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Scene C 騎士見習いと過去の亡霊

Scene C


「アルカネットさん。先ほど向こうで、何か騒ぎがあったようですよ」

 控え室。言うキユミに、アルカネットは浮かない顔をする。

「…どう、したんですか?」

「あ」

 側に人がいたことを初めて思い出したという風に、アルカは顔を上げる。

「…うん。考えてて」

 内容については触れないまま、照れ笑う。

 柄でもないのは分かっていると、いいたげに。


 マリウスは目覚めない。

 首都では魔術は特に嫌われていて、魔術師はほとんど住んでいないため、治癒は、薬草に頼るしかなかった。

 アルカの知り合いのサーフィス辺りに転移の魔術でもって来てもらう、という方法もなくはなかったが、ちょっとしたミスで、地上のどこにもいなくなったり、人格が変わったり、腕が一本増えたりと、何かと扱いづらい魔術だ。戻せないこともないが、それがまた難しい。さして縁のないマリウスのために、彼がそこまでの危険を冒してくれるとも考えにくかった。ボランティアで、虎を素手で捕まえてくれと頼むようなものである。先ほど掻き消えた魔術師は、よほどの覚悟でそれを使ったことだろう。


 しずくのように、パンドラは言葉を落とした。

「いつかマリウスは言いました。ラングワートの一族は、わたしや、他の貴族議員への復讐を決してやめないだろう、と」

 控えの一室。

 フロウや、他の騎士団から来ている数名が、マリウスとパンドラ、そしてその子供を見守(まも)っていた。

 ふと、扉を叩く音が響く。

 どうぞ、とパンドラが返し、扉の開き留めが触れ合って鳴る。

 整った顔立ちの、亜麻色の髪をした青年が顔を出した。

 それにパンドラが険しい眼を向けるが、その脇を抜けて、二人組みの女性が、飛び入ってきた。

 彼女らは、心配の色をこれでもかというほど顔に乗せて、パンドラの名を呼んだ。

 ルディ、と。

 ガーフィールド。つまり、パンドラのファースト・ネームの略称である。あまりその名で呼ぶものはいなかったが。

 パンドラの眼が戸惑いを映す。

「二人とも! 危ないから家で待ちなさいと言ったじゃないの」

 パンドラの雇った世話係は、半分はそれを聞き流して、よかった、この子も無事ですね、と産着の中を覗きこむ。

 一瞬だけの和やかな空気をぶち壊しにするように、二番手になってしまった青年のほうが、重々しく口を開いた。

 げほん、と、咳払いをしてから。

「だから申し上げたではありませんか。我が刻静騎士団に警備をお任せくだされば、何も危ないことはない、と」

 冷たい視線が返される。

「どうかしら。中庭で襲われた時、わたしたちに切りかかった騎士は、見覚えのある鎧を着ていたようよ」

 それは…と口ごもる。

 首都の騎士団は、規模が大きい分だけ、上から、下が見えづらい。

 確実に不忠の輩がいないとも言えないし、居たとして、特定も難しい。

 げほん、と再び咳を払って、騎士隊長は念を押し、部屋を出て行った。

「ともかく、もう少しくらいは、ご信用いただきたいですな」


 骨ばった細い指が小麦色の髪に触れようとして、ためらい、元の位置へ戻る。

「…マリウス。あなたの言ったとおりになってしまったわ」

 ついと、声が返った。

「そうでも、ありませんよ」

 …あら、起きていたの。疲れた声音で、パンドラは言った。

「あんなに深刻な顔をされていたら、目を開くに開けないじゃないですか」

 かすれた声だが、表現だけは砕いて、応える。

 ヤケドは背面なので、寝台に伏せたままだ。

 そしてマリウスは起き上がろうと身体をひねって、やはり痛かったらしく、うめき声をあげて、ベッドに落ちた。

 …背中から。

「うぎゃあっ」

「ま、マリウス!!」

 叫ぶ守護者に、それにおたおたと手を伸ばす『女王』。

 どこか滑稽劇じみて見えるが、二人とも真剣である。――いや、真剣だからこそ、滑稽なのか。

「…ああ、もう。傷口に敷布が張り付いてしまったわ。これはどうしたらいいの」

「…す、すみません…」

 彼の母親じみて奮戦するパンドラに、マリウスは、相変わらずの情けない口調で謝った。

 ようやく元の格好に戻ってから、けが人は途切れがちにつぶやく。痛みと呼吸が闘っているものらしい。

「――もう一騒ぎある、かも――。

まだ、『彼』が…、出てきていない」

 その代名詞がどの人物を指すのか、パンドラに見当はつかなかった。


 ばさり、と。

 羽がしなる。

 風圧に、春先の草花が、一様に流れる。

 通り過ぎれば、そこには平穏な風景が戻った。


「――!」

 あざやか、としか言いようのない素直さで、刃の細い剣が伸びてくる。

 防御に廻した剣と小手の、予想もしなかった隙を縫って。

 まともにそれを肩口に受けて、男は膝をついた。

「っつ」

 そうしてしまってから、ようやく痛みを口にする。

 追撃を加えるふうでもなく、琥珀色の瞳がキサを見下ろしていた。

 やや思案してから立ち上がり、傭兵は不満そうに尋ねる。

「どうしてあんたは、肩やら足やらばっか狙うんだ」

 厭らしい戦い方だ、といわんばかりに。

 その職業に似合った邪気のない笑みを浮かべて、聖職者は答えた。

 その琥珀色の髪が、外からの白い光を乗せている。

「戦場ではね、動きを止めた者の勝ちです。誰が、その痛みを押して、痛みも知らない主君のために戦うでしょう」

 続ける。やわらかい笑みのまま。

「腕の一本、足のひとつ。それだけを奪えば、それで十分なんです」

 草の匂いを含んだ風が、ふわりと過ぎる。

「――」

 文字通り死ぬ覚悟で、禄に顔も知らない雇い主のために戦ってきたキサには、天地がひっくり返るほどに新鮮な言葉だった。

「そういうものかな」

 当面、頷きはしたものの、まだ腑には落ちない。

 遅まきながら付け加えると、アルカたちの所属する騎士団にある、修練場である。

 聖職者の名は、フェイマス=クロード。

 かつて、『クラウディアの串刺し神父』と呼ばれたこともある。アルカネットの故郷にも近いクラウディア平原で、攻め寄せた異教徒5000人を奇跡的に足止めし、それが一因となって、その一帯では今も、以前と変わらない方法で神を信仰している。



 その翼をひるがえして、象ほどもある影が通り抜けた。

 屋外で警備に当たっていた騎士たちが、一様に空を見、慌てた様子を見せる。

「…くく」

 竜獣――空想上のドラゴンにも似た生き物だが、哺乳類。木の肌に似た色の皮膚は、滑らかだ。触ると意外とすべすべして――ってなことは、下でふためく騎士たちにはどうでもいいことだろう。

 見れば、おそらく仲間に引き入れた魔術師――ダークエレボゥスの仕業、宮殿の一角の壁が崩れ落ちている。

「…」

 遥か下、磨いた金属の板で光を返し、仲間が合図を送っている。

「派手にいこうかぁっ」

 竜の上、かつて皇帝の近衛を務めた人物は叫んだ。


>D

「…うわ」

 惨状に、橙髪の準騎士が顔をゆがめる。

 辺りには、幾人もの騎士が伏していた。一滴の血もそこにはなく、不思議といえば不思議な光景といえた。

 そちらへ一歩を踏み出そうとするアルカネットを、フロウが止める。

「――よせ」

 どうして?

 振り返るアルカへ、雪髪の準騎士は空の上を目で示す。

「なぜ、奴が降りてこないと思う? 降りれば、巻き添えを食うからだ」

 何の、と問うより早く、そばにいたひとりの騎士が、うめきとともに、階段を数段、滑り落ちる。

 絶好の見本を示されて、アルカネットは青くなった。

「上だ!」

 フロウが叫んだのとほぼ同時、ふたり、そして、他の騎士たちも、走りだした。


「――ん?」

 ふと、バルトゥースという名の戦士は気が付く。

 ゆるやかな傾斜を描く宮殿の屋根の上。幾人かの騎士が居る。五、六人か。

 いつの間に現れたものだろう。

 確かにそこまでなら、この竜の吐いた毒息も登ってはくるまい。

「面白い」

 人の足で、騎竜に挑もうなどと。

 溢れた愉悦が、彼の顔に笑みを作らせた。


「くるよ…」

 アルカが、いつになく低い声でささやく。

 言われるまでもなく、フロウは準備していた。

 竜の飛翔の勢いに乗せ、斧槍ハルバードを構えた戦士が突進してくる。

 その武技が振るわれるか振るわれないかというぎりぎりのタイミングで、フロウは雷術を展開した。

『――天を突く雷』

 魔術師にしか読めはしないが、書かれた呪文は、ごくシンプルなもの。

 普段は腕にまとって扱う雷術が、空間に、縦に伸びる。

「なにっ!?」

 バルトゥースは騎竜ごと、雷の網に突っ込む。

 竜の飛翔が、そう簡単に止まるものでもない。

「くそう!」

 いくらか屋根の外面を削って騎竜は着地した。

 警備のために方々の街から集まっている騎士たちが、絶妙の呼吸で囲む。

 バルトは、手にした斧槍を横半円に振るった。

 それをやりすごして後、剣と槍が左右から伸びる。


 雷撃による痺れから立ち直った騎竜が、舞い上がろうと、翼を振るった。

「――くっ」

 風圧で、幾人かの騎士が吹き飛ばされる。彼らは離れて、体勢を直した。


「――セト」

 いつの間にか、隣に来ていた仲間をアルカは呼ぶ。

 パンドラたちに付いていてくれと頼んだはずだ。

 彼女がこれまで、アルカの言を反故にすることはなかった。つまりそれは、理由を尋ねる呼びかけ。

 はい、と、まずそれを枕詞のように口にしてから、セトは答える。

「マリウスという男が、これで最後だから、と」

 何が最後なのか。口にした本人以外には、わからない。

 いや、そこに現れたマリウスこそが、答えなのか。


「――え?」

「な…」

 アルカとフロウが、揃って驚きを表す。

 彼はまっすぐに、バルトゥースを見ていた。

 今彼が何を考えているのかは、そのすみれ色の瞳からは読めない。

「――、

よお」

 気づいた竜騎士が、そちらへ笑いかける。

 敢えて例えるなら、猫がねずみを見つけたみたいな笑みだった。

 あるいは、手袋の左手が右手を。

「元気そうじゃねえか。なぁ?」

 マリウスは答えない。

 竜騎士の周囲に居た騎士たちは、一度、武器を振るうのを止め、二人を見守った。


 マリウスは、言った。

「私にはわからない」

 バルトが、片眉を跳ね上げる。

「あなたが一体何のために戦っているのか、私にはわかりません」

 マリウスは一歩、竜騎士の方へ近づく。

「でも、これだけは言えますよ」

 パンドラを語る彼は、いつもどこか芝居がかる。

「パンドラさまを傷つける者は、誰であれ許さないって」

 魔のパンドラに魅入られたかッ!

 バルトは吼えた。

 言葉の勢いのままに、竜をはしらせる。

「…違う!」

 毅然と顔を上げるマリウスだが、彼には身を守る術がないように思えた。


「…セト!」

 切羽詰った様子で、アルカネットが呼ぶ。

 身を幾つにも移す魔物は、瞬きの間にそのかたちを変えた。


「な…っ!?」

 ふいに横からの打撃を受け、騎竜ごと、進路から斜めの方向に飛ばされる。

 後方を見れば、竜に似た生物による頭突きだった。

「ぼくだって、マリウスを傷つける者は許さないよ」

 『者』という演劇じみた単語があまりそぐわない口調でそう言って、竜獣の背の上、アルカネットは飾り気のないスピアを構えなおす。

 セトの変化した緑の竜は、隙を与えずにバルトゥースの騎竜――ヒッポパデスという固有名詞だが――を追う。

「――来やがれっ」

 どこかの国で嗜まれるという馬上の戦いのように、バルトゥースは斧槍を正面に構える。

 ――が。

 アルカネットは、騎兵ではなかった。


 翠竜の背の上から、相手が消えた。

 目を走らすも、背後までは気に留めることはなかった。

「…つ」

 鎧の薄い腕の根を狙った刺撃が通る。

 今の状態なら、首を狙えたはずだ。

「どうした? ためらってるのか?」

 顔は見えないながら、相手が飲む息を感じる。

(ふん、甘いな)

 振り返らぬまま、斧槍を背後へ向けて薙ぐ。

 敵が竜の背を蹴る軽い衝撃が伝わってきた。


「――ルカ」

 再びその背へ戻った主を、不器用な発音でセトが気遣う。

 どうやら、アルカネットは震えているらしかった。武者ぶるえなどでないのはすぐに判る。

 風が鳴くので途切れ途切れに、アルカの声が翠竜の耳に届く。

「…って、…あの人は…――て。ぼくには――いっ!」

 …マリウスとの会話のせいで、相手を『敵』ではなく、『個人』として認識してしまったものらしい。

 倒すべきものではなく、事情を持った別の人間として。


「…ち」

 フロウは何を読んだのか、舌を打つ。

 その遠目にもし事情が取れたとするなら、おそるべき勘の良さである。

 周りの、自分よりは長く生きていそうな騎士たちをかまわずに怒鳴りつけた。

「おい、お前ら! 何をしている。早く矢なり弓なり持ってこい!

騎竜相手に、飛び道具もなしで戦うつもりかッ!」

 一連の、幻術じみた光景に惑わされていた騎士たちが、ようやく我を取り戻す。

 ある者は階下へ降り、別の者は援護へ回った。槍も、飛び道具にはなる。


 たすけようにも、こう離れていたのでは、手の出しようがない。

「――アルカネットさん…」

 ふと、マリウスのつぶやきがフロウの耳に入った。

 普段は大人しく見えるが、その実、激情家。フロウはまくし立てる。

「ああ、もうっ! お前のせいだ! お前が余計なことを言うからッ!!

負傷者は、大人しくして寝てろ!」

「――」

 ひるんだように、マリウスは目を見開く。

(―― 一応、切り札はあったんですけど、ね。アルカネットさんが邪魔をするから、外してしまったんですよ)

 遣い損ねた炎術の炎が、彼らから少し離れた場所で、くすぶって消えた。

 フロウが言うように、やはりけが人は大人しくしていたほうがいいのだろうか。


 敵竜を振り切るように、高く高く飛んでから、セトは言った。

「ルカ。生きて還るのでしょう? このままでは、敗けてしまいますよ」

「…でもっ!」

 竜の騎乗者は煮え切らない。セトは内心、ため息をついた。三人もの剣の師匠たちに、一体、何を教わってきたのだろう。

 下界を差し置いて、バルトゥースはアルカのほうを追ってくる。

 目の前の戦いから自分の意思で抜け出せないのは、戦士の悪い癖といえた。


「どこまで昇る気だっ」

 もはや冷え始めた気温に、バルトが悪態をつく。

 相手の策に嵌められているという思いも禁じえない。

 かといって、守るべきもののすでにない自分に、魅力的な戦いに背を向ける理由もなかった。


 永遠の女神は平和を支持しない。


「――『永遠の女神は、平和を支持しない』」

「? 何ですか、それ」

 アルカネットの言葉に、キユミが尋ねる。

 警備の交代のために、回廊を歩いているところだった。

 ん~

 うなって、アルカは手に持った木の枝で空中に小さな円を描く。

「ぼくには分からない。でも、何となく思う。

誰にとっても自分のための平和があって、みんな自分の平和を守りたいから、時々誰かの『平和』を、壊してしまったりする。

でもそうしたら、また平和は生まれて…」

 からん、とアルカネットは、枝を回廊の脇に捨てた。庭園を、夜の風が吹き抜けていく。

「いつまで経ってもみんなの平和がせめぎ合う。

永遠の女神は、どれか1つだけになんて、決められないんだ」

 キユミは、アルカが捨てた枝を拾い上げた。

 挿し木にしたら、花が咲くかもしれない。

 そう思いながら、橙髪の準騎士を振り返った。

「――諸行無常、ですね」



耳元を、勢いよく風が吹き過ぎてゆく。


 守るためなら鬼にもなれる。

 いつか、ローザはそう言った。


 サーフィスという魔術師はこう言った。

 人ってやつは、どうしてこうまでプライドが高いんだろうね。歴史を、戦いで塗りつぶさないと気がすまないくらいに。


 誇るために戦うのか? 守るために戦うのか?


「――ぼくは」

 ぽつりと、アルカネットはつぶやいた。

「どれが正義かなんてわからないっ!」

 上昇をやめた翠竜が、向きを変える。

 すぐに、全速で翔ぶヒッポパデスが追いついてくる。

 竜上の男は、笑みを浮かべているようだった。

 翠竜は位置を留めたまま空中に漂う。

「あきらめたかっ!」

 飛翔の勢いを乗せ、バルトが斧槍を払う。

 アルカは上、セトは下。

 この高度でその曲芸は、なかなかできるものではない。

 アルカネットの抜き放った剣の周囲が、氷の色を帯びる。

『霧氷――』

 ちょうど降るように、バルトゥースのふところへアルカは飛び込んだ。

「同じ手は食わねえぞっ」

 それほど広い敷地もないのだが、騎竜の上で立ち上がったバルトがそれを受け止める。刃先を返した斧槍を振るも、空を裂く手ごたえ。

「――くっそ、ちょこまかと!」

 バルトの頭上を、アルカネットの影が越えた。もし職にあぶれたら、曲芸師として食べていけるかもしれない。そんな動きだ。

 鎖鎧だけが覆うバルトゥースの首元へ向けて、剣が伸びてきた。

「連舞!」


「ぐうっ」

 バルトゥースはよろめく。

 アルカネットが目を見開くのが判る。

 剣は、絡まりあう鎖の網に止められ、肌を傷つけてはいなかった。

 押さえつけられたバルトの喉が空気を吐く。

 準騎士が返そうとする腕を、バルトはつかんだ。

 わずかな悲鳴とともに、小さな騎士は動きを止めた。

「――あばよ」

 斧槍が風を切る。

 アルカネットは手を掴んでいるバルトゥースごと――

 空中に身を投じた。

 アルカネットの目方が一気に片腕にかかり、歴戦の勇士は体勢を崩さざるを得ない。

(バカな)

 とっさの判断で、手を離す。


 ひゅん

 駆けた翠の影が、落ち行く騎士を見事にすくいあげる。

 本物の竜を使っては、どんなに息が合っても、そこまでの芸当はできそうにない。


 ――ちっ

 バルトゥースは我知らず、舌を打っていた。

 大きく弧を描いた翠竜が、再び彼をめがけて翔んでくる。

 橙色の髪の準騎士は、さきほどよりはふっきれたように見える。

(また同じ手か?)

 竜の上を跳んでくるのか?

 事実、まともに騎兵のようにぶつかりあえば、吹き飛ぶのはアルカネットのほうだろう。


「セト、いくよ?」

 翠竜の頷きが、かすかな振動となって返る。

 アルカネットは、槍を相手に向け、水平に構えた。

 まっすぐに。


「――きやがれっ」

 今度は竜の背を降りずに、準騎士は突進してきた。

 笑みすら浮かべ、バルトは迎える。


 うおおっ


 バルトゥースは吼えた。

 斧槍とスピアが、各々、勢いよくすれ違おうとする。

 ――直前で、アルカはバルトゥースの竜の頭を蹴った。

 今度は、翠色の竜の方が消えている。

「――なっ!?」

 そんなはずはない。

 困惑するバルトゥースに応えるタイミング。

 ちょうどヒッポパデスの首の真下辺りから伸びてきた翠の蛇が、バルトの視界を埋める。

『六蛇列禍!』

 空に浮かび――、いや、落下しつつある、ヒトの容に戻ったセトの腕から、右二匹、左が四匹という不ぞろいな数で、触手ふうの生物が空を這っていた。

 それは、バルトの腕や斧槍を絡める。

 降ってきたアルカの槍は、今度こそ正確に戦士の喉を射抜いた。


 蛇の先を支点に空中で反転したセトが、竜の姿に戻る。

 ヒッポパデスはまだ、前へと翔んでいた。


 アルカが槍を戻すのにつれて、バルトゥースは崩れ落ちる。

 空虚な眼で、アルカはそれを見下ろしていた。バルトから流れ出した小さな海がひろがり、竜の背を染める。

 空の下では、後に騒ぎになるかもしれない。赤の塩水が降ったとあっては。

 ふと、バルトゥースの口が動いた。


 マリウスの奴は、幸せだよなぁ…


 耳には聞こえないまま、そう見えた。

 アルカネットは答えずに、ヒッポパデスの背を後にする。

 そのわずかな振動が元となって、竜の背から、バルトゥースは滑り落ちた。


「…」

 それは悲しいことなのですか?

 セトが尋ねる。

「わからないよ」

 アルカネットは答えた。


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