二人の旅立ち
アレンが全てを話し終えると、警部はテーブルに肘をつき、片手で額を押さえながら頭を軽く振った。
「陛下と『旗持ち』たちが繋がっている……? それに『世界樹の本』……? ……正直言って……とても信じ難い話だ」
警部は低い声で唸るように言葉を発した。
「冒険小説でも読んでいる気分だ」
「お気持ちは良くわかります、クレマンソー警部」
アレンは警部に軽く頷きながら喋った。
「私もカロルさんも、実際に襲われなければ簡単には信じられなかったでしょう。……警部にとってはなおさらだと思います」
アレンは警部の顔を真っ直ぐに見つめた。
「信じてくれとは言いません。いやむしろ……信じないほうが良いでしょう。余計なお節介かとは思いますが……最初から危険と分かっていることに、無関係の警部を巻き込むわけにはいきません」
警部はアレンの言葉を聞いて、腕を組んで目を閉じた。
「……はっきり言って、今の私には信じるも信じないも答えを出すことができない。それを判断するには情報が少なすぎる……だが」
警部はそう言うと組んでいた腕をほどき、椅子に深く腰掛け直した。
「それでもシャロン嬢やアレンくんが襲われ……シャロン氏も亡くなったことは事実だ。私は事実を信じる……話を整理しよう」
そう言うと警部は一度周囲をちらりと見回し、近くに人が居ないことを確認すると、テーブルに身を乗り出してきた。
「まず、シャロン嬢がまだ赤子だった頃に、シャロン氏は『世界樹の本』なるものを入手した。それはシャロン氏の知人経由で手に入れたが、その知人本人は驚くことにその事実を知らなかった」
シャロン氏はテーブルの上に相関図を書くかのように指を動かした。
「その『本』には『世界樹』とやらの記述があった。その記述によると、シャロン嬢が『世界樹』と繋がることのできるただ一人の『適合者』と呼ばれる存在であり、『世界樹』の力で万物を支配することができると記載されていた。……ここまではいいかな?」
警部が確認を求めてきたため、アレンは無言で頷いた。カロルの方をちらっと見ると、カロルは緊張しているのか硬い表情で警部の話を聞いていた。警部は軽く頷くと話を続けた。
「そして『本』には一枚のメモが挟まっていた。そのメモに依ると、詳細は分からないが、なにかしらの『危機』が迫っており、『本』を捨ててはならないと書いてあった」
警部はテーブルを指でトントンと叩きながら今回の事件の全体像を整理していく。
「最初は『デパルトの旗を立てる者たち』の一員であるあのエルフの男がシャロン氏を襲撃したが、アレンくんの奮闘により捕縛することができた。その男は警察病院で顎の骨折を治療中に自殺で死亡……しかしこれは口封じによる他殺の疑いがある。そしてシャロン氏がシャルル7世陛下に謁見した際、陛下からその『本』を返却するよう迫られた、とシャロン氏が言っていた。シャロン氏がそれを拒むと、『特務機関』なる秘密組織から少年と女性の二人組が訪れ、シャロン氏と館の使用人を殺害し、『本』を奪っていった……」
「概ね間違いありません……しかし私の方から付け加えることがあります」
アレンはそう前置きを置くと、警部とカロルに『夢男』なる人物と邂逅したことを話した。アレンに興味を示していたこと。『本』の所在を気にしていたこと。『本』やカロルのことをある程度知っている風であったこと。自分はアレン達の味方であるような事を話していたこと。
カロルはその話を聞いて不安げにアレンの横顔を見つめていた。アレンとしては隠すつもりは無かったが、このようなタイミングでカロルに告げることになったことを、心の中で密かに謝罪した。
「ふむ……『夢男』……。警察の方では聞いたことのない名だ」
クレマンソー警部は口を押さえながら、その話の内容を頭の中で反芻しているようだった。
「結果的に言えば、『夢男』から得た情報はシャロンさんも周知であったわけですが……」
「疑問は残るな。しかし、今は事件全体の問題を整理する中で取り上げるとしよう」
そういうとクレマンソー警部は今までの話の中の疑問点を一つ一つ列挙していった。警部は手のひらを広げると親指を内側へ折った。
「まず一つ目の疑問は、その知人の姿を借りた者の正体と目的が分からないこと。今回の事件の全てはそこから始まったが、それが誰の、どういう陰謀に依るものかは分からない。しかし、この点に関していえば、現在の王や『旗持ち』たち、『特務機関』とは関わりがないだろうことは明らかだ。現王はその頃まだ子供だったし、当然『特務機関』も存在しない。『旗持ち』達がわざわざシャロン氏に渡した上で何年も経ってからそれを奪うというのも解せない。今までの話の中に出てきていない登場人物の可能性は大いにある。『夢男』という者は怪しいが、その輩の仕業である根拠は今の所、無い」
クレマンソー警部はそう言うと二つ目の指を折った。
「二つ目は『危機』とは何かだ。これについては今の所何の情報もない。そしてシャロン氏が情報を集めようとしたが、結局はなんの手がかりも無かったということだ。そのためこれについてはこれ以上追求できない」
3本目の指が折られる。
「三つ目は『本を捨ててはならない』という記述だ。どうして捨ててはならないのだろう? その『本』の存在はそれほど重要なのだろうか? その『本』の存在が『危機』を回避するための何らかの方法になるのだろうか? もしかしたらなるのかも知れない。私には信じ難い話ではあるが、『世界樹』というものが存在し、『適合者』であるシャロン嬢がそれに繋がれるというなら、もしかしたらその『繋がる』、あるいは、『危機を回避』する際に何らかの手段としてその『本』とやらが必要なのかもしれない」
警部の深く鋭い分析を聞きながら、カロルは思わず身震いした。わけの分からない陰謀が渦巻き、その中心には『本』と自分自身がいると思うと、何処かの奈落へ吸い込まれていきそうな、ゾッとする感覚に襲われた。
「これは私の考えだが、その『世界樹と繋がる』方に必要という方が、より有力な考えだと思う。『危機』とやらに『本』がどのような役に立つのだろう? それよりも『世界樹』と『繋がる』……この、『繋がる』という表現自体も極めて曖昧だが……『繋がる』際に何らかの儀式のようなものが必要なのではないだろうか? そのために『本』が必要という考えの方がよりしっくりくる。しかしこれは予断だ。結局は情報が出揃わない限りはこれ以上の分析は不可能だ」
警部の4本目の指が折られる。
「そしてメモの存在だ。これは一体誰が、何のために残したのだろう? 限りなく好意的に見れば、そのメモを残した者がシャロン氏に『危機』の存在を伝え、その時が来るまで『本』とシャロン嬢を守るようにと善意で教えたのかもしれない……が、限りなく悪い見方をすれば……」
警部はちらとカロルの方を見て、幾分躊躇するかのように少し下を向いたが、意を決したように口を開いた。
「シャロン嬢に『世界樹と繋がれ』と強制しているようにも聞こえる」
カロルはハッと目を見開き、思わず口を両手で塞いだ。その瞳には怯えの表情が見て取れた。背筋に気味の悪い虫が這いずり回るような感覚を覚え、肌に粟が立つ。
「シャロン嬢。貴女を怖がらせてしまったこと、まことに申し訳ない」
「い、いえ……平気です警部さん。……貴方の分析は私にとって、とても重要なことを教えてくれます。どうぞ、そのままお続けくださいまし……」
カロルは口ではそう言うが、恐怖に囚われていることは二人の目から見て明らかだった。特にアレンは横に居たため、スカートを硬く握りこむカロルの手が、目に見えるほど震えていることに気づいてしまった。アレンはそっとカロルの手に自分の手を重ねた。カロルは顔を俯けたままだったが、アレンの手を握り恐怖と戦うことを選択した。
警部は自身の言葉でカロルを暗く深い不安の穴底に突き落としてしまったことを後悔したが、しかし喋らない訳にもいかなかった。その大きな腹に空気を吸い込み、力をこめると続きを話しだした。
「そして最後に……アレンくんの出会ったという『夢男』だ。この男は何者か? 何をどこまで知っているのか? シャロン氏の味方だと言っていたが、それを鵜呑みにしてよいのか?」
警部がそこまで話すとアレンは口を開いた。
「口ぶりは私達の味方だと嘯いていましたが、自分の勘を信じるならば、信用の置けない奴でしたね。見た目通りの道化者と言った感じです。守れというなら、直接シャロンさんに伝えれば良い。そして自分も守る側に混ざればいい。それもせずに私に間接的にそれを伝えるのは意味がわかりません。言動も信用の置けそうな奴ではなかった」
「うむ、なるほど」
警部は得心して頷いた。
「私は警官になってからこの方、ずっと頭に置いて忘れないようにしている言葉がある。『人が行動する時は必ず何かの目的がある』という言葉だ。あまりにも当たり前過ぎて忘れがちな考えだが、これが重要だ。君の前に『夢男』なるものが姿を表し、『本』とシャロン嬢を守れというのにも何らかの目的があるはずだ。それこそ、その『夢男』の言動はメモの記述と一致しないかね?」
「警部さん、それは……!」
アレンが勢い込んでテーブルに身を乗り出したところを警部が手で制した。
「アレンくん、まだこれは推測の段階の話だ。というより、今は疑問点を整理している段階だ。全ては推測の域を出ない。しかし……」
警部は真剣な目でアレンを見据え、噛みしめるように頷きながら、二人に告げた。
「点と点の間には必ず線が存在するのだ」
3人の話が落ち着いた頃にはすっかり日が落ち、仕事帰りの人々が通りに増えてきた。警部は椅子から立ち上がり、二人に礼を述べた。
「アレンくん、それにシャロン嬢。興味深い話を聞かせてくれてありがとう。『旗持ち』達と……陛下に、繋がりがあるというのは到底信じ難い話ではあったが……二人の話をもとに、今までの事件を洗い直してみよう。何か新しい発見があるかもしれん。それに『特務機関』とやらも、私の方で分かることがあるかどうか調べてみよう」
警部は上着を着て帽子を被り直すと、3人分の茶代をテーブルに置いた。
「アレンくん、シャロン嬢。何か困りごとや危険が身に迫っていることが分かったら警察に連絡を。少なくとも私は君たちの味方だ」
警部はアレンとカロルに握手を求めた。
「私は最後まで闘う。たとえ敵が途方も無く巨大な敵だとしても……それが私の決めた意志なのだから」
警部は二人と握手をすると片手を上げてその場から去った。
「……お強い人ですね、警部は」
「ええ、本当に」
カロルの言葉にアレンは同意した。去りゆく警部の背中はこれまでよりも大きく見えた。
カロルは警部が去り宿へと戻ってからも、何かを思い悩んでいるようだった。食事をした際もアレンとは言葉少なにやりとりするだけで、食べ終わるとすぐに自分の部屋へ戻っていった。
アレンは自分の部屋のベッドに座り込むと、夕刻の警部とのやり取りを思い出した。カロルに『世界樹』と繋がらせたい誰かの陰謀ではという話には奇妙な納得感があった。少なくとも善意の者がわざわざシャロン氏の知人に変装して、暗黙の内にシャロン氏に警告したという話よりはよほど信憑性が高そうだった。そうであるならカロルはその陰謀の中で利用されようとしているのかも知れない。それを防ぐのは……。
「俺の役目だよな」
アレンはその目に決意の光を宿すと、今日も不寝番をするべく、カロルが寝ているはずの隣の部屋の前に居座った。
すると、それからしばらくもしない内にカロルの部屋から「アレン?」と呼びかける声が聞こえてきた。
「今、部屋の前にいますか?」
「ええ、居ますよ。何かありました?」
アレンがそう返事すると、扉が開かれ、内側からカロルが顔を覗かせた。
「アレン、少し話がしたいのだけど、いいですか?」
「? 大丈夫です」
アレンは不思議に思いながらもカロルの部屋に入り、カロルに促されて椅子に座った。カロルはアレンの対面に陣取りベッドに腰をかけた。
「あれからずっと考えていたのだけれど……」
そういってカロルは顔を伏せたが、意を決するように顔を上げると、アレンに告げた。
「私、『世界樹の本』を探そうと思います」
「カロルさん!?」
アレンが慌てて腰を浮かせたところで、カロルがその手でアレンを制した。
「先程の警部の話を聞いて……考えていたのです」
アレンが少しづつ元の椅子に座り直すのを見ながらカロルは語り始めた。
「父が襲われ『本』が奪われてしまったこと、これは現国王の仕業と言うならそうなのだと思います。でも、それも『本』の存在が知られた後で発生したもの、言ってしまえば政治的争いの一つでしかありません」
カロルはアレンの目を見据えながら淡々と語る。
「問題の本当の根っこには、父に『本』を渡した影の立役者がいます。その者が何を目的とし、このようなあらすじを描いたのか……それが知りたい。なぜ父が死ななければならなかったのか。なぜミレイユが死ななければならなかったのか。その疑問に繋がるはずのことなのです」
「しかし……」
アレンは拳をぐっと握りしめ、身体を強張らせながら話した。
「善意であれ、悪意であれ、その立役者は明らかにカロルさんを利用しようとしています。むざむざ罠と分かっている檻へカロルさんを飛び込ませたくありません。それに、『本』を奪ったのは特務機関という特殊工作のプロ集団のようです。あの夜は苦戦しながらもなんとか退けましたが、他にもあのような手練が控えているならば、我々二人では乗り切るのは難しいと考えます。我々が対峙しているのはデパルト国王、ひいてはこのデパルトという国そのものなのです。あまりにも分が悪すぎます」
アレンが反論すると、カロルは一息ふぅと呼吸すると再反論した。
「アレンの言うことはもっともです。反抗するには、あまりに巨大過ぎる敵だと私も思います。であれば、おとなしく一箇所に留まっているのはなおさら危険だと思いませんか?」
「……そうかもしれませんが、それならクレマンソー警部に助けを求め、何処かに身をひそめるとか……」
「あの夜の襲撃者、その内のパーシーなる者は自由に扉を作成し、自由にその扉を行き来できるようでした」
「それは……そうです」
「あの『ギフト』にどのような制限があるのかはわかりません。もしかしたら何処でも自由に扉を作れるのかもしれません。そうでないのかも知れません。今このときも私達は無事ですが、それがどのような意味を帯びているかは私達にはわかりません。明日にも襲いくるのかも知れない。もしかしたら今夜中にも……」
そこまで言うとカロルは自身の身体を掻き抱いてぶるりと一震えした。
「そうであるなら、思い切って国外へ脱出してしまうのも手だと思います。そしてそうやって動くのであれば……私は父の遺志を尊重したい」
「シャロンさんの……遺志ですか?」
アレンはカロルとシャロン氏の会話内容については知らないため、カロルに疑問を投げかけた。
「痛恨の極みですが、私はあまりのショックに、大事な事を失念してしまっていました。それをつい先程、この部屋に戻ってから思い出したのです。……父は『鍵』を手に入れよと仰ってました」
「『鍵』……ですか?」
アレンも初めて聞く話だ。身を乗り出してカロルの話に聞き入る。
「そうです、『鍵』です。父はそれを探し出せと……その『鍵』なるものが何の鍵なのか、どんな形をしているのか、何処にあるのか。そういう事を聞く前に父は……」
カロルはそう言って目を伏せた。アレンはカロルにかけられる言葉が見つからなかった。
カロルは少しの間そうやっていたが、やがて顔を上げると話を再開した。
「父が死の間際、わざわざ私に伝えた言葉です。『世界樹』関連のものであると私は確信しています。そして『鍵』という言葉から連想されるのは……『本』の封印、もしくは開放ではないでしょうか」
カロルの推測にアレンは息を飲む。
「そうであるなら、きっとその『鍵』が、この一連の事件の、まさに言葉通りの鍵になると思うのです。それを私達が押さえることができるなら……シャルル7世陛下……もう『陛下』という言葉も要りませんね……シャルル7世や、影の暗躍者の思惑を阻止しつつ、『危機』とやらにも立ち向かえるのかもしれない。そうして、できることなら……」
一拍の間をおいてカロルは力強く告げた。
「父の仇を討ちたい」
アレンはカロルの目に、燃え盛る炎の意志を見た。その炎はカロルの身そのものを焼き尽くさんとするばかりに、巨大なエネルギーを内に秘めているように見えた。
アレンはその意志を危ういものと感じた。そしてカロルをこのままにはしておけないと直感した。
「……カロルさん。私は正直申し上げて、反対です。あまりにも危険が多すぎる、過酷な旅になるのは目に見えている。私は……」
アレンはなんとなくカロルの目を見ることができずに俯きながらカロルに告げた。
「カロルさんを危険にさらしたくない……護衛とか関係なく、一人の……」
そこまで話して、アレンは、次に継ぐ言葉が何であるのか、自分でも分からなかった。言葉に詰まり、きまりの悪い思いをした。
「一人の……なんでしょうね。ちょっと、上手く言葉にできないのですが……『友人』、というのが、一番近いですかね」
その言葉を聞いて、カロルはぽかんと呆けた表情をした。しかし、俯いていたアレンにはそれが分からなかった。
「とにかく、カロルさんを危険に晒したくない。カロルさんを守りたい……それを考えると、私の立場としては反対せざるを得ません。得ませんが……」
そこまで言うとアレンは俯いていた顔をあげ、カロルの目をまっすぐに見て、カロルに告げた。
「カロルさんがどうしてもその意志を貫き通すと言うなら……私はカロルさんの意志を守る盾になりましょう」
カロルは相変わらずどんぐりを落としたリスのような表情で固まっていた。
それには構わず、アレンは椅子から立ち上がり床に膝をつくと、カロルに忠誠を誓うかのような格好をした。
「私も、カロル・エレオノール・ド・ラ・シャロン嬢の旅にお供させて下さい」
アレンは別に格好をつけたいがために騎士の真似ごとをした訳ではなかった。ただ、カロルのことを思うと自然とそのように身体が動いた。そして、自分が時代遅れな真似をしていると気づいた後でも、これでいいと思った。
カロルはいよいよ、「わぁ」とでも言うような表情をしてしばらく固まっていたが、やがて――。
「……あはは。あははは! あっはっはっはっはっはっは!!」
「……カロルさん?」
今度はアレンが呆然とする番だった。おかしくてたまらないといった風に、身を捩りながらベッドに倒れ込み、それでもなお爆笑をとめることができないカロルにどう声をかけて良いかわからず、一人まごまごしていた。
「ア、アレン……ぶぐくっ……な、なんでそんな……うひっひ! いぃーひっひ!! いぃーひっひっひ!!」
「お、お嬢様? ……仮にもお嬢様なのですから、そのような笑い方は……」
「だってだって! アレンったら…………ぶごっ!! あー、だめ! 本当だめ!! 笑いが止まらない……あーっはっはっはっは!!!」
アレンはカロルにあまりに笑われるものなので、耳まで真っ赤にし顔をしかめながらその場に立ち尽くした。自分はそんなに笑われるような事をしたのだろうか? ……したのだろうなぁ。なんだかこれまでの自分からは想像もつかないほど恥ずかしいセリフも吐いてしまったし。死にたい。
しばらくそうしていると、カロルの爆笑も収まってきて、それでも目尻に涙のたまった顔でカロルはアレンに向き合った。
「アレン。わざわざそんな騎士の真似ごとしなくても、私はアレンを連れていくつもりでしたよ。だけど、アレンが自分からそういうなら、これはもはや石にかじりついてそれをご飯代わりにしてでも付いてきてもらわねばなりませんね!」
「カロルさん、流石にもうちょっと良い待遇でお願いします……」
アレンが脱力しながらそういうと、先程までの辛気臭い空気もどこへやら、カロルは清々しい顔でアレンに告げた。
「アレン、私のことをカロルと呼びなさい」
アレンが思わずカロルの顔をまじまじと見ると、久しぶりに見るあの華やぐような笑顔で、アレンに言った。
「私のことは……お友達なんでしょ?」
カロルはアレンの顔を覗き込むかのように首をかしげ、今か今かとその言葉を待っている。カロルのきれいな髪の毛が肩から滑り落ち、カロルの見目好い形をした耳を覗かせていた。
アレンはずるいと思った。そんな仕草一つでアレンのことを惑わせる。
アレンは敗北を認め、素直にその言葉を紡いだ。
「……カロル」
アレンは心の底から嬉しそうな……初めて見る気のするカロルの満面の笑みを見て、ああ、この子の笑顔を取り戻せて本当に良かったと感じていた。
カロルの瞳にはあの炎は欠片も残っていなかった。
「カロル……これからも、よろしくな」
アレンは端的にそう告げた。
――――。
「……旅立つんですね」
二人が旅立ちを決めた、その宿の屋根の上で一人の男がゆっくり立ち上がった。
「ついに……」
ざわつくような風が吹いている。シルクハットを押さえる腕の下、硬い黒髪が風に弄ばれている。
「……過酷な旅になるでしょうが、頑張って下さいね」
燕尾服の裾が翻り、バタバタとはためく。
「私は陰に陽に、あなた方を支えましょう……」
男は口元に人差し指を一本立てて、あてがった。
「いい夢見れるかな?」
――――。
「……以上が、事の顛末になります」
「……そうか、ご苦労だった」
立派な執務室の中で、パーシーはジョフロワと会話していた。パーシーはあの悲劇の夜について、機関長であるジョフロワに報告をしていた。
「ノーラ姐は負傷を癒やすため、療養中です。……しばらくは出動は無理でしょう」
「残念なことだが……仕方あるまい」
ジョフロワは目をつむり、深く息を吸った。
「カロル嬢の確保に失敗し、申し訳ありません……それに」
パーシーはその無念さを声に乗せながら次のように言った。
「『本』も何者かに奪われてしまっていた……」
ジョフロワは先刻も聞いた報告を黙って聞いていた。
「パーシー、もう一度確認するが、お前達二人がシャロン邸に到着していた時には『本』は既に奪われてしまっていたのだな?」
ジョフロワが再確認をすると、パーシーはコクリと頷いた。
「僕たち二人が到着した時には、既に館内の使用人は殺害され、シャロン氏も虫の息でした。そして『本』を探しましたが、何処にも見つかりませんでした」
「そうか……」
ジョフロワは目に手を当てて黙考した。
「王にはどのように報告すべきか……」
「申し訳ありません……今は行方がわかりませんが、必ず探し出します」
パーシーがそう言った時。
「……『本』を奪った者が何者かなら、俺達が知っている……」
「そうだよ~! 私達見ちゃったんだから!」
ふと後ろを向くと、落ち着き払いながらも鋭い目つきをした丸メガネの男と、活発そうな犬獣人の少女がパーシーに話しかけてきた。
「ノルベルトさん。ギヨルパ」
ノルベルトと呼ばれた方は、短く刈り上げた濃いグレーの髪に山高帽を被った、40代くらいの体格のいい男だった。黒いコートに身を包み、グレーのスラックスに黒い革靴を合わせている。丸メガネの奥からは鋭い目つきが覗いており、頬から顎にかけて無精髭を生やしていた。その雰囲気はマフィアのヒットマンを想像させた。
ギヨルパと呼ばれた犬獣人の少女は、つんつんとはねた赤い髪を背中まで伸ばして、前髪を短めに切った髪型をしていた。その髪からは犬耳が飛び出しており、ギヨルパの感情に合わせてピクピクと動いていた。胸はさらしのような格好で一枚布を巻いて後ろで縛っている。短くふっくらとしたズボンを履いており、後ろからはしっぽが飛び出している。年の頃12歳といったところで、その表情は赤い瞳と共に明るく輝いており、明朗快活な印象を与える。
「『本』を奪った者を知っているのですか?」
「そうだ……。お前も知っている通り、俺たち二人はあの時、後詰めとして屋敷の外を見張っていた……。その際、『本』を持って館を出てきた怪しい男とばったり出会った」
ノルベルトがそういうと、ギヨルパが割り込んできた。
「そうだよ~!! ちゃあんと仕事してたんだからね!!」
「……お前たちが館で護衛と闘っている時に助力できなかったのは、俺たちもそいつを追っていたからだ」
「今までねぇ、追ってたんだよぉ!! だから報告遅れちゃったんだ! ごめんね!!」
ギヨルパが両手を合わせてごめんなさいと謝罪した。
「……それで、何者か知っているというのは?」
ジョフロワがそう問うと、ノルベルトが答えた。
「そいつに何者か素性を問うた時に、奴はふざけた名前を返してきた……その奇抜な格好も覚えている」
「ギヨルパもねぇ、そいつを追うための手がかりを奪ってきたんだよ!! えらい? えらい!?」
ギヨルパがやかましく騒ぐのを無視して、ジョフロワが問うた。
「……それで、そいつはなんと名乗った?」
ノルベルトは一拍おいて、こう答えた。
「『夢男』」
『旗持ち』こと『デパルトの旗を立てる者たち』に関しては
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『本』に関しては
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特務機関については
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夢男については
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