Scene A 騎士見習いと女王陛下
Scene A
「キユミ~、まだ~?」
明るいオレンジ色の髪をした剣士が、うんざりした様子で、前を行くこどもに問う。アルカネットの腕の中では、いくつもの紙袋が重なり合い、小さな山を作っていた。隙間に見える赤いリンゴが、今にも転がり落ちそうだ。
アルカネットの後ろを付いてくる長毛の白い犬が、それを心配そうに見ていた。
もうちょっとですよ、と、前から苦笑を含んだ声が返る。
う~、と犬のようにうめいて、準騎士は荷物を抱え直した。
今アルカネットの前を歩いているのは、キユミ=クライド。彼の故郷の文字で書くなら、倉井戸 鬼弓となる。ある事件が縁で、しばらくアルカたちの属する騎士団に身を寄せていたが、今やすっかり、その用務員さんだ。彼がいなければ、予備の木刀の在り処ひとつわからない、という騎士団員も多い。故郷に帰ろうにも、どこをどう連れられてきたのか、もはや本人には、わからないという。
アルカネットの脇を歩いているのは、犬。どこからどうみても、犬である。
「うえぇ、まだ買うの?」
雑貨屋の店先で九十度横に方向を変えた用務員を見て、アルカネットが情けない悲鳴を上げた。これ以上重ね上げれば、荷物の山が雪崩を起こしそうだ。
いざとなれば私も持ちますから。
アルカネットの隣で、白い犬が言った。
『女王陛下のダンスパーティ』
首都、パーセル。国の中心であり、政に関する議会に参加している議員の大部分は、ここに住んでいた。
数ある議員の中、“女王陛下”と呼ばれる人物がいる。約二十年前、彼らが王政を廃した時分からの有力者で、今もなお、大きな影響力を誇る。
近頃、その『女王陛下』が、子どもの誕生を祝うため、という理由で、ダンスパーティを開く。
アルカネットたちの所属する騎士団にも、警備の仕事の割り当てが回ってきていた。
「うわぁっ! 華やかですね!」
水晶色の目のサムライが、感想を見たまま口に出す。
宮殿の大広間。床の隅から天井まで、細工やら彫り物やらが所狭しと埋めている。まだ人は居ないが、その壮麗さだけでも、十分に人を魅了した。
そうだねー、と、投げ遣りに頷いてから、アルカネットは腕を組む。隣でキユミが、不思議そうに見上げた。
(床一画辺り、いくらぐらいするんだろう)
「さて。じゃ、行ってくるね」
広間の見物を済ませて、アルカネットが手を挙げる。
キユミは行儀よく頭を下げた。
「はい。お気をつけてどうぞ」
「え~、我々の使命はぁ~」
間延びした声が響く。城の一室には、警備の主役になる騎士たちが詰まっていた。
ひじき髭の、どこかの騎士隊長が弁舌をふるう。
「第一に、パンドラさま、およびそのご息女の命を守ることにあり~、また~、第二には、来訪者の~」
退屈な説明に、アルカネットは真剣な面持ちで聞き入っている。
それをわき目に、一方のフロウはあくびをかみ殺した。
眠くてたまらない。
何せ、ついおとといまで探索の任務ではるか南方まで旅をしていたのだ。
その翌日は夜行で獣車。
疲労が、嫌な具合に溜まっていた。
演説じみた騎士隊長の説明が終わると、遠慮なく、あくびとともに身体を伸ばす。
「フロウ。眠いの?」
問う同僚に、目をこすってから答える。
「…ああ。そりゃな」
「控え室で寝ててもいいよ?」
本気らしい。気遣いの目がフロウを見上げる。ちなみに、これはアルカがかがんでいるせいであって、元の身長そのものはアルカネットのほうが高い。
フロウは肩をすくめた。
「そういうわけにもいかんだろ」
色布がひしめき合う床の上。人の頭よりずっと高い位置から、それを見ている者がいた。
小麦色の髪と、濃いすみれ色の瞳。ひょろりと背が高く、どこか頼りない印象を与える。
彼は腕を組んだまま、ふと、口の端を吊り上げる。
「…ああ。いますね」
隣で、長い白銀髪の女が微笑う。喪服にも似た闇色のドレスに、王冠じみた頭飾り。そこに居るだけで、妙な存在感がある。
「よく言えたものだわ」
背の高いほうはどうも、といって、照れたように頭をかいた。
真白い床は水面のように人の顔を映し、あまりにも滑らかで、歩きづらい。
どうしていたるところにふかふかのじゅうたんがひかれているのか、わかる気もした。
庭園に面した通路の上、かつかつと小さな足音を響かせて、アルカネットは隣のもうひとりと共に歩いていた。褐色の肌に白銀の髪という、珍しい取り合わせの女性だ。アルカネットより頭二つ分ほど背が高い。
見回りの最中、ではない。
番が回ってくるまでの暇つぶしだった。
大広間の方から、数種の弦楽器の音と、明るい灯がもれている。
アルカネットは隣に尋ねた。
「セトはこういうところ、前にも来たことがある?」
アルカネットの友人のひとりであるその女性(…というと語弊があるが)は、話し掛けられない限りは、滅多に自分から口を開かない。淡々とした調子で、答える。
「はい。あれは、千と五百二十三年前のことです。月の扉を開くことに成功した私たちは」
年代記でも読み上げているようである。アルカは慌ててさえぎった。
「そ、そうじゃなくってッ!
『ここ』じゃなくて、『こういうところ』!
何だかこう、王様が住んでいるみたいな、さ」
褐色の肌をした女性は、床に垂直な線から正確に十二度だけ首をかしげ、一秒後にそれを元の位置に戻す。
「はい。『月の王』の居城は、とても機能的で快適なところです」
…何かが、違う気もした。
アルカネットは、めまいを抑えようとして頭を押さえる。
セトと呼ばれた女性は、報告でもするみたいに、言った。
「誰か来たようです」
アルカネットが顔を上げると、細身の、どこか頼りない雰囲気を持った若者と、白い髪をしたドレスの女性が、回廊をむこうから歩いてくるところだった。
(…あれ?)
なんだか、その姿に見覚えがある気がして、アルカネットは目を止める。
向こうも、足を止めた。
「…もしかして、以前、マリーの遊びに付き合ってくれた人かな?」
すみれ色の瞳と小麦色の髪の青年は、言う。
「あぁっ! お茶の人!」
指差したアルカネットに、マリウスは苦笑した。彼女の頭の中で、人に関する記憶というものは、どう整理されているのだろう。
隣の、白い髪の女性が、セトのことを不思議そうに見ている。
アルカネットは隣の犬を紹介した。
「セトって、いいます。ぼくはアルカネット」
女性は微笑んだ。
「そう。わたしは、ガーフィールド=パンドラ」
見れば彼女は、その手に赤ん坊を抱えていた。
「マリーは元気?」
アルカネットの問いに、マリウスが応じる。
「はい。もうあんな危ない遊びは、していないと思いますけど」
それに軽い笑みを返して、アルカは赤ん坊に見入る。
「~、かわいい」
覗き込むアルカネットに、赤ん坊はにこりと笑いかける。まさかもう社交辞令を覚えたものか。
思い出したように、マリウスがつぶやく。
「生まれたのが冬の始めですから、もう結構経ちますね」
「こうゆうパーティって、生まれてスグするものじゃないんだ?」
アルカネットが尋ねると、女王とよばれる女性は、腹から声を出すような――聞く者を威圧する喋り方で返した。
「色々と事情があってね。準備があったとでも思ってちょうだい」
「パンドラさんが産んだんですか?」
「ええ。そうよ」
アルカネットが何の気なしに放った水際の質問へ、パンドラの重低音が平然と応じる。
パンドラの年齢を丁度二で割れば、平均的な出産年齢に近くなりそうだった。
たわいない話をするうちに、いつの間にか風が冷えてきていた。
マリウスが提案する。もう月が、ずいぶん高く昇っていた。
「戻りましょうか、パンドラ」
ええ、そうね。
パンドラが頷いて、二人は立ち上がる。
そこへ、だ。飛び道具が勢いよく走り抜けた。
湿って澄んだ音を残し、柱から戻った矢尻が床を鳴らす。
「誰だっ!」
アルカネットが叫ぶ頃には、セトが庭園の茂みに飛び込んでいた。
橙髪の準騎士は、後ろを振り返る。
「お二人は早く中へ!」
言われるまでもなく、ドレスの裾は翻っていた。
が。
向かおうとした先へ、壁が二人ほど立ち塞がる。
申し訳程度に、不揃いの布で覆面がなされている。
マリウスはその顔に、少しばかり覚えがあった。紛れもない、前皇帝の一族の者だ。
「どいてください」
静かに言うパンドラの側近へ、言葉ならぬ答えが返る。
ひゅん
グラデュースと呼ばれる短剣が、ほんの少し前までマリウスの顔のあった空間をよぎる。
毒が塗ってあるようで、つんとした、植物の香りが鼻を突いた。
「私から離れないで」
いつの間にか手にした短刀のひとつを一方の敵に放ち、マリウスは言う。
こういうときは、安全なところへ、とでも本来は言う場面だが、どこに刺客が潜んでいるかわからない。パンドラはマリウスの背後に添っていた。
騒ぎに気づいた警備の騎士が数人、駆けてくる。
襲撃者はマリウスの投げたナイフをあっさり叩き落すと、彼は二撃目を、もうひとりが斜めの位置から初太刀を放つ。
「――っと」
マリウスはたたらを踏んだ。正面からの攻撃は身体を反らしてかわしたものの、斜の一撃をまともに止めた側の手がしびれを訴える。
どちらかといえばマリウスは文人である。荒事には向かない。
彼は援けにやってきた騎士を頼りにしようと仰ぎ見るが、よく見ればその得物は自分たちに向けられている――?
「――パンドラっ」
庇えば、自らが背後からの攻撃を受けることになる。だがマリウスは、考える前にもうそちらへと手を伸ばしていた。
草が鳴る。
間に合うかどうかの境だ。
今さっき襲撃者から奪い取ったばかりの槍を、アルカネットは走りつつ低く構えた。
「!」
真白い犬がよぎり、マリウスと剣を交えていた二人の前でヒトに姿を変えた。
残像じみて、金属の糸のような白い髪が流れる。
襲撃者たちは我が目を疑い、一瞬、動きを止める。
その好機にセトが遠慮する道理もない。
彼女が腕に住まわせている『這う賢きもの』が、風切り音をまとって伸びた。
「うあっ」
「ぐっ」
ほぼ同時に、二つのうめき。グラデュースは床に落ちた。
「霧氷ッ」
刺客とパンドラの間を、槍の穂先が縦に走った。
刺客が身を引いてできた空間に、橙髪の準騎士が滑り込んでくる。
「っ」
パンドラを狙っていた男は、慌てて勢いを削いだ。
すでに間近に迫っていた相手の槍柄が、するりとみぞおちに入る。
何とかそれに持ちこたえ、反撃とばかり、剣を上げようとした位置に獲物はいない。
首を回す前に、冷気が顔にはりついた。
「縁…」
騎士を装った刺客の一人目は、顔を氷に覆われて、パンドラの足元に倒れ伏す。
実は、一撃目の最中でアルカの持つ槍の刃先が、守るべきパンドラの髪先を薙いでいたりしたが、それについては今はさておく。
その後ろにいた新手二人目の刺客が、上段から、アルカネットへ向けて大剣を降らせる。
アルカは跳んだまま、空中で得物を反転させた。
狙う刃に怯まず、そのまま腕を突き出す。
「…連舞!」
「っなん…」
槍の先、分かれた葉の間が大剣を挟み、自分にめがけて滑り落ちてきた。
大剣が敵に届いた頃、彼の意識はすでになかった。
ずしゃっ
鎖鎧が、大理石の床面に触れて鳴る。
それに一瞬遅れて地に触れ、アルカネットは床を転がる。
「このっ」
一番後ろにいた刺客が、長剣を下ろした。
きんっ
いつの間に抜き放ったものか、それは橙髪の準騎士の剣に止められた。
最初の二人を大人しくさせたセトが振り返ると、顔につららを張り付けた、アルカネットの一人目の相手は、マリウスの手で動かぬものにされていた。
セトとマリウスの間では、側方の髪の長さを微妙に変えられたパンドラが、恨みがましく髪先をもてあそんでいたりするから、度胸があるというか何といおうか。
四名(と狙撃した仲間)が倒れ伏したのを見て、分が悪いと踏んだのか、刺客はきびすを返す。
アルカネットはすかさず、床を蹴った。
「逃がすかっ」
騎士の姿をした刺客は、大きな柱の並ぶ広間を抜け、城の出口へと向かう。
追うアルカネットの頭にはふと、おさな友だちの忠告がよみがえる。
アルカネット。お嫁に行けないよ。
あれは――そうだ。
剣劇の真似事をしていて、友だちに大怪我をさせてしまった時の話。
幼馴染だった女の子がそう言った。
大怪我どころか、つい先ほどまで全力で武器を振るっていたわけだが。
回顧の念を振り切って、アルカは捕縛のための一跳びを踏んだ。
――矢先、脇から何かが飛び出す。
それは叫んだ。両手を翼のように広げてみせる。
「やめて!」
と言われて急に止まれるはずもない。弾みのついたアルカネットと、前を走っていた騎士もどき、そして飛び出してきたドレス姿の女性は、もつれ合うまま床に伏す。
麦の詰まった布袋を、床に放るような音が響く。
逃げようとする騎士、追おうとするアルカネット、止めようとする淑女の順に起き上がった。
それでもかぶさるドレス姿に向かい、アルカネットは言った。
「キミ、邪魔っ!」
淑女の顔色が赤に変わる。
「ん、なんですって!?」
彼女は、準騎士の髪を引っ張った。接近戦においては、割と効果的な攻撃手段であろう。
アルカネットはこの時、ヘアスタイルは丸刈りか角刈りにしておけばよかったと、九割方、本気で考えていた。
「…というわけで、角刈りにしようと思うんだ」
「僕が任されると、虎刈りになりそうだけど」
「あ、なら、わたしがやりましょうか?」
キユミ=クライドが申し出る。
頼むよ、とも、止めておけ、ともいえずに、キサは凍りついた。
…角刈り…。
先ごろ武器屋が開発した新製品、ハサミを、キユミは握る。
「ところで、角刈りというのは、どんな形なんでしょう? よろしければ、お教え願えませんか?」
「…」
「とりあえず前髪を~…」
いたたまれなくなって、キサはその空間を後にした。何か泣けてきた。
息子息女を出家させる親や友人の心境を、味わってしまった気がした。
そこへ通りかかったのが、ローザだ。
にぎやかな様子に気を引かれたのか、何かあったの? と尋ねる。
キサは無言で、ドアの向こうを指差した。
そちらを覗き込んだローザの、提案。
「だったら、かつらがいいわ。取れて、破壊力抜群よ」
ついに、キサは走り去った。
数刻後に会ったアルカは、いつもと変わらぬ髪型で、思いとどまったのか、それとも取り外し自由なフリーヘアを選択したのか、キサにはもはや確かめようもなかった。
…というのは、後の話で、現在。
元気のない様子で戻ってきたアルカネットを、セト、マリウス、パンドラが迎えた。
「どうしたのですか」
やや、場にそぐわない尋ね方をするセトへ、アルカネットはうなだれたまま答える。
「取り逃がした。妨害されたせいだけど――仕方ないよね」
残念そうに、微笑む。アルカイック・スマイルと呼ばれるモノ。
けれど、マリウスは晴れ晴れしい顔を向けた。
「大したものですよ。これだけの人数を相手に、守りきったのですから」
セトの方に、いくらかの脅えの視線を投げつつも。
「そう言ってもらえると助かります」
やや事務的な口調で、アルカネットは返した。
「アルカネットさん! 服がほつれて! あぁああぁ~、こっちも!!」
騎士団庶務課総勢一名が、アルカネットの服のあちこちを指差しては、頭を抱える。
自分で直すから、と笑う準騎士を、キユミは鬼の形相でにらむ。
「あなたになんて任せておけませんっ!」
ひどい言いようである。茂みに飛び込んだのが、一番の災いだったようだ。
早く洗わないと、血は落ちにくいのに、と、うなるキユミ。
替えの服が、と言って荷物を漁り始める。
セトという名の犬は、アルカネットの頼みで、そのままパンドラたちに付いていった。
――いたく不安げな表情で、何度もアルカの方を振り返りながら。