幸せになる、それは恐怖と不安との戦いです
恐怖と不安、それが今の私。
「姉さーん、いくよー」
弟の拓也から声が掛かる。
今日は、私の初めてのデート。それも二人きりの。
私は先日、温泉旅行に行った折、弟とその友達の計らいで彼氏が出来た。
正直、気乗りしていなかった。
私の彼氏になる人程、不幸な人は居ないと思っていたからだ。
そっと車椅子に座りながら姿見を見る。
その姿に、今だに恐怖と不安を覚えてしまう。
まさか自分が車椅子生活をする事になるとは思っていなかった。
私は半年前、轢き逃げ事故に遭った。
奇跡的に命は助かったが、半身不随となり、今は車椅子生活を送っている。
正直、轢き逃げした人には申し訳ないと思っていた。
あの時、暗い上に雨が降っていて視界が悪かった。
しかも私は、怪我をした子犬が雨に濡れないよう、抱えながら縮こまっていた。
まさに轢いてくれ、と言っているような物だ。
あの時、轢き逃げした人はまだ見つかっていない。
申し訳ない。出来る事なら謝りたい。
こんな私のせいで……きっと今も苦しんでいる筈だ。
それなのに、私は彼氏を作って人生を楽しもうとしている。
こんな事を弟や、その友達に言ったら間違いなく怒るだろう。
何を言っているんだと。
でも……あの人は……何て言うかな……
私の人生で、初めての恋人は。
待ち合わせ場所は弟が働くコスプレ喫茶。
いわゆる執事喫茶だ。私はここの常連だ。
木造の落ち着く作りに、非日常を味あわせてくれる執事の対応。
そして極め付けに……。
「ぁ、ヴェル様! 今日は顎乗せ禁止! 姉さんこれからデートなの!」
拓也が一匹の柴犬の前で通せんぼする。
この柴犬は、この執事喫茶の看板犬。
そして私が轢き逃げに会った時、抱きかかえていた子犬だ。
今は立派に成長した。私が店に来るたびに、膝に顎乗せしてくる可愛い命の恩人だ。
何故命の恩人かと言うと、私が轢き逃げにあって倒れていた時、怪我をした小さな体で人を呼びに行ってくれたのだ。現場は夜間の人通りの少ない田舎道。
あのまま放置されていれば、間違いなく命を落としていただろう。
「いいよ、拓也きゅん。ヴェル様は特別だからねーっ」
明るい声で言いながらヴェル様に手招きし、膝へと顎乗せしてくる柴犬の頭を撫でまわした。
可愛い私の命の恩人。ちなみにヴェル様、という名前は私が付けた。
ヴェル薔薇の大ファンだから……という理由で……。
「あぁ、もう……じゃあ姉さん、僕着替えてくるから……大地さん、もう少しで来ると思う」
そのまま拓也は奥へと消えていく。
大地さん、というのは私の彼氏。温泉旅行の夜、桜の木の下で告白された。
今思いだすだけでも、顔から火が出そうだ。
……でも、心の何処かで私は後悔してる。
大地さんは、本当に私なんかで良かったんだろうか。
もっと普通の……女の子の方が……絶対幸せになれる。
おかしい、なんだろう、この気持ち……。
好きだ……大地さんの事が。大地さんの事しか考えられないくらいに。
でも告白を受けた事を後悔してるなんて……。
もし大地さんが……他の女の子と付き合うって言いだしたら……
私は立ち直れないだろう。もしかしたら自殺するかもしれない。
そんな風に考えてしまう自分が、ひどく汚い人間に思えてくる。
最悪だ。大地さんの幸せを願っておいて……結局は自分の事しか……
「お、おまた……おまたせ……じまじだ……」
息を切らしながら入店してくる男性。
相変わらず上下黒の地味なファッション。でも私は好きだ。
外見は大人っぽいのに、中身は限りなく子供っぽい。
入店して来る大地さんが、私の彼氏だと店員は皆知っている。
その為か、執事は誰も対応しない。
息を切らしながら、大地さんは私の向いに座ろうと
「ぎゃひ! ちょ……ぎゃぁ!」
机の足に足をぶつけ、転びそうになり、そのまま椅子を掴んでバランスを取ろうとする。
でも椅子は大地さんの期待を裏切り、一緒に床へと転がった。
「い、いてぇ……っぐ……」
ゆっくりと立ち上がり、椅子を直す大地さん。
私は笑いを堪えるのに必死だった。ヴェル様も呆れるように、横目で大地さんを見つめている。
「お、おまたせしました……すみません……遅れました……」
何事も無かったかのように椅子に座る様子を見て、ついに私は堪えきれなくなった。
口を押えながら、肩を震わせて笑ってしまう。
「ご、ごめんなさい……大地さん……なんかド○フみたいで……」
顔を赤くしながら、頭を掻く大地さんを見つめる。
カッコイイ。そして可愛い。
「あ、あぁ、俺も見てましたよ。二十時だよ、全員集合ってヤツ……」
「大地さん、二十時じゃなくて八時です……」
私のツッコミに、お互い肩を揺らしながら笑う。
そんな時、執事の一人がお冷とオシボリを持ってきてくれた。
拓也の友達、女子大生の晶ちゃんだ。
正真正銘の女子だが、男装が趣味の晶ちゃんはここでバイトしている。
「お嬢様、どうぞ」
ありがとう、とオシボリを受け取る私。
そのまま晶ちゃんは、大地さんにも向き直り
「ん」
とだけ言ってオシボリを渡した。
なんだか不満そうな大地さんの顔が、またしても私の肩を揺らす。
晶ちゃんと大地さんは兄妹だ。
この前の温泉旅行でも、拓也と晶ちゃんで企画してくれた物だった。
「お嬢様、ご注文はお決まりですか?」
そのまま私はホットコーヒーを注文する。
大地さんは何にするんだろう、と思っていると、そのまま去ろうとする晶ちゃん。
「え?! ちょ、晶! 俺にも聞けよ!」
「あ? 水でいいだろ、兄ちゃんは」
その言葉に、周りのお客さんもクスクスと笑いだした。
何か漫才をしているように見える。
「ちょ、えっと……ローストビーフサンドセット! 飲み物はアイスコーヒーで……」
「めんどい、却下」
そのまま去っていく晶ちゃん。
お兄さんはギシギシと固まったロボットのような動きで、私に向き直る。
「え、えっと……すみません、琴音さん……お転婆な妹で……」
今の晶ちゃんの何処にお転婆な要素があったのか。
大地さんが晶ちゃんの事を、妹として大切にしている事だけは凄く分かった。
普通なら「バカな妹で」とか「愛想の悪い」とか言いそうだが、大地さんの口からそんな事を聞いた事は一回も無い。
そんな私もブラコンだが……。
大地さんが現れるまでは、うざいまでに拓也にベッタリだった。
ずっと抱き付いて過ごしたいと思う程に。
それから数分後、今度は眼鏡を掛けた執事さんがコーヒーを持ってきてくれた。
「お待たせしました。ローストビーフサンドは、しばらくお待ちください」
そう言いながら、ホットコーヒーとアイスコーヒーを置く執事さん。
そのままポケットから、ヴェル様のオヤツを取り出すと、定位置まで誘導していく。
「ぁ、あの犬……確か……」
「はい、私の命の恩人です……」
大地さんは、興味深そうにヴェル様を見つめていた。
私が事故に遭った経緯は、大地さんも既に知っている。
そっと大地さんは立ち上がり、ヴェル様の元に行くと
「ありがとな……」
そう言いながら頭を撫でようとした。
でも、その手をガブリと噛むヴェル様。
「ひぃ! な、なぜに!?」
それを見て、周りのお客さんは大爆笑し、私も思わず笑ってしまった。
ヴェル様が人を噛むなど初めて見た。
きっと、今ここに居るお客さんも皆知っているんだろう、ヴェル様が私の命の恩人だという事を。
常連なら誰でもしっている事だ。
何せ、ヴェル様は私にしか顎乗せしてこない。それを不思議に思った常連さんに、何度か質問された。
なんでこんなに懐いてるの? と。
私は聞かれる度に正直に話している。もう誰に話したのか分からないくらいに。
ヴェル様が大地さんの手をカミカミしている時、メイド姿の拓也がホールに入って来た。
思わず飲んでいたコーヒーを吹きだす私。
そして店内は、黄色い声援で溢れた。
「きゃぁあああぁ! たくやきゅぅぅぅうん!」
「こっち! こっちむいてぇぇ!」
「はっ! 今日は土曜日……シャメ解禁日?!」
可愛くポーズを取る拓也。私はこれで二回目だ。
弟の女装姿を見るのは。
一回目は、この執事喫茶でサプライズ誕生日会をしてくれた時。
更にサプライズと、メイド服姿の拓也が登場してきた。
そして二回目が本日、今この時。
メイド服姿の拓也は、大地さんの手をカミカミしているヴェル様を宥める。
そのまま、大地さんの手を引いて連れ戻してきた。
「大地さん、手大丈夫ですか? ちょっと見せてください」
メイド姿の拓也に介抱されて、ちょっとニヤついている大地さん。
なんだろう、この釈然としない気持ち……。
私、女装した弟に嫉妬してるんだろうか。
「だ、大丈夫……甘噛みだったし……たぶん」
「ホントですか? ならいいですけど……じゃあ、姉さんがヤキモチ焼くんで……」
と、その場を去る拓也。ヤキモチなんて焼かないもん。
大地さんは、アイスコーヒ―をブラックで一口飲みつつ、女装姿の拓也をチラチラと見ていた。
「大地さん……メイド好きなんですか?」
「え? あ、あぁ、そ、そうですね、可愛いですね……家に持って帰りたくなりますね……アハハ……」
大地さん、貴方が今、家に持って帰りたいと言ったメイド……私と血を分けた実の弟なんですが……。
「あ、えっと……ローストビーフサンド……まだかなぁ~」
私の痛い視線を誤魔化すように頭を掻く大地さん。
こういう所も可愛い。大地さんは変なプライド持ってないし……いつも私の事を気遣ってくれる。
でも……だからこそ、私は大地さんに対して素直になれない。
本当はもっと甘えたい。
抱き付いて、抱き返してほしい。
でも、それはダメだ、ともう一人の自分が囁く。
大地さんには、もっと素敵な……普通の女の子が似合う、私なんか釣り合わない。
こんな、ハンディキャップを背負った私より……
「お待たせしました。ローストビーフサンドです」
そこに晶ちゃんが、かなりボリュームのあるサンドイッチを持ってきてくれた。
こんなに食べれるだろうか……と、思っていると、大地さんはペロっと半分食べてしまう。
「あ、す、すいません……朝飯抜いて来て……」
別に謝るコトじゃないのに……
でも、おいしそうに頬張る大地さん可愛い……。
私が花見の時に作ったサンドイッチも、美味しい美味しいと食べてくれた。
「あー、なんか思いだしますね……」
突然大地さんが、引き続きサンドイッチに手を伸ばしながら呟く。
「琴音さんが作って来てくれたサンドイッチ……。あれ美味しかったな……あれだけで一生過ごせますよ」
瞬間、私の顔から火が出た。
実際には出ていない。それほど顔が赤くなった。
一生……過ごせる。
それって……プロポーズ……?
「ん? 琴音さん? なんか顔赤いですけど……風邪ですか?」
「え? い、いえ、だ、大丈夫です……」
大地さんは自分の言った言葉に気づいていないようだ。
いや、もしかしたら私の自意識過剰だろうか。
一生過ごせるって言うのは……別にプロポーズってわけじゃ……
誤魔化すように、私もローストビーフサンドに手を伸ばす。
一口食べると、トマトとレタス、それと特性のソースだろうか、それがローストビーフに合って物凄く美味しい。
なんだコレ……あとで拓也にレシピを教えてもらおう……。
「琴音さん、えっとですね……これからどうしますか?」
これから……?
どうするって……
出来るなら……大地さんと、けっこん……
「映画見に行きます……? ぁ、でも俺、琴音さんに服とか選んでほしいかなー……なんて……」
再び赤面。
もうダメだ。ヤバイ。顔が燃える。
自分の勘違いっぷりが恥ずかしくて堪らない。
「こ、琴音さん? やっぱり体調が……」
大地さん……私ばっかり……こんな恥ずかしいのは不公平だ。
だから、ちょっと仕返ししよう。
「大地さん、あーん」
ローストビーフサンドを大地さんの口に向かって……あーんしてみる。
途端に大地さんの顔は真っ赤に。
よし、ミッションコンプリート。
「い、いただきます……」
ゆっくりとサンドを食べる大地さん。
その時、かすかに私の指へ当たる……大地さんの唇。
ぁ、や、柔らかい……。
大地さんも、唇が私の指に当たったのに気づいたのか、申し訳なさそうにしてくる。
私はそっと、大地さんの唇が当たった部分に、自分の唇を当てた。
その瞬間、赤面する二人。
一体……何してるんだ、私……。
その後、サンドとコーヒーも無くなり、そろそろ行こうか、と執事喫茶を出る。
後ろから頑張って、と拓也と晶ちゃんの声が聞こえた気がした。
「琴音さん、何処か行きたい所あります?」
行きたい所……今はゴールデンウィーク。
何処に行っても人が沢山居すぎて、正直行く気になれない。
それに、私は目立つ……。
「えっと……」
「じゃあ水族館行きましょう!」
決めてたんかい! とツッコむ私。
大地さんも、そのツッコミを期待していたようだ。
そのまま二人で笑いながら大地さんのワンボックスカーへと。
「え、えっと……失礼します……」
私を御姫様抱っこして、助手席へと座らせてくれる大地さん。
大地さんは凄く力持ちだ。高校でレスリングをやっていたらしい。
思わず、このまま抱き付いて離しなくない、という誘惑に駆られる。
「えっと……シートベルト……」
そのままシートベルトまで掛けてくれようとする大地さん。
それくらい自分で出来るのに……と思っていると、バランスを崩した大地さんが、私の胸に飛び込んで来た
。
え、神様……貴方、なんていいセンス……
「ぎゃぁああ! す、すいません! ち、ちがうんです! バランス崩して……」
ガバっと急いで体を離そうとする大地さんを、思わず抱きしめてしまう。
ヤバイ……折角さっき、我慢したのに……。
「ここここことねさん?!」
「……私で……いいんですか……」
思わず弱音を吐くように、口から出てしまう。
途端に背筋が凍った。私は何を言ってるんだ。
告白してくれたのは、大地さんだ。それで、なんで今さら私は……
「琴音さんじゃなきゃ……ヤダ……」
……ん?
思わず耳を疑ってしまう。
なんだか子供っぽい言い方に……。
そのまま顔を近づけて来る大地さん。
まるで、私の事を全て分かっているかのような目で、見つめて来る。
「琴音さん……俺は適当な気持ちで……好きだなんて言いません」
そのまま……唇を合わせてくる……。
思わず涙が溢れ出た
震えながら、私も大地さんを求めた
服を鷲掴みにして……離れたくない、と。
でも、そっと静かに唇を離される。
もっと……もっと、と叫ぶ私の心。
必死に心を押さえつけようとしていると、それを分かっているかのように……再び甘いキス。
今度は一瞬だけ重ねて、お互い見つめ合った。
「昼間から……車内で……何してるんですかね……俺ら……」
笑顔で言い放つ大地さんに、私も笑い返しながら
「まったくですね……けしからんです……」
お互い笑いながら、大地さんはそのまま車椅子を折りたたみ、車に積んでから運転席へと乗る。
エンジンを掛け、カーナビで近くの水族館を打ち込んだ。
折角のゴールデンウィークだ。本当ならもっと……遠出したいんじゃないだろうか。
私のせいで、長距離の移動が出来ない。
そう考えると、ネガティブな自分がまた囁いてくる。
……やっぱり、私なんかじゃ……
「この水族館……凄いんですよ。アマゾン川の巨大魚が居るんですよ?! いやぁ、男のロマン分かってるわー」
……ん? それが見たいの?
っていうか、完全に作者の趣味だよね?
【注意:岐阜県各務原にあるアク○・トト。お勧めです!】
そのまま車で三十分程走り、大地さんお気に入りの水族館に到着。
思っていたより大きな水族館だった。淡水魚が中心らしい。
大地さんは車の中で、子供っぽく解説をしてくれた。
ほとんど耳に入ってこなかったけど……。
子供っぽい大地さんが可愛すぎて……。
再び私を御姫様抱っこし、車椅子に座らせてくれる。
後ろからゆっくり押され、水族館の中に。
「ぁ、涼しい……」
五月とはいえ、外気は二十五度を超えていた。
もう真夏ではないかと思う程、今年のゴールデンウィークは暑い。
「ですね……ぁ、受付済ませてきますね。ちょっと待っててください」
そのまま大地さんは受付に。私は、水族館の紹介がされているポスターを眺めながら待つ。
大地さんの言ってた通り、淡水魚が中心の水族館のようだ。
各エリアが世界各地の川や湖に分けられており、そこに分布する魚の解説なども書かれている。
「アマゾン川の巨大魚……あ、これか……」
大地さんが見たいと言っていた魚。
確かに大きい。こんな大きな魚が川に居るのか、と思うとワクワクしてくる。
男のロマン、というのが少し分かる気がした。
「おまたせしましたー。じゃあ行きますか~」
楽しそうな大地さん。
私まで楽しくなってくる。
まずは一階のエリアから。いきなりアマゾン川だ。
大地さんの見たい巨大魚は何処に……。
「ぁ、琴音さん、カピバラですよ!」
そのままカピバラのコーナに寄る。
とぼけた顔が可愛いカピバラ。
「琴音さん、見ててください」
言いながら大地さんは、何かの草? を、いつの間にか持っていた。
それをカピバラに見せつけるように、ガラス張りの柵の上から振る。
すると寄ってきた。世界最大級のネズミが!
「わ、わっ……お、おっきい……」
「ですね~。晶みたいですね~」
思わず笑ってしまう。
確かに晶ちゃんは、女の子としては背が高い方だ。
高校時代にバスケをやっていたせい、だと本人から聞いた事がある。
「琴音さんも、あげてみます?」
いいつつ草を手渡してくる大地さん。
垂れた草の先端に食いつくカピバラ。
「可愛い……」
「で、ですね……で、でも……琴音さんの方が……」
…………
お互い黙ってしまう。
そこまで言ったのなら、最後まで言ってほしい。
大地さんの顔を見ると、ロボットのように固まりながら顔を真っ赤にしていた。
可愛いにも程がある。
そのままカピバラに手を振りながら別れを惜しみつつ、次にアマゾン川のエリアへ。
その水槽の中に居る魚を見て、思わず開いた口が塞がらない。
大きい。大きすぎる。一体何メートルあるのだ。
「どうですか? 琴音さん……でっかいでしょ。晶みたいでしょ」
「あとで……晶ちゃんに言いつけますからねー……」
途端に謝ってくる大地さん。
笑いながら、二人の秘密、という事にした。
晶ちゃんなら、本気で大地さんを虐めるだろう。
それはそれで見てみたい気もするが……。
その調子で水族館を見て回り、外に出たころには既に真っ暗になっていた。
星空が綺麗に見える。
「じゃあ、そろそろ帰りますか。執事喫茶に八時までに来いって言われてるんで……」
そう、今日は誕生日。他の誰でも無い、大地さんの。
晶ちゃんは、きっと自分の誕生日忘れてる、と言っていた。
ズバリそれは正解だ。大地さんは完全に忘れている。
再び車に乗り込み、夜の街を走る。
どこかロマンチックになってしまう、同時に弱い自分も表に出てきてしまう、不思議な時間。
「琴音さん、今日楽しかったですか?」
突然そんな事を聞かれた。
楽しくない筈が無い。大好きな大地さんと一緒に……居られたのだから……
でも……
恐怖と不安が、私を襲う。
「大地さんは……楽しかったですか? めんどくさいでしょ……私とデートなんて……」
固まる空気
何を言ってるんだ、私は……。
でも、言わずにはいられない……大地さんの本心が聞きたい。
しかし、口が裂けても大地さんはめんどくさいなんて言わないだろう。
だから分かってる、この質問自体がめんどくさいだろう。
私、バカだ……
このまま嫌われるかもしれない、そんな恐怖に身を震わせた。
「え、いえ……すみません……その……正直言うと……」
ビクっと体が震える。
正直言うと……面倒な女、そう思われていたのか、と。
しかし
「正直言うと……俺……不安だったんです。琴音さんに嫌われるんじゃないかって……」
……え? そんな事……ある筈ない。
むしろ、私の方が……
「ほら、俺……シスコンじゃないですか。自分でいう時点でどうかって思いますけど……。親父が死んだ時に、晶は俺が守るって決めて……でも、いざ琴音さんっていう……彼女が出来た時、もしかしたら晶に接するのと同じような感じに、なってるんじゃないかって……」
それは……少し分かる気がする……。
私も拓也を守る為に……今まで彼氏なんて作らずに居た。
「だから、その……ちょっとキモいかもしれませんけど……もし、不満があったら、正直に言ってくれると……助かります」
それは完全にこっちのセリフだ。
不満があるなら言ってほしい、全部さらけ出してほしい……。
でも、嫌ってほしくない……
でも、大地さんには、もっと普通の女の子のほうが……
「大地さん……私……面倒くさいでしょ……こんな体だし……いちいち抱きかかえて車に乗せたり……色々気使ったり……」
言ってしまった。
言いたくなかったのに、言ってしまった。
嫌われる、確実に嫌われる。こんなネガティブ思考の……彼女なんて……
「……琴音さん、怒らずに聞いて欲しいんですけど……」
大地さんは、車の運転をしながら、私に言い聞かせるように話しだした。
「確かに……琴音さんはハンデを背負ってます。それは事実です。普通の女の子とは決定的な差がある」
直球で言われた。そうだ、その通りだ。私の体は、普通の人とは全然……
「でも、だからこそ、俺は琴音さんを支えたい。腕力には自信あるし……これから色々……勉強しようとも思ってます……恋とか愛とか……そんな言葉じゃ言い切れない思いが俺にはある。信じる信じないは琴音さん次第です……」
……そんなの……大地さんが負担になるだけだ……
そこまで想ってもらって……嬉しい筈なのに……このままじゃ、大地さんが私のせいで潰れてしまいそうで……。
そうだ……あれは……大地さんは、どう思うだろう……
「大地さん……私、幸せになっていいんでしょうか……」
数秒、大地さんは何を言ってるんだ、と顔を顰めた。
本当に……私は何を言ってるんだ、こんなに私の事を想ってくれてる人の前で……
「私を……轢き逃げした人……苦しんでる筈なのに……私だけ、幸せになって……いいんでしょうか……」
……大地さんは何も言わない。
当たり前だ、答えれる訳が無い。
「琴音さん」
大地さんは、どこか静かに……
でも何処か怒っているような声で私の名を呼んだ。
「答えになってるかどうか……わかりませんけど……。レスリングの試合で、俺は相手の体を気遣った事はありません。そりゃ反則技はしませんけど……」
…………
「レスリングって、元々はローマ帝国以前の……殺し合いを高度に高めて競技化した物なんです。顧問に言われましたよ、相手を殺す気でやれって……」
………
「でも、別の先生は、自分と相手の体に気を使ってこそ……強くなれるって言ってました……えっと……それで、何が言いたいのかっていうと……」
…………
「琴音さん……今、俺の中で最強です……。轢き逃げした人の事をそんな風に思えるなんて……俺には無理です……今でも、琴音さんを轢き逃げした奴を見つけたら……どうするか分かりません……」
…………
「だから……琴音さんは幸せになるべきだと思います……。その轢き逃げした人の事を想うのなら……幸せになって、いつか見せつけてやってください……私は今、こんなに幸せなんだって……」
…………ヤバい……
「だから……俺……絶対……琴音さんの事、幸せにしますから……誰が何を言おうと……絶対に……」
……涙が止まらない……
私、こんなに……想われて……本当にいいんだろうか……
こんな素敵な人に……こんな風に想われて……いいんだろうか……
幸せになって……いいんだろうか……
そのまま、車は執事喫茶の駐車所に到着する。
時刻は八時十分前。
「な、なんとか間に合いましたね……遅れたら晶に怒られる……っ」
そのまま私を抱きかかえて、車椅子に乗せる大地さん。
私は一言も言葉を発せないでいた。
なにも言い訳が思い浮かばない。
大地さんが好きだ
ずっと一緒に居たい
でも……でも……っ
「大地さん……」
執事喫茶に入る手前で、声を掛ける。
「怖いよ……大地さんに……嫌われるのが……怖いよ……」
あぁ、私本当に面倒な女だ……
自覚してるのに……止まらない……
そっと、大地さんは私の前に回り込んで、手を取る。
「本当は……中で渡すつもりだったんですけど……」
そのまま、私の左手薬指に……指輪を嵌める大地さん。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
一体、何が……起きたの……?
「琴音さん……俺と結婚してください……」
その言葉が頭を駆け巡った。
まさか初めてのデートで……。
まさか私なんかに……。
言われると思ってなかったから……。
「晶に、怒られちゃいそうです。本当は……俺の誕生日会って事で、中でサプライズ用意してるんで……。え、えっと……その、どうしようかな……なんて言えば……」
焦る大地さん……私は、出来る限りの腕力で車椅子から身を投げ出した。
それを慌てて受け止める大地さん。
「も、もうやだ……もう……絶対……離さないから……!」