2063
「地球と月の引力が引き合って自転と公転の影響で
月は地球に落下しないのは知っているかね?」
「ええ。大統領」
ホワイトハウスの大統領執務室の外は晴れていて、
噴水が気持ち良さそうに流れている。
「そして、それは常に奇跡的なバランスで成り立っているのだが、
いままでに何度も危機に晒されているのも知っているだろう」
「2012年の土星内部の原因不明の核反応や、2048年の彗星異常接近などですね」
「"彼ら"は何度も手を差し伸べてきた」
痩せていて背の高い黄色人種と黒人のハーフの大統領は
皺一つ無いスーツで、金髪で賢そうな白人女性官僚を見つめながら言う。
「もちろん2010~2035年までの地殻変動期もあらゆる方法をもって
我々の文明を保護してくれていたのだが……」
「コーヒー飲むかね?」
「いえ、またの機会に」
晴れている空を眺めながら、コーヒーカップを持った大統領は目を細めた。
「ただ、今度ばかりは不可能だという通達が先日送られてきた」
「残念です」
女性官僚は全て知っていたかのようで動じていない。
「ついては、移住計画を発動させようと思う」
「いよいよ。人類は棲み家をかえるのですね」
「うむ。もちろんこの地球に残る人たちも数多く居る。
彼らに関しては残念ながら好運を祈るしかない」
女性官僚がきびきびした足取りで部屋を退出していき、
大統領は執務室のアンティークの椅子に深く身を沈める。
「これでよいのかね。"D-"よ。
我々も、君達も間違ってはいないのかね」
「……」
椅子と机の前の空間に向けて大統領は語りかけ、
そして彫りの深い顔でじっと見つめる。
「ふっ。居ないか」
今までの独り言に対して照れくさそうに大統領は呟くと
どこかへと電話をかけだした。
「聖遺物の取り扱いに関しては教会も悩んでいるところです」
電話のしわがれた声の相手はそう答えた。
「例えば彼らと救世主はまったく別だという話があるが」
「うーむ。我々も長い歴史の中、彼らの加護を受けています。
ただ出自の話となると……」
「移動は可能なのか?むしろ移設といったほうが正しいか」
「効力の持続に疑問は残りますが。移設自体は問題ないと思われます大統領閣下」
「了解した。費用は我々連邦政府が受け持つ。
国の垣根を越えたプロジェクトだ。協力は惜しまない」
電話を切った大統領は、誰も居ない室内の客用長椅子に
何かが座っている雰囲気を感じた。
「ようこそ。指示された通りのことはこなした。これでよいかね?」
引き締まっていた部屋の空気自体が緩み、肯定の意を伝える。
「よかった。では移住のために不足している技術供与を開始してほしい。
できれば明日からだ」
部屋の雰囲気は緩んだままである。どうやらその存在は了解したようだ。
「潮位異常、小型隕石の相次ぐ落下、気候配置の急激な変化
磁気の乱れ、頻発する大地震、竜巻の相次ぐ発生……」
「なあ、教えてくれないか?本当は
次の何かと入れ替わるべき時期なのではないのか?」
「恐竜が滅び、アトランティスが沈み、ポンペイは火山に焼かれたように
危機を乗り越えるに足らない文明や生き物は滅んできたのだろう?」
「我々はあなたたちの加護で繁栄してきた、しかしそれはもしかして……」
そこで、言い過ぎたことに気付いた大統領は口を噤んだ。
「いや、すまない。このプロジェクトを完遂させよう」
長椅子に座った存在は微笑んだような気配を見せた。