第一話 出会い
「どういうことだ?」
俺――リオン=ヴァーゼルは今、王都に用意されている家の応接室で、国王からの使いでやって来た伝令と話していた。
「どうにも何も、国王からの勅命です」
「それはわかっている。俺が聞きたいのは、何で俺達が調査なんて事をしなければいけないのかって話だ」
伝令が国王からの勅命として俺の下に持ってきたものは、この王都の近くにある光の森で発生したという異常現象について調査して来いというもの。
確かに、そんなに近くの場所で異常な事が起きているのであれば、調べなければならないだろう事もわかる。
けれど、何で俺達を調査に向かわせるのかがわからない。
これでも俺は、勇者としてこの王都に連れてこられた。そして俺の仲間たちも、普通の兵士よりも遥かに強いという事実もある。ならそんな俺達に対して、ただの調査をさせるなんてことはありえないだろう。
だからこの話には何か裏があると思ったからこそ問いかけたんだけど……あまりいい返事は返って来なさそうだな。
「……わかりました、お話しましょう。今現在の光の森では、マナの濃度が基準値を遥かに上回っています」
「マナ濃度が?」
「はい。およそではありますが、最低でも三十倍ほどにまで上昇していると予想されております。そしてマナ濃度が急上昇したことにより、調査団はもちろん、王国軍の上級魔法使いですら森に足を踏み入れることができないのです」
なるほど、だから俺たちにこの話が回ってきたという訳か。
ちょっと面倒だけど、それなら仕方ないな。もともとあの場所での異常現象が起きた事については、流石に見過ごせなかった。色々と思い出もあるし。
「なるほど、そういう事なら仕方が無いか。教えてくれてありがとう」
「いえ、我々が不甲斐無いばかりに、勇者リオンにこのような事をお願いしてしまうことになってしまったのです。だからこそ、伝えることに悩む必要などなかったのですから」
ああ、少しだけ言い渋ったのはそういう訳か。
あの腐れ国王が、自分の部下にまで無用な苦労を掛けさせるなっていうのに。
本当に気に食わねぇな。そこまで俺に嫌がらせだとか、自軍の内情を知らせたくないのなら自分の目の前に俺を呼び出せばいいだろうに。
まぁ、今そんなことを言っても意味も無いか。気持ちを切り替えることにしよう。
「それで、いつまでに向かえばいいんだ?」
「出来る事ならば、すぐにでもお願いします」
やっぱり急ぎだよな。
濃度が三十倍になっている時点で、それも当たり前だけどさ。
「了解。すぐに準備をして向かうよ」
「ありがとうございます。それでは、私はこれで」
そう言って去って行く伝令を見送った後、彼の気配が完全に感じられなくなった辺りで目の前のテーブルに思いっきり突っ伏した。
勇者としてみっともない姿を見せるわけにいかないのはわかっているけど、どうにもな。
「疲れた。あんまりこういったのは得意じゃないんだよ、俺は」
「お疲れ様、兄さん」
突っ伏したまま少し愚痴を溢したところで、伝令が出て行ったのとはまた別の扉が開いて人が一人入ってくる。
俺の事を兄さんと呼んだ彼女の名前はフィオラ=ヴァーゼル。
フィオラは俺の妹で、勇者として選ばれて王都に連れてこられた俺を追いかけて来て、そのまま独学で魔法を極めるまで習得し、共に行動するようになった。おとなしめな見た目のわりになかなか行動的だと思う。
「ああ、フィオラ。話は聞いてたか?」
「ある程度は。けど、何があったんだろう。マナ濃度がそこまで濃くなるなんて尋常な事じゃないよ」
それはフィオラの言う通りだ。
もともとこの世界に存在するマナというものは、空気中の魔素が複雑な反応を起こして発生しているもので、その総量が急増すること自体がありえない。
生き物がマナを取り込み魔力に変換する事で多少は減少するが、それを魔法とかで使う事によってまたマナとして空気中に溶け出すことになるから、結果として循環することになっている。だから変に増減した場合、それは人為的な結果だと言える。
つまり、今回の件は光の森で何者かが大規模な魔法を発動したか、何かの実験をしたという事に他ならないんだけど……それにしたっておかしい。あの森のマナ濃度は本来、普通の場所より数倍ほど高いのだから。
そんな場所の濃度が三十倍になるなんてそれこそ、フィオラほどの魔法使いを最低でも十人ぐらい用意して、完全に絞る取るくらいまで魔法を使わせなければそこまで濃くならない。
「だからこそ、早く調査しに行かなきゃいけないんだろ。早いところ準備して、すぐに出発するぞ」
「だね。それじゃあライオスさん呼んでくるから、先に準備してて」
「頼んだ」
とはいっても、そんなに用意するものも無いんだけどな。精々が調査にかかるだろう二、三日分の食料と着火用の魔道具、簡易天幕ぐらいで。
それ以外には特に必要ないか? ってああ、装備点検用の道具持っていかないと駄目だな。
武器は……どうするか、どっちを装備していこう。
俺が持っている武器はミスリル製の長短剣と、勇者の証として手に入れた二つの合金が変化した長短剣の二組ある。
出来ればそっちはあまり使いたくないから、何時ものようにミスリル製の方でいくか。
これで全体としてのと、俺として必要なのはこれで十分だな。
「話は聞いたぞ、リオン。俺の準備は終わっている、フィオラもじきに来るだろう」
「ライオス、相変わらず準備が早いな」
必要最低限の準備を終えて玄関ホールへと降りてくると、一人の初老の男性がすでに待っていた。
彼の名前はライオス=フェルミオル。
二人いる俺の仲間のもう一人で、元王国騎士団の団長だったけれど俺の目付け役に任命されてから色々とあって、今では完全に仲間になっている。
ちなみにだけど、俺に目付け役を付けられたのはとある一件で国王と対立したからだ。
というか、いきなり使者を寄越してきて、お前は勇者だからと言って無理やりに王都にまで連れてこられた挙句、逆らったら俺の両親や生まれた故郷の人たち人質にとるほどだしな。そうなるのはある意味、必然だったんだろう。
けど、だからと言って付けた目付け役にも見限られるのはどうかと思うけど。
「最近はこんな風に急な命令が増えたからな、何時でも出れるよう準備に抜かりはない。しかし、国王もそれだけお前に嫌がらせをしたいという事だろうか」
「さぁな。どこまで行っても、あいつとは絶対に相容れないのは確実だけど」
「確かにそうだ」
「そういうライオスは平気なのか?」
「俺の方は特に問題は無いな。表面上は取り繕っているし、それもまだ気付かれていない」
ライオスがあいつを見限ってからもう三年になるのに、まだ気付いていなかったのか。これはライオスの取り繕い方が上手いのか、それともあちらが鈍いだけなのか……もしくはといったところだな。
色々と楽だから鈍いのであればいいんだけど、そうそう上手くはいかないだろう。
無駄なところで優秀だからな、あの国王。国民が未だにあいつを支持しているのも、猫かぶりが上手いからだし。……裏では何度か、国を滅ぼしかけてるけど。
本当に納得いかない。
「お待たせ、兄さん」
「ん、ああ。遅かったな、フィオ――って何だ、その荷物」
二人してああだこうだと国王についての愚痴を言い合っていると、少ししてから準備を終えたフィオラがやって来たのだけれど、その荷物が問題だった。
まずいつも使っている杖を腰に差しているのは問題ない、魔法を使うのに必要だしな。
だけど背負っている荷物の量がおかしかった。どれだけおかしいかを具体的に言えば、荷物が軽い山になるくらい。
というか、その荷物でどうやってここまで来たんだ。確実に扉より横幅も高さも大きいよな。
「え、これ? 調査用の道具だよ」
「いや、それにしたって多すぎだと思うんだが」
「そうかな。まずマナ濃度計でしょ、魔素計測器に地質検査機、植物中の魔力検査機、それに大気検査機に他には――」
「ああうん、わかったからもういい。じゃあ行くぞ」
「はーい」
とりあえず必要なものばかりだっていうのはよくわかった。
これ以上聞いたら無駄な所まで話が進みそうだし、何より時間がかかりそうだったから一旦区切らせてもらって、さっそく出発することにする。
目的地は、今現在俺たちがいるグレムバルド王国、その王都グランヘイムの東門から出て北北東の方に向かって進み、馬車で大体二時間ほどの場所にある光の森と呼ばれる場所。
光の森はその名の通り光がとても差し込む過ごしやすい場所で、精霊たちなどの光を好む生き物が集まる、過ごしやすいお気に入りの場所だった。嫌な事があったりして癒されに行くと、精霊たちによく慰めて貰ったりもしていたから。
だから、その場所で異常事態が起きたと聞いて、最初はすぐにでも飛び出してしまいそうだった。
けれど伝令が見ている前だったし、それ以上に他の疑問があったからあの場は堪えて話をする事に専念出来ていたけれど、今はそうではない。
やっぱり俺は、自分にとって大切なものに危機が迫ると、どうしようもなく直情的になってしまう。
結局、どうしたってそれが俺なんだろうな。それを悪く思わないことも、何もかも全部をひっくるめて。
だからこそ早く調査に向かいたいんだけど……移動手段をどうするかっていうのが今のところの問題か。
俺一人なら走って行ったところで問題は無いんだが、今回はフィオラとライオスがいる。だからこそ走って行くのは無理があるんだけど、かといって別の移動手段を用意するのも時間がかかる。
フィオラに転移魔法で連れて行ってもらうにはちょっと距離が離れてるし、どうしたものか。
「そういえばリオン、移動手段はどうなっている?」
「向こうからの支援が無しなのは確実だ。伝令にもそのことについて謝られた」
そう、移動手段が無いのはそういう事。ここでもまた、あいつの嫌がらせが続いているって事だ。こんな時でもやられて、本当にいい迷惑だってのに。
どうにかして用意できないかとは思うんだけど、騎士団の力を借りることは出来ない。いくら真っ当な組織だとしても、あの国王の指揮下にあるからな。
後の考え得る頼りは教会かギルドくらいか?
まぁ、その選択肢なら教会に行くのが確実か。ギルドに行っても、無駄な手続きのせいですぐに用意してもらえない。
「とりあえず教会に向かうとするか、ミリアに言えばすぐに用意してくれるだろうし」
「ミリアのところ? 最近忙しいって言ってなかったっけ」
「あれ、そうだっけか。まぁそれでも問題は無いさ、シスターか神父辺りに頼めば問題は無いはずだ」
これでも教会の最高位に位置する教皇の親友をしてるんだ、ある程度の融通は利くように計らってもらっている。
だからと言って、こういった急ぎの時や緊急の時とか以外では融通してもらう事はしないようにしてるけど。特に何もないのに優先させるとか、人としてどうかと思うしな。
それじゃあ中央広場にある神殿に行って、馬車を借りてすぐに向かおう。今から向かえば、諸々の手続きを踏んでも昼前には着けるはずだ。
……出来れば、あまり面倒なことじゃなければいいんだけど。今回の異常事態は何となく、かなり根が深い問題な気がするのはきっと俺の気のせいじゃないんだろうな。
・・・・・・
その場所はつい先日ほどまで柔らかな光が差し込み、その光を好む多種多様な精霊たちや動物たちが棲む静かな森だった。
木々は青々と生い茂り、豊かな生態系を築いていた広大な森。
精霊が踊り、あらゆる生き物が共生するその森を人々は何時しか光の森と呼ぶようになり、一つの聖域であるとされていた場所であったはずの森は、たった一瞬の間に起きたとある出来事によってその姿を一変させた。
いったい何が起きたのか、それ自体はとても単純な事でしかない。
その日、光の森で起きた事は一人の少女が転移して来たというだけの事。ただそれだけの事だったのだが、少女が転移してきてから起きた事が全てを変えてしまう。
少女が光の森に転移して少し過ぎた後、急に少女が苦しみ始めた次の瞬間に光の森の全域の内、少女が転移してきた光の森中心部から同心円状に八割ほどの場所までの森の全てが完全に凍り付いてしまったのだ。
何故そのような現象が起きたのかはわからず、少女が何者なのかも、何をしたのかもまた不明。
けれど確実にわかっていることが一つある。
今回、光の森で起きた異常現象の原因はこの少女であるという事。その事実がわかっている時点で、この森に棲んでいた生き物たちは少女に対して容赦をするつもりはなかった。
どうして自分たちが、この異常現象が発生した中心地に近い場所にいても息絶えることが無かったのか。知能のあまり高くない彼らはその事実に思い至ることは出来ずに、ただ自分たちの住処を荒らした、未だに動く気配がない『敵』を本能のままに蹂躙しようと動き始める。
だが、そんな彼らを止める者たちがいた。
それはこの森に生きる者たちの中で最も上位に位置する存在、精霊。
いくら上位の存在から窘められたところで、理不尽に住処を荒らされた彼らが容易に止まるはずもないが、精霊たちから伝えられる言葉を聞くにつれて徐々に少女に対して報復しようと思うものは少なくなっていく。
精霊たち曰く。
彼女は、君たちでは一瞬の内に死ぬほどの激痛に苛まれながらも無意識の状態で、我々の誰もが死なないように、魔力が暴走しかけている中で森そのものに対して放たれた魔法を打ち消すための対抗魔法として放つことで、二重に我らを守ったという事。
その際の余波で危害が及ばないようにしたことで、森だけが凍りついてしまったのだと。
決して彼女は、我々に危害を加えるつもりは一切なかったのだという事を説明していた。
何故、精霊たちがそのように判断したのか。それも簡単なことで、彼らはただ何が起きたのかを全て視ていた。
転移してきた彼女は謎の呪いに侵されており、死んでしまう方がよほど楽であろうはずの激痛のせいで意識もほぼ無いような酷い様であるにもかかわらず、それでも反射的に襲い掛かってきた魔法を消し去ったのを視ていたからこそ、彼女が我々にとって害を成す為に来たのでは無いことは明白だったからこそ、彼らは森に生きる者たちを止める事にしたのだ。
だが、精霊たちが彼女に対して何か行動を起こす事は無かった。……否、出来なかった。
何故なら彼らの様な、精々が中級に届くかどうかでしかない一介の精霊たちが何をしても無駄だという事がわかっていたのだから。
彼女に掛けられた呪いを精霊たちが解くには最低でも風か光の最上級クラス、下手をすればその王でなければ解呪できないほどに強力なもので、下手に彼らが手を出そうものなら自分たちが消滅するだけでなく、彼女自身をも殺してしまうことがわかっていたからこそ、決して行動に移そうとは思わなかった。
彼ら自身だけが消滅するだけなのであれば、精霊たちは少女を助けるために動いただろう。自分たちは消滅しても時が経てばいずれ再び発生することができるのだから、この森に棲む生き物たちを救ってくれた彼女を見殺しには出来なかったのだから。
けれど、今回の事態は彼らの手では余るどころか、存在そのものを懸けても救うことができないもの。だからこそ彼らは悔しく思いながらも、絶対に手を出すことは無かったのだ。
そうして彼らが悔しく思いながらも少女の事を遠巻きに見守っていると、魔法を打ち消した直後から座り込んで半日ほどの時間が過ぎた頃、まるで動く気配のなかった少女がノロノロと頭を上げた。
どうやらこの動かなかった間に解呪は出来ずとも、僅かにでも回復を図っていたらしい。
『わたし、は……なに、を? ここ、は、どこ?』
緩慢な動作で周囲を見回した少女は、そう声を出す。
まだ少女が耐えている事に精霊たちは安堵し、王都の方から彼がやって来ていることを確認して数体の精霊たちを森の生き物たちが何かをしないかの監視と、少女の状態の変化を見守るために残し、森の外の方へと向かって行く。彼に少女を助けてもらうように。
その為、助けを求めに向かった精霊たちは、続いた少女の言葉を耳にすることができず、それを聞いた僅かな精霊たちもその言葉に動揺してしまった事によって、少女がいつの間にか歩き出した事に気付かず見失う。
少女がその場から消えたことに残っていた彼らも直ぐに気付き、そう遠くまで行っていないだろうと森の生き物たちにも頼んで少女を探し回ったが、少女は見つからずに終わる。
最終的にこの事が彼に少女の事を伝えに言った精霊たちに伝わったのは、少女が消えてから三十分ほど過ぎた頃だった。
・・・・・・
「ようやく着いたが……これはいったいどういう事だ?」
「凄いね、この濃度。上級魔法使いが踏み入れる事もできなかったって言うのにも納得できるよ。私でも気を抜いたらマナ中毒状態になりそう」
「ふむ、これでは足手纏いにしかなりそうにもないな。生憎と俺自身は、そこまでマナそのものに対しての抵抗は高くない」
教会から馬車を借り、途中で魔物の大軍に遭遇するというアクシデントから予定よりも一時間ほど遅れて目的地にたどり着いたのはいいのだけれど、森の入り口にたどり着いたところで別の問題に突き当たった。
それはさっきから話している通り、あまりのマナの濃さによって森に入るのが困難になってしまっているという事だ。
ライオスは自分で言っている通り、俺達の中で最もマナに対する抵抗が低いから、恐らく入った時点で中毒症状に陥る。それでも中級魔法使いよりは高いが。
フィオラの抵抗力は他の魔法使いと比べてもかなり高いのだけれど、それでも気を緩めれば中毒になりかねないというほどにマナの濃度が高くなっているという。
つまりその時点で、最低でもこの森のマナ濃度は三十倍程度で収まるものでは無いという事がわかる。
俺? 俺はまだ問題ないと言えるくらいか。流石に少し辛いけど。
「……魔族が仕掛けて来たのか? いや、でも、今の魔王はよほどのことが無い限りは攻めてこないと明言していたし。どうなんだろうな」
「そうだとしても、ただの魔族ではここまでの魔力を放出することは不可能であろう。それこそ無駄に兵を減らすことになる。ならば違うと考えるべきだろう」
「私もそうだと思う。ここまでの濃さだと、魔王軍幹部の魔法皇グリムロア。彼が全力で、それも彼と同じかそれ以上の実力の魔法使いと戦ってようやくってところだと思うよ」
そこまでか。
というか嫌な名前を聞いたな。あいつは出来れば戦いたくない相手の筆頭なんだよ、どうにも苦手な感じがして。
それと、ふと思ったけどもし魔族が攻めてきたのなら、こんな風に回りくどいやり方をする必要は無いよな元々の地力が違いすぎるんだし、単純に攻めてくればいいんだから。
だからきっと、俺のさっきの予想はほぼ確実に間違っていることになる。
確定とは言えないけどな。
「とりあえず、だ。今現在の問題をどうにかする方が先だよな」
「そうは言うが、これからどうする。ここまでとは思っていなかったから、抗マナ薬など持って来てはいない」
「んー。フィオラ、そう言った魔法なんて無いよな?」
「人を便利屋みたいに言わないでよ。――えっとたぶんだけど、あれの応用でいけるかな」
便利屋だとか、そんな風には思ってないんだけど。確かに魔法は色々と融通が利くから何かと便利だけども。光属性の攻撃系魔法しか使えない俺からすれば、そこまでの応用は出来ないけどさ。
等と考えていたら、森の方から声が聞こえてきた気がした。
いや、これは声というよりは――思念か。という事はまさか?
『リオン!』
「やっぱりお前たちか!」
「兄さん?」
ああそうか、フィオラたちには彼らの声は聞こえないんだっけか。
森の中から俺に声をかけてきたのは、事あるごとに何度も俺の相談に乗ってくれていた光の森に棲む精霊たちの纏め役をしている、光精霊のルミナだった。
他にも風や火、土などのここに棲んでいる精霊たちのほとんどがやって来てくれたみたいだ。
だけど、どうしてルミナたちがここに? いや、それ以上にみんなよく無事だったな。何かがあったのは確実だから、巻き込まれただろうと思っていたのに。
『君が来てくれて良かった!』
「そんなに慌ててどうしたんだ? それにいったいここで何が起きたんだ?」
『そうか、君たちはここで何が起きたのかわかっていないのか。それは移動中に話すから、今は一刻も早く彼女を助けて欲しいんだ!』
「助けてって……誰か巻き込まれているのか?」
視界の隅で困惑していた二人も俺が精霊を見ることができ、話すことも出来る事を思い出したのか静かに見守ることにしたのが見えたが、今はそっちに気を取られる訳にはいかない。
何か大切な事を彼女は伝えようとしている。
それが人命に関わる事であるならなおさらだ。
『巻き込まれたというか……結果的にこの事態を引き起こした子なんだけど、凄く強力な呪いに侵されているんだ』
「結果的にってことは、この事態は故意で起こされた事じゃないんだな。だが、呪いってどういう事だ」
故意に引き起こされた現象では無いのなら、魔族や他の何某かが攻め込むための布石とかでは無いって事が確定した。それだけでも収穫になる。
けれど、呪いって本当にどういう……
『移動しながら説明するよ。マナ対策は私たちが受け持つから、気にしないで良い』
「助かる、それについて悩んでたからな。――マナは精霊たちが何とかしてくれるみたいだ、だからもう気にしなくていい。それじゃあ俺に着いて来てくれよ」
「あ、うん。わかった。……構築終わったから準備してたのに、無駄手間かー」
フィオラが何か文句言ってた気がするけど、森に入るうえでの一番の問題点がこれで解決できたわけだから気にしない。けど、疑問が倍以上に増えた。
まず、話に出てきた女の子についての色々。
確実にその子が今回起きた事についての疑問を解決してくれるはずだけど、話を聞く限りだとそれは少し難しい気がするし、何よりもどこからこの森にやって来たのか、何で呪いをかけられているのかはまるでわからないし、想像もつかない。
次にこの森で起きた事について。
ルミナは結果的にその子が原因で今回の異常事態が起きたと言ったが、いったい何が起きたのかわからない。これは移動中に説明してくれるだろう。
最後に、裏でいったい何が起きているのかだ。
こればっかりは現時点では判断のしようがない。だけどその子が呪いに侵されながらもこの場所にやって来たこと、そしてそれと同時に起きたこの現象から考えると何も起きていないなんて楽観的な思考にはなれない。
現在進行形で、かつ俺たちの知らないどこかでよくない事が絶対に起きている。
だとすれば、考えられるのは北西大陸の獣人たちか南大陸の魔王軍か。最悪の場合、あの腐れ王が自作自演をしてるってのも考えられなくはないけど、あいつはそんな上手い事立ち回れるほど肝は据わっていない。
これはその例の子を見ない限りはどうとも言えないな。
『まずはそうだね、ここで何が起きたかについてだけど。始まりは、一人の少女がここの中心部に転移してきただけなんだ』
「転移? いったいどこから」
『大陸間を移動するくらいの距離なのだけは転移直後の残滓でわかったけど、具体的には』
そう言ってルミナは首を横に振ったけれど、それに俺は反応を返すことは出来なかった。
「大陸間を移動するほどの転移魔法……? 冗談言ってるんじゃないよな」
何故なら、転移魔法で大陸間の移動するのには恐ろしいほどの魔力を消費することになる。常人はもとより、グレムバルド王国最高の魔法使いとも言われているフィオラでも絶対に不可能なほどに。魔法陣を使えばある程度は軽減できるだろうが、それでもかなりだ。
現に今の話を聞いていたフィオラが、息をのむ気配が伝わってきた。
『こんな冗談なんて私たちは言わないよ。けれど問題なのはその後、その子を狙って撃たれたらしき炎の魔法だ』
「それは、その子が転移してきた場所からなのか?」
思わず問い返してしまったが、聞かずとも答えはわかる。
そうでなければ辻褄が合わないからな。
『ほぼ確実に。そしてその魔法だけれど規模と威力が最悪で、森の全てを焼き払いかねないほどだった。そしてそれを防いだのが――』
「その子って事か」
『うん。だけど、彼女は転移する前から呪いを受けていたみたいで、それに超長距離転移も相まって魔力が暴走しかけていた。そんな状態で暴走しかけた魔力を対抗魔法として放ったのは凄いんだけど、流石に余波はどうしようもなかったみたいで今の状況になってるんだ』
なるほどな、ルミナが結果的にって言った理由もよくわかった。
けれどもう一つ、大事な疑問が出てくるんだけど……。そうなると、その子の内包できる魔力量はどれだけ多いんだ? 大陸間の超長距離転移をした後で、森を焼き払うくらいの魔法を打ち消せるっていうのは本当に規格外だとしか言えない。
しかもその余波だけでここまでマナ濃度が濃くなるんだ、これの半分以上がその子の魔法によるものだと考えれば異常だって誰でもわかる。
……これは色々と、対策を考えなくちゃいけないか。ルミナが助けてと言ったんだ、そんな子が悪い子のわけがないからな。あれに下手に知られる訳にはいかない。
色々と考えを巡らせつつ、ルミナから聞いた事を簡潔に二人にも伝える。
声が聞こえないっていうのはこういう時に不便だよなぁ。
「ふむ、なかなかに厄介な事になっているみたいだな。それでリオン、お前はどうしたいんだ?」
「そんなの、聞かなくてもわかってるんだろ。ライオス」
「まぁな。お前の事だ、例の子については王には何も伝えないつもりだろう。そちらは俺に任せておけ、何とかしてやる」
「助かる」
そうして会話を交わしながら歩いて十分ほどが過ぎ、外から中心部に向かって一割くらいの場所を過ぎた頃。その付近を境にして、景色が一変する。
それと同時に、ルミナの言った余波がマナ濃度の上昇だけでは無いという事もわかった。
「何だよ、これ……」
以前とのあまりの変わり様に、俺はそれしか口に出すことは出来なかった。以前の姿を知っているフィオラとライオスも言葉が出ないようだが、それも仕方ないだろう。
だって、これはあまりにも異常だとしか言えない。
いったい誰が思う? マナ濃度の異常な上昇がただの副産物でしかないなんて。
いったい誰が予想できた? この広大な森に生えていた木々だけじゃなく、地面までの全てが――完全に凍りついているなんて。
まさか、氷属性魔法を対抗魔法として使って火属性魔法を打ち消していたなんて、考えもつかなかった。それ自体は不可能では無いけれど、今回に限ってはかなり無茶だから。
何でかなり無茶なのかというのは、まず魔法の相克関係について説明する必要があるけれど、小難しいのは抜きにして言ってしまえば火は風、風は土、土は雷、雷は水、水は火、光と闇は互いの属性に強いという事。
だけどこの場合、氷属性の魔法はどういう扱いになるのか? という事になるけど、実を言うと氷属性は相性による威力の減衰も上昇も無い。完全に独立した属性になっている。
とまぁ、これらの理由から火属性魔法に対する対抗魔法として普通は水属性魔法が使われるのが一般的になっているんだけど、実はこういう場合、最上級の例外として氷属性の魔法が向いている。
何故、氷属性魔法が火属性魔法の対抗魔法として最上級の例外なのか。本当は別に火属性限定の話では無いんだけど、以前フィリアが属性魔法の中で唯一独立していた氷属性魔法について疑問を持ったことがあって、一つのとある実験をした。
その内容は、もしも相手の実力を遥かに上回るだけの力量を持つ魔法使いが、相手の放つ本来相性が悪いはずの火属性魔法を氷属性魔法で対抗したらどうなるかというもの。その時点での予想としては、凍るんじゃないかって思っていたらしいけど。
そしてその実験の結果は、魔法が発動する直前にマナが拡散して不発するというもの。具体的にどういった作用が働いてそうなったのか俺にはわからないけどフィオラが言うには、
『これは私の予想なんだけどね? この結果は氷属性魔法だけが相克関係から外れて、ただ一つ独立したものになっているのが理由だと思うんだ。具体的にどうして独立してしまっているのかっていうのは、まだ確証が無いから言えないけど』
との事らしい。つまり、まだよくわかっていない。
で、その結果から氷属性の魔法は、自他の力量の差が圧倒的な場合の対抗魔法としては最上級の例外として最も優秀な物だってわかったという話
けれどそれを知っていて使ったのだとしても、余波だけでこれは本当におかしいとしか言えない。ここまでになってしまえば、それこそもう――いや、これ以上は考えるな。
そういえばだけど、余波がここまで酷いものならルミナたちもタダで済むとは思えないんだが……どうして無傷なんだ?
『私たちが今も生きていられるのはね、彼女のお陰なんだ』
「その子が? 結果的にとはいえ、これを作り出した本人なんだよな?」
『まぁそう思うよね。けど、あの子は受けていた呪いで死んだ方がましな痛みを抱えてほとんど意識も無く、更に魔力も暴走しかけていたって言うのに、私たちが余波に巻き込まれないように調整してたんだよ。木々はさっきも言った通り、余波自体はどうにも出来なかったみたいだからこうなってしまったみたいだけど、それでもまだ生きてる』
その後ルミナは、『植物や大地は、私たち精霊やそれに支えられて生きている者たちよりも遥かに強いから。長い時間をかけて、より強くなってすぐに適応するよ』としめた。
確かにそうだ。生きてさえいれば、自分次第でどうにでもなれる。
それが植物だって、意思の無いようなのだって関係ない。生きていることが大事なんだから。
やっぱり悪い奴では無いんだな。これで、何の憂いも無く助けられる。
決意を新たにして再び前に進みだして少したった頃、前方からまた別の精霊が慌てて飛んできた。
その精霊はルミナに近寄ると、少し離れた場所で話を始める。内容はここからでは聞こえないけど、度々大きな声が聞こえるって事はどうやら何か起きたみたいだな。
『リオン。あの子が転移してきた場所から移動したみたいで、少し目を離した隙にいなくなったみたい。魔力を消費した形跡が無いからそんなに遠くは離れていないみたいだけど……まさか動けるなんて思わなかった』
「それじゃあ、探しに行かなきゃいけないな。どこに向かったのかわかるか?」
『ごめん、外に向かって行ったんだろうって事はわかるけど』
「仕方ないさ。こんな森の中、しかもどうしてここに来たのかわからない相手の向かう先に予想がつく訳も無い」
更に今の状態だ、精霊たちの思念伝達もかなり近くに行かないと使えないくらいだし。
でもそうすると……手当たり次第に探すしかないか。早く助けないといけないっていう時間もあまりない状態で、この広大な森を手掛かりなしで探し回るのは無理が過ぎるけどさ。
一応、聞くだけ聞いてみるか。結果はわかりきってるけど。
「なぁフィオラ、探査魔法なんて使えないよな」
「無理。マナ濃度が濃すぎてまともに使えないし、使えたとしてもろくな結果にならないのは確実だよ」
「探知魔法は対象の固有魔力を判別して位置を割り出すもので、今は常に妨害されている様な状態だ。無理もない。だが別なものを対象にすることは出来ないのか? 音や体温などに」
「構築し直すのは不可能じゃないけど、それでも無理だと思う。たぶんだけどその例の子がいなくなって探すんだよね? だとすると、その子を探すためにこの森の動物たちも探しているはずだから――」
「その分、絞り込むことができないって事か」
「なかなかに難儀な事だな。だが、それでも探すのだろう?」
「当たり前だ」
それこそ、諦める理由が無い。
悪意を持ってきたのなら容赦なく殺しに向かうけれど、意識が無い状態でですら他者を守ろうとする相手を、見殺しになんて出来るわけが無いんだ。
だから、絶対に助けなければいけない。
「たぶん時間もそこまで掛けられないだろうから、ここからは少し走るけど――行けるな、二人とも?」
「お前の全力には追い付けんが、俺も元王国騎士団団長だ。問題は無い」
「私も大丈夫だよ、流石に魔法で補助はさせてもらうけどね」
「……俺も頼んで良いか?」
「問題ないよ、ライオスさん。移動補助と悪路走破で大丈夫かな」
「大丈夫だ」
二人は、俺が二人の事を考えずに置いて行くとでも思ってるのか。
いくら急いでいたとしても、よほどの事が無い限りはそんなことしないというのに。そうしたら後で合流するのも面倒になるし、何よりそのせいで何かがあった方が辛い。
それで死なせてしまったのなら、なおさらな。
「準備はいいか?」
「ああ、これなら行ける」
「けど、加減はしてね」
「もちろんだって」
というか、もし全力で走ったりなんてしたらすぐに体力が尽きて倒れるだけだし、まず周りの木々が邪魔で無理。
――さて、走り出したのはいいんだけど、目的地が定まっていない状態でただただ走り回るのも意味が無いしな。どうしたものか。
ルミナもそうだけど他の精霊、動物たちも具体的にどの方向に向かって行ったのかは見当がついていないと言っていた。なら、おおよそでもこっちで予想を立てないといけないんだが、どうすればいいんだ。
もし反対側に向かって進んでいたのなら、その時点でもう色々と厳しい。こっち側に進んで来てくれてることを祈って、勘で進んでみるか。
こうなってしまったらもう、逆に天運に任せてしまおう。
『リオン、どこにいるか予想できたの?』
「いや、勘で進んでる。たぶんその方がいい」
『そっか。君が言うのなら、今はそれが一番なんだろうね』
「なんだよそれ、信用しすぎだろ。――っと」
勘を頼りに森の中を走ること数分が経過した頃、向かっている先に今まで見たことのない生物らしきものが視界に入ってくる。
それは氷の様な何かで体が構成されている、幾何学模様な感じのよくわからない形状をしていて、生き物というにはあまりそういった活動が見られない。本当に何なんだ、これ? 一番近いものとして思えるのは……精霊、か? いや、精霊ともまったくの別物だ。
精霊と同じような存在なんだろうって思うんだけど、意思というものが感じられないから、根本は似ていても別物って感じか。
――ってそうだ。昔に一度だけ、これと近いのに遭遇したことがあったな。
確か、フレイムエレメントって奴だっけ。あれは火の指向性を持った魔素が明確な形を持ったもので、危害を加えなければ絶対に敵対しないから問題ないって奴だったか。それと同じのなら、下手に刺激しなければ問題ないだろ。
「あれって、もしかしてブリザードエレメントかな」
「ブリザードか……。まさか上位エレメントが発生するほどとは思ってもいなかったが、この状況ではありえなくもないか。だが、近寄らなければなんの問題も無い」
「そうだね、刺激さえしなければ問題ないし」
……これ、俺の勉強不足なだけみたいだな。二人は知ってるみたいだし、精霊のルミナがエレメントを知らない訳はないだろうし。
対処方法は俺の予想した通りみたいだけど、もう少し勉強した方がいいか。
けど、あんまり勉強って得意じゃないんだよなぁ。体を動かす方が性に合ってるし、考えを巡らせるのはそれなりに早いけど、学ぶのは苦手だ。本を読むのもちょっとな。
なんてことを考えながらブリザードエレメントの背後を走り抜けようとした時、不意に奴が一点を指し示した気がした。
たぶんきっと、俺の気のせいなんだろうけれど、それでもそれを無視するのは何でか駄目な気がしたから、少し進路を変更して進むことにする。
すると、その先にもまた別のブリザードエレメントが居て、そいつもまたある方向を指し示していた。
ここまで来ると流石にこいつらが何を伝えたいのかはわかる。きっと例の子の居場所を教えてくれているんだろう。意思が感じられなかったからそういうのを持ってないとか思ってたけど、そうじゃなかったんだな。ごめん。
そうしてエレメントたちが示す方に進んでいくこと、大体十体目を過ぎた頃だった。
――…………け、ない……。あ………………かな、い。…………な、いよぉ……
か細く、けれど必死な声が微かに聞こえてきたのは。
その声が聞こえてきた方向は今進んでいる方向なのは確実なのだけれど、走りながら木々の隙間から奥の方まで窺っても姿は一向に見えない。
周りの方も首を巡らせて確認してみるけれど、それでも俺たち以外の人影はまるで見えない。やっぱりさっきのは……
「気の、せいか」
あんなにか細い声が、そんな離れた場所から聞こえてくるわけがない。そう結論を付けて、道を示す次のエレメントを探し始めたとき、再び声が聞こえてきた。
――だれ……か、たすけ……
「聞こえた」
「リオン?」
「声が聞こえた、こっちだ」
今度こそ確実に聞こえた。どうしてそんなに離れた場所からでも聞こえたのか、それは知らないけど、その声を聞いた瞬間に行かなければならないと思った。
一歩足を踏み出すごとに、まるで導かれるように森の中を進んでいく。
もはや道中に居たエレメントが指し示す方向を見ることも無く、ただひたすらに。
「リオン! 本当に聞こえたのか⁉」
「ああ、間違いない! 確かに聞こえたんだ!!」
ライオスに叫び返して、声の聞こえてきた方向へと走り続けていくこと更に数分が過ぎた頃、僅かに開けた場所が見えてくる。
あそこが声の聞こえてきた場所なのだろうかと考えた時、また声が聞こえてきた。
『こぇ……? たす、け……』
今度は今までよりもはっきりと聞こえてきたが、その分苦痛に耐えているのがありありとわかってしまう。けれどそれ以上に、それは鈴が鳴るかのように綺麗で澄んだ声だと思った。
こんなに綺麗な声を、俺は聞いたことが無い。そう思えるほどに綺麗な声だと。
だけど同時に、もうかなり危険な状態だという事も理解できる。もはや一刻の猶予も無いかもしれないと思えるほどに。
「大丈夫か!」
叫びながらそこに飛び込むと、そこには今まさに倒れ込んでいる一人の少女がいた。
俺はその姿を見て完全に倒れ込む前に慌てて支えに近寄り抱きとめるが、その瞬間にもまた驚きを隠せなかった。
――いくら何でも体が冷たすぎる……呪いのせいか?
冷たい体に危機感を覚えながらも、他に何か異常はないかと状態を確認していく。
パッと見ただけでは特に異常は見られないが、此方ではあまり見ないような姿をしていて、着ているのはボロ布一枚だけ。今は閉じられていて瞳の色はわからないけど、全体的に薄汚れていても少女の肌は透き通るように白く、それ自体が輝いているような長い銀の髪を持っていて、とても綺麗な顔をしているけど……正直かなり小柄だと思う。大体の目測で七歳児ぐらいと同じかそれ以下といったところか。
こんな小さな子が、抱きかかえているだけでもわかるほどに強い呪いを受けた状態で転移してきて、更にその状態で超強力な火属性魔法を氷属性魔法で打ち消したなんて信じられない。
信じられないけど、見た目だけで判断したら痛い目に遭う事もあるし、何よりもルミナがこういった事で嘘をつくはずが無い。
けれど……こればかりは少し、な。ちょっとだけ疑いは持っておこう。
と、数舜の間でそこまで考えた時だった。
「おね、が……わた……り、おね……を……たす、けて……」
途切れ途切れの、この子の懇願が聞こえてきたのは。
「助けてって、お前以外にもまだ誰かいるのか?」
「おね……ちゃんが、まだ…………るのに……わたし、にげろ……って…………やだ、よぉ……」
そう、少女は虚ろな目を開いて繰り返す。
この様子だとたぶん、俺の事は見えていないし、認識も出来ていないのだろう。
ただただ前に進もうともがいていて、うわ言のようにずっと繰り返している。
その断片的な言葉から聞き取れたこの子の懇願の内容は、簡単に言ってしまえば『お願い、お姉ちゃんを助けて』だろう。確実に。
だけど、ルミナはこの子しか見ていないみたいだし……そのお姉ちゃんは何処に居るんだ?
この子の言うもう一人については気になるけど、今はこの子の方が優先だ。さっきからなんだか様子がおかしくなってる。呪いに侵されてるにしてもだ。
さっきから言葉の端々に、『あれ?』とか、『わからない』だとかって単語が混ざり始めている。
これはもしかしなくても、記憶を失っているのか? 記憶を削る呪いなんて聞いたことも無いが……くそっ、これ以上は時間をかけられそうになさそうだな。
「フィオラ、治療できるか?」
「無理。ここまで強力な呪いを解呪できるほどに回復魔法は使えないよ」
「そうか……。なら、転移魔法はいけるか?」
「出来なくはないけど……マナ濃度が高すぎるから、座標が大きくズレるかもしれないよ?」
「構わない。外れた場所に転移しても、近くまで行ければ後は俺が全力で連れて行けばいい。今はここから王都に戻るだけの時間が無いんだ」
「わかった。その後、私たちはどうすればいい?」
「あー……そうだな。必要だと思う調査だけしてから戻って来てくれ、嘘の報告をするのに必要になるだろうから」
「なら、報告などの諸々は俺がやろう。お前はその子についていてやれ」
「いつもありがとう、助かる」
「気にするな。この類の事をお前に任せると、ろくな事にならんからな」
「だね。――準備できたよ、兄さん」
「頼む」
「りょーかいっ。それじゃあいくよ、転移!」
「じゃあ後は任せた! ルミナ、二人の支援は引き続き頼むぞ!」
『任せて、リオン』
淡い光に包まれながらも伝えたそれを最後に、俺とこの子の周囲を包んでいた光が強くなって完全に外界と断絶される。
その数舜後に光が薄れてくると、つい先ほどまでいた場所とはまるで別の場所にいた。
たぶんここは……グランヘイムのすぐそばにある草原か。あの壁はグランヘイムの外門と、その城壁だしな。
「相変わらずこの感覚は慣れないな。……思ったよりズレたけど、この位なら問題ない」
呟いて、走り出す。
目的地は教会。ミリアなら、この呪いを解くことが出来るはずだ。
「――間に合うか? だけどこれ以上速く走ったら負担をかけかねないし……厳しいな」
少し、間に合うか不安になってきた。
今もそれなりの速さで走っているけれど、出来るだけ負担をかけないように気を使っているせいであまり速度が出せていない。
もう少し負担をかけていいのなら、もっと速く走れるんだけどな……
今のこの子にそれだけの負荷をかけて、それでも平気だっていう保証が無い。
まぁそれでも、徐々に速度を上げていけば、どこまで平気かわかるだろう。
「ちょっと負担をかけるかもしれないけど、もう少しだけ耐えてくれよ」
「う……ぁ」
まともに声を出すことも、もう出来ていない。急がないといけないな。
「そこの衛兵!」
「リオン様? どうなさったのですか⁉」
「今急いでるんだ、そこを通してくれ!」
「――わかりました、此方から進んでください!」
速度を調整しながら走ること四分ほどで門の近くまで辿り着いた。
そのまま衛兵に声をかけて門を通してくれるように頼むと、少し訝しげな表情をしてから俺が抱きかかえているこの子を見て納得したのか、すぐに兵士の通用門を開けてくれた。
「すまない、面倒をかけるな」
「いえ、リオン様の為ならばこの程度の事は問題ありません」
「そうか。だけど今度、兵舎に差し入れでも送っておくよ」
「リオン様にそこまでされる訳には――って、リオン様ー⁉」
すれ違いざまにそんな会話を交わしつつ、急いで教会へと向かう。なんかあの衛兵が言ってた気がするけど、今は気にしてられないからな。
「確か……今の時間なら中央の大聖堂に居るはずだよな」
行き交う人を避けながら、それでもかなりの速度を出しながら走って行く。
このグランヘイムには、教会の施設が幾つかある。
まず一つ目は、今俺が向かっている大聖堂。二つ目は今走り抜けている東通りにある孤児院。三つ目は西通りにある礼拝堂と、それ以外にもあるけど今は割愛する。
……後もう少し、もう少しで着く。だからもう少しだけ、耐えてくれよ。
と、更に走り続ける事五分ほどで、教会の大聖堂前まで辿り着く。
「よし、着いた! ――すまない、ミリアは居るか⁉」
「リオン様? ミリア様なら奥に居られます。ですが、出発されてからまだ半日も過ぎておりませんが、どうなさったのですか?」
「治療してもらいたい子がここに居るんだ! ミリアを呼んで来てくれ、今すぐに!」
「は、はい! すぐにお呼びしますので、第一治療室の方に向かってください!」
「わかった!」
少し急かし過ぎたか? いや、今回についてはそんなことは無いか。
言われた通りに奥の治療室に連れて行き、改めて少女の具合を確認する。
……森に居た時よりも、体温が下がってるな。呼吸も浅くなってるし、肌の色もどんどんと青褪めていってるみたいだ。
けれどまだ、生きている。まだ、治る余地はある。
ギリギリで間に合ったんだ。
「ここからは、お前の生きたいって意思が大事だ。姉を助けたいのなら、お前が生きて無きゃいけない。お前が死んでしまったら、お前を逃がした姉も報われないし、助けに向かうことも出来ないんだから」
ここまで来たら、後はもう俺に出来る事は無い。
今の俺に出来るのは精々、手を握って語りかける事だけだ、
「治りさえすれば、俺が助けに行くのを手伝えるから。だから、諦めるなよ」
逆を言えば、俺にはそれしか出来ないって事だが。
勇者を名乗っているくせに、こういう時には何も出来ないのが……本当に悔しい。
何で俺には、傷つけるための力しかないんだろう。他者を害してしか人を救えないのが勇者なんて、本当に皮肉だよな。
けれど、真に人を守る力っていうものが何なのかは、俺にはわからない。でも、自分が蝕まれている状態でも他の命を救う選択が出来たお前なら、その答えを得られると思うんだ。
だからお前は、生きる事を諦めちゃいけない。
その気持ちが、その想いがあればきっと、お前はどんな事にでも手が届くと思うから。
「死ぬなんて考えるな。生きる事を渇望しろ。お前の願いを叶える為に」
――そのためなら、俺は俺の持てる全てをかけて手を貸してやる。
目が覚めた時にお前が全てを忘れてしまったとしても、俺がその全てを取り戻すまで支えてやる。
だからお前の進む道を、共に歩ませてほしい。そうすれば俺にも何かが見えると思うから。
「……って、何で俺はこんなにこの子の事を気にかけてるんだろうな。まだ一度も言葉を交わしていない、ただ助けてくれと頼まれただけの子の事を」
「確かに珍しいよね、リオンがそこまで入れ込むなんて」
「入れ込むって……そういうのはどうかと思うぞ、ミリア」
「いいのいいの、それと久しぶり。慌てて呼ばれたから急いで来たけど、治療して欲しい子ってその子でいいんだよね」
「ああ。呪いに侵されて危険な状態なんだ、頼む」
「わかった、ちょっと容態を視させてもらうよー」
気安そうに声をかけてきた短い金髪の小さなこの少女が、今現在教会の最高位である教皇の座に就いているミリア=ルクス。
見た目の通り俺よりも年下だけど、その見た目に騙されてはいけない。
こう見えても実力は確かなもので、回復魔法に限ってはこの国の中で右に出る存在は居ないと言われるくらいだし、歳のわりに頭も回る。以前までの教会とは比べ物にならないくらいに、組織としても優れた物に変わったほどだ。
と、この子の様子を確認していたミリアの表情が、さっきまでの少し軽そうなものから真剣なものに一変する。
「――なにこれ、いくら何でも酷過ぎる。わたしでも初めて見るほどだよ? いったい誰がこんな事をしたの」
「誰がやったのかはわからないけど、そこまで酷いのか?」
「うん……いや、酷いなんてものじゃない。これは壊すための呪いだから」
「壊す、ため?」
「そう、対象の人の全てを壊す呪い。わたしはこれから全力で解呪にかかるから、少しの間外に出てて」
「わかった。頼んだぞ」
「任せて、教皇の意地を見せてあげる」
そう言って微笑んだミリアに任せて、俺は治療室から出ていく。
あのミリアに任せたのならきっと、もう大丈夫だろう。