scene.1
「はあっ! はあっ! はあっ!」
いつだったか。
ずいぶんと昔の事。
僕は正体不明の化け物に襲われた。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
幼なじみ達とかくれんぼをして遊んでいた僕は、いつの間にやらその空間に取り込まれていた。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
見知った街並み。しかし、そこには幼なじみ達……否、すべての人間の気配が無かった。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
僕以外にあった気配は……化け物のものだった。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
僕は化け物に襲いかかられ、自分の命をチップにした鬼ごっこを強いられたのだ。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
つまずいて転びそうになり、足がもつれたりしながらも、必死で逃げた。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
逃げて逃げて……けれども最後は追い詰められていた。
「はあっ! ちょっ?! い、行き……止まりっ?!」
今と同じように。
「はあっ! くそっ!」
間違えて袋小路に飛び込んでしまった僕は、痛む胸を押さえながら悪態をつき、ブレザーをひるがえすようにしてきびすを返した。
「ッ?!」
が、すぐに息を飲んで足を止めざるおえなかった。
振り返った先で“眼”が僕を見ていたから。
息が詰まった。
剥き出しの眼球。
それが、袋小路を覗き込んでいた。
眼球は、ゆっくりと持ち上がっていき、僕はそれをじょじょに見上げる体勢になる。
そして、のっそりと異形が姿を現していった。
その外観に、
「ヒッ……あ……」
言い様の無い恐怖をおぼえて小さな悲鳴が漏れる。
腰が抜けそうになる。
ズッ
袋小路へとその身を入り込ませようとする化け物の姿。
そう……化け物だ。
その姿は形だけを見ればサソリのような姿をしている。
だが、しっかり確認しなくとも、吐き気を覚えるほどに歪でグロテスクな異形の存在だ。
まずはその巨体。2トントラックほどの体の威圧感はかなりものだ。
そしてその甲殻は、人肌の質感を備えた肌色。ところどころ野太い“毛”がまばらに生えていることに嫌悪感を感じる。胴体から伸びる四対の足は、右側が人の腕。左側が人の脚のようだ。
それらが歪に折れ曲がり、その大きさにも関わらずペタペタという足音を立てる。
ハサミのような二本の前肢も人の皮を被ったかのような肌色。
そのハサミはいびつな肉襞で、大小様々な人間の爪らしきものがまばらに伸びている。
「……あ、ああ……」
あまりの嫌悪感と恐怖に、声帯が麻痺したかのように呼気を震わせる。
塀に八本の“手足”を掛けながら、袋小路へとその巨体をねじ込もうとする。が、その巨大さが災いして、引っ掛かっていた。
わずかに希望が首をもたげる。
が。
「ッ?!」
鷲鼻のような頭がググッと伸びてきて、僕の顔前までやってきた。
ふたたび絶望に塗りつぶされた。
その鷲鼻に十字の切れ込みが入ったかと思うと、盛り上がるようにゆっくりと捲れ上がった。
「ッ! っ! ッ?」
それは……“口”のようだった。不揃いの臼歯がびっちりとならび、肉襞の蠢きに合わせて踊る。
もう助からない。
僕は腰が砕けてへたり込んでしまった。内股が暖かくなり、異臭が漂い始めるが、目の前の異形のせいでほとんど気にならなかった。
だからか。
その音に気付かなかったのは。
気付けば、口を閉じた化け物の眼球が余所を見ていた。
なんだろう?
そう思った僕の耳に、鋼と鋼が擦り合わさり、撃鉄が上がるような音が飛び込んできた。
規則正しく耳朶を打つそれに気づいて、僕は。
「な、なんの……」
音? と呟く前に、肉の塊を大槌で叩くような音が響き、化け物サソリが塀を巻き込むように砕きながら左へと吹き飛んだ。
「……」
開いた口が塞がらない。
さらに、鋼が擦り合わさって、撃鉄が上がる。
あっけにとられている僕の視界の内、袋小路の壁が砕けていない右側の影から人影が現れた。
人、なのだろうか?
現れた人物の姿に、疑問がよぎったのも仕方ないといえるのではないだろうか。
それは、鎧のような姿だったから。
時代錯誤な西洋鎧風ながら、スリムでシャープなつや消しの黒い装甲。それが、全身をくまなく覆っている。肩や腕、脚や胸などは防具らしく固そうだけど、あまり厚みはないように見える。
関節とおぼしき部位も漆黒の素材で、まるでボディスーツを着込んだ成人男性のようなシルエットの鎧だ。
そのお腹の回りには、やはり黒のベルトが巻かれていて、なんだか銀色のメカニカルなパーツがいくつか取り付けられている。そしてバックルの部分は、紅い色をした長方形の機器が取り付けられていた。
極めつけは頭部だ。のっぺりとしたフルフェイスヘルム。
その顔の真ん中とおぼしき部位に、赤いレンズのモノアイ《単眼》。
まるで、ロボットのような'それ'は、しかし強い生命力を感じさせる足取りで歩んでいく。
そこでやっと、僕は鋼が擦り合わさり、撃鉄が上がるような音が、鎧の人物の足音だと気づいた。
単眼鎧。
そんな単語を思い浮かべたら、単眼鎧《彼》は足を止めて僕の方を見た。
紅いひとつ目は、無機質なはずなのに、その奥に暖かなものを感じる。
まるで、「もう安心だぞ」と語りかけてくるような優しい気配。
それが、僕の胸に安堵を呼び起こした。