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いつか少女は世界に届く  作者: 詩空
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第三話 覚悟


「着いたぞ、ここが俺たちの住んでいる家。そして今日から、シャルティアスの家でもある場所だよ」


 あれから三刻ほどの時間をかけつつ出来るだけ早めに、けどわかりやすいように案内を済ませた後、俺はそのままの足で家へと帰ってきていた。

 相変わらずシャルティアスを抱き上げたままだったせいか、回っている途中に色々とからかわれもしたけど、こういうのもたまにはいいだろ。理由もあるし。

 なんか、思っていた以上にこの子の好奇心が凄くて。降ろして少し目を離しでもしたら、いつの間にか消えてそうで怖かったんだよな。


「おっきいね」

「そうだな。案内を始める前にも言ったけど、三人で住むには広すぎるんだよ。だから、人が増えるのは大歓迎だ」


 って言っても、たぶんシャルティアスの部屋を用意しても、ほとんど使われない気もする。勘だけど。

 んー……あの無駄に有り余った部屋をどうにかしたいんだよな。ここ四階建ての建物だけど、結局三階以上はまったくの手付かずだし。

 流石にどうしようもないか?


「リオン?」

「――っと。ああ、ごめんな」


 今、そんなことを考えても意味がないな。

 さっさと中に入ろう。


「ただいま」

「ただいま?」

「待っている人がいる場所や住んでいる場所、帰るべき場所に帰ってきたときに言うんだ」

「かえるべき、ばしょ……」


 その言葉をかみしめるように呟いているのを見守りながら、奥へと進んでいく。

 今の時間なら昼の準備前だろうから、あいつはリビングに居るかな。

 そういや、今日の飯当番って誰だったっけ。昨日はあれのせいで結局うやむやになったから、そのまま繰り越しで……フィオラか。

 なら、明日は俺か。献立を考えとかないとな。


「あ、おかえり。兄さん、シャルティアスちゃん」

「ただいま、フィオラ」

「ただい、ま?」

「うん、おかえり。思ったより早かったね、兄さん」

「ん? もっと遅くても良かったのか? ライオスが用事あるからって急ぎ足で案内してきたんだけど」

「そういうわけじゃないってば、もう」

「わかってるよ、冗談だって」


 軽く言い合いながら、シャルティアスをソファの上に降ろす。家の中なら抱き上げてなくても問題は無いだろうし。

 後はフィオラに任せて、俺は一度ライオスに会って来ないとな。

 どこにいるんだろうかと探しに向かおうとした時、ちょっと気になる話になったからもう少し残ることにした。


「あ、そうだ。用事が思ったより早く終わったから、シャルティアスちゃんの部屋を準備しようと思ったんだけどね?」

「おへや?」

「そうそう。でもね、色々と考えたんだけど、当分は兄さんの部屋か私の部屋で眠ってもらおうかなって思ったんだ」

「ん? あー、そっか」


 何となく、フィオラの言いたい事はわかる。

 理由がどうであれ、今のシャルティアスを一人にしておくわけにはいかない。まだまだ不安定な状態なんだから、出来るだけ安心させてあげられる誰かが近くに居た方がいいんだ。

 特に、夜眠る時。その時間帯が一番、不安を感じる時間だしさ。

 昨日の夜も寝てる時、無意識に縋りたくなるくらいに不安を感じていたんだから。落ち着けるまで、色々と配慮しておかないと。


「でも、それならお前の方がいいんじゃないか? 俺だと流石に困ることも多いしさ」

「お風呂とかは私が入れないといけないけど、着替えは朝教えたからどうにか出来るはずだし。だから兄さんでもいいと思うけど、そこはシャルティアスちゃんに決めてもらおっか。という事で、どっちがいいかな?」

「どっち?」

「そうだな……。簡単に言ってしまえば俺とフィオラ、どっちと一緒に夜寝たいかってことだよ」

「なら、リオンがいい。リオン、できるだけいっしょにいてくれるっていった」


 そういえば、安心させるためにそんな事も言ったか。

 なら断るのもおかしな話だし、それで不安を和らげられるのならこの程度、いくらでもやってあげればいい。

 それに、出来るだけ一緒に居るってその言葉に嘘はないから。


「うん、そっか。なら色々と準備しよっか、シャルティアスちゃん。兄さんは今からちょっと用事があるから、ね?」

「そうなの?」

「まぁ、ライオスがやってもらいたい事があるらしいからちょっとな。フィオラの言う事を聞いて、大人しく出来るか? すぐに戻ってくるから」

「うん」

「よし、いい子だ。――フィオラ、ライオスは何処に?」

「えっと……確か執務室に居たと思うよ」


 執務室か。

 だとするなら、やってもらいたい事って雑務系統か? 面倒だな。そうも言ってられないのはわかるけど。


「ありがと。じゃあ、この家の案内も任せたから」

「はーい。行こっか、シャルティアスちゃん」

「ん!」


 と、フィオラがシャルティアスの手を引いて連れていこうと手を差し出した時、シャルティアスはその手を掴むのではなく、何故かフィオラに向けて両手を差し出した。

 いったい何を?


「あ、そう言う事か。でも私、あまり力は強く無いから、兄さんのようには出来ないよ?」

「いい!」

「わかった。――はいっ、行くよー」


 ああ、なるほど。ずっと俺が抱き上げてたから、それが癖になってしまってたんだな。

 でもあいつ、力が強く無いって嘘だろ。頻繁に、俺どころかライオス以上の力を発揮するってのに。しかもそのせいで、この家での力関係はお前が一番上になってるのにさ。

 ……あの時の事は忘れない。もう二度と、フィオラに酒を飲ませないってライオスと決めたぐらいだからな。


「まぁ、いいか。早く執務室に顔出して、用事を終わらせよう」


 一応あそこ、俺の部屋扱いになってるんだけど、もはやライオスの部屋だよなぁ。まぁ俺が使ってもそこまで執務室の意味をなさないから、その方がいいんだろうけどさ。

 さて、早く終わるようなのならいいんだけど。

 なんてものぐさなことを考えながら、俺も執務室に向かうために二人の後を追ってリビングから出ていった。



・・・・・・



「えっとね、一階にはさっきまで居たリビングやお風呂場とかの共同の場所や、お仕事用の場所が集まってるんだ」

「おしごと?」

「そうだよ。でも、書類仕事とかそんなのばかりだから、執務室とか応接室みたいなのしかないけど」


 と言ってもまぁ、やってるのは兄さんじゃなくてライオスさんばかりだけど。たまに兄さんがやらなきゃいけない仕事があって、引き籠ることもあるけど。

 兄さんって効率がかなり悪いから、いつも時間がかかるからね。だからライオスさんが引き受けてるようなものだしね。 

 ……それにしても、シャルティアスちゃん、凄く軽いな。

 いくら兄さんでも、片腕でずっと抱き上げていたのなら、帰ってくる頃には疲れているんだろうなって考えてたけど、実際に帰ってきたときはそうでもなかったのがよくわかる。

 これなら私でも、抱き上げたままでも案内するのは簡単なくらいだと思う。

 本当なら、このくらいの歳の子だったらもっと重いはずなのに、どうしてこんなにも軽いんだろう。兄さんは何か知ってるのかな。

 ――いや、それはないよね。だってこの子は、記憶が無いんだから。

 でも兄さんなら、何かに気付くなり勘付いていてもおかしくはないか。今度聞いてみよう。


「で、ここがその応接室。あまり使われないけど、隣にある執務室はよく使われてる……と言うか、今もライオスさんが使ってるね。けど挨拶は後でにしよっか、兄さんとお仕事があるから」

「うん」

「よし、次々いくよー」



「まずはここ、大事な台所に食堂だよ」

「しょくどう、ごはんたべるの?」

「そうだよ。台所で調理して、ここで食べるの。作る順番も決まってて、兄さん、ライオスさん、私の順番になってるんだ」

「ちょうり?」

「朝食べたミックスサンドみたいな、ただ食べるんじゃなくてひと手間を加えたり、工夫したりする事だよ。そうするとね、色々と作用しあってもっと美味しくなるの」

「もっと、おいしく……!」

「あはは……。今日の当番は私だし、シャルティアスちゃんも一緒に作ってみよっか?」

「うん! やってみたい!」

「よし。じゃあ早く終わらせて、一緒に作ろうね」



「ここがトイレ。用途はね、えっと……ちょっとくすぐったいかもしれないけど、我慢してね。ここはね――――って事に使うの。わかった?」

「……わかった」



「ここは物置だね。色々と必要な物だったりを置いてあるんだけど、危ない物も置いてあるから注意してね」

「はーい!」

「よし、いい子いい子」



「次に、ここがお風呂場に脱衣所だよ。ここで服を脱いで、あっちで体を洗うんだよ。これに関しては、また入る時に教えるからね」

「おふろ? って、おっきいね」

「だねー、シャルティアスちゃんなら泳げるかな?」

「およぐ?」

「それも今度、教えてあげる」



「一階の最後はここかな、洗面所に洗濯場。場所的には脱衣所の隣で、ここで顔を洗ったり着ていた服を洗ったりするの」

「ふくあらうの? でもわたしのふく、かわりないよ」

「大丈夫。兄さんが買ってた服はそれだけじゃないし、ちゃんと持って帰ってきてるから」

「そうなの?」

「うん。ミリアから言われてたからね、後で一緒に確認しよっか」

「ん!」



「じゃあ次からは二階だね。といっても、この階は私たちの寝室しかないんだけど」

「しんしつ」

「寝るための部屋だよ。まぁ、中はそれぞれ複数の部屋があるから、そのうちの一つを寝室に使ってるような感じだけど。ちなみにここが私の部屋でその隣が兄さんの、少し離れたあそこがライオスさんの部屋だよ。一応わかりやすいようにプレートを取り付けてあるから、シャルティアスちゃんもすぐにわかるよ」

「リオンのへやのこれ、なぁに?」

「えっと……なんだろ、これ。兄さんって、たまによくわからない物を作るからなぁ……たぶん何かの模様なんだとは思うよ?」



「とまぁ、こんな感じかな。わからない所はあった?」


 と、そんな風に家の中の案内を終わらせてから台所に向かう間、のんびりと話をする事にする。

 この子は、なんだか思ってたよりも元気いっぱいだし、話してると私の方も楽しくなっちゃってついつい話し過ぎてしまうから、ちょっと抑えないといけないけどね。


「んーん、だいじょうぶ」

「ならよかった。でも、わからない事があったら私でも兄さんでもいいから、何でも聞いてね」

「はーい」


 それにこの子、一緒に居るととっても癒される。いや、それはこの子に対するのなら失礼なんだろうけど……どう言えばいいのかな。

 なんと言うか、この子の周りは凄く空気が澄んでいる……ううん、違う。たぶん、これは私気のせいかもしれないと思うんだけど、この子の周り一帯では空気中のマナ――それどころか、魔素すらも混ざりっ気のない純粋なものに浄化されている気がする。

 だからたぶん、生きるためにある程度のマナを必要とする生命にとっては、シャルティアスちゃんは傍に居るだけで癒される効果があるんだと思う。

 けどそうなると……この子はいったい、どう言った存在なんだろうね。

 まぁ、何であろうと私は、私たちは気にしないけどさ。

 兄さんが守ると決めた子が、悪い存在なはずが無いんだから。

 ……それに何でかわからないけど、この子だけはどうしても失ってはいけない。そんな気がしてるから、なおさらね。


「さて、今日は何を作ろうかな。シャルティアスちゃんが手伝いやすいやつの方がいいよねー?」

「てつだいやすいの?」

「そうだなぁ。包丁とか火を使うようなのはまだ早いだろうから、まずはサラダ辺りから色々と秘密の練習をして、兄さんを驚かせてあげようね」

「うん!」


 本当に何を作ろう。

 晩ご飯は決めてあるけど、お昼はまだ決めてなかったからなぁ。少しでも美味しい物を食べてもらいたいから、ちょっと悩む。

 けど、この子の苦手な物とか食べられない物がわからないから、そこも一つの悩みどころ。

 下手に食べられない物なんかを食べさせちゃったら、どうなるかわかったものじゃないからね。よく知らないうちは慎重にならないと。



・・・・・・



 二人と別れた後、ちょっと気が重くなりつつも執務室の扉を開けると、椅子に座ったまま難しい顔をして、何か考え事をしているらしいライオスが目に入ってきた。

 何かあったのか?


「――む? ああ、帰ってきたかリオン」

「おう、ただいま。それで、やってもらいたい事って?」

「そんなに警戒しなくていい、簡単な事だからな」

「簡単な事って、なら何であんな難しそうな顔をしてたんだよ。何か厄介事があったんじゃないのか?」

「それについてはまぁ、後で問題ない。今はこれに目を通してくれ」


 そう言って、机の端に置いてあった数枚の紙の束をこちらに渡してきた。

それを受け取ってパラパラとめくってみると、一枚一枚かなり書き込まれていて、中にはフィオラが書いたのであろう図などもある。

 もしかしてこれ、報告書か? こんな短時間でよくここまでの物が作れたな。


「気付いているだろうが、これは今回の調査報告書だ。真実七割に嘘一割、後はフィオラに協力してもらっての推察等で簡潔に書いてある。後は確認して、問題が無ければ最後にお前の名前を書いてくれ」

「了解。ちょっと待っててくれ」


 ライオスに言われて、さっそく内容を確かめ始める。

 別に俺が確かめる必要も無いんだろうけど、それだと二人が納得しないだろうからな。

 えっと……うん。シャルティアスの事も巻き込まれただけの一般人扱いにされてるし、何かをしたんだろうって推測も書かれてない。

 ざっと見る限りでは特に問題は無さそうだけど、思ったより森の状態が酷いか。

 フィオラが調べた限りだと、マナ濃度は通常時に比べて一番濃い所で約九十倍、一番薄い所でも五十倍か。基準値まで戻るのに、何年かかるだろうな。

 けど、何十、何百の年月が経ったとしてもきっと元に戻るだろうから、そこまで深刻に考えるものではない。

 ルミナも言ってたしな、大地や植物は俺たちよりも遥かに強いって。

 その証拠に、植物の中にはもう適応変異を始めて、氷結花や凍樹に変わり始めているのも多いみたいだ。

 ……それでも一つ、気になる事はある。

 自然が強いと言っても、いくら何でも変異を始めるのが早すぎるんだよな。

 本当なら、ルミナが言ったように長い年月をかけて変異を始めていく。それは動物だろうと植物だろうと、自然そのものですら変わらない。

 なのに今回は、早くて事が起きたその日の内に変異を始めていた。

 流石にどう考えたとしてもこれはおかしい。何者かの手が入って、適応を早めてるようにしか思えない。

 まるで植物たちが、正しい変異をする事が出来るように手助けするかのように。

 でも、そんな無理が出来るような存在なんてそれこそ、神様でもない限りはいないよな。魔法を極めたとしても、こんな芸当が出来るはずもないし。

 んー……。いくら考えても答えは出ないか。これは、頭の片隅にでも残しておけば問題ないだろ。俺にはどうしようもない。

 さて、続きは――問題なさそうだし、大丈夫だな。

 それじゃあ、最後に署名だっけか。


「よし、終わったぞ。これでいいよな」

「ああ、問題ない。だが、本当に大丈夫だったのか?」

「その内容なら俺が何かを付け足す事も、変える事も必要ないさ」

「そうか。なら、これで提出して来よう」

「いつも悪いな、どうにもあそこは居心地が悪くてさ」


 仲の悪い国王を始めとして、その取り巻きの参謀やら上級役人やらには嫌な目で見られて、更には無駄に俺を慕って来る王宮騎士団に下級役人。面倒くさいとしか言いようがない。

 正直、あんな正負の感情が綯い交ぜになった空気の場所に、長時間居るなんてあまり考えたくもない。気が滅入る……と言うか、前に一度だけ長いこと留まってた時は、本気で腹が痛くなったくらいだし。

 ……あの空気は、シャルティアスには絶対に体験させたくはないからな。

 でもだからって、ライオスにだけ押し付けるのも駄目なんだけど、どうにも甘えてしまう。あそこだけはどうにも慣れないんだよ。


「気にするな、それも俺の役割だからな。それにお前にはお前の、やるべき事があるだろう」

「それでもだよ、ありがとう」

「はぁ、お前らしいな。……では次の話だが」

「ああ。何を悩んでたんだ?」

「フィオラから話は聞いた。例の子を預かるんだな」


 やっぱりこの話か。

半ばそうじゃないかとは思ってたけど、ここまで直球で来るとは予想していなかったな。けどこれは、きっと俺の覚悟を確かめるつもりだからなんだろう。それなら俺は、ここで退く訳にはいかないんだろうな。あの子を守るためにも。

 そして、俺の目を真っすぐに見てくるライオスに、強い意志を込めて見返しながら口を開いた。


「その通りだ、俺はあの子の記憶が戻って、姉を助けるまでは保護すると決めた。その後の事はシャルティアス自身に決めさせるつもりだけど、それまでの間は俺があの子を支えると誓ったんだ。今のシャルティアスは、あまりにも不安定だから」


 記憶が戻っても姉以外の家族や保護者の類がいないのなら、その時はしっかりと成長するまではその代わりになるつもりではあるけどな。あんな小さな子に、保護者がいないのに後の事は自分だけに決めさせるなんて事は、自分が許せなくなるから。

 でも、シャルティアスの姉が危ない目に遭っている事も考えると……保護者はいないと考えた方がいい。

 もしくは保護者代わりの誰かがそれをしているって考えも出来るけど、今考えてもそれはわからない。だからどうにかして記憶を取り戻させないと、助けにも迎えないんだよな。何かいい方法は無いもんかな。

 見返しながらもこれからの事を考えていると、不意にライオスが笑みを浮かべて口を開いた。


「そうか、なら大丈夫だろう。だが、これからどうするつもりだ?」

「まずは記憶を取り戻すって言うのが一番の目標だけど、手段が無い。そっちは何か知らないか? 呪いで失った記憶を戻す方法とか」

「呪いか……。その記憶の欠如は、あの教皇でも解呪するのにかなりの時間と労力を費やすような呪いの副作用だろう? ならば、俺には一つしか思い当たる物は無い」

「それは?」

「『エリクシル』、神の雫とも呼ばれる万能の秘薬だ。それさえあれば、記憶を戻すことも不可能ではないだろう」


 エリクシル……聞いたことないな。

だけど万能って言うくらいなんだから、シャルティアスの記憶を取り戻す事は確かに出来ると思う。

 後でフィオラにどうやって作るのか聞いてみるか。そこまで強力な効果を持ってるくらいだから、きっと作るのはかなり難しいんだろうけどさ、その程度で諦められないし。

 もしも作り方を知らないのであれば、その時は探しに行けばいいだけだ。

 そうしてこれからの目的を決めた時、ライオスが一つ爆弾を落とした。


「だが、エリクシルには問題があってだな……」

「何だよ、そんな言い辛そうにして」

「いや、喜んでいるところに水を差す話で悪いのだが……な。このエリクシルは、遥か昔の文献で名前と効果が残っているだけで、製法等は一切不明なのだ」

「は?」

「さらに重ねて言うが、実物が存在したという話も無い。その存在以外の全てが謎に包まれた物、それがエリクシルだ」

「……嘘だろ?」

「嘘ではない」


 本当、なんだな。

 どうにかする方法が見つかったと思ったら、すぐにそれ否定されてしまった。結局、何もわからないままか。どうすりゃいいんだろうな。

 探すしかないんだろうけど、どうやって探せばいいのかも俺にはわからない。

 何か手掛かりでもあれば楽なんだがな。


「だがな、手掛かりはある」

「……なんだよ」

「そうむくれるな、嘘は言っていないだろう」

「なら、先に言ってくれよ」


 こう何度も浮き沈みさせられたら、誰だってむくれるっての。

 あれか? いつも押し付けてる仕返しか? いい歳して大人げねぇ。……いや、本当に悪いとは思ってるって。ただ機会が無いだけで。


「たまにはいいだろう? ――話は戻るが、エリクシルについて記されていた書物が発見されたのは古代遺跡かららしい」

「古代遺跡? ……ああ、あれか。確か数千年前に滅びたとか言う旧王国だっけ」

「そうだ。その旧王国の遺跡だが、つい最近発掘された場所の資料を見る限り、どうやら北のフォーアイズ大陸にもあるらしくてな。しかもそこは、希少な薬の研究施設だったらしい」


 希少な薬の研究施設、か。

 つまり、そこにならエリクシルについての情報があるかもしれないって事だな。

 でもなぁ……いまいち信用できないんだよな、場所のせいで。だったらまだ、アーライズ大陸にあるって言われた方が納得できる。

 だってさ、フォーアイズ大陸ってシャルティアスにも教えたけど……うん。


「フォーアイズ大陸って、あそこは人が住めるような環境じゃないだろ。何かの間違いじゃないのか?」

「お前のその疑問も理解はしている。だが、実際に資料を見てみる限りでは真実みたいでな。もしもエリクシルについて調べたいのならば、探してみる価値はあると考えている」

「まぁ、確かにな。他に手掛かりがある訳でも無いし、そうするしかないんだろうけど……ちょっとな」

「何か問題でもあるのか?」

「問題といえば問題かな。もしフォーアイズ大陸に行くのなら、シャルティアスを長い間一人にさせる事になるからさ」


 出来るだけ、とは言ったけどさ。

 それでも、長い間離れるのは約束を破ってしまうと思うから。

 だから、あまり行きたくはない。それにあの大陸に行くのなら、命を懸けないといけなくなるから。そうなっても、約束を守れなくなってしまうから。

 それらを考えると、やっぱり行くだけの決心はつかないな。


「なるほどな。確かに、あのような小さな子をあの極限の地に連れていくのは止めた方がいいだろう」

「だろ? だから、あまり遠い場所には行きなくないんだよ。約束も果たさなきゃいけないしさ」

「姉を探すのだったな。だがそれも、手掛かりは無いのだろう」

「それでも、あいつを一人にしてしまうなら意味が無いよ」


 確かに、俺はシャルティアスの姉を助けると約束した。

けれど同時に、ずっと考えないようにしていたある一つの可能性だってあるんだ。

 なら、俺が一番に優先するべきなのはあの子の事。最初に手を伸ばすことが出来た、シャルティアスなんだから。


「それに正直な話さ、あの子の姉がまだ生きているって保証もない。こんな時代だ、何があってもおかしくはない。シャルティアスが生きて助かっただけでもある意味、奇跡なんだから」


 もしもあの時、俺たちがあの森に行かなかったのなら。

 何か一つだけでも違っていたのなら、呪いに侵されたあの小さな子に出会うことも無く、その子に名前を付ける事もなかった。

 それどころか、あの子の姉が助けようと、命までも懸けたのだろう状態で逃がした事も報われずにいたのかもしれない。

 だったら俺が一番優先しなければならない事は、あの子が事実を知っても、また笑えるようになれるために支えて、決して一人では無い事を教える事。

 そのためにも俺は、簡単に死ぬわけにも、シャルティアから長い間離れてしまって寂しい思いをさせるわけにもいかないんだ。


「そこまであの子が大切なのだな」

「まぁな。まだ出会って短いけど、色々と危なっかしくてどうにも放って置けなくてさ。さっきも街を回って来たけど、抱き上げてるのに目が離せないほどで。……だからこそ、大切に感じてしまうんだよ。理由はわからないけどさ」


 あの感覚は何なんだろうな。あまりよくわかってないんだけど、それでも大切にしたいって思える感情なのはわかる。

 だからこそ、今一番大事なのはシャルティアスであって、生死不明のあの子の姉ではない。

 助けると約束したし、あの子のためにも探さなければいけないのも確かだけどさ。俺も、決して見殺しにしたい訳でも無いから。

 それでも優先順位はある、ただそれだけの話だ。

 と、そんな事を考えながら話していたら、ライオスが変に微笑みながら口を開いた。


「――そうか。お前もついに、それを知る歳になったのだな」

「何だよ、それって」

「いや、これはいずれ自分で気付けるだろう。俺から教えるものでもないだろうしな」

「そうなのか? まぁいいけど。それで、他に話は無いよな」


 なんか微妙に納得はいかないけど、特に気にすることも無いから無理に聞かなくていいか。いつかわかるみたいだしな。

 今はそんな事よりも、これ以上の話が無いかどうかだけが気になる。

 思ってた以上に用事が長引いたし、さっきの話もちょっと長かったからだいぶ時間がかかったしな。すぐに戻るって言ったのに、これ以上は嘘になってしまうし。


「ああ、もう何も無いが。何か用があるのか?」

「特に用がある訳じゃないんだけど、すぐに戻るって言ったからさ。これ以上長引くのなら嘘ついた事になるなって思って」

「そういう事か。ならば、俺も一緒に行くとしよう。挨拶を先にしておいた方がいいだろう?」


 それもそうか。飯中に挨拶するのは色々と面倒というか、冷めるからやめた方がいいだろ。ライオスも、今はもうやることも無いみたいだしな。

 しかも知らない人と一緒にご飯を食べるなんて、シャルティアスには少し辛いだろうし。

 だったら先に挨拶を済ませてから、食べた方がいい。


「なら、早く行こう。家の中の案内も、もう終わってるだろうしさ」

「ああ」


 ライオス、顔が少し厳ついから怖がられないといいけど。もう五十過ぎてるのに、まだまだ現役だから体格もいいし貫禄もあるから。

 俺の目付け役を任された五年前までは騎士団長を務めていたし、今でも俺の手伝いで一緒に魔物を倒しに向かう事も多いからな。

 普通なら四十も過ぎてしまえば、ほとんどの騎士は引退して新人騎士の育成に回るのに。

 というか、何で俺の目付け役に騎士団長が選ばれたんだっけ。あんまり覚えてない。

確かそれなりの理由があったと思うんだけど、思い出せないのならその程度の理由だったんだろ。

 とりあえずリビングに戻ろう、シャルティアスが待ってるかもしれないし。


「……まさか、あれを知るだけでリオンがここまで変わるとはな」

「何か言ったか?」

「気にするな、独り言だ」

「ふーん」



「リオンっ!」


 ライオスと一緒にリビングに戻ると、そこには探していた姿は見つからなくて、まだ案内が終わっていなかったのかと二人を探しに食堂の方に入ってみると、探していた小さな影が急に跳び付いて来た。


「っと。どうしたんだ、シャルティアス? そんなに楽しそうにして」


 跳び付いてきた影――シャルティアスをしっかりと受け止めて顔を覗き込んでみると、何か楽しい事があったのか満面の笑みを浮かべている。


「あのね、あのね! わたしね……だれ?」


 そしてそのまま何かを伝えてこようとしたところで、俺の後ろを見て今度はちょっとだけ警戒するような顔をした。たぶんライオスだな。

 俺が近くに居れば怯えなくなったにしても、流石に警戒しちゃったか。

 身長差もあるし、それも相まって怖く見えるしな。俺より背は高いし。


「ん? ああ大丈夫。ちょっと顔が怖いかもしれないけど、この爺さんがライオスだよ。後で紹介するって言っただろ? 仕事も終わったし、ご飯前に紹介しようと思ってさ」

「俺はまだ、爺さんと呼ばれるような歳ではないのだがな……」


 いや、五十越えてたら十分爺さんだろ。ヒューマンだとそこまで生きられないで、寿命で逝く奴も多いしさ。

 最長で九十まで生きたって話も聞いた事はあるけど、あれは例外。王族だって話だし。

 って、そんなのはどうでもいいんだよ。寿命云々なんて興味も無いからな。


「別にいいだろ、その程度の事は」

「確かに、拘るほどの事ではないか。俺はライオス、好きなように呼んでくれ」

「じいさん……おじいちゃん? わたしはシャルティアス! よろしくね、おじいちゃん!」

「なっ」


 お、ライオスが狼狽えてるところなんて久しぶりに見たな。

けど、おじいちゃんか。確かにそう見えなくもないか? 年齢差から考えても十分だし。


「好きなように呼んで良いとは言ったが、しかしな」

「……だめ?」

「そうだな。好きに呼んで良いと言ったのは俺だ、それを覆すわけにもいくまい。……おじいちゃんと呼ばれるのも、意外とな」


 おいライオス、さらっと落とされてんじゃねぇよ。それでもグレムバルド最強の盾って言われた騎士か。……まぁ確かに、あんな風に言われたら断れそうにも無いけどさ。

 あれは――うん、耐えられる自信が無い。すまんライオス。

 なんて、内心で変な事を考えていると、台所の方からフィオラがやって来た。


「兄さんにライオスさん、もう終わったの?」

「ああ、ちゃんと終わったよ。まぁ、内容を確かめるだけだったから、言うほど何かしたって訳じゃないけど」

「そっか。ご飯も丁度できたし、さっそく準備するね。あんまり時間が無かったからパスタとバゲット、野菜スープだけだけど」

「十分だろ」


 けど、家の中の案内にそんな時間かかったのか。

 三人で住むには確かに広いけど、そこまでかかるほど大きい訳でも無いと思うんだけど。そうでもなかったっけ。

 一階には共用の部屋しかないし、二階にはそれぞれの部屋。それ以上は何も無いから、やっぱり時間がかかる筈は無いけど……まぁ、詮索する事でもないか。

 今は飯の事だけを考えよう。

 飯時に考えこんだら、上手い飯も不味くなるからな。


「そうかな。じゃあ用意してくるから、ちょっと待っててね」

「俺も手伝うよ」

「いいの?」

「そのくらい、別に構わないって」

「なら、スープをお願いね」

「わかった。ちょっと座って待っててな、シャルティア――『やっ!』――ス?」


 そうして、言われたようにスープを盛るため、台所に移動する前に一度シャルティアスを椅子に降ろそうとしたら、何故か嫌がられた。

 ……いや、嫌がられても抱き上げたままじゃ盛れないんだが。

 どうするかな、これは。

 このままじゃどうしようもないし、どうにかして降ろしたいんだけど……あ、そうだ。いい方法を思いついた。


「ライオス、ちょっといいか?」

「どうした? ――なっ⁉ リオン!」


 思いついたら即実行という事で、さっそくライオスにシャルティアスを渡す。

 呼びかけはしたものの、何の前触れもなく唐突に渡したからか、流石のライオスも落とす訳にもいかずに受け取る以外の選択は無かった様子。

 よし、作戦成功。ちょっと卑怯な真似だけど、これなら受け取ってもらえると思ったしな。それに、シャルティアスも上手く騙せると思ったから。

 実際に今も、不意を突かれたのか大人しくライオスの腕の中に納まっている。


「悪い、少しだけ頼む。シャルティアスも、少しだけ待っててくれ」

「リオンっ! むー……」


 気付いてすぐに、不満だとはっきりとわかるような声音で呼ばれたけれど、聞こえないふりをして台所に引っ込む。

 後で色々と文句を言われそうだけど、今は頼まれた事をさっさと終わらせてしまおう。

 スープを盛るなんてすぐに終わるしな。……って、そうだ。シャルティアスの分の量はどうしよう。少なめの方がいいか?

 でも、今朝は意外と物足りなさそうだったような気もする。だからといって、多くし過ぎると体に悪いし。子供がいるとなかなか悩むな、これ。

 と、木製の器に俺たち三人の分を盛りつつ、シャルティアス用を悩んでいると、後ろから声をかけられる。


「兄さん? どうしたの、そんな所で固まっちゃって」

「いや、そのな。シャルティアスの分、どのくらいの量がいいかなって考え始めたら、なんか結論が出なくて悩んでた」

「あ、なるほど。そうだなぁ、三分の二くらいでいいんじゃないかな。パスタの方もそのくらいまで減らしてるし、バゲットも半分にしてるから」

「そうか? なら、こんなもんか」


 とりあえず、提案されたように量を調整して盛ってみる。確かにこのくらいがちょうどいいか。


「うん、いいと思う」

「よし、ならちゃっちゃと持っていくか。若干むくれてそうだし」

「シャルティアスちゃんに何かしたの?」

「いや、手伝いに向かおうとして、降ろそうとしたら嫌がられちゃってさ。だからライオスに任せて来たんだけど……こっちに来る寸前に凄い不満そうな声で呼ばれたなーって」

「なるほどね。だったらライオスさんに変わってもらえばよかったのに」

「一度手伝うって決めたのに、わがまま一つで簡単に変えたらシャルティアスにとってもよくないだろ?」

「まぁ、そうだね。何でも思うように進みはしないしね」


 けど、もうすでにシャルティアスを中心に色々と考えてる俺もいる訳で。なかなかに難しい話でもあるけどな。

 このままだと、かなり甘くなりそうでちょっとだけ怖い。

 と、そんな話をしながら用意の終わった器を盆に載せてそれを持って戻ると、予想に反して大人しく、新しく出されたのだろう背の高い椅子に座って待っているシャルティアスがいた。

 てっきり戻ったらすぐに何か言われるかと思ってたから、少し拍子抜けな気分だ。

 というか、シャルティアス用に新しい椅子を出すの忘れてた。この机だと、備え付けのでは背が届かないのは明白だったのに。失敗したな。


「ちゃんと待ってたんだな、偉いぞ」


 でも今は、その事を褒めてあげるのが先。

どんなに小さな事でも、しっかり出来たのなら褒めてあげればちゃんとまっすぐに育ってくれると思うから。

かといって、わがままも言ってくれなくなったらそれはそれで駄目だと思うから、この辺りは場合によりけりだろうな。俺も寂しいし。

 でも、何があったんだろうな。そう内心で首を傾げていると、ライオスが口を挿んできた。


「お前が向かった後、この子もそちらに向かおうとしたのだがな。流石に邪魔になるだろうと考えて、少しだけ話をしただけだ」

「話って?」


 何気なく、器を配膳しながら聞いてみる。

 あ、今日のパスタは作り置きのボロネーゼソースか。簡単の意味に今気付いた。


「そう難しい話をした訳ではない」

「リオンにきらわれるのはやだもん」


 なるほど、シャルティアスの一言で何となく察しはつく。

 たぶんだけど、冗談交じりにあまりわがままを言うと嫌われるとか、それに近い事を言ったんだと思う。ライオス、冗談を言うには勘違いされやすいくせによく使うから。


「大丈夫だよ。このくらいで嫌いになんてならないし、出来るだけ長い間離れないようにはするから。それにここには俺以外も居るんだ、ほんの少しの間だけならもう、大丈夫だろ?」

「ほんと?」

「本当だ」


 何かの討伐だとかを依頼されたら流石に断るのも難しいから、どうしようもない時はフィオラかライオスに残ってもらって、一緒に留守番してもらう事にはなるけど。

 俺にも、その辺りはどうしようもないしさ。その時はいくらわがままを言われても、一緒にはいられない。出来るだけ早く戻ってくるにしても、何とか納得してもらわないとな。


「あー……。でも、あまりわがままばかり言われても困るから、程々にな」

「はーい!」


 だから、流石にこれは釘を刺しておかないといけない。また今度、ちゃんと話をしておかないと。

 元気よく返事をするシャルティアスを微笑ましく思いながら見ていると、最初に何かを言おうとしていたことを思い出した。

 あれは何だったんだろうな?


「そう言えばなんだけどさ、さっきは最初に何を言おうとしてたんだ? ライオスのせいで途中で遮られちゃったけど」

「俺のせいなのか……?」

「どうだろうね……私は見てないから、何とも言えないや」


 いや、ごめんライオス。

 実際のところお前のせいではないんだけど、出来れば察してくれ。


「さっき? ……あっ、そうだリオン! わたし、きっとリオンをおどろかせてあげるからね!」

「驚かせる……? 俺を」

「うん!」

「どうやって?」

「ひみつ!」

「そっか。なら、楽しみにしてるさ」

「まっててね、すぐにできるようになるから」


 出来るようになる、か。

 いったいどんな事をして驚かしてくれるのか、今から楽しみで仕方ないな。

 だけど今は、それを楽しみにする前に食べてしまおう。せっかくのご飯が冷めるし。


「その調子だ。――じゃあ食べようか」

「そうだねー。簡単にとはいえ、せっかく作ったのに冷めちゃったら美味しくなくなっちゃうし」

「おいしくないの、だめ。たべよ?」


 すっかり食べるのが好きになったみたいだな。

 いい事ではあるんだけど、食べ過ぎないように注意しないと。過剰な摂取は逆に、身体の調子を悪くするから。


「ああ。それじゃあ、『いただきます』」

「いただきます?」


 俺たちがいつもの挨拶をすると、シャルティアスにそれを不思議そうに聞き返される。

 そういえば、これも教えるのを忘れてたか。

 朝ご飯を食べた時は食べさせることを優先してたし、食べ終わった後も色々とやることが目白押しだったからすっかり頭から抜けてた。

 つまりはごちそうさまについても教えてないな、俺。


「えっとね。いただきますっていうのはご飯を食べる時に、その命に感謝して食べますって意味を込めて言うの。それで食べ終わった後には、ごちそうさまって食べた物が自分の生きる栄養になってくれた事に感謝して言うの。わかったかな?」

「うん。ありがとう、フィオラ」


 どう説明したものかと悩んでいるうちに、フィオラがさっくりと説明をしてくれた。

 確かにこれならわかりやすいし、とてもしっくりくる感じがする。相変わらず、こういうのは上手いよなぁ。教えるのとかって苦手だから、ちょっとだけ羨ましい気もする。


「なら、今度は皆で一緒にだな――」


 何だろうな。俺は今、凄く満たされた気分になってる。

 最初はただ、記憶を無くした少女を助けたいと思ったから行動した。


 ――目の前で倒れている子を見捨てられるほど、俺は薄情では無いから。


 そして、助けたからにはこの子を守るだけの覚悟が必要だった。


 ――ただ助けて放り出すのは、俺の道理には合わないから。


 それから一日。たった一日一緒に居ただけで、この子が目を離せないほどに大切な存在になった。


 ――これは何故かわからない。けれどこの子を見ていれば、俺の知りたい何かを知れると思ったし、単純に頼ってくれるこの子の期待に応えたいとも感じたから。


 けど、そんな事はどうでもよくて。ただ、今は――



『いただきます』



 ――こうやって少しずつ、色んな事に触れて知っていって、まっすぐに成長してくれ。それくらいが今、俺に出来る事で――幸せな事だから。



・・・・・・



 家に新たに人が増えたあの日から、六日ほどが過ぎた。


「ねぇリオン、どこにいくの?」

「教会、ミリアの所だよ。週一でシャルティアスの検診に来いって言われてたからさ」

俺は今、シャルティアスを抱き上げながら中央区の教会に向けて歩いている。


 理由はさっき言った通り、この子の検診。週一とは言われてたけど、具体的にいつ来いって言われてないからその辺りは空いてそうな時間帯にしてみた。

 今日は七の月、三の週、四の日で時刻は午後の二刻くらいか。ちなみに七日で一週間、四週間で一月、十二ヶ月で一年だ。だから、一年は合計で三百三十六日になる。

 まぁそれは置いといて。そんなこんなで今は教会に向かっている途中だ。


「ミリアにあうの? ひさしぶりだね」


 この数日のうちに、実は色々とあった。

 まず驚いたのは知識欲か。

 この子の好奇心が強いのはわかっていたけれど、それが本に向かうのはまだしも、まさか三日程度で家にある本の半分くらいを読み終えるなんて思いもしなかった。

 俺が持っている本については両手の指で数えられる程度だけど、フィオラやライオスが持っている本は合計で二千は余裕で超える。なのにその内の千冊余りを三日で、しかも俺の膝の上で読み終えるとは誰が思うよ。正直、あの数日は俺も文字を見過ぎることになって少し辛かった。

 ……けどその割には、まだ話し方がたどたどしいのがちょっとだけ気になるけど。

 次はあれだな、ギルド。

 何故か知らないけど、前みたいに尋ねただけで斬りかかられるって事が無くなった。どうしてかリージアに聞いてみたら誤魔化されたけど、たぶんこれもシャルティアスのおかげだろうって思ってる。

 だって、シャルティアスに対しては過剰に優しく接しているから、流石にこの子が一つの理由になってるだろうっていうのはすぐに理解できたし。

 他にも何か理由がありそうだったけど、流石に雰囲気だけじゃわかりようもない。

 最後は……まぁ、あれだ。歩いていればわかるだろ。


「けどミリア、いそがしくないの?」

「大丈夫だよ、最近は落ち着いてきたらしいし」


 というか元々の話、忙しかったのはあの馬鹿王に色々と無理難題を振られてて、それの対処が面倒だっただけらしいし。

 これは、ミリア本人から聞いた話だから間違いないはず。一応この数日の間に、何度か会って話していたというか……愚痴られていたからな。

 うん、なかなかに大変だったらしい事はよくわかった。かなり疲れていたしな。

 多少はシャルティアスで癒されるかなとも思って今日にしたんだけどさ。ミリアもだいぶ仲良くしてたし。


「でも、だいぶ疲れていたみたいだから気を付けてな」

「ん、わかった」


 元気よく頷いたのを微笑ましく思いつつも、さらに進んで少しした頃。

 のんびりと歩いていると、先の方で何かの屋台を開いていたおばちゃんがこちらに気付いた気がした。どころか、目が一瞬輝いた気がした。

 あー……これ、またか。

 出来れば違っていて欲しいんだけど。と、望みの薄い期待をしながら前を通ろうとした時、不意にそのおばちゃんから話しかけられた。


「あら、勇者様にシャルティアスちゃんじゃないの。うちの鳥串を食べていかないかい? 日頃のお礼にタダでいいからさ」

「いいの?」

「もちろんさね。すぐに用意するから、ちょっと待ってなね」

「あー……その、だな。今から教会に行かなくちゃいけないから、今回は遠慮させてもらうよ」

「そうかい? だったら後で来ておくれ、その時にあげるから」

「なら、後で寄らせてもらうよ」


 とりあえず当たり障りのない返事を返しつつ、その場を早足で抜けていく。

 ……そう。これが、歩いていればわかるって言った色々あった最後。

 何故か、シャルティアスが街の人たちから凄く好かれた。それこそ今のように食べ物を貰うのは普通で、それを断るのが大変な程には。

 あっちも善意で言ってくれてるのがよくわかるし、だからこそ断りにくい。

 それにシャルティアスが受け入れられているんだって、実感できるだろうから悪い事でもないしなぁ。

 けど、流石に際限なく食べ物やらを貰い続けると体に悪いから、やっぱり断らざるを得ないことも普通にある訳で。なかなかにそれが堪える。

 これはちなみにだけど、どうして俺にも同じように向けられるかと言えばあれだ。

 シャルティアスが来る前は、どうも近寄り難い扱いをされていたらしい。いわゆる高根の花って奴か? ……いや、違うか。これだと別な意味になりそうだし。

 まぁそれは置いといて、聞いた話だと前まではあんまり気安く関われなかったらしいんだと。でも、俺がこの子を連れて歩くようになってから、今まで感じていた近寄り難さなんてただの思い込みで、別にそんな事は無かったんだとよくわからない理屈で納得してこんなことになったらしい。

 正直、これを言われたときは本当によくわからなかったけど、結論として気にしない方がいいって俺の中では落ち着いた。気にしたら負けな気がするし。

 だけど、シャルティアスが好かれた理由はよくわからないままだ。

 誰に聞いても、俺がずっと一緒に居るんだから悪い子な筈がない。としか返ってこないから、これも気にするだけ無駄なんだろうか。

 などと考えながら歩いていると、いつの間にか教会の前に着いていた。

 駄目だ。いい加減に切り替えないと、ミリアに何を言われたものかわかったもんじゃないからな。

 ……そういえば、ミリアで思い出したけどルミナって今、どこに居るんだ?

 あの日別れてから一切見ないから、少し心配なんだけど。大丈夫だろうか。


「あ、リオン様。本日はどのようなご用件でしょうか」


 更に内心でルミナの心配をしつつ聖堂に入ると、一人のシスターに話しかけられた。

 この顔、なんか見覚えがあるような……って、そうか。確かシャルティアスを治療してもらうときに、ミリアを呼びに行かせた子か。


「今日はこの子の検診に来たんだ。ミリアを呼んで来てくれるか?」

「検診ですか、わかりました。すぐにミリア様を呼んで参りますので、本日は……第三治療室の方でお待ちください」

「第三か、わかった」


 彼女はそれだけを言って、奥に歩いて行った。ミリアを呼びに行ったんだろう。

 とりあえず、俺も言われた場所に向かうとしよう。第三治療室は……ここか? この辺りは似たような部屋が多くて、若干迷いやすいな。第一はすぐだったからわかりやすかったけど、別に番号順に並んでいるわけでもないし。

 何でこんなにわかり難い構造にしたのか、こればかりは疑問に思う。こうなってると、色々と面倒事も多そうな気がするんだけど。

 ちょっと納得できないのを無理やり飲み込みつつ、中に入ってミリアを待つことにする。シャルティアスを椅子に座らせようとしたら拒否されたから、膝の上に座らせてるけど。


「ねぇリオン、とりぐしってなに?」

「んー、鳥串か。あれは、一口大に切った鶏肉を何切れか串で刺して焼いた物だな。店によっては塩をかけて出す所もあれば、それぞれの店が作ったタレに潜らせて更に焼いたのを出す所もある」

「おいしいの?」

「あー……それはだな、その……店によるとしか言えない」


 鳥串って、シンプルが故に難しいんだよな。

 焼き加減や鳥の種類は言うまでもないにして、焼き方、味付けは塩かタレかとかをしっかりと考えて作らないと、それぞれがお互いの要素をぶち壊したり、単純にまずいものが生まれたりと……一朝一夕ではいかない。

 そんな料理ではあるんだけど、だからこそ美味い物は恐ろしく美味くなるんだよなぁ。


「じゃあ、あのおばあさんのおみせのはおいしいのかな」

「そうだな……匂いからすると美味そうではあったな。タレの鳥串は塩よりは誤魔化しが効きやすいけれど、あれだったら期待しても何の問題も無いと思う」


 ああいった物は屋台で食べるからこそ美味いって事もあるけど、それを差し引いても十分に期待できそうな匂いではあった。

 シャルティアスは意外と大味な食べ物が好きみたいだし、期待外れって事にはならないだろうと思う。

 前に同じように貰ったグレイヤも、見てるこっちもわかるくらい凄く美味しそうに頬張っていたし。でも、あのグレイヤは確かに美味かった。また今度、一緒に食べに行こう。


「後でまた行こうな」

「うん」


 今回のおばちゃんは、お金受け取ってくれるだろうか。それだけが若干の心残りではある。

 誰もかれもがお金を払おうとしても受け取ってくれないからさ、後ろめたく感じるんだよ。

 それから少しの間、二人で話していると扉をノックする音が聞こえて、返事を待たずに開いた。


「やっほー。約束通りちゃんと来たねー」

「来なかったらうるさいだろ? お前」

「釘も刺しておいたしね。来なかったら無理にでも時間を空けて襲撃かけてたかも?」


 ああ、確かにやりそう。しかも全くの遠慮なしで。


「ミリア、ひさしぶり?」

「久しぶり、かな? まぁ、それはいいとして。だいぶ良くなってるみたいだね。前よりも喋りがはっきりしてるし、顔色もいい。後遺症も無さそうだし……うん、思ってたよりも平気そうだねー」

「そう、なのかな? よく、わかんない」

「うん、わたしが保証してあげる」


 よかった。俺が見てた限りでは大丈夫そうだとは思ってたけど、ミリアからもお墨付きを貰えるくらいなら本当になんともないんだろう。

 けど、まだ経過観察は必要だよな。知らない間に何かが起こってる可能性もあるし。


「でも、まだ様子は見ておこうね。もう大丈夫だって油断してたら、何かあるって事もあるんだから」

「わかってるよ。頻度は週一でいいのか?」

「そだねー……どうしよっか。週一の方がいい気もするんだけど、今回のは半月に一回の方が様子を見る上ではいいような気もするし」


 半月に一回か。

 予定を立てる上だと、先の予定がいまいちわからないから俺が困るな。急に依頼が入ってきたり、無茶振りされたりして予定が変わることがあるし。

俺の代わりにフィオラに連れて行ってもらうって方法もあるけど、あいつもあいつで忙しかったりするからな。ライオスも同じ。

 一人で行かせる? そんな事させるわけないだろ。まだまだ小さい子なのに。

 まぁ、そうなったら普通に預けに来るけど。


「俺としては週一の方が予定が立てやすくてありがたいんだけど、どうだ? 予定が決まってたら、俺に急用が入ってもフィオラに変わってもらえるだろうしさ」

「あー。リオンって、何の兆しも無く急用が入る事あるしね。なら週一にしよっか」

「助かるよ。それで、日にちはどうする?」

「今日と同じで、四の日なら基本的にわたしは空いてるよ。他の日でも一応空けられるけど」

「ならそれで」

「むぅ……」


 と、二人で今後の検診の予定を話し終えたところ、腰の辺りをペシペシと叩かれた感覚が下後、むくれたような不満そうな声が聞こえてきた。

 何事かと視線を下に向けて見ると、そこには頬を膨らませてそっぽ向いてるシャルティアスの姿があった。

 ……今こう言っては何だけど、可愛いな。


「どうしたの、シャルティ。そんなに膨れちゃって」

「リオン、おはなしよこからとってった」


 ああ、なるほど。それでむくれてたわけなのか。

 だからと言って、予定決めはをさせるわけにもいかないしなぁ。


「そっかそっか。でもねー、シャルティが自分だけで検診の日にちとか決められるかな?」

「んと、その…………むり」

「でしょ? それにリオンはね、ちゃーんとシャルティの事も考えてるんだよー」

「そうなの?」

「当たり前だよ。あなたはもう、リオンにとって大切な人の一人なんだからさ」

「たいせつ……」


 ……そんなはっきりと言われると、凄く恥ずかしい物だな。

 内心で悶絶しかけながらも、多少なりとも赤くなってるであろう顔を手で覆って隠しつつ、大人しく二人の会話を聞く。

 なんか、今ここで下手に口を出したら要らない墓穴まで掘りそうだし。


「そうでもなければ、教会にまで話は聞こえてこないからねー。『勇者様が、一人の少女を連れて歩くようになってからよく笑われるようになりました』、なんて噂とかは特に」

「リオン、わらわなかったの?」

「今のように優しく微笑んでるなんて、珍しいどころじゃないくらいだったかな。ここ五年くらいは基本的に仏頂面で、いつも不機嫌そうだったよ。それより前も不機嫌そうだったけど」


 あれ、そうだったっけか。自分ではその辺りの実感がないから、あまりわからないけど。でも、もしそうなのだとしたら……話を聞いた人たちが言ってた事にも説明がつくか。


「そのくせ、変なところで妙に優しいもんだからさ、私もリージアも何となく放って置けなくてズルズルと付き合いが続いてたんだ。結局、親友みたいな感じに収まっちゃったけどさ」

「おい、そんな話俺は知らないぞ⁉」

「へ? 当たり前でしょ、今まで言ってなかったんだから」


 何を馬鹿な事を言ってるの? と言わんばかりの顔で返事が返って来て、思わず返答に詰まった。

 でも確かに、それも当たり前か。言われなきゃそんなの、わかるはずもない。


「とまぁ、そんなのは置いておいて。今のリオンしか知らないシャルティには信じられないだろうけど、こんな風に笑ってるなんて前には考えられなかったかな」

「へー……」

「だからね、そんな風にしてくれたシャルティが大切じゃないわけがない。しかも、そんな子に対して何も考えて無いなんてことは無いでしょ?」

「うん」

「これはたぶんだけど、さっきの話から考えるとリオンは出来るだけシャルティを一人にさせたくは無いと考えてると思うんだ」


 ……こいつ、どこまで勘付いているんだか。

 おそらく、さっき考えてたことなんて全部お見通しだろうし。だとするならミリアの事だ、あそこまで勘付いていてもおかしくは無さそうか……。そうだったらもう、仕方ないと割り切るしかないけどさ。

 相変わらずの勘の良さだよ、本当。


「だから、予定の都合がつきやすい週一で、出来るだけわたしが空いてる日を選んだんだよ。これは何でかわかるかなー?」

「えと、たぶんフィオラがかわりにつれていってくれるように?」

「そ、正解。何気に急用がよく入るからね、リオンは」


 今は落ち着いてるけど、酷い時なんて一日に五件くらい急に入る時もあったくらいだ。流石にあれは、どうしようもないほど苛立ったな。

 しかも、その内で本当に重要だったのは一件だけで、他四件はあの馬鹿王の嫌がらせだったからなおさら。

 勇者は便利屋かよ。……地味に否定しにくいけど。


「でもね、あともう一つ理由があると思うんだー。これに限っては確信が持てないけど、たぶんフィオラたちも用事があったり急用が入った時は、わたしの所に預けられるようにって考えてると思う」

「……何でわかるんだ?」

「勘? と、これまでのリオンの行動からの推測かなー」

「そうか……」


 なんというかもう……あれだな。こいつ、下手するとフィオラ以上に俺の事把握してるかもしれない。

 確かにこっちに連れて来られてからというもの、フィオラよりもミリアとリージアの方が付き合いが長いし、それも納得できると言えば出来るけどさ。ライオスも今から五年くらい前に目付け役になったわけだし。

 俺が連れてこられたのは、十二年前だったか。

 ミリアとリージアの二人と会ったのはそれから三年たった頃だから、もう九年も付き合いがあるんだな。思ってたよりも長い。

 でも、あいつとは……来てすぐの頃だったから、一番早くに出会ったんだったな。いつの間にか、付き合ってきた年月はもう抜かれていたか。時間の流れが早いというのか、あれから俺の時が止まってしまっていたのか。それもわからない。

 けれど何となく、ここ五年くらいの間は機嫌が悪そうだって事にも……思い当たる節がある。きっとあいつの件を克服したと思い込んで、ずっと引きずっていたんだろうからな。


「リオン」


 少し自分を振り返っていたら、不意に名前を呼ばれた。


「どうした、シャルティアス」

「いろいろと、ありがとう」


 気になって問い返してみると、そんな風に笑いながらお礼を言われた。

 急にどうしたとか、何でお礼をとか、色々ってなんだとか気になることはあったけれど、その顔を見た瞬間に俺は、どうしようもなく頭が回らなくなったのを実感した。


「――気にしなくていい」


 思考が止まりながらも俺が何とか捻り出した返事は、そんな素気の無い一言だけだった。

 だけど、そんな素気の無い一言でもシャルティアスは嬉しそうに頷いて、更に言葉を重ねてくる。


「リオンがいなかったら、きっとわたしはいまもいきてなかった。それに、すごくかんがえてくれてる。わたしがわすれちゃったおねえちゃんのことだって、きおくのことだって」


 そこまで言うと、まるで何か覚悟を決めたかのように一呼吸を置いた後、言葉を続ける。


「でも、あんまりむりはしないで。おねえちゃんがかならずたすかるって……おもってない、から」

「……気付いてたんだな」

「……うん。だってリオン、たまにわたしをみてかなしそうなかおするもん」


 出来るだけ気取られないようにしてたつもりだったのに、そんな表に出してたのか。やっぱり隠し事も向いてないな、俺。

 教会とギルドに対して交わしておいたもしもの時の約束については気取られてないだろうけど、これからは注意しておかないとな。

 万が一の可能性は十分にある、絶対なんて事はないんだから。だからこそ、あの約束は必要で、シャルティアスにだけは知られる訳にはいかない。知られたら、きっと引き止められてしまうだろうから。

 俺の覚悟が鈍らないように、絶対に帰ってくるって心に誓えるように。これは知られてはいけないんだ。それは二人にも徹底させてるから、漏れることも無いだろう。

 願わくば、もしそんな状態になってしまったとしても……ちゃんと前を向いてくれることを祈るだけだけど――


「大丈夫だよ。俺が今、一番優先する事はシャルティアスを守る事だ。それ以外では死ぬような無理はしないって決めてるから」


 ――今はただ、この子に向き合う方が先だよな。


「ほんとうに? ほんとうにむりしないの?」

「ああ。まぁ、シャルティアスに何かありそうな場合は、そうとも限らないけどさ」

「むー……」

「不満そうにするなよ。お前に何かあったら、それこそ意味が無くなる」


 俺が助けた事も、この子の姉が命を懸けてまで逃がした事も全てが。

 でもきっと、守る時には本当に何の躊躇もしなくなるんだろう。助けた事に対する義務とか、姉の願いとか関係なしに、ただ大切だからこそ。

 守ると決めた大切な存在を適当に、中途半端に守るなんて事はそれこそありえないから。


「そこは仕方ないと思うよ、シャルティ。こういった時のリオンは、果てしなく頑固だから」

「頑固ってお前なぁ」

「間違ってないでしょー」


 あながち否定できないのが自分でもわかってるから、なんとも言い返しにくい。


「……わかった。でも、リオンがいなくなるのはやだよ?」

「肝に銘じておくよ。俺だって無駄に死にたくはないし、ちゃんと約束を果たさないといけないだろ? だから、ここでもう一つ約束しよう」


 シャルティアスを抱えながら一度立ち上がり、さっきまで俺が座っていた椅子に改めて座らせつつ、その目の前に目線が合うようにしゃがみ込む。

 この約束は俺の覚悟が試されるもの。生半可な覚悟では、この約束をする事は許されない。

 だから俺は、絶対に目を逸らさないようにしっかりと綺麗な空色の瞳を見つめる。


「どれだけ辛い状況だとしても俺は、必ずお前の所にまで帰ってくるって」


 そう言って小指を差し出すと、一瞬だけ何かに気付いたように表情を曇らせた後、何かを堪えるように一度だけ瞼を閉じてから指を絡めてきた。

 そして改めて、けれど控えめな笑顔を浮かべて口を開く。


「――うん、やくそく。なにがあってもぜったい、ぜったいにかえってきてね」

「任せろ」


 ああ、この子の事は裏切れない。

 この、少し不安に揺れる純真な瞳を見つめていると、不思議とそう思えた。

 こうしてどことなく柔らかな空気が流れていたのだけど、そんな空気をぶち壊してくれる爆弾が、後ろ側から不意に投下された。


「なんというか、こうしてみるとお父さんと娘って風に見えるねー」

「おとっ⁉」

「おとうさん?」


 不意に投げ込まれた言葉の爆弾に思わずむせてしまいながらも、それを言った張本人のミリアに対して文句を言おうと振り返ろうとした時。

 次は目の前から、ミリアの言っている意味がわからないと言った色がありありと感じ取れる疑問の声が聞こえてきた。

 もしかしてだけど、シャルティアスってまさか……これも知らないのか?

 ただ忘れているって感じではないんだよな、前の時も今回も。


「シャルティ、お父さんがわからないの?」

「わからない……じゃなくて、しらない? だと、おもう」

「……ねぇリオン」

「言うな。俺もわかってるけど、どういう事かは知らない」

「そっか。じゃあ、そんなシャルティに教えてあげよう!」


 そうして、急遽シャルティアスに対してお父さんやら家族についての説明会が始まることになった。

 前のご飯の時と同じだな、今回も。今回はまだ楽だけどさ。

 と、そこまで考えたところで一つ、新しい疑問が脳裏を過ぎった。

 ……これは俺の考えすぎだといいんだけど、父親や家族って存在を知らないのに、どうしてシャルティアスは姉という存在を知っていたんだろうな。

 普通なら、それらを知らないのであれば姉という存在が居る事も、知っている事も無いと思うんだけど……俺の考えすぎだよな、きっと。



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