本を巡る問い
「カロルさんが……」
アレンは衝撃に上手く言葉が出ない。
「娘が世界の命運を握ってしまうような可能性を持っていると知って、私はどうすべきか途方にくれた」
シャロン氏は遠い目をしながら語った。
「私はすぐさま例の友人に連絡をとり、この本をどこで手に入れたかを聞こうとした。しかし……」
「まさか、行方が分からなくなっていたとか……」
「その方がむしろ分かりやすかったのだがな」
シャロン氏は苦笑をアレンに向けた。
「覚えてなかったのだ」
「なんですって?」
「いや、正確に言えば、知らないようだった。彼に『本』のことを問いただすと、彼はそのような『本』なるものは見たことも聞いたことも無いと……それどころか、デパルト海外領から戻ったのはつい数日前で、本土に戻ってから私に会うのはこれが初めてだと……」
シャロン氏はその時の事を思い出してか、口ひげをさすりながら語った。
「どういうことなんでしょう?」
「私にも分からない……こうなると誰かが友人の姿かたちを真似て私に何らかの理由で『本』を渡したことになるが……それが誰かの変装だったとすると、正直私の目から見ても本物と見分けがつかなかった……声まで一緒だったのだ! それに、誰か分からぬものが私に『本』を渡した理由はなんだったのだろう? 何から何まで疑問で……私は混乱してしまった……」
シャロン氏はほとほと困ったと言った風に手に額を乗せた。
「何者かの悪戯という線も考えたが……あの『本』の不思議な造り、悪戯にしては手が込みすぎているし、なにより、特定の者が触ったら文字が浮かび上がるなど、科学の発達した今に至ってもそんな技術は見たことも聞いたこともない!」
シャロン氏はほら話を一笑に付するような、皮肉めいた調子で喋った。
アレンにとってもそんな技術は未知のものだった。蒸気機関という最先端の技術が発達してもなお、そのような技術は遠い未来のものに思えた。
「それで、その『本』を読みすすめてから、初めてそこに一枚の紙切れが挟まっているのに気づいてね」
「紙切れですか?」
「一枚の手書きのメモのようだった」
シャロン氏はそう言って、手で小さな四角を作った。便箋の半分くらいの大きさだった。
「そこにはこう書かれていた」
『大いなる災い、来たるべき日を待つなり。『適合者』、この災いに抗すものなり。その時までこの本棄てるなかれ』
アレンはそれを聞いた時、素直に胡散臭いと感じた。
「それは古いメモだったんですか」
「いや、真新しいと言うほどでもなかったが、それほど古さを感じさせるものでもなかった」
「浅慮ながら、私にはどうにも疑わしく思われますが」
「私も同じ気持ちだった」
シャロン氏は同意するように軽く頷いた。
「だが騙されて馬鹿を見たとしても、危険に備えるのは悪いことではない」
アレンもその言葉に同意し、シャロン氏に頷きかけた。
「そこで私は先代の王……アンリ4世陛下に奏上申し上げた。本来ならこのような荒唐無稽で馬鹿げた案件を陛下のお耳に入れることは憚られるのだが、先王は開明的なお考えをなされる方だったし、まことに光栄ながら私は先王のご信頼を頂いていた。些事とは思いますが、と前置いて、『本』の事を相談させて頂いたのだ……」
「ふむ、シャロン卿の話は理解した。その『本』とやらも明らかに異常なもののようだ」
先王はそういうと『本』に目を落とした。そこにはぼんやりと青白く輝く本が台に乗せられていた。先程先王の前でカロルに『本』を触れさせ、じかにその尋常ならざる様を見せたばかりである。カロルは既に妻とともに退出している。
「もし『本』の記述、ならびに、一枚の手記の内容が真実とすれば、これは極めて由々しき事態が迫っていることと存じます」
「その『災い』とはなんであろうな? この国、デパルトに関わるようなものなのであろうか?」
「私めの浅い考えでは答えを出せませぬ。しかし、大事とあればこの国にも少なからず影響が出るやもしれません。まして私の娘が関係するとあらば……陛下、私は恐れております。私の娘が陛下の国デパルトに、万が一にも損害を加えてしまうとしたら……私はこの先、一体どのようにして生きていけるでしょうか」
「シャロン卿、そんな心配をするな」
先王は、恐縮しきって硬い岩のように畏まったシャロン氏を見て、安心させるように言った。
「卿はこうして事前に知らせてくれた。それで問題が起こったとしても、それは対策を万全にしなかった余が悪いのだ」
「まさかそんなこと!」
「良いのだ、シャロン卿。それで、本件について卿の考えを聞かせてくれぬか」
先王から意見を促され、シャロン氏は襟を正した。
「陛下。問題は、何もかもが不透明なことです。『災い』とは何か? それはいつどこで起こるのか? どのような不利益が我々に降りかかるのか? その『災い』とやらは今こうしている間にも進行しているのかも分かりませぬ。そして我々はそれを知ることもできない」
先王はフムと同意するように頷いた。
「今の段階では対応が後手になってしまうのはもはやどうすることもできません。となれば我々が今できる次善策は2つかと存じます」
「情報収集と『本』の保管だな」
先王はシャロン氏の言葉を受けて、自身の考えを表明した。シャロン氏は同意する。
「本は『世界樹』と『適合者』について言及しています。また、『守護者』という言葉も『本』の中に見受けられます」
「『守護者』とな?」
先王は未知の単語について質問した。
「『本』の中に散見される言葉です。なんでも『世界樹』と『適合者』を守護する者らしいのですが、具体的にどのような者なのか、どこに居るのかなどは記述になく……」
シャロン氏は頭を振りながら言った。
「そういった事柄も含め、古今東西の文献、伝承などから情報を収集・分析すべきかと考えます。内務省の後ろ盾をつけ、この首都にある大図書館長を筆頭に、情報収集と分析を実施してもらいましょう」
「保管については? 念の為確認するが、放棄は出来ぬな?」
先王は『本』の扱いについて質問をした。
「放棄はまかりなりません。もし記述が正しければ、この『本』が『災い』に対抗する鍵になるのです。万が一記述が真実で、その時になって『本』がなければ、我々は対抗の手段がないということになります。そうなれば国家の存亡に関わるでしょう。騙されたとあれば、それはそれまでのことです。その時は私が責任を取りましょう」
先王は頷きながら「苦労をかけるな」とシャロン氏を労った。
「私の身には余りあるお言葉です。そして『本』の保管に関してですが、やはりこの王城内が最も安全でしょう」
「そうなるだろうな。多数の目に触れることもなく、手を出すことも容易ならず、固い守りがありながら、尚且、必要があればすぐに取り出せる場所とあれば、余の住むこの王城しかあるまい」
先王はシャロン氏の言葉に同意した。
「近うよれ」
先王の言葉でシャロン氏は王の下へと近づいた。先王は声を潜めながら言った。
「王城の隠し宝物庫がある。そちらを利用せよ」
「かしこまりました」
「また、卿の娘、カロル嬢に関して。カロル嬢に万が一が起こらぬよう十分注意せよ。とは言え、突然護衛などを増やしてはよからぬ輩に何かあると感づかれるかもしれぬ。今まで通り、されど、これまで以上に守りを固めるように。難しい注文とはおもうが」
「国王陛下の御心遣い、まことに感謝申し上げます」
先王とシャロン氏は短いやりとりをすると、再び離れた。
「ではシャロン卿。此度のこと、余によくぞ知らせてくれた。礼を言う。これまでの職務に加えて面倒事をかけるが、引き続き励んでほしい」
「そうして陛下が『本』を守り、私が娘を守ることになった」
シャロン氏の言葉に、アレンは感心するように告げた。
「先代の王は随分と誠実なお方だったのですね」
「ああ、それはもう。身罷られた今もなお、私はアンリ4世陛下を敬愛申し上げているよ」
シャロン氏は誇るように少し胸を張りながら話した。アレンは少し迷ったが、聞きたいと思っていたことを言葉に出した。
「シャロンさんが『本』を持ち出したのは、何かあってのことですね」
シャロン氏はその質問には明確な返答をしなかった。曖昧に、ウム、と口ごもるような返事をしただけだった。
あまり答えたくないような空気を察して、アレンは別の質問をぶつけた。
「『デパルトの旗を立てる者たち』とは一体なんなのでしょう? 警部との話から察するに、この国での愛国主義者たちの集団のようですが」
シャロン氏は今度は明確に、ウム、と頷いた。
「その認識であっているよ。彼らは国を愛し、王を愛し、デパルトの土を愛している。デパルトのためならばその身を犠牲にしてでも守り抜くという志の下に集まった集団でな」
アレンは2日前、職業紹介所で門前払いをくらった出来事を思い出していた。あのキツネ顔の受付が言っていた者たちこそ、『デパルトの旗を立てる者たち』だったのか。
「愛国の志を持つことは別段悪いことでは無いのだがな。実態としては、彼らは愛国主義を看板に掲げた無法者の集団だ。暴行、傷害、詐欺、器物損壊、強盗、殺人、なんでもござれだ」
シャロン氏は拳を握りながら言った。
「そんな彼らがなぜ『本』の存在を知っているのか。そして、根拠こそ無いが、それを庇うような警察上層部の動き……恐らく官僚が関わっているのではないかと思う」
シャロン氏は眉間の皺を深くした。そしてそれきり口を噤んだ。
アレンは考えた。『デパルトの旗を立てる者たち』と連動するような警察の動き……。シャロン氏も確信はなさそうだが、この国の官僚が関わっているかもしれないとの推測。そう考えると、中央省庁の長官クラスか、大臣、はたまたそれよりも上の立場の者が関わっているのではないのだろうか。
そしてシャロン氏への襲撃である。『本』を持ち出したその日に襲撃されるというのは、あまりにもタイミングが良すぎる。シャロン氏の行動は逐一監視されていたということだろうか。それにしても王城内でのシャロン氏の行動を監視できるものなどそう多くは無いのではないだろうか。
そこまで考えた時、アレンには一つの恐ろしい仮説が浮かび上がった。
「もしや……それは……現在の……」
「アレンくん。滅多なことを言うものではない」
アレンが核心を突こうとした矢先を、シャロン氏が封じた。
「いささか話しすぎたようだ。……身体も冷えてきた」
シャロン氏はアレンとは目を合わせず、暗黙裡にアレンを御者台へと促した。
「一度警察署に戻ろう。さっきの今できまりは悪いが、館の護衛を警部に依頼する。アレンくんはこれからも私に付いてくれたまえ」
「……承知しました」
アレンはそれだけ言うと、ハイヤッ、と短く声をかけ、馬を走らせ始めた。
『本』に関しては
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カロルに関しては
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も参照ください。
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