特務機関の刺客
「シャロンさん!!」
アレンは侵入者の足元に倒れているシャロン氏に呼びかけながら、ナイフを抜いた。
「お前達、一体何者だ!?」
アレンが二人に対して問いかけると、少年の方が落ち着いた調子で答えた。
「そんなことわざわざ教える義理は無いよ。そちらの方こそ何者だい?」
少年が気負わずに言い放つと、隣の女が口を開いた。
「……パーシー。きっとこの人、アレだよ」
女はパーシーと呼ぶ少年に顔を向けながら告げた。
「最近雇われたっていう……護衛の人……」
「……ああ、そういえばそうだったね、ノーラ姐。確かシャロン卿が新しく護衛を雇ったって機関長が話してたっけ。名前は確か……アレン・ゴードン」
少年は閃いたかのように人差し指を立てながらアレンの名を呼んだ。
「自分たちの事は話さねぇくせに、一方的に俺の事を知ってるっていうのは気に食わねぇな」
アレンはそういうとナイフを逆手に握り、いつでも飛び出せるよう、ぐっと重心を落とした。
パーシーと呼ばれた方は、年の頃13~14くらいに見える金髪・青目の少年だった。明るい茶色の長ズボンに白シャツと赤色のベストを合わせた、小ざっぱりとした出で立ちをしていた。幼さの残る顔立ちをしているが、その物静かな言動のため見た目よりも大人びた印象を与える。その揺らぎない瞳と常に浮かべている薄い笑みが、少年の自信に満ちた心の内を雄弁に語っていた。
少年からノーラと呼ばれた女は、一言で言えば「真っ黒な魔女」と言った印象だった。歳は20代前半といったところか。背中まで伸ばしたストレートヘアは黒曜石のように艶めいており、ほんの僅かに青みを帯びた黒いドレスにその身を包んでいる。ドレスの裾はすねの半分くらいを隠しており、肩から先は肌を露出させている。腕は二の腕の半分まで黒い長手袋で覆われている。灰色の瞳と白い肌、黒い衣装の組み合わせも相まって、白黒写真のように色味がない女である。その眠たげな目とゆったりとした口調は、この場にそぐわない漫然とした印象を与えていた。
口数の少ないおっとりとした姉と、こまっしゃくれた弟といったような印象を抱かせる二人だった。しかし、その一見微笑ましい二人組が使用人達を殺害しシャロン氏に危害を加えたかと思うと、ナイフを握り込むアレンの手に自然と力が入った。
「シャロンさん、生きてますか!?」
アレンはシャロン氏に呼びかけるが、シャロン氏は動かない。まさか、手遅れであったろうか?
その時、カロルがその寝巻とケープを血で汚しながら、ふらふらとして定まらない足取りで書斎に入ってきた。
カロルは書斎机の横に血まみれで倒れている父親を見て、口元を一瞬抑えた後に悲鳴を上げた。
「お父様!!」
我を忘れ父親の下へ駆け寄ろうとするカロルをアレンは片手で制した。
「カロルさん、だめです!! 敵がいます!!」
アレンの言葉でようやくカロルは二人の存在に気づいた。動揺し、ハッと息をのむ。
「カロル……そうか、貴女がカロル嬢ですね?」
少年はカロルに目線をやりながら、その笑みを深くした。
「……パーシー」
「分かってる。ノーラ姐」
ノーラがその眠たげな目をパーシーに向けると、パーシーは軽く頷きながら答える。
「機関長からは『本』の回収とカロル嬢の確保を命じられている」
「お前ら……」
アレンは憤怒に満ちた表情をパーシーに向け、抑えきれない怒気を言葉に乗せて叫んだ。
「カロルさんに手を出すことは許さない!!」
「許す許さないの話じゃない」
パーシーは漂々と答える。
「邪魔するようなら、君をこの場から排除させてもらう」
パーシーがそういうと、ノーラはその両肘をゆったりとした動作で軽く曲げた。
するとノーラの目の前に、大きめの地球儀ほどもある黒い塊が、ゴポリと泡のように湧き出た。
「『一雫の夜』」
ノーラがそう呟くと、その黒い塊がこぽこぽと音を立てながら、いくつもの球体に分裂した。
それを見た瞬間、アレンの背筋がぞくりと震え、脳髄の奥でバチリと火花が飛び散るかのような劇的な危機感を覚えた。
言葉を投げかける余裕もなくカロルを横に突き飛ばすと、アレンはその反対方向に飛び退った。
その瞬間。
ノーラが生み出した黒い球体達から、ハサミをジャキリと閉じるような不快な音とともに、鋭い黒色の棘がいくつも飛び出した。
黒い棘はアレン達が一瞬前まで居た空間を貫ぬいた。アレンが思わず恐怖にぞっとしていると、それらの棘はまた元の球体へと吸い込まれていった。
そのまま次の攻撃がやってくる。アレンは冷や汗が止まらない。脚を止めるのは許されない。
球体から間断なく棘が生え、アレンに襲ってくる。アレンは時には紙一重で身を躱し、時にはナイフを振るって棘をいなしながら、死線の上で踊り狂う。
「アレン!!」
カロルは横倒しになった身体を起こしながらアレンに叫んだ。
「だめです!! そこに居て下さい」
ノーラに襲われながらも、カロルを制すべく大声を上げた。
ノーラは棘による攻撃がなかなか当たらないと見て、分裂させた球体をまた一つにまとめた。
すると、その球体から薄い刃が飛び出し、アレンのいる場所を横薙ぎに払った。
「ぐっ!!」
アレンは驚愕のうめき声を上げながら、瞬時にしゃがんで避けた。
アレンの胴体を切断すべく振り抜かれた刃は、しかし何もない空間を虚しく薙ぎ払った。黒い刃は壁際の本棚まで届き、軽い破裂音のような音とともに本棚が中ほどまで切断された。きれいな切断面を覗かせながら何冊かの本がバサバサと床に落ちた。
更にノーラの追撃は続き、大上段からアレンに刃が迫った。
アレンは横へステップし刃を避けた。床を割った黒い刃は、鎌首をもたげる大蛇のように床から起き上がり、そのままアレンに牙を向けた。アレンはナイフでその攻撃をいなす。黒い刃とナイフのぶつかり合いで火花が散る。
何合か切り結んだ後、一瞬の隙にアレンがバックステップで距離をとると、ノーラは意外といった表情で言葉をついた。
「……驚いた。……パーシー、この人結構やる」
「そのようだね。僕も驚いた。ノーラ姐の攻撃をここまで防ぐなんて」
二人は驚きとともに、アレンへの警戒心を高める。アレンはその空気を感じ取り、左手に黒玉を生成する。
「ノーラ姐はそのままあの男を抑えててくれる? 僕の方は」
パーシーはカロルの方を向いた。
「カロル嬢を押さえる」
「させるか馬鹿野郎!!」
アレンが怒声を上げながら、黒玉をノーラに向かって投げた。
ノーラは黒い球体を薄い正方形の板状に変形し、アレンの黒玉を防いだ。
アレンは近くに有った大きめの花瓶を左手に取ると、掴んだ手から直接黒玉を吸い込ませ、そのまま思いっきり投げた。
アレンの投擲と黒玉の引力が相乗して、花瓶が弾丸のように飛んでいく。ノーラが作った黒い壁に激しい音を立てて衝突し、花瓶は粉微塵になる。ノーラはその衝撃に思わず「きゃっ」と短く悲鳴を上げたが、黒い壁は少しも欠けることなくノーラを守っている。
「くそっ! 厄介な!!」
黒い壁から再び棘や刃が襲いかかり、アレンは防戦一方となった。
「アレン……!!」
カロルはその刃の乱舞に飛び込むこともできず、一人焦燥感に苛まれながら二人の闘いを見つめていた。
この間に父のところまで向かった方が良いのだろうか? しかし……もう一人の少年が……。
そこまで考えたところでカロルは気づいた。
「……あの男の子は何処へ……?」
「ここですよ、カロル嬢」
唐突にカロルの背中から声が掛けられた。カロルは驚愕の表情を浮かべ咄嗟に振り向こうとするが、その前にパーシーに後ろ手に拘束されてしまう。
「失礼してすみません、カロル嬢。これも仕事なものでして」
パーシーはカロルの腕をひねり上げながら、さらに首に腕をまわす。
「うっ!? いつのまに後ろに……!」
「これが僕の専売特許でしてね」
パーシーは曖昧な物言いでカロルの言葉をかわす。
「ノーラ姐! カロル嬢を確保した!!」
「クソ野郎!! カロルさんを離せ!!」
アレンは横目で拘束されるカロルを見ながら喚き立てるが、ノーラの攻撃から逃れられない。少しでも油断すれば死ぬ。
「……ごめん、パーシー。すぐにはそっちに行けない」
優勢に立つノーラだが、しかし、しぶとく食い下がり隙あらば攻撃をしかけようとするアレンに手を焼いていた。パーシーは舌打ちする。
「こうなったら僕だけでも、カロル嬢を連れて機関まで戻ったほうがいいのか……?」
思案げに自問自答するパーシーに、突然カロルが声をかけた。
「……あなたはパーシーさんと仰るのですか?」
「……そうですけど、それが何か?」
「もしやあなたはパーシー・オーウェルさんではありませんか? いつぞやお会いしたオーウェル子爵のご子息の名前が確かそんな……」
その意外な質問にパーシーは目を瞬かせた。
「いいえ、カロル嬢。私はそのオーウェルさんと仰る方とは全くの無関係ですよ。私はパーシー・フェザーストンと言いまして、お貴族様の世界とはなんの関係もない、卑しい一庶民ですよ」
パーシーは思わず失笑しながら、否定の言葉を口にした
「そう……あなたはパーシー・フェザーストンさんと仰るのですね」
カロルはその瞳に、力強い光を宿した。
「……何を」
パーシーが怪訝な顔をして、何かを言おうとした時。
「パーシー、思いっきり後ろに跳躍しなさい!!」
カロルが叫んだ。
その瞬間、意志とは無関係にパーシーは思い切り後ろに向かって床を蹴った。そして、跳躍した勢いそのままに後ろの壁に激突した。
「ぐふっ……!」
後ろの壁とその腕に抱えたままだったカロルに挟まれて、パーシーの胸の内の空気が無理矢理に絞り出された。背中を襲う激しい痛みと呼吸困難の苦しさで、壁際にずるずると座り込んだ。
パーシーがクッションになったとはいえ、カロル自身も壁に突っ込むことになった。その衝撃に頭がくらくらしつつも、パーシーの拘束から逃れたカロルは、パーシーに一度触れてから距離を取った。
「ぐっ、い、今のは一体……!?」
パーシーはぐらぐらと揺れる視界を抑えるかのように額に手をやりつつ、うめき声を上げた。なんとか立ち上がろうと力を入れた時。
「パーシー、頭を後ろに反らしなさい!!」
カロルがそう命令すると、パーシーは後ろの壁に向かって、自身の後頭部を思いっきり打ち付けた。重たく鈍い音が辺りに響く。
「がっ……はぁ……!!」
パーシーは後頭部を押さえながら、その場に伏せるようにうずくまった。パーシーの後頭部からはうっすらと血が滲んでいる。
「パーシー!!」
「行かせるか!!」
ノーラが叫び、パーシーの下へ駆け寄ろうとするが、アレンがそれを妨げた。カロルがパーシーを逆襲し、アレンがノーラを抑える。今や、先程までとは真逆の状況になった。
カロルは、追撃するなら今、と考え、パーシーに向かって走り出した。
カロルの伸ばした手が、もう少しでパーシーを捉えるところまで来た時。
「うっ……『扉作り』……!」
パーシーが床に手を突きながらそう呟いた瞬間、その地面に突如扉が現れた。パーシーはそのドアノブを掴むと扉をガバリと開いた。
「きゃあ!!!」
カロルは突然の事態に対処できず、パーシーがその身を隠すように開いた扉に衝突し、そのまま扉の中へ落下した。
そして、ノーラの後ろに不意に現れた扉から吐き出され、床に転げ落ちた。
「カロル!!」
アレンが叫んだ。
パーシーは自身の開いた扉に飛び込みつつその扉を閉じた。すると、カロルが吐き出されたのと同じ扉からパーシーが現れた。パーシーの後ろで閉じられた扉は瞬く間に消え失せた。
パーシーはカロルから距離を取ると、ノーラに向かって大声を張り上げた。
「ノーラ姐、カロル嬢を押さえた! だけど彼女は妙な『ギフト』を持ってる!! 僕じゃ拘束できない!!」
その言葉にノーラは一瞬、パーシーの方に気を取られる。その隙をアレンが見逃さなかった。
書斎にあったどっしりとしたテーブルに向けて大きめの白玉を吸い込ませると、もう一個の白玉をその少し手前の床に吸い込ませた。
その瞬間、大きなテーブルが弾かれるかのようにバンッという音を立てて、ノーラ目掛けて吹き飛んでいった。
ノーラは即座に黒い壁でテーブルの攻撃を防ぐ。大音響を立てながらテーブルが黒い壁と激突する。
「くっ……もう、いい加減にして」
ノーラはアレンに攻撃を加えるべく、前方を向くが。
「……! いない……!?」
「ノーラ姐、上だ!!」
パーシーが咄嗟に叫ぶ。
アレンはテーブルの攻撃の合間に、黒玉の力で天井に張り付いていた。
パーシーが叫ぶと同時に、天井から猛烈な勢いでノーラに向かって飛び込んで行き、大木も粉微塵にするかのような蹴りを入れる。
その蹴りはすんでのところで黒い壁で防がれてしまった。
「ぐっ!!」
安全靴とはいえ硬い壁を蹴りつけた痛みに呻きながらも、アレンは蹴りを放った勢いそのままに宙返りし、ノーラの背後にまわった。
そして、アレン自身と後ろの壁に白玉を吸い込ませると、白玉同士の反発力を利用しながら、猛烈な勢いでノーラに体当たりした。
「あっ……!!」
ノーラはアレンの体当たりの勢いで黒い壁に衝突し、短い悲鳴を上げながらずるずると倒れた。ざらざらと砂がこぼれるような音を立てて、ノーラの生成した黒い壁が崩れ消えていく。
「ノーラ姐!!」
「次はお前だ!」
アレンがパーシーに突っ込んでいく。アレンがナイフを振りかざして走り迫るが、パーシーは咄嗟に扉を作りその内側に身体を滑り込ませた。アレンは走る勢いそのままに扉に衝突してしまうが、その衝撃で勢いよく閉まる扉に身体を打ち付けられて、パーシーは転倒しながらノーラのそばに転げ落ちる。
カロルと敵を分断することに成功したアレンはカロルの無事を確認する。
「カロルさん、怪我は!?」
「私は大丈夫です! アレンは!!」
「私もなんとか!」
そういうアレンだが、ノーラとの闘いは激しいものだったらしく、服のあちこちが破けてその箇所は血が滲んでいた。
アレンとカロルが互いの無事を確認しあってる間に、ノーラとパーシーは膝に手を付くようにしてなんとか立ち上がっていた。
「……パーシー……」
「……僕らはどうやらこの二人の力を侮っていたようだ」
パーシーとノーラの短い会話の間に、アレンは再びナイフを構え直す。
「仕切り直しだ」
パーシーが悔しげな表情で告げる。4人の闘いは再びふりだしに戻った。
特務機関とアレンの能力については
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/11/
カロルの能力については
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/6/
を参照ください。
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