夢男
シャロン氏が退室した後、王は大きく息を吐いた。
「最後まで抵抗するか……愚かな男よのう」
シャロン氏は結局最後まで頑として『本』を渡すことを拒否した。
王は興ざめするような表情を浮かべ、吐き捨てるように呟いた。
「娘の話を持ち出せばおとなしくなると思ったのだがな……」
「『本』と娘を守りきれるという算段があったということでしょうか」
ジョフロワと呼ばれる男が低く落ち着いた声で初めて発言した。王は鼻で笑う。
「どうせ『本』の力に目が眩んだのであろう。娘よりも『本』を優先するとは強欲な男よ」
そういうと王はハッ、とシャロン氏をあざ笑った。ジョフロワはその発言には反応せず、なんの感情も浮かばぬ瞳を王に向けた。
「ジョフロワ。奴から『本』を奪ってこい。手段は問わない」
王が命令すると、ジョフロワは胸に手をあてながら軽く会釈するように腰を曲げた。
「承知しました。……しかし」
ジョフロワは言葉を継いだ。
「陛下は既に『デパルトの旗を立てる者たち』にも御命令をお下しでは?」
「両方で狙えば良いだろう。余としてはどちらが手に入れても構わぬ。人数が多ければ多いほど成功しやすくなるだろう」
「『旗持ち』達は我ら特務機関を毛嫌いしております。我々としては気にしていないのですが」
ジョフロワは『デパルトの旗を立てる者たち』の蔑称を吐きつつ言うと、王は意表を突かれたような顔をする。
「そうなのか?」
「我々は複数の国家を跨いで人材を集めていますから」
「国粋主義者には我慢ならないということか」
王はくだらないと言った風に手のひらを振った。
「正直、奴らは数が居るだけの能無しだな。先日も『ギフト』持ちの癖に、能力無しから『本』を奪うという簡単な任務すら失敗しおって」
隠しきれぬ怒りを身にまとわせながら、言葉を吐き出した。
「ただ、『小事で大事を隠す』には都合がいいな。奴らが起こす不祥事に紛れるお陰で、『影仕事』がやりやすくなる」
王が身も蓋もない評価を下すと、ジョフロワは少し前の言葉を受けてこう言った。
「今仰った『本』を奪う任務に失敗したという件についてですが」
「なんだ?」
「その任務を邪魔したものがいたようです」
「ほう?」
王は興味が湧いたように身体を前に乗り出した。
「その者の名はアレン・ゴードン。入国して日が浅いテルミナ人です。その者が『旗持ち』の刺客を退けたとのことで」
「そいつは『ギフト』持ちなのか?」
「事実はわかりませんが、『ギフト』持ちの刺客、しかもエルフの刺客を退けたとあれば、恐らく『ギフト』持ちかと」
「ふむ……」
王は思案げに顎に拳をあてた。
「その者は現在シャロン卿の護衛の任についているようです」
「そうなのか。では奴の強気もその護衛の存在があるからなのかもな」
「そうかもしれません。そのような者がいるとなれば我らも油断できません」
「なぁに、余の『特務』であれば、そのような輩でも一蹴できるであろう?」
「ご期待に添えるよう、最善を尽くします」
ジョフロワは王の言葉を受け、礼をしながら宣言した。
「それで、どうする?」
王が特務機関の出方を聞くと、ジョフロワは端的に答えた。
「ノーラとパーシーに『世界樹の本』の奪取、及び、カロル・エレオノール・ド・ラ・シャロン嬢の確保を命じました」
「おお、あのコンビか!!」
王は満足そうに腕を広げ、抑えきれぬ期待に大声を上げた。
「あの二人ならば、間違いあるまい」
「陛下のお褒めにあずかり、二人も光栄でしょう」
ジョフロワは部下の二人の代わりに王に謝意を述べた。
「『旗持ち』の刺客の後始末も」
王はニヤリと笑い、ジョフロワを玉座から見上げた。
「首尾よくやったようだな」
「陛下による官僚への働き掛けに依るところ大です。まことに感謝致します」
王は全てが整ったかのように満足そうに玉座に身を預け、正式に命令を下した。
「ジョフロワ・マイヨール特務機関長。任務を遂行し余の下へ『本』と『娘』を献上せよ」
「仰せのままに」
ジョフロワは最敬礼をしながら、命令を受領した。
一方アレンは、リュテ宮殿敷地内にある大厩舎の前を所在なくぶらぶらと歩いていた。大厩舎の中で待機していても良かったが、一人でじっとしていると雑多な考えがふつふつと浮かび上がり、どうにも気が落ち着かなかった。シャロン氏が戻るまでは時間がかかるだろうと思い、気を紛らわすべく外に出た。
上を見上げると、抜けるような青空が広がっている。刺さるように降り注ぐ日光の下、庭師らしき男達が談笑しながら丁寧に灌木を刈り込んでいる。この穏やかな時間の中、シャロン氏がデパルト王と緊迫した空気に包まれながら話し合っていると思うと、目の前の風景に一枚ヴェールを掛けられたような、はなはだ奇妙な感覚を覚えた。
シャロン氏とデパルト国王はどんな話し合いをしているのだろうか? 当然国王は『本』の返却をシャロン氏に迫るのだろう。それに対しシャロン氏はどのように対応するのか? 王城から『本』を持ち出したことから考えても、簡単に返却するとは思えない。そうすれば国王への謀叛と思われはしないだろうか? もし、そうなったら――。
「本当に、外国でとんでもないことに巻き込まれちまったなぁ……」
アレンは嘆息し、そう呟いた。
そうやって思い悩み歩いていると、いつの間にか厩舎と宮殿をつなぐ渡り廊下のような場所に着いていた。柱が何本も立ち並び、隣り合った柱同士はアーチ状につながっている。廊下は屋根に日光を遮られて薄暗がりになっており、日向に比べて空気がひんやりしていた。
アレンは立ち並ぶ柱の内の一本に寄り掛かると、ろうそくの火を吹き消すかのような細く長い溜息を吐いた。
「俺は一体どうすればいいんだ……」
「全てを持ちだして、逃げちゃえばいいんじゃないですか?」
アレンがふっと弱音を吐いた瞬間、突然知らぬ男の声が響いた。
「!? 誰だ!!」
不意打ちのようなその声に驚き、アレンは姿を見せぬ男に向かって誰何した。
「やぁ、ここですよ、ここ」
という言葉が上から降ってきた。アレンは柱から離れ、上を見渡した。
そこには一人の男が渡り廊下の屋根に座り、アレンに向かってひらひらと手を振っていた。
男は奇妙という言葉すら生易しい格好をしていた。男は燕尾服にシルクハットという出で立ちをしており、ピカピカの革靴を履いていた。それだけなら何かしらの式典にでも参加する紳士かと思われる服装だが、その服の色が問題だった。ジャケットは真ん中を境に左が白、右が黒色になっており、ズボンはそれとは反対に左が黒で右が白に染められていた。靴はまたズボンとは反対、ジャケットと同じ色をしており、被ったシルクハットはズボンと同じ柄になっている。上から下まできっちりとちぐはぐになるように計算された配色だった。男は外ハネした硬そうな黒髪をしており、その両目は前髪で隠れて見えなかった。喜劇に出てくる道化も逃げ出す、奇天烈な不審者だった。
アレンがあまりの驚きに言葉を失っていると、男は屋根から飛び降りて、腕を大きく回しながら胸に手をやるという、大仰な仕草でお辞儀した。
「はじめまして。私のことは『夢男』とでも呼んで下さい。君は確かアレン・ゴードンくん、でよろしいですかね?」
「どうして俺の名を……」
そう言うとアレンはナイフの柄に手をかけた。
「おおっと! そんな警戒しないで下さい。あの大物、王室侍従長シャロン卿の新たな護衛とあって、耳聡く聞きつけただけですよ。」
夢男は大げさな身振り手振りで喋るので、まさに道化者のようだった。
「そんなホットな話題の渦中にいるあなたと、少しばかりお話がしたくて声をかけた次第でしてね」
「俺の方には話すことなどなにも無いな」
油断なく警戒する目線を夢男に配ると、夢男はそんなアレンの様子もどこ吹く風といった感じでへらへらと笑っていた。
「そう邪険にしないでください。お近づきのしるしに、ちょっぴりの親切心をあなたに提供したいと思っているのですよ」
そういうと、夢男は何かを差し出すかのようなジェスチャーをした。
「あなた方を狙うものが、新たに現れそうですよ」
「なんだって?」
アレンの肩に意図せぬ力が入る。
「特務機関という特殊工作員の組織なんですけどね、それがシャロン邸を狙っているようですよ」
「特務機関? 『デパルトの旗を立てる者たち』では無いのか?」
「そんな有象無象とは一線を画す、特殊部隊ですよ」
夢男はチッチッチッ、と指を振った。
「なぜ、そんな情報を掴んでいる? なぜそれを俺に話す?」
「さきほども言ったように、お近づきのしるしですよぉ。なぜ知っているのかは企業秘密」
夢男はシーッ、と子供を諌めるかのように、口元に人差し指をやった。
「見た目も言動も怪しいやつだ。とぼけたふりして、お前がその組織の一員なんじゃないか?」
「心外だなぁ」
夢男は大げさに肩をすくめた。
「私はある一人の横暴な輩からこの国を守りたいと思っているだけの、ちっぽけな一人の有志ですよぉ」
「一人の横暴な輩?」
アレンは疑問を投げかけた。
「まぁ、その話はシャロン卿にでも聞いてみて下さい。きっと今頃その話で盛り上がっていますよ」
「……本当にお前は何者なんだ? 何をどこまで知っている?」
アレンはいよいよナイフの柄を握り、いつでも踏み込めるよう身構えた。
「私は物知りでしてねぇ。結構知っていますよ、例えば」
夢男は口の端を吊り上げるように笑った。
「シャロン卿が『本』を持ち出したこととか」
その言葉を聞いた瞬間、アレンは夢男に向かってつばめのような速度で駆け出した。
「おっと!?」
アレンが横薙ぎに振るうナイフを、夢男はバックステップで躱した。アレンは連撃を繰り出すが、夢男は意外な身軽さでそれらを躱し続けた。
アレンはナイフを振り切った直後にそのままの勢いで回転し、夢男に対し後ろ回し蹴りを繰り出した。夢男は腕を十字に組んでこれを防ぐと、そのまま後方へとひらりと宙返りし、シルクハットを手で抑えながら着地した。
アレンはその隙を見計らい、黒玉を夢男に向かって投げた。
夢男は「よっと」と言いつつ、大きめのハンカチをくるりと回転させて広げた。黒玉はそのハンカチに吸い込まれてしまい、黒玉の勢いを借りて突っ込もうとしたアレンの顔を覆ってしまう。
「――! くそっ!!」
アレンがハンカチを引き剥がした頃には、夢男は再び渡り廊下の屋根に登っていた。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。私はあなた方の味方なんですから」
「そんな胡散臭い言葉、信用できるわけ無いだろう!」
「信用してもらうために、敵の情報を教えたのですがねぇ。いやはや参った」
夢男はお手上げとばかりに、両手を上げた。
「ところで『本』はどうしました? まだシャロン卿が持ってるんですかねぇ?」
「お前みたいな不審者にそんなこと言うわけ無いだろう」
「否定しないんですね」
夢男は意味ありげな笑みを浮かべる。
「守ってくださいね。私はそれを望んでいます」
夢男はシルクハットに手をやり、目深に被りながら言った。
「カロル嬢もね」
「!? お前……!」
アレンが怒気をまとわせながら、夢男に言葉をぶつけた。
「今日はこの辺りが頃合いですかね。それではアレンくん、近い内にまたお会いしましょう」
夢男は手を振りつつ身を翻しながら告げる。
「いい夢見れるかな?」
そういうと夢男は渡り廊下の影に消える。アレンはすぐさま黒玉の力で屋根に跳躍するが、夢男の姿は忽然と消えていた。
「……一体、何者だったんだ……」
その場には不安、怒り、焦燥感をないまぜにした感情に取り憑かれたアレンが、一人取り残された。
シャロン氏が『本』を持ち出したことに関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/3/
王との謁見に関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/11/
も参照ください。
本作をお楽しみ頂けましたでしょうか?
評価・ご感想はページ下部へ↓