花、ひとひら舞う、狼煙
最後に、男が見た世界は……青い空と、白い曇、そして……鳥が、すぅと羽ばたいた姿。目の前をふわり、と横切る一片の花びら………
「おい!早くしろ!」
足元から、敵軍の兵が槍を突き付けながら、急かしてくる。男は急遽、建てられた一柱に、はり付けにされていた。捕らわれ人であった。彼が意に添わぬ行動を取れば、直ぐ様に命を奪う様、命をうけている武士達。
男は目を閉じた、城内の赤い葉と共に開く五枚の白い花弁の花、尊敬をし、忠誠を誓った主君、信頼が置ける盟友達、そして愛しい家族……
我が君の 命に代わる玉の緒の 何いとひけむ武士の道……
城を密かに出た夜、残してきた辞世の句、それを目を閉じたままに、微かな声で呟く。
静かさにひかれて飛んできた、ひよどりの声が天に渡る。男の声が城へと通るように、物音をたてるなと、達しが有るのか、敵陣の中にも関わらず、風の音が囁くように男に届く。
時が満ちた……ひら、と城からの緊張を乗せて、花弁が一枚男に届く、下ちらりと目を落とす、そこもまた、息詰まる様な澱に満ちている。
………カッ!男は目を見開く、眼光鋭く城を凝視する。そして……息を大きく吸いこみ、腹の底から声を張り上げた!
「………援、軍………は!」
*****
………後少し、水緩む季節とはいえ、夜半の時、堀から川へと流れ行く水中は、凍えるように冷たい。鍛えられた武士故に出来る事。時折、息を継ぐ為に、敵の動きを見るために、音を殺してひそりと外の闇に僅かな時、顔を上げる。
桜が咲く時期、まだ肌寒いこの時間、敵兵もまさか水中を行くとは思いもよらないのか、行く先の岸辺に……輩達の気配はない。静かに、静かに、水音を立てぬように、男はユルリと急ぎ進む………
したした……地面に水を滴らせながら、男は岸へと上がる。そこは、国境の林の中だった。木々の隙間から、夜明け前の薄花色の空に、明の星がぽつりと名残の光を置いているのが見えた。
ざっ、ぐ、しゅ………だだ、だ……着ている物の水を絞ると、革袋に入れ幾重にも油紙に包まれた、火打ち石を取りだし確認をする。強ばった顔が幾分緩む。使えそうな事が分かったからだ、男は一先ず衣を枝にかけると、
その辺りの小枝を集め、燻る様に青草を乗せると、火を付け、濡れたままの着物を身に付ける、ブスブスといぶされる青草、狼煙が上がる。男は衣を枝からかっさらうと、急いでその場を後にした。
同盟国迄は、走り抜いて一日、男は駆ける、兵糧蔵を火矢にて焼かれた。裏手に断崖絶壁を背負う、彼が支える城、天然の要塞。兵糧が充分に有れば籠城するにこしたことがない立地。
しかし、此方に隙があったのか、頼みの倉が火矢を放たれ消失してしまったのが数日前、飢えが城内を襲いつつある。それを見越してか、動こうとしない敵陣。その代わり、城から使者を出さぬよう鉄壁の布陣を敷き詰め、城を囲んでいる。
………誰ぞ、狸爺の元へ、頼む。城主の願いに、誰もが手を挙げない中、男がそれに応えた、見つかれば即座に切り殺されるのは、わかっていたが、男は忠誠を誓った主を、共に戦う仲間を、そして家族を守る為に、手をあげたのだった。
そして……闇に乗じて城の下水道から、堀へ、密やかに水の中を進み川へと、下り、国境へと………抜け出る事が出来た。
ざっ!男は駆ける。林を抜け、ひた走る、休むこともなく、ひたすら駆け抜ける、したたかな狸爺と呼ばれる同盟国の主、彼の元へと走る。
一昼夜駆け抜け、男は目的地へとたどり着いた。そこで男はまた、狼煙をあげた。高台にある城からは、立ち上る煙ならば、見えるからだ。無事に着いたことを報せる。
………男は休む間もなく、城へと向かい門番に名を名乗る、城主から身元の証にと預かっていた、刀の鍔を見せる。それは狸爺が、彼の主に祝いの為に手ずから渡した逸品。
直ぐ様に国主の元へと案内をされ、そこで聞かされた朗報、戦上手と評判の、ある大国の主との連合話。
…………持ちこたえろ、既に彼方は此方に向かっておる、七日も有ればそなたの国許へ必ずや行く!それまで何としてでも持ちこたえてくれ!
総勢三万、援軍の確約。男はそれを伝えるべく、再び駆ける。主に、盟友に知らせるために、来た道を再び駆ける。国許に向かって………
****
………おかしい、と取り囲む隣国の陣営中で、そう気がついた者達がいた、狼煙が上がる度に落とすべき城の中から、歓声が上がることに気がついたのだ。
『誰ぞや『出た』のかも知れぬ、余程の知恵、豪胆な者だな、よし!捕らえて連れて参れ、殺すな』
男に対し追っ手が、四方八方に繰り出された、多勢に無勢、狼煙に気づかれた男は、城を目前として、捕らえられた。陣営に連れていかれ、調べをうけたのち、そこで彼は取引を持ちかけられた。
「無意味な争い等、しない方がいい。援軍は来ないと城に言え。すれば狸爺もうつけも、ここまでは来ぬ、それでこの戦は終わるのだ。言う通りに動いたら、そなたに我が国にて、しかるべき場を与えよう」
*****
我が君の 命に代わる玉の緒の 何いとひけむ武士の道……
城を密かに出た夜、残してきた辞世の句、それを目を閉じたままに、微かな声で呟く。
静かさにひかれて飛んできた、ひよどりの声が天に渡る。男の声が城へと通るように、物音をたてるなと、達しが有るのか、敵陣の中にも関わらず、風の音が囁くように男に届く。
時が満ちた……ひら、と城からの緊張を乗せて、花弁が一枚男に届く、下ちらりと目を落とす、そこもまた、息詰まる様な澱に満ちている。
………助かるのか、援軍は来ないと言えば、ここから降ろされ、しかるべき場を与えられ、自分一人生き残り、のうのうと暮らして行く………
落城と共に、城に籠る主君も、盟友達も、男も、女も………全て、この世を去る、殺され、奪われ、焼かれて……終わる。
乱戦の時代、裏切りも一つの才能、才知とされる、全てを捨て去り生きていく………男は、目を閉じた。浮かび上がる白い五枚の花びら、共に開く赤い葉、城中に咲き誇る、たおやかな桜の姿。
目を開く、天を仰ぐ、風に乗り白い花弁が、頼りなげに男の元に届く。それは、彼に託された希望、微かな望み、それが形を変え花びらとなり、ここに自らの意思で、城を出てたどり着いたかのように、男には思えた。
…カッ!男は目を見開く、眼光鋭く城を凝視する。そして……息を大きく吸いこみ、腹の底から声を張り上げた!
「……援、軍、は……援、軍、は……」
城から感じる圧される空気。足元から感じる、あからさまな殺意、口が乾く、喉が張り付いたかの様な違和感。息が上がる、心臓の鼓動が、痛くなるほどに高まる。
ゴ……ク、ン…… 無理に唾を飲み込む、カラカラに乾いた唇をなめる。男は、自らを鼓舞する。武士として、声が震えるなどあってはならないからだ。
上がる息を鎮めるために、句を再び小声で唱える、己の道を行くために、信じた道を行くために、男は全ての力を振り絞り、一言、ひとこと城に届くよう、ゆっくりと、言葉を放った!
「援、軍、は、援、軍、は………来る!総勢三万!
援、軍、は!来る!か、な、ら!……ぐ!うううっ!が!っ、ハッ!」
……どう!きらめく切っ先が、脇腹へと入り込んんだ……熱い物が流れる、カッ!っと赤黒いものが、口から塊となり飛び出し、空に飛沫となり飛び散る。
は、あ、と吐く息に血の匂いが混ざる。焼け付く様な死への誘いが、五臓六腑を駆け巡る。
唇が震える、カチカチと歯の合わさる音、目が霞む、ざわざわと嫌な音が耳に流れてくる。
うつむく顔を、最後の力を振り絞り、天を仰ぐ。そこに広がる青い色、なのだが男にはゆっくりと赤く、紅く鈍く、じわりと染まって行くように思えた。
………援軍は、来る、必ずや、援軍は、援軍は、囁くように血の匂いの言葉を吐く男、
届いたのか、声は、報せを、受け取ってくれたのだろうか、それを知るすべは、男には無い、熱い涙が溢れこぼれ、頬に伝わるのを感じた。
その時目に入る、ひらり、と白い花弁、それと共に届く城の歓声……そして忠誠を誓った城主の声。
―――我らは!我らは!屈しない!耐えて、見せようぞ!耐えて、見せようぞ!そなたの忠義、見届けたなり!
紅く、紅く染まって行く白いひとひら、耳に微かに届いた主の、皆の声………晴れ晴れとした物が男を満たして行く。これで勝てる、これで、必ずや勝てる、男は何故だか確信を得ていた。
うっすらと笑む、役目を果たした安堵が、ゆるゆると広がり包む、目を閉じた。
唇からは、血が滴り落ちている、頬には涙の後がある。自然に任せる、ガクリ、と力が抜け首が前に落ちる………満足そうに眠りに就いた彼。
ざっと風が吹く、肩の上に、白く見えるが、よく見れば、ふわりと薄紅かかる花びらが舞い降りた。ひよどりが、きな臭さを察知し飛び去って行く。
代わりに、死の匂いを嗅ぎ付けたのか、鴉がどこからともなく現れ、黒い艶やかな羽を羽ばたかせて、悠々と旋回をしている。男の躯は降ろされ無い限りは、これ等の餌になるのは自然の掟。
しかし男にはもう、俗世の決まり事など関係が無かった。彼は既に、死出の道へと向かっていたからだ。
男は役目を終えた、現世での勤めを、時を終えた。そう、次へ向かうべく、旅が始まっている。輪廻の旅が………しかし、それは急ぐ旅ではない。なので、
しばらくは、一人穏やかに、ゆるりと歩いて向かうだろう、駆ける事なく三途の川の畔へと………
『完』