事件の後始末
その部屋の窓からは明るい日差しが差し込んでいた。
粗末なベッドと木製の小さな書き物机、なんの拵えも無いシンプルな一脚の椅子が備え付けられた質素な部屋だ。日差しが当たらず影になっているため分かりにくいが、年季の入った絨毯と壁紙は少しばかり傷んでいる。
カロルは窓際に座りながら外を見つめている。陽の光に照らされたその横顔は心ここにあらずと言った様子で、なんの感情も浮かべていなかった。建物に遮られてここからは見えないが、カロルの見ている方向にはあの別宅があるはずだ。
あの夜、激闘の終わった後、しばらく二人はその場を動けなかった。アレンは身体に負った怪我の痛みのため。カロルは心砕かれたその痛みのため。
アレンは気絶しそうな痛みを押してカロルの下へ向かった。
「カロルさん……ここを離れましょう」
カロルは動かなかった。地べたに座り込み、とめどない涙を拭いもせず、ただただ心痛に耐えていた。
「……俺が警察を呼びに行ってきます。その前にお部屋に戻りましょう」
アレンがそう言ってカロルの肩に手をかけると、カロルはようやく腰を上げた。
立ち上がったものの脚に力が入らないようで、カロルはふらふらと重心の定まらない動きをしていた。アレンがカロルに肩を貸した。
カロルは無言のまま歩きだしたため、アレンもその歩みに付いていった。
カロルはシャロン氏の遺体の所まで歩いていった。カロルはシャロン氏を見つめながら、またその瞳に涙を湛えた。カロルはその場に座り込むとシャロン氏の手を取った。
「……お父様……」
枯れた声で亡くなった父親に呼びかけ、その手を胸に抱く、目の前の少女の傷心は如何ばかりのものだろうか。アレンには想像もつかない。カロルの震える背中を見ながら、アレンにはかけるべき言葉が見つからなかった。
やがてカロルは書斎机に手をかけながら再び立ち上がった。憔悴しきったその目は赤く晴れており、涙のあとが痛々しい。
「怪我の手当を致しましょう」
「いや、そんなことは後で……それよりもカロルさんの方は」
「私には怪我はありません。とにかく手当をしましょう」
カロルの有無を言わさぬ物言いにアレンは従う以外なかった。今度はカロルがアレンに肩を貸しながら、書斎の扉に向かって歩いていった。
部屋を出たところで、カロルはミレイユの遺体を見た。ミレイユの目はカロルによって閉じられていたようで、月光に照らされたその顔は、血の跡さえなければ眠っているかのような面持ちだった。カロルは少し立ち止まって、ミレイユの顔を見つめた。そうして、くしゃりと顔を歪ませたが、再び廊下を歩きだした。
そのうち小部屋のような場所に着いた。そこはたくさんの物が整頓されており、部屋の真ん中には少し広めの机といくつかの椅子が並べられてあった。
アレンをその椅子のうちの一つに座らせると、カロルが手慣れた様子で救急箱を探し出してきた。ハサミでアレンの服を切り払うと、肩の怪我に消毒液を当てた。アレンは消毒液の染み込む痛みに思わずうめき声を洩らした。カロルは清潔なガーゼを何重にも重ね肩にあてると、その上から包帯をキツめに巻いた。
「素人仕事ですからこれでいいかわかりませんが……病院にいくまでの応急手当ということで」
「いや……助かります。ありがとうございます」
アレンはカロルに礼を言うが、カロルはまだアレンの腕を見つめている。
「そのアザは……?」
アレンの二の腕の上、肩より少し下辺りには、腕をぐるりと取り巻くような奇妙なアザがあった。入れ墨と言った方がしっくりくるような整った形のアザだった。
「これは……生まれつきのもので。不思議な形ですが。……闘いでついたアザではないので心配しないで下さい」
「そうですか……」
そこまで話すと二人は無言になった。
館は静まりかえっていた。外の虫の音が聞こえる。火が灯されていない部屋の中、月夜の薄明かりだけが二人の姿を浮き上がらせている。この広い館の中、生きているものの気配は二人以外存在しなかった。
「私が警察まで行ってきます。カロルさんはお部屋に戻ってください」
しばらくしてからアレンがカロルにそう声をかけた。カロルは力なく首を振った。
「私はここで待ってます」
「……そうですか」
カロルには部屋まで戻る気力がなさそうだった。今や涙は止まったが、その顔には疲労の色が浮かんでいた。
「すぐ戻ります」
そう声をかけてアレンは部屋を出た。カロルを一人にするのは色々な意味で不安だった。そうかと言って無理して同行させるのも憚られた。襲撃者が同じ夜に二度の強行に及ぶというのも恐らくないだろう、と考えてアレンは館を後にした。
アレンは別宅のある街の警察署に向かい、シャロン邸で起こった出来事を話した。シャロン氏の別宅の存在は当然ながら有名らしく、すぐさま警官4人が館まで付いてきた。
館の惨状を目にし、警官たちは思わず息を飲んだ。応援を呼べ、医者も連れてこい、いやシャロン氏が亡くなっているなら中央警視庁にも連絡を、と騒ぎ立てながら忙しなく奔走していた。
アレンが例の小部屋に戻ると、カロルはアレンが出ていった時の姿勢そのままにそこに居た。アレンはその姿を見て胸が締め付けられるような思いを抱いた。そしてシャロン氏を守れなかった自分に腹が立ち、静かに歯を食いしばった。
そのうち一人の警官がやってきて詳しい話を聞きたいと言ってきたが、アレンは朝まで待って欲しいと伝えた。その警官はカロルの様子を見て取ると、アレンに向かって小刻みに頷いてその場を去った。気の利く警官で助かったと思った。今はカロルに辛い思いを再び味わわせたくなかった。
カロルは結局そのまま一睡もせず朝を迎えた。アレンも同じだった。何十人もの警察官が館の中を調べ周り、二人も現場検証に協力した。二人は『本』の話は伏せつつ、襲撃者の情報を細大もらさず語り、後を警察に託した。
「ご遺体は一旦警察署にて預かり、検死させて頂きます」
警官の内の一人がそう告げた。シャロン氏とミレイユ達は白い布を被せられて馬車で運ばれていった。カロルはその様子を見ながらまた泣いた。
その後は事件現場の保存が必要ということで、アレン達は街の小さなホテルに宿をとった。どちらにせよあの館には居られないので好都合だった。
その後、何度か宿に警官が訪れ事情聴取を受けた。カロルが静かに落ち着いて受け答えしていたのが、かえって痛々しい気持ちをアレンに抱かせた。
カロルは食事と入浴以外は安宿の窓際でぼうっとして過ごした。その目線の先にはいつでもあの別宅があり、彼女の心はあの夜の事件に囚われているようだった。
2日ほど過ぎてから遺体が帰ってきた。遺体は仮の棺に収められ、そのまま街の教会に運ばれていた。年配の神父が額の汗を拭いながら、
「葬儀は首都の方で執り行いますか? 棺なども見目好いものに取り替えるでしょうし……」
と言った。それに対してカロルは淡々と答えた。
「いえ、このまま密葬とさせてください。聖水による清めと祈祷だけ今お願いできますか」
「そ……それは……」
年老いた神父は哀れにも狼狽し、その場で右往左往した。
「……いいのですか、カロルさん? シャロン氏ほどの人物なら盛大な葬儀が必要かと思われますが……」
アレンはそう問いかけたが、カロルは首を振って答えた。
「いいのです。ことがことですし……家族も私一人でしたから」
そう告げるとカロルは未だ困り果てている神父に向かって言葉を継いだ。
「神父様。葬儀の後は父の遺体はラ=ガルディエンヌ教会まで送って下さい。そして、そのまま簡単な祈祷だけ頂き、母と同じ墓へ……。他の者達は今祈祷を済ませたら安置所に保管していただけますか。家族の者に連絡が取れ次第、引き取っていただきますので……」
神父は心労のため、先程よりも随分と老け込んだ顔つきをしていた。背中をすっかり縮こませ、よたよたと葬儀の準備を始める神父に、アレンは同情の気持ちを抱いた。
シャロン氏の遺体がラ=ガルディエンヌ教会に運ばれた。アレンとカロルの二人だけが出席する簡単な葬儀を行ったあと、シャロン夫人と同じ墓に入れられた。黒い喪服に包まれたカロルは、その簡素な棺に手をあて祈った後、手向けの花をそっと棺の上に乗せた。カロルは土を被せられていく父の棺を見ながら、そのまなじりから涙をこぼしていた。
再び別宅のある街まで戻ると、使用人たちの家族が遺体を引き取りにやってきていた。カロルは使用人の家族に対し陳謝し、多額の謝罪金を渡した。
ミレイユのみ家族が居なかったため、日当たりの良い場所に墓所を手配し埋葬した。その小さな墓石を見て、二人はなんとも言えない哀切の気持ちを抱いた。
「全て……終わりましたね」
カロルはミレイユの墓石を見ながらそう呟いた。
「いえ……まだ終わってないです。ここ数日は大丈夫でしたが、襲撃者はまだ諦めて無いはずです」
「アレンは」
とカロルは目を伏せながら言った。
「これからどうしますか?」
「俺は……」
アレンは、ここ数日悩んでいたことに答えを出さなければならなかった。アレンの雇い主は厳密に言えばシャロン氏だ。カロルではない。本来ならシャロン氏が亡くなった時点で護衛を勤めるという契約は解除になるはずだ。だが、結局はその後もカロルの身辺を警護し、亡くなった人々の葬儀まで同行した。そのことを思った時に、既に答えは出ているな、とアレンは感じた。
「カロルさんさえよければ、このままカロルさんの護衛を続けますよ」
「良いのですか?」
「以前にも申し上げたはずです」
アレンは無理に笑顔を作ってカロルに告げた。
「一世一代の男の見せ場を奪わないでくださいと」
カロルはその言葉を聞いて、一瞬切ないような表情を浮かべたが、薄いながらも久しぶりに笑顔を浮かべた。
カロルはアレンの手を自然に取りながら、
「ありがとう」
と謝意を述べた。
その夕方、意外な訪問客がやってきた。
「やあ、アレン・ゴードンくん」
そういって、エキスパンダーでズボンとその大きな腹を吊った、カイゼル髭の男が声をかけてきた。
「クレマンソー警部ではないですか」
アレンがそういうと、クレマンソー警部は中折れ帽を脱いで軽く目配せした。不意にカロルに目を向けると、手に持った帽子を自身の胸に押し当てた。
「もしや、失礼ながら貴女はシャロン嬢では?」
「ええ、そのとおりです。……あの、貴方は……?」
「こちらクレマンソー警部です。以前シャロンさんが暴漢に襲われた際にお世話になった警部さんです」
「はじめましてシャロン嬢。私はフィリップ・クレマンソーと申すものです」
警部はそう言ってカロルに向かってお辞儀した。
「今回の事件、お気の毒でしたな……」
「いえ……」
そういうとカロルは目を伏せてその心痛な心持ちを表した。
「ご縁があったシャロンさんの訃報を聞きまして、いてもたっても居られず、警視庁の奴らに無理を言って同行させてもらいました」
警部はその強い目線をアレンに向けて言った。
「今回の事件の話を聞かせてもらえませんか」
アレン達は話をするため近くのカフェに入り、三人がけの丸テーブルに座った。
アレンとカロルは事件の話をすることに躊躇した。そもそもどう言っていいのか分からなかった。自分たちでさえ今回の事件はなぜ起こったのか、教えてくれるならぜひとも聞かせて欲しいくらいだった。
「『デパルトの旗を立てる者たち』……略称で『旗持ち』たちと呼ばれている奴らだがね……私と彼らにはある因縁があるのだよ」
なかなか事件の詳細を教えたがらない二人に向かって、警部は突然、訥々と語り始めた。
「私は今でこそ警部だが、学生の頃は医者を目指していたのだ」
警部は昔を思い出すように遠い目をした。
「その流れで一時、医療の発達しているウェルゲッセンに留学していたことがあってね」
ウェルゲッセン共和連邦はデパルト王国の隣にある大国だ。学問と医療、それに職人仕事が盛んな国だとアレンは記憶している。
「そこで妻と出会った。私達は互いに一目惚れでね。妻は駆け落ちも同然の体で、デパルトへやってきた」
この話はなんの話なんだろう、とアレンは警部の言葉を聞きながら思った。
「妻と家庭をもつため、身を立てなければならない。そう思い私は大学を中退した。そして警官になった。その頃は幸せだった……あの事件が起きるまでは」
そこまで話が及んだ時に、警部は急に顔をしかめ、まなじりを吊り上げた。
「妻は衣服屋で裁縫の仕事をしていた。その日は大量の注文が入り、その注文に対応するため夜遅くまで店で仕事をしていた。その帰り道に……殺された」
警部の帽子を握る手に力がこもった。中折れ帽はひしゃげてその形を歪ませた。
「棍棒のようなもので滅多打ち……。その美しい顔は無残にも歪み……路地裏にそのまま打ち捨てられていた……」
警部の顔は怒気をはらんでみるみる内に真っ赤になっていく。アレンとカロルはゴクリと唾をのんだ。
「捜査の結果、犯人は『旗持ち』たちの一員だと分かった……。あの忌々しい愛国主義者ども!!」
警部はその怒りのため、意図せずテーブルをドンと叩いた。テーブルの上のカップが鋭い音をたてて跳ね上がった。
「失礼……少し取り乱しました。……幸い、別件にて妻を殺害した犯人を捕まえることができました。私はその『旗持ち』の事情聴取に、書記として同席できました。……その頃は駆け出しの警官でしたからな……。その時の警部が私の妻の殺害目的を聞いた時……そいつはなんと言ったと思います?」
「……」
アレン達は沈黙で返した。
「『ウェルゲッセンのくっせぇメス犬がよたよた歩いてたからよぉ。デパルト王国という偉大な土の上に野良犬の汚え足跡なんざつけやがって。……しつけのなってねぇ犬を棍棒で分からせてやるのは、常識だろう?』 そう言ってへらへら笑いながら棍棒を振り下ろす仕草をしやがった……」
警部は唇をかみしめてその時に感じた怒りを堪えているようだった。
「気づいた時には、私は男を十数発は殴っていました……。報いを受けさせるために……。正直言って、その時は殺してやろうくらいの気持ちで打ち据えました。妻と同じ目に合わせてやると……」
警部は顔を伏せて痛切な表情を浮かべた。
「私は厳しく咎められましたが、事情もあり、幸い警察の仕事を続けることができました」
警部は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「男は裁判で裁かれ、収監されることになりました。今も牢獄の中です。恐らく生きてるうちには出られないでしょう」
アレンはそれが良かったことなのかどうかは分からない。ただ、警部の顔からは納得のいっていない感情が微かに感じとれた。
「それからです。私が『旗持ち』たちを追いかけるようになったのは。私の中で『旗持ち』たちをこの世から根絶する……それが私の悲願なのです」
そういうと警部は突如として顔をあげ、アレンとカロルを見つめた。
「今回のシャロン氏の事件、もし『旗持ち』たちと何らかの関わりがあることなら是非教えてほしい!! 私はこのことに人生をかけているんだ!! 二人に迷惑をかけていることは分かっている。それでも、それを押してお願いしたい! この通り……」
そう言って警部はテーブルを掴むと、そのきれいに撫で付けた七三の頭を深く下げた。
アレンは迷った。今回の事件は『世界樹の本』を巡る陰謀により引き起こされた事件である。王と裏で繋がっているであろう『旗持ち』たちとも全くの無関係とは言えない。
しかし、今回の事件は直接的には『特務機関』なるものの仕業である。その特務機関というものが『旗持ち』たちと繋がっているかどうかは分からないが、今回『旗持ち』たちの影は感じられなかった。警部にとって有益な話なのだろうか。
それに、二人の敵は究極的に言えばこの国、デパルト王国の国王である。アレンにもどうしてよいか分からない、巨大な敵である。そんなことに警部を巻き込んで良いのだろうか。
アレンはそう思い、カロルに目配せした。カロルはかなり長い間悩んだが、最終的に決意したのか、アレンに向かって頷きかけた。アレンはそれを受けて、少しの間上を向きながら目を閉じた。そして覚悟を決めて話しだした。
「警部。今回の一連の事件、それらはとある一冊の『本』から始まりました――」
激闘の夜に関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/13/
からの三話
クレマンソー警部に関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/8/
を参照ください。
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