扉の奥から夜がくる
場の空気は静かに張り詰めていく。
アレンは手にかいた汗でナイフを取り落とさないよう、しっかりと握り直した。張り裂けそうなほどに鼓動する心臓の音を無理矢理意識の外に追いやり、パーシーとノーラの一挙手一投足を見つめ続けた。
ノーラとパーシーも息を詰め、筋肉を震えるほど強張らせる。
「お父様!!」
パーシーのお陰で図らずもシャロン氏に近づけたカロルは、倒れたまま身じろぎもしないシャロン氏に駆け寄った。
「お父様、生きておられますか!!?? お父様!!」
取り乱しながら父に呼びかけるカロル。すると――。
「…………カロ、ル……か? ……ごほっ」
シャロン氏が吐血しながらも、千切れそうな綿のようにか細い声を出した。
「お父様!!」
カロルは思わず緊張感がほぐれ、目の奥から涙が溢れ出した。
シャロン氏は満足に返事もできず、ひゅーひゅーと口から漏れ出すような呼吸を繰り返していた。何はともあれシャロン氏が生きていたことにアレンは安堵した。そして、目の前の敵に集中した。
パーシーは一度深呼吸をする。
「……よもや、これほど苦戦するとはね」
パーシーが険しい目つきでアレンを見据える。ノーラはあまり表情は変わらないが、それでも強張った顔をしながら冷え切った視線をアレンに向ける。
「……パーシー。……まずはあの護衛をなんとかしなきゃ」
「分かってる。僕がサポートする」
その言葉にアレンは最大限の警戒心を引き出し、黒玉を生成すると、唐突に二人に向かって投擲した。
二人はそれを軽く避ける。
「そんな見え見えの攻撃じゃ……」
パーシーが口を開いた時には、目と鼻の先に黒玉を吸い込んだ大きなソファが迫っていた。ノーラは瞬時に壁を作り出し、これを防ぐ。馬車が壁にぶつかるような大きな音がする。
「くっ!!」
その時には既に、アレンは黒玉の力で、パーシーの近くの壁に足を着いていた。
「っらああ!!」
アレンは壁を蹴って横っ飛びに跳躍するとパーシーに迫る。
「もう……それは知ってる!!」
パーシーは床に手をつくと、アレンの攻撃を防ぐかのように扉を開いた。
「俺もそれは知ってる!!」
アレンは扉に衝突しながらも白玉を吸わせ、自身にも吸わせる。パーシーが扉を閉める前に反発力を利用して扉から離れた。
ノーラがそこへ追撃を仕掛ける。鋭い棘が空気を切り裂きながらアレンを貫こうとする。アレンはサイドステップでそれを避け、二人から再び距離をとる。
アレンが二人の後ろを回り込むかのように走ると、黒い棘がその後を追いかける。書斎机、絨毯敷きの床、壁掛け時計に次々と穴を開けながら、アレンを仕留めようとする。
アレンは壁と天井に黒玉を投げつけると、床から壁へ、壁から天井へと駆け上がった。
「複数に対して効果があるのか!!」
パーシーが苛立ち紛れに叫んでいる間に、アレンは天井を駆け巡る。ノーラがアレンを迎撃せんと黒い棘を天井へと向ける。ノーラの生成した棘が、二人の視線を一瞬妨げる。
その一瞬を見逃さず、アレンが天井を蹴り床に着地すると、ノーラたちに向かってまっすぐ駆けていった。それに気づいたノーラは黒い壁でアレンの攻撃を防ごうとするが……。
「!?」
黒い壁と床との間に見えない反発力が働き、アレンの動線を切ることができない。
二人の視線が切れた隙に、アレンはノーラの黒い物体とその真下の床に白玉を投げていたのだった。その反発力で壁での防御を阻止する。
アレンのナイフがノーラに届きそうになった時。
黒い壁の向こうから木製の扉が現れ、重たい衝突音を立てながらアレンのナイフが深く突き刺さってしまった。
扉の下にはパーシーの足が見える。恐らく黒い壁に扉を作って、その扉でアレンの攻撃を防いだのだろう。
「くそっ!!」
もう少しだったのにという歯がゆさを抱えながら、突き刺さったナイフを手放し後ろへと跳躍した。腰から二本目のナイフを抜き放つ。アレンは再びの防戦を強いられた。
「お父様、しっかり!!」
シャロン氏は肩や胸、腹などを貫かれたのか、それらの箇所から大量の出血をしている。触れるにも触れられず、カロルには声をかける以外はどうすることもできなかった。
「カ……ロ、ル……逃げ……」
「お父様、喋らないで!! 今喋っては死んでしまいます!!」
「も、もう……手遅れ…………だ」
シャロン氏は口から鮮血をこぼしながら、息も絶え絶えに言葉を吐き出した。
「聞いて、くれ…………本を……奪われ、て…………しまっ……た」
「お父様今はそんなこと……!」
「大事な……こと、なん……だ」
シャロン氏は今にも閉じてしまいそうな目をカロルに向けた。
「『鍵』を……手に、入れよ…………」
「……『鍵』……?」
カロルは興奮と恐れの渦巻く混乱の中、シャロン氏の言葉を辛うじて拾った。
「『鍵』とは一体……!?」
カロルがそう問うが。
「そ、の場所……がはっ!!…………かふっ……!」
シャロン氏は大量の吐血をした。カロルに何かを伝えようと大きく目を見開くが、その目は徐々に細められていき、全身から力が抜けていく。
やがて動かなくなった。
カロルは、まさか、まさか、と心の中で思いながら、シャロン氏の口、鼻に手を当てる。
息をしていない。
胸に耳を当てる。
何も聞こえない。
シャロン氏は亡くなっていた。
「お父様ぁああああああああああああああ!!!!」
悲痛な絶叫が書斎を満たした。
「カロルさん!?」
アレンがノーラとの攻防の最中、一瞬カロルの方へ目を逸らしてしまう。ノーラはその隙を逃さなかった。
薄い刃をムチのようにしならせながらアレンを攻撃する。
アレンは脊髄反射で避けようとしたが、左手の前腕を浅く切られてしまう。闘いの興奮のためかあまり痛みを感じない。しかし力は入らない。
アレンは左腕を庇うようにして壁際に立った。左を壁にしてノーラの攻撃の方向を限定するためである。アレンは右腕を前に出し、ノーラの攻撃に備えた。
「それは」
パーシーが唐突に言葉を挟んだ。
「あまり上手くないやり方だね」
突然左側から黒い棘が現れ、左肩に直撃した。
「ぐぁああああああああっっ!!!!」
今度は灼熱のような痛みに襲われた。骨に当たったようで、棘に刺された勢いで横にふっ飛ばされる。
左側の壁に突如出現した扉から黒い棘が飛び出していた。扉の奥でノーラがアレンを横目に睨んでいた。
アレンは床に倒れながら、パーシーの『扉作り』で遠隔攻撃をされたことに気づいた。
左腕を上げることができない、今この死線の中、左腕が完全に使い物にならない。
さらにノーラが攻撃をしかける。
アレンは、ノーラから直接伸びてきた棘と、壁にできた扉の奥から飛び出してきた棘の二面攻撃に晒された。
「ふっ、ぐおおおおおおおおおお!!」
アレンは腹に力を入れ、猛烈な痛みに逆らいながら、辛うじて転げるかのように避ける。一瞬前までアレンが居た場所に、黒い棘が十字を描く。
アレンは左肩を右手で押さえながら走り、カロルの下へ駆け寄る。
「無事か、カロル!?」
アレンは敬語も忘れ叫ぶが、カロルは放心したかのように身じろぎ一つもしない。
ちらりと横目で見たシャロン氏は半眼の目を天井に向けたまま息もしていないようだった。その様子を見て、アレンはシャロン氏の死を悟った。口惜しさと対峙する二人への敵意で、目の前が真っ赤になる。
「その状態じゃ、最早戦えない。……そろそろチェックメイトかな?」
薄く笑うパーシーと、激情をその無言の内に秘めたノーラが、アレンの下に近づいてくる。
「くっ!」
アレンは近くにあった何らかの銅像のようなものに白玉を吸わせ、右手で投擲しようとするが……。
その前に、ノーラの黒い物体が球形になり、アレンを殴りつけた。
「ぐはっ!!」
アレンは後ろにふっ飛ばされ壁に激突した。その衝撃で銅像は手放してしまった。
「……動きが鈍い。……あなたはもう勝てない」
アレンは目の前がチカチカと明滅し、今にも気絶しそうであった。カロルを守らなければの一念で身体を起こそうとするが、右手が虚しく床を押すばかりである。
その時、呆けていたカロルがスゥッと立ち上がる。
「カロル嬢、無駄な抵抗はやめて下さい」
パーシーが降伏を告げる。大蛇が地面を這うようなおぞましい音を立てながら、ノーラの能力がカロルに迫る。
「やめろぉ、お前ら!!」
アレンは叫ぶが、誰も一顧だにしない。
「チェックメイトだね」
パーシーがそう洩らした瞬間、先程アレンが取り落した銅像を掴んで、カロルが二人に向かって駆け出した。
「わぁあああああああ、父の仇ぃいいいい!!」
カロルはそう絶叫しながら、ノーラに銅像で殴りかかろうとする。
しかし、ノーラは僅かにも表情を変えず、その能力でカロルの胴体を包み込み拘束した。
「カロル!!」
アレンは叫ぶがどうすることもできない。
「……カロル嬢、確保」
「よし、このまま機関に戻ろう」
ノーラとパーシーが短いやり取りを交わす。
その時。
「アレン、私に白玉を投げなさい!!!」
瞬間、カロルの能力の強制力が働き、アレンは不意打ちのために密かに生成していた白玉をカロルに投げつけた。カロルはその銅像をノーラに向けており……。
カロルに白玉が吸われた瞬間、白玉の反発力により銅像がノーラ目掛けて発射され、ノーラの頭を強打した。
「……っ!」
ノーラがその勢いで後ろに倒れ、カロルを拘束する能力が解除された。カロルは床に尻もちを着きながら、軽く悲鳴を上げた。
「ノーラ姐!?」
パーシーがノーラの下へ駆け寄るが、ノーラは失神してしまい身動き一つしない。その額からは血が流れている。
「ぐっ! ……くそぉっ!!」
パーシーは悔しさに顔を歪ませながら、ノーラを肩に担いだ。
「……やってくれましたね、カロル嬢」
カロルは銅像を吹き飛ばした時の衝撃で頭がくらくらし、満足に喋ることができない。
「完敗です。今日のところは撤退しましょう。……しかし、次はこうはいきません。特務機関の総力を上げて貴女を確保させてもらいましょう」
「クソ野郎どもが二度と来るな!!」
アレンは身動きできないまでも、せめて罵倒を浴びせてやらなければ気が済まなかった。
「君のことも覚えたよ、アレン・ゴードン。君の実力は良く分かった」
パーシーは壁際に移動しながら告げる。
「まずは君を排除しないことにはことが進まないようだ。覚悟しておくことだ」
そういうとパーシーは壁に扉を作り、ノーラを伴って扉の奥に消えた。扉が閉まると同時に元の壁に戻り、後はアレンとカロルとシャロン氏の遺体ばかりが取り残された。
「……クソッ!!」
アレンは悔しさに歯噛みした。めまいから回復したカロルも今は嗚咽を洩らし泣いている。
試合に勝って、勝負に負けた気分だった。
特務機関との闘いは前話
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/15/
も参照ください。
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