私達に探させた方が良いとは考えられませんか?」
「奴の計略にわざと乗るってことか」
「どちらかと言えば、他に手がかりがない以上、夢男の言に乗らざるを得ないといった方が正しいと思います。実際、私達は『鍵』がなんなのか、手がかりが0ですから」
アレンはカロルの言葉を受けて少し考えてみた。
夢男はカロルに全てを揃えさせたい目的があると話していた。それは『とある者』に『世界樹』の力が渡らないようにするため。渡ってしまえばどうなるかわからず、最悪の場合は人類が滅亡すると……。そのためには『本』と『鍵』を手に入れ『守護者』に会い、どうすべきかを『守護者』と相談しろという……。
そこまで考えた時にアレンには一つの疑問が浮かんだ。
「なんで『守護者』に会うために『本』と『鍵』が必要なんだ?」
「? どういうことでしょう?」
「少し奴の発言を思い返していたんだ。確か奴は、とある者に『本』を渡したくないため『守護者』を探して相談しろ……という感じの発言をしていたと思うんだが」
アレンはカロルの顔を見ながら話した。
「『本』や『鍵』なんて無くても『守護者』に会っちゃいけないのか? とりあえず会ってみて、相談してみるでも良いような気がするが」
「……『本』の中に『守護者』の居場所が書かれているとか?」
「だったらシャロンさんがとっくに見つけているはずだ。実際、『守護者』に関しては『世界樹』と『適合者』を守るものという事しか書いていなかったと言っていたし……」
アレンはこめかみに人差し指をあてながら考えた。
「カロルが持つとまた何か変わるのか? 『守護者』の居場所が分かる仕組みになっていたりして……。実は夢男は『本』や『鍵』よりも『守護者』の居場所を欲しているとか? それなら『鍵』のことを俺たちに教えるのは道理だが……じゃあ、『とある者』とかの話はでたらめで単に俺たちを騙すための…………あーもうっ! わけわからん!」
アレンは頭を掻きむしって、四肢の全てと纏まらない思考を放り出して草の上に大の字に倒れた。
「結局私達が後手に回ってしまうのは、ひとえに情報不足ということですね」
「そのとおりだな……。結局は情報の差がそのまま有利不利の差になってる気がする。俺たちは今、夢男の手のひらの上で慣れないダンスを踊ってるってことだ。忌々しいことに……」
アレンが口角を下げながらそう言うと、カロルが発言した。
「あら……アレンは私とダンスを踊るのがそんなに忌々しいことなのですか? まあ、なんて可哀想な私!! およよ……」
「今そんな話してないだろう!!??」
わざとらしい泣き真似をするカロルに、アレンはガバリと上半身を起こし、慌てて抗議した。
「俺が言いたいのは夢男にいいようにやられていることが忌々しいってことで!!」
「それじゃあ、アレンは私と一緒にダンスを踊ってくれるのですか?」
カロルはそういうと命乞いするウサギのような上目遣いでアレンのことを見つめた。
「うっ……いや、今はそれとは別の話を……」
「おお! なんということでしょう!! 可哀想な私にはダンスに誘ってくれる殿方もおりませんわ!! 私のかわいいお目々から流れ出した涙は川となり、海に注ぎ込まれて雲になり、やがて慈雨となって大地を潤し、美味しい小麦となって私のお腹を満たしてくれるでしょう!!」
「どんな発想ですかそれは!! というか自分でかわいいお目々って……!!」
「アレンは……私の手をとってくれないのですか?」
カロルはいつの間にかウソ泣きをやめ、アレンの目の前に手を差し出していた。
「い、いや……その……」
「アレン……」
その見捨てられた子犬のような目を止めてほしい! アレンは思いっきり叫びたかった。
「い、今はそんな話をしている場合じゃ」
「いいから手をとれアレン」
ダンスと言うよりは固い握手という感じでガシッとカロルの手を握ったアレンは、その全身をふるふると震わせながら叫んだ。
「カロル…………こんなくだらないことに『ギフト』使ってんじゃねぇーーーっ!!」
アレンの叫び声が空高く響き渡り、その声に呼応するかのごとくに馬が嘶いた。
「アレン、そろそろ機嫌を直してくださいよ。悪戯が過ぎたことは謝りますから……」
「別に。怒ってないし」
本邸のある街、カド・ドゥ・パッセにたどり着くまでの途上の町にやってきた。二人は馬を手綱で曳きながら、今日の宿を探していた。
その町までの道中、カロルがアレンに話しかけてもアレンは「うー」とか「あー」くらいしか返事をせず、大いにカロルを困らせていた。
「ねぇアレン、本当に悪ふざけがすぎました、ごめんなさい。そろそろ機嫌を直していただけないかしら……」
そういうと、カロルはアレンの前に、たたたっ、と回り込み、祈りを捧げるようなポーズをとった。アレンはしばらく仏頂面を崩さなかったが、大きなため息を一つついて、休憩以来久しぶりにカロルに向き合った。
「……確かに盛大にからかってくれたな。まぁでも、もういいよ。過ぎたことだ」
「それじゃあ、アレンはこの哀れな小娘を許してくれるの?」
そう言って申し訳無さそうに上目遣いをするカロルを見て、親子って本当に似るものだな……、と妙な感慨にふけった。
「許します。許しますとも。というより、俺も意地を張りすぎたよ、悪かった」
その言葉を聞くとカロルは幼子のするようなニンマリとした笑顔で答え、前を向くと弾むような足取りで歩き始めた。
「もうあんなからかうような悪戯やめてくれよ」
「それは保証しかねますね!」
「そこは保証してくれよ、後生だから……」
アレンが額に手をやり頭痛を堪えるかのような顔をすると、カロルは前方を指差しながら声を上げた。
「アレン、あそこに宿があります。今日はあそこに泊まりましょう」
アレンとカロルは馬を預けると、受付で宿泊の手続きをした。
「一泊で二部屋空いてるか? 隣り合ってる部屋がいいんだが」
アレンが受付の若い女性にそう告げるのを聞いて、カロルが待ったをかけた。
「ねぇアレン。ちょっといいですか?」
「? どうした?」
「二人で一部屋でいいのでは?」
「なん……だと……?」
アレンがその発言の衝撃に固まっていると、カロルは自分の考えを滔々と語り始めた。
「アレンも毎回私の部屋の前で不寝番をしてくれているじゃないですか。ちょっと申し訳ないなと。せっかく取ったアレンの分のお部屋ももったいないですし。だったら一緒の部屋にしませんか?」
「い、いや、不寝番くらい別に俺は……」
「それだけじゃないです。お金はそれなりにありますが、今後どれだけの期間旅をするか分からないじゃありませんか。なるべく節約していった方が良いなと。それで今一番お金がかかるのが宿代ですから、アレンが嫌じゃなければ一部屋の方が……」
「そ、れは……俺は嫌じゃない、けど……カロルの方こそ嫌じゃないのか? 俺、男なんだが……」
「? 私はアレンだったら喜んで一夜を共にさせて頂きますよ?」
言い方……!
アレンが動揺し、目が泳いだ先で、受付嬢があんぐりと開いた口を手で押さえ、顔を真赤にしていた。アレンも羞恥に耐えきれず顔を真赤にした。
「それじゃあアレンもよろしいですね? すみませんが二人で一部屋、空いてますか?」
「空いてます! 空いてますとも!!」
受付嬢はカウンターに身を乗り出しながら大声を上げ、迅速に部屋の手配を行った。
「部屋が取れて良かったですね、アレン。それでは参りましょう」
朗らかに笑うカロルの後をついていきながら、アレンはチェックイン・カウンターの受付嬢をちらりと見た。受付嬢は上気した顔で意味深な頷きをアレンに投げかけた。本当に勘弁して欲しいと思った。
深夜、アレンは真っ暗な部屋の中、まんじりともせず床に寝転がっていた。
受付嬢は余計な気を利かせて、ダブルベッド一つのみの部屋を用意したようだった。仰天した二人は先の受付嬢に他に部屋は無いのかと問い合わせると、
「いいえ、お客様。他に空き部屋はございません。ええ、断じてございません!」
と強く言い切られてしまい、カロルも仕方ないという感じで甘受した。アレンは、絶対他に空き部屋あるだろ……! と心の中で強く思った。強く思ったが言葉にはしなかった。
流石のカロルも二人一緒のベッドで寝ましょうとは言い出さず、アレンが床に寝ることで落ち着いた。もともと不寝番をするつもりなのでそれで問題はなかった。
「とは言え……どうにも落ち着かないな……」
アレンは寝返りを打ちながら呟いた。
「カロルはこんな時でもぐっすり寝てるのすごいな……なんか俺、男として意識されてないのかな……」
ベッドの上からはカロルの寝息が聞こえる。カロルが寝返りを打つたびに衣擦れの音が部屋に響き、アレンはその度に気もそぞろになる。何に対してかは分からないが何か敗北感のようなものを感じていた。
どうにもモヤモヤとした気分が振り払えずにいたアレンは、ふう、と一息つくとムクリと起き上がり、ベッドの側面に背中を預けた。
「……エンブレム、か……」
アレンは昼間カロルと話した夢男の話を思い出していた。『鍵』は丸い金属製のエンブレムという話が仮に本当なら、それは大きな手がかりとなる。シャロン氏から、下から上に向かって5本の線が扇形に広がっていくような意匠と聞いている。無関係のもので似た意匠のものも多いだろうが、それでも扉などの鍵と同じ形をしているよりは候補をぐっと絞ることができる。
カロルは夢男にも目論見はあるにせよ、あえてそれに乗っかってみてもいいのでは無いかというスタンスだった。アレンとしては未だに夢男の胡散臭さは拭いきれない。前髪に隠れた目でどこまでを見透かしているのか分からない不気味さを感じる。正直言って、夢男の言には乗りたくない。乗りたくないが……。
「他にあても無いか……」
結局はそこに行き着いた。今のアレン達はあまりにも情報を持たなすぎた。幸いにもあの夜からこれまで、特務機関の気配は感じられなかった。しかしいつかは襲ってくるはず。……その時に夢男をカロルの防衛に巻き込めないだろうか? もし夢男の目標が『本』『鍵』『適合者』の三つを揃えることだとしたら、特務機関に掠め取られるのは不都合のはずだ。その弱みを上手く利用できないだろうか? アレンがそこまで考えたときだった。
突然、アレンの側頭部が強打された。
「っ……!?」
アレンは突然のことに驚愕した。襲撃された? 背後から!? まるで気配を感じなかった!!
アレンは強打された勢いを利用して横へ転がり、素早くナイフを抜きながら立ち上がった。
「一体誰っ…………だ……?」
アレンの誰何する声が尻すぼみに小さくなっていく。アレンの視界には。
ベッドとほぼ直角になりながら仰向けで寝ているカロルが居た。
「……カロル……」
カロルの足は片方がベッドの端からだらりと垂れており、腕は万歳の形をとっている。相変わらずぐっすりと眠っておりその寝顔は穏やかだが、腕をバシバシとベッドに叩きつけながら、とても寝言とは思えぬはっきりとした口調で、「アレン、ドーナツに油を塗ってニタニタ笑うのをやめなさい」と寝言を言った。
「するかっ! そんなことっ!!」
どうやら先程の衝撃はカロルの寝返りの際、うっかりアレンの頭にカロルの足が当たったようだった。
「……カロルって…………」
とんでもなく寝相と寝言が激しい少女だった。
「ゆうべはおたのしみでしたね」
朝チェックアウトする際、カロルがそばにいない隙を見計らって、受付嬢がそう声をかけてきた。それなりに整った顔立ちに下世話な好奇心を浮かべ、その瞳がキラキラと輝くのを見るにつけ、アレンはげんなりとした思いを抱いた。
「ええ……とても激しかったですよ」
アレンが苦虫を噛み潰したような顔でそう返すと、受付嬢は口元を両手で覆い、いよいよ感極まるかのように頬を上気させ、身体をぷるぷると震わせた。……何故朝からこんな気持にならなければならないのだろうか。
「? 何かありましたか?」
「いいえ、何も。とっとと行きましょう。とっとと」
カロルがアレンに疑問を投げかけるが、アレンはそっけない返事を返しながら急ぎ宿から出た。すると、受付嬢がバタバタと外まで飛び出してきて、二人に向かって大声を上げた。
「また起こしくださいねぇ! いつでも歓迎しますからねぇ!!」
「……なんだかとてもフレンドリーなお宿でしたね。いつか機会があればまた利用しても」
「そんな機会はないと思います。さぁ行きましょう」
硬い表情で先を急がせるアレンに、何かあったのかしら? と考え込むカロルだった。
馬を駆らせて2日目、日も傾き始めた頃になって、本邸のある街カド・ドゥ・パッセへとたどり着いた。ここを離れてからまだ二週間弱といったところだが、シャロン氏とミレイユと使用人たちと一緒に過ごした日々が、もう何年も前の出来事のように思える。
カド・ドゥ・パッセに辿り着く前から、カロルの口数は少なくなっていた。馬を駆らせながら前を見据えるその目は、今ここではない、どこか遠くを見つめているようだった。
二人は本邸へと歩みを進めていった。やがて街の外れの方に位置するシャロン家本邸が見えてきたが……。
「……? なにか……」
「変な……感じを受けますね……」
周りをぐるりと取り囲む石壁からチラと見える本邸だが、その様子だけで何かおかしい雰囲気を感じた。二人は自然と馬の歩みを早めると、壁を回り込んで正門の前へとたどり着いた。
「っ! これは!?」
二人は本邸の様子を目にし、愕然とした。
邸宅は玄関が破壊され、扉が地面に横たわっていた。破られた窓からは荒れ果てた室内が見える。シャロン氏の自慢だった庭園は見る影もなく荒れ果てている。
シャロン家本邸は何者かの襲撃を受けていた。
エンブレムの話は
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/9/
カロルの能力に関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/6/
を参照ください。
本作をお楽しみ頂けましたでしょうか?
評価・ご感想はページ下部へ↓