一日目 3
少しでも早くアパートから離れたい暁人だったが、タクシーやバスでは顔を覚えられるかもしれない。それになるべく盗んだ現金も使いたく無いので、仕方なく最寄りの駅まで十五分ほど歩く事にした。
暁人が駅に到着すると同時に、ハムしか収めてなかった腹が本格的な食事を要求してくる。自分の腹だから腹を立てても腹が減るだけなので素直に腹を満たす事にした。駅前のうどん屋に入り、稲荷寿司とキツネうどんを頼んで席に付く。
暁人は死体を見つけた後に……しかも盗んだ金で得た食事が喉を通るか心配だった。しかし現金なモノで、いざうどんと稲荷寿司が目の前に並ぶとあっという間に平らげてしまい、軽く自分を軽蔑する。
盗んだ金で支払いを済ませて駅に戻り切符を買って仕舞おうと上着のポケットに手を入れたとき、トンデモないミスに気がついた。
ポケットに携帯電話を入れてきてしまっていた。
液晶画面を撫でる暁人の膝が笑い始める。急に後ろから警官が追いかけてくるような錯覚を感じて無意味に振り返った。
路頭に迷い持ち歩かなくなって久しい携帯電話を、昔の習慣で上着のポケットに入れたらしい。動揺を隠しながら切符販売機の前から離れ、そのまま駅から出て元の道を戻り始めた。
あたりすっかり暗くなり、人通りも少なくなっている。
途中で携帯電話の電源を切り、何処かに投げ捨てようかと考え始める。もしも携帯電話のGPSがオンになっていたり、発信局との位置交信が機能していたら自分の足取りを探られるかもしれない。
これは杞憂とは言い切れない。携帯電話が通過した位置にある防犯カメラなどを、徹底的に洗い出せば暁人の姿を見つけ出すかもしれないからだ。携帯電話の存在した位置に同時刻、何回も映っていれば疑われる。
警察という物はそういう地味な捜査が得意だ。まして大家に顔を見られている。映像の人物に見覚えがないかと警察が問えば、大家が指を指して「この人です」と言いかねない。
だからといってこの携帯電話をアパートの部屋に戻しても解決にはならない。
どうしたらいいのかと迷いつつ、吐き気で胸を抑えながらアパートへと急ぐ。せめてあの帽子の男が部屋に帰る前に……、携帯電話を持ち出された事を気がつく前に元へ戻したい。
無理に返さなくてもいいのだが、もしも帽子の男が自首でもする気になった時、携帯電話が無いことで空き巣に気がつくかもしれないし、最悪の場合は罪を擦り付けてくるかもしれない。
邪推が暁人の頭を巡り、胸が締め付けられて冷や汗が噴き出す。息が乱れ暁人は近くの電柱に寄りかかった。
その時、アパートの方から……。
暁人に向かって帽子の男が、恐ろしい形相で駆けてきた!
帽子の男は右手に何かを握り、歯を食いしばって必死に走ってくる。あれほど乱れていた暁人の呼吸が止まり、ここで終わったと卒倒しそうになった。
殺される!
と、身を竦めた時……帽子の男は暁人の事など目に入らない様子で走りぬけ、大通りへ向けて消えていく。
考えてみればアイツはこっちの顔を知らないじゃないか……。暁人は大きく息を吐き出して電柱の元でヘタリ込んだ。
呼吸を整えて立ち上がり、暁人はアパートへ携帯電話を返しに向かった。
部屋には無理に入らず玄関から投げ込めばいいだろう。
部屋の鍵も何処か遠くで処分すればいい……。暁人は自分に上手く行くと言い聞かせながら、アパートへの道を小走りに進んだ。