『特務機関』
それから数日は特段の問題もなく過ぎた。再襲撃を恐れていたが、今のところ敵が襲ってくる気配はない。最も、怪しい気配を漂わせながら襲ってくるような輩は恐れる必要もないが。
あの日以降、警察官が交代でシャロン邸を警護することになった。
「何かあったのでしょうか?」
カロルは不安そうに問うてきたが、シャロン氏は「なに、念の為だよ」と、カロルの言葉を軽く躱した。
カロルは気を揉んだようにもじもじとしていたが、アレンが自分ひとりではシャロン氏とカロルさんを同時に守れないから、と説明すると一応は納得した。
それからも何度かシャロン氏と共に首都へ出た。大抵はオーヴェルニュ宮殿への送迎だったが、たまに官庁へ送り届けることもあった。
最初の頃の饒舌なシャロン氏はなりを潜め、アレンやカロルと会話するときも言葉少なにやり取りするに留まった。時折思い悩むような表情を覗かせた後、一人書斎にこもることが多くなった。カロルも払拭しきれない不安に取り憑かれているようで、悪戯もせず大人しく過ごしていた。アレンはカロルに対してどうすれば良いかも分からず、忸怩たる思いを抱いて過ごした。邸内は重苦しい空気に包まれていた。
ある日、シャロン氏が書斎にこもりアレンが一人暇を持て余していると、カロルがアレンを誘い、庭を散歩したいと言い出した。
アレンもカロルの気晴らしになるのなら、と承諾した。何かあったら自分が守ればいい。
庭園を散歩しながらカロルは苦笑を浮かべた表情でアレンに語りかけた。
「最近、お父様は何か思い悩んでいるようですね」
カロルは石畳の上の石ころを蹴飛ばしながら、ゆっくりと歩いた。
「あのような事件が起こり、シャロンさんもカロルさんの事が心配なのですよ」
「それだけなら良いのだけれど」
カロルは探るような視線をアレンに向けた。アレンは目を合わせることに気後れを感じて、前を見据えながらカロルに歩調を合わせていた。
「何かあっても私がシャロンさんもカロルさんも守りますよ」
「アレンが居てくれて、私はとても頼もしく思います」
アレンの言葉を受けて、カロルは久しぶりに華やぐような笑顔を見せた。アレンは気恥ずかしさで思わず赤面しそうになった。
「そういえば、アレンの『ギフト』についてなのだけれど」
カロルは急にアレンの顔を覗き込むと、アレンの『ギフト』について質問した。
「アレンとお父様の話に聞いただけで、この目で見たことがないです。どんなものか具体的に教えてもらってもいいですか?」
アレンは少し考えて、いざとなった時の事を考えて教えておいた方が良いかと結論づけた。
「先にもお話したように、私の『ギフト』は黒玉と白玉を生成する能力です。それらの玉は人物や物に吸い込ませることができます。黒玉を吸い込んだ物同士は引き合い、白玉同士は反発し合う。ええと……」
と言うと、アレンは辺りを見渡した。
「あちらの花を摘んでも?」
と言って、灌木に咲く一輪の花を指差した。手のひらと比べると少し小ぶりだが、赤い花びらがいくつも重なり、ふっくらとした花だった。
「ええ、構いませんよ」
カロルの許可を得ると、アレンは黒玉を2つ生成し、一つは赤い花に、もう一つをアレン自身に吸い込ませた。
すると、赤い花はぷちりという音とともに灌木から摘まれ、アレンの方へ飛んできた。アレンはそれを片手で受けると、手のひらの花をカロルに見せた。
「黒玉はこのように物を引き寄せることができます」
「わぁ! 面白い『ギフト』ですね!!」
カロルは子供のようにはしゃいだ。その姿を見て、アレンは少なからずほっとした。
「これは、力加減とかは変えられるのですか?」
「玉の大きさを調整すれば加減できますね。小さい玉なら小さな力、大きな玉なら大きな力です。大きければ人とか、大きな机とかも動かせたりしますよ」
「へぇ! なるほど!」
カロルは感心するように相づちをうった。
「次は白玉ですね……カロルさん、手を出してもらっていいですか?」
「手ですか? ……こんな感じでいいですか?」
そういうとカロルは何かを受け取るように両手をアレンに差し出した。アレンはその手の上に花を乗せた。
アレンは小さめの白玉を生成すると、一つは花の方に、もう一つはカロルに吸い込ませた。
「わぁ……!」
すると、赤い花がカロルの手を離れて、ゆっくりと回転しながら宙に浮かんだ。
「これが白玉の力ですね」
カロルは宙に浮かぶ花をうっとりとした表情で見つめていた。アレンは柄にもない事をしたなと思ったが、カロルの嬉しそうな様子を見て、彼女の憂さ晴らしに一役買うことができたことを密かに喜んでいた。
十秒くらいの時間が流れて、花が再びカロルの手のひらにそっと降りてくると、カロルはそれを大事そうに胸に掻き抱きながら、アレンを見つめて言った。
「とても素敵な能力ですね……。最近、ずっともやもやとした気持ちを抱えていたのだけど……アレンの魔法のお陰でそんな気持ちも吹っ飛んじゃいました」
銀髪がさらさらと肩から落ちていく。長い髪がカロルの顔を照らすかのように輝いていた。
「ありがとう、アレン。私……とても嬉しいわ」
目を細めながらそういうカロルを、アレンは直視することができず、口元が緩むのを抑えることができなかった。
「王宮から招集があった」
カロルと散歩をした日の夕食後、使用人の食堂から出てきたアレンにシャロン氏が声をかけた。
「明日、国王陛下の下へ馳せ参じる」
「陛下への謁見となると……リュテ宮殿ですね」
「うむ」
シャロン氏は頷いた。シャロン氏に雇われて以来初めて行く場所だった。
「夕方、召集令状が届いてな」
シャロン氏は硬い顔をしながら語った。
「この前の件について話がしたいと」
アレンは、なるほど、とうとう来たか、という気持ちを抱いた。シャロン氏が『世界樹の本』を王城から持ち出したとあれば、遠からず王城へ招集がかけられる日が来るだろうと既に予見していた。
それはシャロン氏も同じだったらしく、その表情からは走行する馬車から飛び降りるような悲壮な覚悟が見て取れた。
「それでは明日、馬を出しますね。警護してくれている署員にもそう伝えておきます」
「よろしく頼む」
というと、シャロン氏は廊下を歩き去っていった。
アレンは部屋で休んでいた警備員にその旨を伝えると、自分の部屋に戻り武器の手入れを行った。
この武器の出番がないことを祈りつつ。
王宮に着いた後、シャロン氏は侍女に案内され、謁見用の部屋にたどり着いた。国賓と対面する大広間ではなく、国内有力者の謁見を受けるための小部屋である。小部屋と言ってもその広さはちょっとしたダンスホールほどの広さがあり、一段高くなった壇上に国王の座る王座が存在する。
平素であれば、何人もの侍従達が部屋の端を埋め尽くしているのだが、今はシャロン氏唯一人である。
やがて壇上横の大扉が開かれ、その奥から豪奢な衣装を身にまとった一人の人物が現れた。
その人物は貴族に特有の、ゆるくカーブを描いたブロンドの髪に青い目を持った端正な顔立ちの男だった。頭には冠を被り、その手には儀仗が握られていた。青年と言っても通じるほどに若々しい面立ちであったが、その口元は酷薄そうな笑みで彩られ、瞳には油断ない光が灯っていた。その所作には自分が世界の中心と言って憚らない尊大さがにじみ出ていた。
「王室侍従長ジャン=クリストフ・ド・シャロン卿」
その男は王座に大義そうに座ると、シャロン氏に声をかけた。
「くるしゅうないぞ、面をあげよ」
そう言われ、シャロン氏はゆっくりと顔を上げた。
「偉大なる御身におかれましては、栄光と祝福に彩られた……」
「ああ、よいよい。堅苦しい挨拶は抜きにしよう、シャロン卿」
男は手をひらひらとふると、シャロン氏に無礼講を求めた。
「卿の余への常不変の忠誠、このシャルル7世、大いに感謝するぞ」
「この矮小な身には著しい栄誉と存じます」
「もっと気楽にしろというに……まぁよかろう」
シャルル7世は王座に肘かけて、頬杖をつきながら薄い笑みを浮かべていた。
「そのように余を敬愛するそちが」
シャルル7世はさも楽しそうに肩で笑うが、その目元は笑っていない。シャロン氏を射抜くような目線でこう言った。
「なぜあんなにも大それた不敬を働いたのであろうな?」
シャルル7世は早速本題を切り出した。シャロン氏は手に汗握りながら王に答える。
「不敬とは一体何のことでしょう。皆目検討もつきませぬ」
「そんなつまらん言い逃れをするつもりか?」
シャルル7世はその顔から笑みを消すと、シャロン氏を追い込む。
「この王城に保管されていた国宝、『世界樹の本』を不敬にも盗み出し、さらりとした顔で常どおりの業務にとりかかる。とんだたぬきだな?」
「『世界樹の本』? 全くわかりませんな」
「余を愚弄するか? シャロン卿よ」
シャルル7世は眉間に皺を寄せ、険しい口調で言った。
「そちより先代の王に『世界樹の本』を献上していること、このシャルル7世は知っておるぞ、なにせその場に余が居たからな」
その言葉を聞いて、シャロン氏は心臓の辺りに冷たい物が走るのを感じた。その場に陛下が居た? まさか。誰も居なかったと記憶していたが。
「今も余の後ろにある……ほれ、その帳の後ろに隠れていたのさ。子供のちょっとした遊びだな」
シャロン氏は歯噛みした。なるほど、そのころシャルル7世は子供だった。遊んでいたか悪戯心か、装飾の影に隠れて話を聞いていたということか。
呼吸が乱れそうになる。
「仮にその通りとして……私にどのようなご命令をなさるおつもりか」
「『本』を返せ」
シャルル7世は端的に要求した。
「その『本』はこの国の繁栄に必要なもの。卿が一人、独占するようなものではない」
「その『本』でどのような繁栄がお築きになられるとご高察なされるのでしょうか」
「『世界樹の本』とは、なにやら『この世を支配する力』を持つとか」
シャルル7世は承知しているはずのことを、さも噂話でも聞いたかのようなとぼけた態度で語る。
「それは卿のような一個人が所有してはならず、勿論他国へ流れるもならず。国が保管し、適宜必要に応じて国のために利用すべきものである」
この強欲めが! なにが『国のために』だ! 貴様にとって『国』とは自分自身のことであろうが!
シャロン氏は心の中で毒づいた。
シャロン氏が王城から『本』を持ち出したのはこれが理由だった。この男に万が一『本』が渡ってはどんな暴挙に出るか分からない。
「まことに恐れ入りますが、陛下におかれましては一つ誤解がお有りかと」
「ほう……どのような誤解と言うのだろうか」
シャルル7世はベタつくような視線をシャロン氏に投げかけ、にやにやと笑った。
「あの『本』は先代の王、アンリ4世陛下から私に管理を任されたもの。アンリ4世陛下がお隠れになられ、あの『本』の存在は私のみが知るところになりました。シャルル7世陛下がご存知であるとは朝露の一滴ほども知らぬ私としましては、王城内にそのまま放置するのも危険と考え、私の下で管理しようとしたものであります。陛下への叛意など到底考えられませぬ」
苦しい言い訳であることはシャロン氏も分かっていた。そんな理由では王城で管理していたものをシャロン氏が持ち出して良いとはならない。しかし、苦しくても反論をしなくてはならなかった。この男には絶対『本』を渡してはならない。
「では卿の負担を軽減してやろう。余が預かるゆえ、早々に返却せよ」
「なりません。先王との約束です」
シャルル7世は不快そうに顔を歪めると「ほーう……」と間延びした返事を返した。
「卿は先日、暴漢に襲われたとか。余を敬愛する卿が襲われたとあって、このシャルル7世、小さな小さな胸を大いに痛めておったぞ」
シャルル7世は大げさに腕を広げた後、心臓を包むかのように胸に手をやった。
「結局は助かったが、万が一『本』が奪われることになったら、余の心臓は張り裂けてしまうだろうなぁ」
「一体何をおっしゃりたいのか」
「これで卿の娘にもしものことがあれば、余は悲嘆の涙を禁じえないだろうなぁ」
言葉とは裏腹に酷薄そうな笑みを口元に浮かべた。
「陛下!!」
「仮にの話だ。仮に、な……」
最早確信した。シャルル7世が『デパルトの旗を立てる者たち』に『本』の強奪を依頼したのだ。そしてエルフの男が実行役となった……。
シャルル7世と愛国主義者共は裏でつながっている。
「卿は余の右腕。卿に万が一のことがあっては、余としては困るのだ。……そこでだ、余には国王として戴冠する前から創設していた組織があってな」
「? 一体何を……?」
突然の話にシャロン氏が混乱していると、シャルル7世は「入れ」と端的な命令を下した。
先程シャルル7世が入ってきた扉が再び開かれると、そこから一人の男が入ってきた。
男は黒髪・黒目の偉丈夫だった。背中まで伸ばした髪は毛量が多く、狼を連想させるような荒々しさを印象づけた。赤いマントを羽織っておりその身体は隠れているが、その雄々しい立ち姿からは勇猛果敢な性質を見て取れた。
男はシャロン氏を見据えながら、シャルル7世の座る王座の横に参じた。
「紹介しよう。彼はジョフロワ・マイヨール」
シャルル7世は男を紹介するように腕を広げながら、その名を口にした。ジョフロワはシャロン氏に向かって軽く目礼を送った。
「余の創設した特殊工作部隊、『特務機関』の機関長だ」
「『特務機関』!?」
シャロン氏はそんな組織の存在は聞いたこともなかった。先代の影に隠れながら自分の手先となる者共を集めたということか。油断のならない男だ。
「今後はこの『特務機関』が『世界樹の本』、並びに、カロル嬢の身の安全を保証しよう」
シャルル7世はいよいよ凄惨な笑みを浮かべて、愉快そうにシャロン氏に最後通告した。
「さぁ、安心して『本』を渡すが良い。王室侍従長ジャン=クリストフ・ド・シャロン卿」
無表情なジョフロワが、シャロン氏を睨めつけた。
アレンの能力に関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/3/
『本』に関しては
https://ncode.syosetu.com/n9717fz/9/
も参照ください。
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