6月
ザァーッーーー、ポツッ‥、ポツッ。
今年も、この時期が始まった。湿った空気、土混じりの臭い。梅雨だ。
この時期は、あれが出るから嫌いなんだけどな。
「ははははっ、それでねーー」
「あ、ごめん。ちょっとトイレに行ってくる」
日曜日。愛は、友達と二人で自宅で遊んでいた。
「あ、わかった~」
友達に一言入れて床からうんしょ、と立ち上がる。そして扉を開けた瞬間、それは起こった。
ーープツ‥。
「え‥‥何?」
いきなり暗くなる廊下、そして部屋。愛は慌てて周りを見渡した。電気が切れた‥というわけではないようだ。この暗い感じは、見覚えがある。
夜‥‥?でもいきなり夜になるはずないし‥‥?
「ねえ、どうしたと思…う‥‥?あれ‥‥?」
ついさっきまでそこにいたはずの友人が、いない。
「え‥‥」
バッと物陰も確認するが、何処にも友人の姿は見当たらない。
なんで‥‥、いつの間に‥‥?
少しの不安感が胸につのる。そんな、どうして。
何処‥‥?
不安になり、片手を胸の前でギュッと握った。
「何処いるの!?か、からかわないでよ‥‥っ!!」
叫んでみたが、返事は来ない。それでも認めたくなくて、「ねぇってば!!」と再び叫ぶ。
「‥‥‥」
でも、それに応える声はない。
「う‥‥どこー‥‥??」
段々と焦燥感が溢れてきて、自然と室内を見渡す視線の動きも早まってくる。‥‥と、そのとき。
ーーぶるっ‥‥。
「あ‥‥」
そういえば、トイレ行きたかったんだ‥‥。
でも、トイレに行くには。ちら、と廊下の方を見る。そこは相変わらず真っ暗だった。”普通の夜”なら愛も平気だったが、今はそんな状況じゃない。だけど‥‥。
い、行きたい‥‥。
普通の尿意と併せて、先ほどからの恐怖感のせいで、それはさらに愛を追い込むことになった。
「‥‥‥」
ゴクリ、と息をのむ。
よし、友人のことは後にしよう。まずはこの尿意をどうにかするのが先だ‥。
愛は恐る恐る足を廊下へと突き出した。
ーーヒュゥ‥ウ‥‥
「ひっ‥‥!!?」
ビクリと愛の肩が上がった。音のした方を慌てて見ると、そこは僅かに開く窓と、ふわふわとなびくカーテン。
「あ、風か‥‥」
ふぅ、と安堵の息をつき歩き出した途端。それは突然に”きた”。
ーーぬちゃり。
「ヒッ‥ぃやあっ!??」
足の裏に届く、奇妙な感触。お世辞にも気持ちいいと言えるものではなく、愛はすぐに足をどかした。恐る恐る下を見る。
「な、なめくじ‥‥っっ!!?」
なんでこんなところに!!
生理的な嫌悪感から、愛の目から涙が流れる。もはや悲鳴もあげれず、ぐっと息を止めた。
やだやだやだやだっ!!ゴシゴシと床に足をこすり付ける。でも一度踏んでしまった感触は、当分忘れそうにない。
「な、なんでっ‥‥!!」
早くトイレに行きたいのに。帰りは気をつけようと思いながらも、愛はさっさと廊下を通ろうとする、が‥‥。
ーーぬちゃっ‥‥
「ーーっあ‥‥あああああっっ!!!??」
嘘!??
今度こそ悲鳴を上げた。さっきとは逆の足に、再び”あの”感触。ぼろ、愛の目からは大きな粒が零れた。怖さからではなく、それは完璧な拒絶感からだ。
「もうヤダぁッ‥‥!!」
再び足を擦っていると、ようやく愛の目が暗闇に慣れてきた。と、そこには‥‥。
「ヒッ‥‥!?」
転々と廊下を占領している”それら”。言うまでもなく、先ほどから愛が踏んでいるナメクジだ。ほとんど足の踏み場もない。
「なんでこんなに‥‥っ!!?」
体が震える。拳も、爪が食い込むくらい握り締めていた。進むか、ここで漏らすか‥‥。
もう、こうなったら‥‥。
「‥よしっ!」
そして、愛は覚悟を決めた。グッと太ももとふくらはぎに力を入れる。
一気に行っちゃおう‥‥!!
ここにいても、なめくじが愛に近づかないとは限らない。ゆっくりなんて出来ないのだ。愛は唇をかみ締め、前を見据えた。そして‥‥。
「はぁ~‥よ、よかった‥‥」
あれから愛は、一度もナメクジを踏まずにトイレに行くことが出来た。便座の上でゆっくりと息を吐く。トイレに”やつ”はいなかった。心の底から安心し、立ち上がってズボンを上げる。そして水を流そうとレバーに手を伸ばしーー
「え‥‥」
ぬちょっ‥‥。愛の手に伝わる感触。目を見開いて愛はギギギ‥と頭を下へと向ける。
「ーーぁぁぁああああああっっっ!!!!」
何匹も、隙間なくレバーに引っ付いている”ソレ”を見た瞬間、愛はプツリと意識が途絶えた。
「ぅ‥‥ん‥‥アレ?」
そこで、愛は”目が覚めた”。
「なめくじは‥‥?」
バッと起き上がる。
「え‥‥なんでベッド‥‥?」
目をパシパシと瞬かせる。
「ゆ、夢‥‥?」
そういえば、あまりにも非現実的なことが前半で起こってたような。それじゃあ、あれは夢だったのか。愛はゆっくりと息を吐いた。
「よ、よかったぁ~~」
安堵で頬を緩ませる。愛の腕には、鳥肌がたっていた。
「あ、じゃあトイレの夢見てたのって‥‥」
なんか今行きたいかも。だからだったのか。ゆっくりと愛はベットから降りた。夢が夢だから、愛は恐る恐る廊下を覗く。月明かりに照らされるそこは、いつもとかわらず、何もいない廊下だった。
そっか、やっぱり夢か‥‥。
ようやく安心して愛はトイレへと向かった。もちろん、レバーを引いてもあの感触はなかった。
「あー、嫌な夢だった‥‥。さっさと寝よっと」
そして、愛は無事ベットへと帰る。再び布団へもぐり、頭を枕へとおく。
‥‥枕へと置く、はずだった。
ーーぬちゃり。
「ん‥‥?」
なんだろう、今変な感触がしたような‥‥。先ほど”経験した”ようなその感触にバッと愛は頭を上げ、枕の方を見下ろ‥‥、
‥‥”いた”。
「ーーッッやあああああああああっっっっっ!!!???」