一日目 2
死体を見つけた暁人はまず悩んだ。
意外と死体への強い嫌悪は感じられず、恐らくそれは外傷もなく腐敗臭もないからだろう。
顔見知りで無い事も突き放せる理由かもしれない。
それでも遺体発見というのは悩ましい事態であり、暁人はなるべく死体から離れて居間の隅で踞り頭を抱えた。本当はすぐにこの部屋から飛び出したかったが、アパートの大家に顔を見られてしまったからにはそうはいかない。
隣の部屋の木岡という住人との言い合いは終わったようだが、後日遺体が見つかれば大家は目撃者として暁人の事を警察に話すだろう。
「いや犯人が……いるだろう?」
暁人が侵入する前に出ていった男。
彼が犯人であることは間違いない。彼氏かどうかは分からないが……。
出ていった男がカレシであるかどうかを調べる為に、暁人はこの部屋にあった携帯電話の写真データを調べ始めた。男の顔はしっかりと見えなかったが、それでも特徴は把握してる。
幸いフォトフォルダにパスワードなどはなく、簡単に中身を見ることが出来た。
新しいデータはほとんど熱海の写真だ。たしかにあの男が写っている。自撮りでも遺体の女と仲睦まじく肩を並べている写真がいくつも見つかった。
携帯電話の持ち主は遺体の人物で、そしてそのカレシは帽子を目深に被りタクシーで去った男。これは間違いない。大家がここの住人が熱海に出かけた事を仄めかし、その場所の写真データがあることからして携帯の持ち主がこの部屋の借主であることも確実だ。
「後は……あの男が帰ってくる可能性が……」
その前に逃げ出さなくてはいけないし、大家に顔を見られたのも大問題だ。暁人は逃げようと腰を浮かべるが再び頭を抱えて座り込む。
事実確認は上手くいくのに、これから何をしたらいいかがまったく思いつかない。そうしてしばらく悩んでいると、女の携帯電話が再びメールを受信した。
持ち主の妹からだ。そういえば家に帰ったかどうかを確認するメールに返信をしていない。
暁人は疑われないように……少しでも死体発見を遅らせる為に返信文を入力し始めた。しかし、あまり不自然では怪しまれる。
妹とのメールやり取りを調べ、会話の内容に目を通す。連日、妹とメールをやり取りしてる様子はないが、数年分の履歴があって全てが保護され残っている。その中から近いメールをいくつか読み、携帯電話の持ち主っぽい文章を入力して返信した。風邪をひいて寝ていたという文面と、もしも様子が気になって電話などしてこないように、それからカレシが看病をしてるという嘘を。
しばらくしてメールを受信した。
風邪を心配する内容と、カレシによろしくねという簡単な返信文。風邪であることを配慮してるのだろう。おやすみなさいと締めくくられ、少なくても今日はこれ以上はメールが送られないであろうと暁人は胸をなで下ろした。
座卓の上に携帯電話を置きながら、ふと液晶画面に並ぶ履歴を見とがめて暁人は首を傾げた。
妹のマキや友人らしい名前にカレシの名前らしき正仁、それにバイト先であるコンビニからの連絡らしき履歴に紛れて……。
葬儀屋、電気屋、翻訳屋、石屋、薬屋、植木屋、ガラス屋、運送屋などなど。
仕事や何かの購入先で関係があるにしても、屋号や会社名では無くて何故総称なのだろうか?
しかも葬儀屋やら石屋からちょくちょくメールが届くなどと、普通では考えにくい。もしかしたらバイトの関係先なのかと思ったが、どう見てもコンビニエンスストアと取り引きなどがあるとは思えない。
「……なんだこりゃ」
メールの内容を見ても、暁人にはさっぱり分けがわからない。葬儀屋から≪2015090912 CDB回収≫などという文面が届き、薬屋には≪拾った猫の飼い主の名前は大川≫などとメールを送っている。
特に翻訳屋とのやり取りが多いが、これもまるで暗号のようで意味が分からない。
「いや、こんなことより逃げないと……」
自分の立場を思い出し、暁人は携帯電話やお土産の紙袋の位置を元に戻して逃げる準備を始めた。ちゃっかり座卓に投げ出された女物の財布に入っている五万円から二枚だけ抜き出して当初の目的も達成させた。
指紋も拭き取ろうと思ったが、どこに触ったかなど思い出せず断念した。とにかくまずは帽子の男が帰ってくる前に逃げなようと慌ててドアを開けようとして……思いとどまる。
いきなりまた誰かと鉢合わせしても困る。外の様子を伺いながらドアをゆっくりあけ、人の姿がないと確認してから部屋の外に出た。
いつの間にか日はすっかり沈み、逃げるには好都合な明るさとなっていた。
念の為、玄関に置きっぱなしになっていたアパートの鍵でドアを閉め、少しでも死体の発見が遅くなるよう願った。帽子の男が帰ってきて鍵がかかっていて不信に思うかもしれないが、自分の存在がバレるわけでもないので発覚の遅延を優先した。
誰が女を殺したか気になったが、これ以上関わるわけにはいかない。
大家に顔を覚えられているならば、出来る限り遠くに逃げればいいだろう。
そんな浅はかな考えで、暁人は暗がりの中を足早に逃げ出した。
翌日にまたこのアパートに戻るなどと思いもせずに……。