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二日目 4

「あー、腹減った~」

 ドレッドヘアの男。粟飯原あいはら 浩二こうじはミニバンから降りると腰を伸ばしながら鼻腔を広げた。周囲には美味しそうな香りが漂い、警察へ自首する為に来た暁人は戸惑った。

 暁人の後ろではミニバンの鍵を閉める音と、冬奈が運転手に何を話しかけている声が聞こえる。警察署から百メートルほど離れた定食店の駐車場でボンヤリと看板を眺めた。

『巡査定食。警部定食。警視定食。取り調べセット。張り込みセット』

 などとふざけたメニューが看板に書かれている。

「よ~し、今日は警部定食頼んじゃうぞ」

 粟飯原はビートを刻むような歩き方で定食屋の暖簾を潜っていってしまった。

「あ、あのう……」

 暁人は迷った挙句、比較的話しやすそうな棒付き飴を舐める蜘蛛のような男――七井 清浄に恐る恐る声を掛けた。

「ん? なんだ? おまえまだメシ食ってないのか?」

 七井はガリガリと噛み砕いた飴の棒を店前のゴミ箱に放り込みながら振り向いた。彼は乱暴そうな風貌をしているが、会話をしてみると意外に同年代の友人が浮かべるような気楽な笑顔で答えてくれる。

「昼飯は食べました。その、そうじゃなくて僕はどうしたら……」

「え? 自首するんだろ?」

 不思議そうに首を傾げる七井の脇を通り、運転手と冬奈も定食屋の暖簾を潜る。

「あ、いえ……。そうなんですけど貴方たちは?」

「メシ食うんだけど? ……何? 自首に付き添いして欲しいの?」

「そういうわけでは……」

「なんだよ。俺たちの事は気にするなよ。そこの信号を渡って門を抜けて玄関に入り、受け付けで空き巣の自首をする。裏に連れて行かれて自首調書を書く。はい、終了」

 レンタルDVD店でのソフトを借り方を説明するようないい加減さだ。しかし暁人が実際にするこれからする事である。

「俺たちさ、有紀の部屋でお前を待ち伏せてたからメシ食ってないんだよ。悪いけど付き添いは無しで頼むよ。ていうか無理だから。俺たち警察行くの」

 迂遠に犯罪に関わっていると思わせる台詞だ。七井はじゃあともう興味も用もないと言わんばかりに、腰を屈めて定食屋の中へと入っていた。

 磨りガラスの向こうで彼らは思い思いの注文をしている。暁人はやけに自分が現実離れし始めていることに気がつく。これから自首しようとする自分と、遅めの昼食を取る彼らの間に非日常という壁が立っている。そんな錯覚を起こす。

 首を巡らし、警察署を見遣る。

 普段よりさらに威圧感が増す警察署を見上げながら、留置所はあの建物の何処にあるのだろうと詮無いことを考えた。

 あの窓の無い三階の一角だろうか? それとも地下にあるのだろうか?

 暁人は肩越しに定食屋の入口を一顧し、寒さで身震いしながら警察へ向かう道へ踏み出した。

 

 迫る警察署は静かだ。この中に何百人もの警官がいるとは思えない。自首でもしたらその警官たち全員の視線がくるのではないのかと暁人は妙な妄想をしてしまう。そんな下らない想像をするたびに定食屋の方を振り返るが、中にいる彼らは友人でも家族でもない。頼る相手ではないし、また頼るべきでもない。

 どうして空き巣などしようとしてしまったのか。空腹だったとはいえ、食べ物を得る方法は他にもあったのではないかと今更ながらに後悔する。

 門を入り駐車場を抜け、青い顔した暁人が警察署の玄関ホールへ足を踏み入れたその時、


 メールの着信音が鳴り響いた。


 暁人は集まる警官や免許書き換えの訪問者たちの視線に身を竦めながら、上着のポケットにしまっていた有紀の携帯電話を取り出した。またいつの間にか持ち出してしまったらしい。


≪ お姉ちゃん風邪の調子どう? ≫


 短いメール本文。

 これを何度も何度も読み返し、暁人の心境が段々と変わっていく。

 もう警官たちも暁人を気にしてる様子はない。訪問者が玄関でメールを読んでいる。有り触れた現代の光景。その暁人が踵を返して警察署を後にしようと気に止める者はいない。誰も彼が自首しに着たなどとは思ってもいない。メールで急用を知らされた若者が予定を変更しだだけにしか見えないからだ。

 

 暁人は早足で定食屋の前に戻り、暖簾を払って戸を開け放った。

「警部定食って天ぷ……」

 海老天ぷらを箸で高く掲げた粟飯原は何かを言いかけいた。

 運転手はラーメンを啜ろうと口を開けた状態で、七井はお茶を飲みかけたままだ。

 三人の男たちは戻ってきた暁人の顔を呆然と見上げ、食事の手を一斉に止めた。

 冬奈だけがピンとした姿勢で卵丼を静かに食している。

「いらっしゃい!」

 店員の声で男たちは我を取り戻した

「な、なに? おまえも……食うの?」

 海老天ぷらを皿に戻しながら粟飯原が引きつった笑みを浮かべた。

「有紀さんには……妹がいるんですよね? 入院してる」

「そうだけどそれが?」

「メール返信しないと……。仲がいいんでしょ? 有紀さんと妹」

「そう……だったっけ? 七井さん」

 粟飯原は頭を低くして首を捻り、隣に座る七井に問う。

「そうだと思うが……。取り敢えずメシがきたばかりだから先に食うわ」

 七井はそう言い捨てるとレバニラ炒めを腹に収める作業へ戻った。

「ああ、そうっスね。まず食いましょう」

 粟飯原も同意して天ぷら定食――警部定食を乱暴に掻き食らう。

 運転手はそんな周囲を伺い、右へ習えとばかりにラーメンを啜り始めた。

 店員が水の入ったコップを持ってきて「注文は?」と尋ねたが、七井が「あ、ゴメン。悪いけどこいつもう昼飯食ったんで水だけで」と断った。店員はコップを置いてそうですかと引き下がる。

 放置された暁人は不安な様子で立ち尽くし、四人の見回しながら居た堪れなくなる。しかし自首を止めてきた理由を聞いて貰いたいので、食べ終わるのを待とうとした時、


「言い訳を聞きましょうか?」


 食事の手を休めず、合間にそう冬奈が呟く。

 冬奈の言い方が気に入らなかったが、暁人はこれ幸いと言い訳――いや理由を語り始める。

「メ、メール……妹さんにメール返信しないと……い、いや違うんだ……。姉さんがあんな状態って分かったら悲しむんじゃないかな? しゅ、手術とか妹さんあるんじゃないかな? だからさ、退院するまでとか手術終わるまでとか隠して置いたほうがいいんじゃないかな? お、俺はそう思うんだけど……どう思うかな? 違う? 妹さんと有紀さん仲いいんだよね? 違う? あの俺は……メールを返信するのが先じゃないかと」

 暁人の理由――いや言い訳を聞いているのか聞いていないのか、四人の男女は静かに食事を勧める。やがて一番量の少なかった冬奈が食事を終えて……。


「なるほど。困窮して他人の部屋に忍び込んで状況の悪さにこそこそ逃げ出し、数少ない解決策の自首すら出来ないで、正体の知れぬ私たちの前にノコノコと帰ってくる間抜けな人間に相応しい弁舌ですね」


 辛辣。

 冬奈の辛辣な物言いに暁人は鼻白んだ。


「キタッ! 冬奈ちゃんの毒舌キター! やったー、かっこいいー!」

 粟飯原は何がそんなに嬉しいのか、箸を置き手を頭上にし絶賛する拍手をした。冬奈の言い方と粟飯原の態度に内心イライラしたが、暁人はグッと堪えて携帯電話をテーブルの上に置いた。

「メ……」

 メールを返信しないと。そう言いたかったが、暁人は何も言えずに顔を紅潮させて震え始めた。

 そんな情けない様子の暁人に目もくれず、七井はレバニラを咀嚼しながら携帯電話を取って勝手にメールを打ち始めた。送信すると画面を暁人の眼前に突きつける。

「これでいいんだろ? おまえさんは」


 文面は『今から病院いってきまーす。ちょー頭痛い☆⌒(>。≪)』などと顔文字入りだった。

「おい、どうするよ冬奈。種でも蒔いておくか?」

 七井は携帯電話を置きながら、何かの隠語なのか種を撒くという意味の分からない事を言った。

 ゆっくりと冬奈の顔を上がり冷たい視線が暁人を射抜く。彼女の機械的な仕草に身を竦めた暁人だったが、悟られぬように胸を張った。年若い少女に対して暁人なりの虚勢だ。

 冬奈の何処か硬くゾッとするほど冷たい動きで可愛らしい唇が開く。


「暁人さん。あの部屋で暮らしますか? 私たちが協力しますよ」

  


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